虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

ひとりひとりの子にとって一番大切な働きかけ

2017-09-01 15:24:02 | それぞれの子の個性と才能に寄りそう

前回までの記事の続きは近いうちにアップします。

湖面Tおをいただいたついでに過去記事をアップします。

 

アメリカでのレッスンの記事で、遊び方について取りあげたのは、

その子の個性であって、才能でもある面が、

親御さんたちの目には「ただのノイズ」として映っているのを感じることが頻繁にあったからです。

子どもたちが何人かで創作活動をしていると、

それを見ている大人たちが、「誰の作品が一番上手かな?」「うちの子は見栄えのいい作品が作っているかな?」という

目で眺めたなら、それぞれの子のその子らしい資質は

たちまちノイズへと変質してしまうのです。

 

過去記事で、親が子どもの資質をノイズとして受け取ってしまうことについて、

書いた一連の記事があります。よかったら読んでくださいね。

 


今日は幼稚園に通い出したばかりの★くんのレッスンでした。(今日は休園日でした)
★くんは、ひとつのことでじっくり遊びこむのが上手な子ですが、
このところ少し落ち着きがない様子で、
「あれがしたい」と言っては、すぐにやめて、
「あっちがしたい」「こっちがしたい」と気が変わりやすくなっていました。

「園から帰るときは満足しきった明るい表情をしているのですが、
疲れてもいるらしく、すぐ遊びを変えたり、かんしゃくを起したりします」
という親御さんのお話でした。

幼稚園に通い出して、★くんはそれまでの中性的な優しい顔立ちから、キリッとした男の子っぽい顔立ちに変わってきていました。
口調も、時折り、俺様調になって、
1歳の弟くんに手荒に接する姿もありました。

★くんは想像力が豊かで、
目には見えない物に仕組みや原理に強い興味を示す子です。

虹色教室では、これまでそうした興味を工作活動を通してアウトプットするように手助けしてきたので、
「足で踏むと開くゴミ箱は、どうして開くのかな?」
「ティッシュ箱からティッシュが次々出てくるのはどうして?」
といった疑問をたくさん抱いて、よく観察してから自分の推理を言葉にしたり、簡単な紙工作で仕掛けを作ったりすることに
とても積極的でした。

ところが、幼稚園への入園後、久しぶりに教室に来た★くんは、
磁石で玉を移動させるおもちゃで遊んだかと思うと、
「それと似たおもちゃを作ってみよう」という誘いに、ちょっと乗ったかと思うとやめて、

「これが作りたい」と発泡スチロールの地面の下の生き物模型を指し、

発泡スチロールを用意して作り出すと、
「やっぱりあれがしたい」「これがしたい」と気持ちが揺れていました。


そうした姿を見ると、幼稚園生活に慣れるのに疲れていて、
集中力や根気を失っているようにも見えます。

けれども、
次々、することを変えながら
★くんが私に訴えようとしていることを聞いていると、
ただ飽きっぽさが際立って、遊びを変えているのでもないことがわかりました。

★くんの話では、お家に戦隊物のパチンコのおもちゃがあって、
それと同じようなものが作りたいのだけど、

「このおもちゃはどんな風に動くのかな?」
「この材料で作れそうかな?」と
そのイメージに合いそうなことをあれこれ試してみるのだけど、どうもしっくりこないようなのです。

★くんと会話を交わしていると、以前より自分が何をどのようにしたいのか考えるようになっていて、選んだり判断したり振り返ったりすることが上手になっているのがわかりました。

今、★くんは、
以前よりもっと自分のイメージに合ったものを、
自分で選んで、自分で決めて、自分で創作したいという思いが高まっているようでした。
それだけに、「ちょっとちがう」「ちょっとちがう」と試したり、考えたり、ボーッと想像したりする時間が長くなっているようなのです。
頭を使う時間が増えているので、
落ち着きがないようにも、あまり生産的でないようにも
見えるのです。

そこで手っ取り早く「これしなさい」と課題を与えてしまわず、

★くんのイメージの世界に耳を傾け、

★くんが試行錯誤して必要なものを選ぶのを待ってあげ、

「この子は自分で考えだしたことは、最後まで放り出さずに
完成させる能力がある」という信頼感を持って接するようにしました。

ここで、★くんの表面的な行動だけを見て、
「やりはじめたことは最後までしなさい」と注意するのでなく、

★くんが「こういうことがしたい」という一貫したイメージを持ち続けていることを認めて、
あれこれ試すのを、★くんの思いに耳を傾けながら、
適度に手伝ってあげるようにしたのです。

