今回の記事はぶつくさと……ぐちのようなひとりごとのような記事なので、
忙しい方はスルーしてくださいね。
今日は1ヶ月ぶりのお休みで、朝からのんびりパソコンの前に座り込んで、
「工作やブロックが好きじゃない子も工作やブロックをしなきゃいけないの? 5」の記事と格闘していました。
が、考えていることがうまく言葉にできていない……
いっそ5の記事を消去しようかと思ったものの、
何とかとどまって、文章を書き足すことにしました。
どうしてこんなにも書くのに苦労しているのかというと、
その点もうまく言葉にしにくいのだけれど、
わたしは、あさがおさんが、
教育的観点から「工作・ブロック・パズル」が語られて、そうした遊びが教育的な親の人気を博す中で、
「何の遊びに興味を示そうが、みんな違ってみんないいんじゃないの?」という疑問を抱く気持ちが
よくわかるし、自分の中でもやもやしている部分でもあるからかもしれません。
教育的観点といえば、わたしは、子どもの頃から大の本好きで、
時折、絵本大好きクラブ
という不定期の絵本を楽しむ会を開いているくらいなのですが、
世の中で、「絵本読み、目標○○○冊!」とか「絵本を読み聞かせをするほど賢い子になる」と
強迫的なほどの語り口で情報が飛び交うようになってから、
軽い気持ちで絵本のすばらしさを口にできなくなっているのです。
なぜなら、そうした方々が子どもにさせようとしている「絵本」の読み聞かせ体験は、
わたしが子どもの頃、愛着を抱いた絵本との触れ合いとは異なるし、
わたしが子どもたちに体験させてあげたい絵本との付き合いとも違うからです。
わたしは絵本の読み聞かせは子どもにとって一生に響いていくような
魅力的な体験になる、と思いつつ、その効用を語るのを渋ってもいるのです。
工作やブロック以上に、数値目標が親を魅了しやすいところが怖いもんですから。
といっても、わたしが預かり知らないところで、「工作」や「ブロック」にしても
こういう効用、ああいう効用……と語られて、より効率的にその効用を得るための
マニュアルまで作られて、系統化された学習体系ができあがってきているのかもしれない……。
だとすると、わたしが、「工作」や「ブロック」という言葉を使うたびに
その部分だけ切り取られて
全く異なるイメージが伝わっているのかもしれない、
そんな疑念まで湧いてきました。
実際、ブログであれこれ書いてきたことが、一部分の言葉だけ切り取られて、
今、流通しているイメージに彩られて、
思いもよらない形でブログを読んでいる方々に伝わるということは
頻繁に起こるのです。
一番、よくあるのが、「計算」についての考え方。
教室に初めていらした方のお子さんの学習を見る際、
「計算ってさせない方がいいんでしたよね?」
とか「小学生で計算が苦手なようなんですが、計算の練習をさせてもいいでしょうか?」といった
質問をいただくことが多々あるのです。
おそらくわたしが生活体験や具体物での学習を大事にしているので、
「子どもに計算をさせることをよくないと思っているんじゃないかな?」
と思われているようです。
ずいぶん前にも、こんな記事で自分の思いを書いたことがあります。
読み書き計算の訓練をさせると弊害があるかどうかの質問をめぐって 1
読み書き計算の訓練をさせると弊害があるかどうかの質問をめぐって 2
が、やはり、「計算よくないんでしたよね?」の質問は後を絶ちません。
ここもわたしの預かり知らないところで、「文章題」や「実体験」という
言葉に対する
一般に流通している固定のイメージがあって、
それは「読み書き計算の訓練はいけない」という
考え方とセットになっているらしいのです。
ちょっと話しがずれちゃうかもしれませんが・・・
親ごさんの多くは 「子どものためになるから」 とか 「我が子が他の子よりも出遅れたら可哀想だから」 とか 全て子どものためを思い、習い事なり、知育なり、頑張っているように思います。
が、同時に、全てが親目線で物事をとらえていて、子どもの立場に立っていないように思えるのは私だけでしょうか・・・
虹色教室通信にしても、奈緒美先生は子ども達のために・・・、少しでも子どもたちが生きやすくなるように、との良心から日々綴っていらっしゃるのでしょうが、