それから、
「★くん、いいもの見せてあげようね」と言って、
磁石のエサに食いつくと、バタバタと暴れ出す魚のおもちゃを見せました。

「どうして、動くんだと思う?」とたずねると、
魚の口の中をよく観察してから、
「磁石でね、このところが、引っ張ってギューッてなって、それでなる」と
パアッーと表情を輝かせて目を答えました。

「お魚を泳がせる海が作りたい。それで、釣竿で釣りたいよ」と言うので、
青い布や紙がないので白いテーブルクロスを海に見立てることにしました。
すると、★くんは、うれしそうにいろいろなアイデアを出しながら、
海の中の景色を熱心に作りました。

★くんは、これまでも何か制作をするときには、
部屋全体を使って恐竜の世界を作ったり、
ストーリーを自分で考えて劇を演じたりするなど、
スケールの大きな舞台で、自分の想像力をさまざまな方面で使いきることを
楽しんでいました。

そうした好みや性質を考えて、
この子にとってやりがいがあってワクワクする活動というのは
どのようなものか配慮すると、
一度、落ち着きがなくなる時期があっても、
それを超えると、より創造的で、知的な遊びを展開するようになってくると思います。

 








★くんは、電車で遊んでいるときにも、
「走り出すと、こうやってだんだん速くなっていくんだよ」と言ったり、
「どうして、この中をすべるとき、ひっくり返るのかな?」
「どうして~なんだろう?」
と科学に通じる興味を口にすることがよくあります。

科学の絵本や
易しい科学の雑誌のようなものに親しめるようにしてあげると、
そうした疑問や考えを言葉で言い表しやすくなるように思いました。

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「一番大事な働きかけ」とタイトルにつけつつ
前回の記事ではどこが一番大事なのか
ぼやかしたまま話が終わってしまいました。

教室で子どもたちの成長を見ていると、
子どもの内面からまるで輝きが増すように成長していく子と、
もともとすばらしいものがたくさん見られたのに
そういった能力が徐々にしぼんでいくように見える子がいます。

そうした差が出るのには、やはり親御さんの「働きかけ方の違い」という
現実があるな、と感じています。

「働きかけ方の違い」という言葉を使うと、
親が一生懸命がんばったか、怠けたかで結果が生じているように
見えますが、そうではないのです。


★ 親が子どもが発するものの何を
「ノイズ」として捉えて
スルーしたり攻撃したりしているか。

★ 何に注目しているか。


という親が受信する際、選択的に排除したり、選んだりしているものいかんによって、
子どもは他の何よりも強く影響を受けていることを感じるのです。


ある子たちの親は、
何もせずに、のんびりしながら子どもを放任しているようなのに、知力も体力も才能も伸びていき、
ある子たちの親は、
懸命に子どものために必死で時間や労力を使いながらも、
子どもの意欲をしぼませていく方向に子育てしているのです。

この「ノイズ」という言葉は、内田樹氏の『下流志向』という著書の中で見かけたものです。


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精神科のお医者さんに聞いたんですけれど、思春期で精神的に苦しんでいる子どもたちの場合、親に共通性があるそうです。
子どもの発信するメッセージを聴き取る能力が低い親が多い。
子どもが発信する「何かちょっと気持ち悪い」とか「これは嫌だ」とかいう不快なメッセージがありますよね。
それを親の方は選択的に排除してしまう。
というのは、子どもが心身に深いを感じているという情報は、いわば「製品」がノイズを出しているようなものだからです。
それは製造工程に瑕疵があるということを意味する。
それは親は自分の育児への失敗を意味する記号として理解する。
だから、耳を塞いでしまう。
             (『下流志向』内田樹氏 講談社文庫)
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この著書では、子どものSOSの発信をノイズとして遮断してしまう
親のことが書かれていました。

私が、親が「ノイズ」と捉えて、無視するものは、
こうした子どもの心のSOSだけではなく、
「子どもの持っている独自の才能」や
「個性的な長所」や「その子らしい好み」なども含まれていると感じています。
それで、この「ノイズ」という言葉を、
「親がノイズとして受信しているもの全体」
に広げさせていただいて、
使わせていただきますね。
才能や長所を「ノイズ」という言葉で表現するのは変なのですが、
それを受信する親御さんにとって、
「ノイズ」としてしか存在していないので、
こうした言葉を使わせていただきます。


このように子どもから発信されるものを「ノイズ」として受信して、
遮断してしまいがちな親御さんというのは、

自分の側からは、無意識のうちに、子どもに関することで「ノイズ」を発し続けています。

ですから、外からは、
子どもが自分の内面から「これは苦しい」という気持ちや、「独自の才能」や「個性的な好み」を発するたびに、
そのフィードバックとして、親のネガティブな「ノイズ」が
多量に子どもに浴びせられているように見えます。

私はこれまで、その人その人の子育て観や性格や考え方があるのだからという理由で、
少し遠まわしな言い方で
それを指摘してきたのですが、
最近では、そのあまりの害の大きさにとまどっていて、
一度はっきりと言葉にして伝える必要を感じました。

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小学校高学年くらいの頃、私は「人生をリセットしなおしたい」という
願望を持っていました。

そうした願望は、深刻な悩みからきていたものではなく、
単純にもう一度、小学1年生くらいからやりなおしたら、
成績バツグンで、スポーツも万能、何をしても「すごいね、すごいね」とみんなから賞賛される自分になれるのに……という
気持ちから生じていました。
思春期を前にして、
「もっと褒められたい、もっと認められたい、もっとすごい自分になりたい」
そんな思いが渦巻いていたのでしょう。

高校生くらいの頃は、
親しい友だちが、
「もし子どもができたら、子どもといっしょに一から勉強しなおしたいわ」
とつぶやくのに、共感してうなずいていました。
その友だちにしても私にしても、まぁ勉強が好きなタイプではあるのです。

でも、本当に勉強することを愛しているのなら、
「子どもが生まれたら……」なんて言わずに、
高校生から本気で努力すれば、そこが学問の世界のスタート地点でも
あるはずなのですが、

「子どもが生まれたら……」なんて言葉の背景には、大学受験をゴールと捉えて、
「もうちょっと早い時期からあれとこれとそれをしておけばよかった」
「全てをリセットしてやりなおしたい」
という後悔の気持ちが混じっていたのです。

私のなかから、
すっかりこのリセット願望が消えてなくなったのは、
ひとり目の娘を育てながら、自分自身のそうした願望を娘にかぶせて
子育てしようとしている自分に気づいて、
違和感や嫌悪感や危機感を感じたからでもあるし、

生活したり、働いたりするうちに、
欠点も含めたあるがままの自分に対する親しみや自信が
蓄えられてきたからでもあります。

前回の記事に、

子どもから発信されるものを「ノイズ」として受信して、
遮断してしまいがちで、
自分の側からは、無意識のうちに、子どもに関することで「ノイズ」を発し続けている親御さん

について書きましたが、こうした態度の陥っている方というのは、
けっして冷淡な心を持っているわけでも、受信する力に特別な問題があるわけでもなく、ごくごく一般的な愛情深くて常識的な親御さんでもあるのです。

でも、それならどうしてかわいいわが子に向って
そうした対応を続けてしまうのかというと、
先ほど書いた「リセット願望」のようなものを
無意識のなかに温存させているからではないかな、と感じるときがあります。

そうした親御さんの心のなかには、
自分自身がずっと、そうなりたいと憧れてきて、
その立場に立つ人が受けている賞賛や注目や表彰を受けたいと焦がれている
「理想の自分像」があって、
常にそれに照らし合わせてわが子を眺めているように見えます。

そうなると、「理想の自分像」と重ならない
わが子の発するものの
全てが「ノイズ」なのです。

もうひとつ、「理想の自分像」はぼんやりとしてつかめないけれど、
「ダメな自分」「足りない自分」は、
しじゅう意識しているという方もいます。

「他人から劣っていると見えないように」
「他人から変な子だと思われないように」
「周囲から浮かないように」
「みんなに遅れないように」
と常に考えているので、
子どものささいな欠点に見えることに関しては、
耳を塞ぎたいノイズとして即座に受信するけれど、
良いところは、受信してもたちまちこのノイズにかき消されて聞き取れなく
なっているのです。

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ひとりひとりの子にとって一番大切な働きかけ 5

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ひとりひとりの子にとって一番大切な働きかけ 7

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