「我が子」 の事となると・・・
気付かぬうちに近視眼的に物事を捉え、全てを客観的に観る事が出来なくなり、親目線で自分の都合のいいように記事を捻じ曲げてしまう方もいらっしゃるのではないか?と感じました
全てが子のためを思って起きている事で、抜け出すのが困難な負のループだなぁ・・・とか思ったり・・
子のために、と言う思いは大切ですが、親目線で物事を捉える事をやめて、まずは 我が子が心から楽しめる事を親も一緒に楽しむ事から始めるのが大事だよなぁ~ と思いつつ・・・
なかなか実行に移すのは難しいのが最近の子育てです・・・
つなたい文章で申し訳ありません。。。思いが伝わるかどうか・・・ ^-^;
4歳の息子は工作が大好きで、暇さえあれば空き箱や折り紙で何かを作っています。ただ私は工作やお絵かきが苦手で、4歳の息子と同レベルくらいしかできません。
先生の教室の子の作品を見るととても同じ年とは思えないほど、立派で素晴らしい作品ができているので、このまま何のアドバイスもなく息子の好きにさせて良いのだろうかと不安になります。
幼稚園に通っているので、そこで習ったことは家でもやっていますが、これだけ興味があればもっともっとそれを伸ばせるのではないかと思ってしまいます。
「工作の時間」「ごっこ遊びが好き」などという「枠」の範囲を超えて、本来子どもはその対象と自由に関わることを許されるはずなのに。大人がブロックや工作に触れさせて、何かの効果を得ようという「意図」を持った瞬間に、そういった自由が限定され、遊びの枠が設定され、対象との自然な関わり方が出来なくなる気がしています。奈緒美先生は、工作やブロックに「向かわせて」、何らかの「効果を得る」ためにやっているわけではないのに、その「効果」の部分がひとり歩きしてしてしまうなど、本来伝えたい部分とは違ったところがクローズアップされてしまうことに、もどかしさを感じられることもあるでしょうね><。
100マス計算の陰山先生も、ご自身の意図とは違ったところで100マス計算の効果が浸透し、そこだけがクローズアップされた状況に戸惑われていたというお話を聞きます。
本当に難しい問題ですね。
伝える側にも限界がある以上、読み手側、受け取る側の心構えというものも大事になってくるかもしれないな・・などと感じました。読み手の育児に対するスタンスや、求めているものの違い、「こういうことが良いはず」という固定観念によって、読み方も大きく違ってきてしまうのだと思います。
「計算ってさせない方がいいんでしたよね?」
などの質問をされる親御さんの多くは、ご自身が「○○式」などのプリントを反復するような勉強方に疑問を持たれている方なんじゃないのかな?と思ったりします。
自分では我が子に「こういうスタイルは合わないかな?」とか「今のこの子にはこういうのがいいんじゃないかな」というのは親であればなんとなくでも分かっていると思うんです。。。
でも、他の子が先取り学習や我が子がしていない勉強法をしていて効果を上げているとやはり気になるものです^_^;
なので先生のような経験豊かな方に確認したくなってそんな言葉が出るんじゃないかと思ったりします。
先生にお会いしたときに我が子の今までの成長の経過をお話ししたいけど、そんな時間もなくて・・・つい目先の不安を解消してもらえたら・・・と単刀直入に聞いてしまう(私も言葉足らずなのでそういう傾向があります)親御さんもいらっしゃるのではないかと。
虹色教室の奈緒美先生から発信されるブログはこれからも、「ありのままの自分でいいんだよ・・・」というスタンスを基に出来が悪い、出来が良い(一般論で)に関係なくママパパさんたちに+個性豊かかな子供さんたちにも、率直に先生の感じるメッセージを送っていただけたらとてもうれしいと私は思います。
誤解を受けるような文章になってしまっているのかと
ずっと気にかけていたものですから、KOYAMAさんのコメントを読ませていただいて、びっくりするとともにとてもほっとしました。本当にありがとうございます。
そうですね。質問をされる方はこのブログに何が書いてあったのかということとは関係なく、それぞれ迷っておられることもありますよね。これからはそうしたことをあまり気にせず、自分の感じていることを伝えていこうと思います。