虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり)おわりです

2016-10-31 10:17:12 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

ゆとり教育世代の息子。

自分が受けた教育の質うんぬんより、

教育の形がより良いものに洗練されていくのでなく

その時々で、まるでファッションの世界の流行と衰退のように大きく揺れていくことに、

疑問を抱き続けていたようです。

 

息子 「自分自身で学ぶ内面のプロセスに関する情報っていうのは、

教える側にも、今の何十倍も必要だと思うよ。

 

だって、教師になる人は、例えれば箱の中にある青いボールについて

すでに知っている側、わかっている側の思考プロセスで教えようとするけれど、

教わる生徒は、箱の中に何色のボールがあるのかわからない側。

 

場合によっちゃ、ボールが入っているのかどうかさえつかめていない状態で学んでいるんだから。

 

そこで、青いボールについてどう説明するかとか、

青いボールの次に何色のボールについて教え、その理解度をどうやってテストするかってこと以外に、

箱の中に何が入っているかわからない状態から、そこにボールがあり、その形と色を認識するために

必要な思考のプロセスはどのようなものか、

わからないという状態にはどのようなわかる側からは理解しがたい盲点が潜んでいるのか、

情報として把握しておく必要があると思うんだよ。」

 

 小学生の頃、ボードゲームやパズルを手作りするたびに、

姉の友だちから、

「お前には初心者向けっちゅう発想がないんかーい」という突っ込みを入れられていた息子。

初心者側の視点に立つこと、学ぶ側、生徒側の理解度に配慮することの

大切さについて、

よく考えるようになっているようです。

教育問題については、次のような感想も言っていました。

 

「教育問題が議論されているとき、

一番問題に感じるのは、小学校、中学校、高校のそれぞれの教員の立場、大学の研究所の立場、

企業の立場、臨床の立場、予備校や塾の立場、

メディアの立場、子育て中の親の立場と、それぞれ別の切り口で

論点の優先順位が目まぐるしく変化していて、会話がちぐはぐになっているよね。

 

ぼくは教育の世界を語りあうためには、

その前提として、あらゆるマイノリティー側の意見も拾って、

数学的な平等さで体系化された相関図のようなものと、

それらをどの立場にも偏らない視点から網羅してある百科事典のような情報が必要だと

思うな」

 

母  「確かにそういうものがあると、教える際の立ち位置や自分の向かっていく方向

がわかりやすいわね」

 

息子 「何のためにそうした情報が必要かっていえばさ。

身近な例でいくと、○○式といった体系学習と、お母さんが子どもに教えるときの教え方の優劣は、

測れない種類のものだよね。

でも、多くの人はそうは思わないはずだよ。

メディアで成功しているか、有名であるかということが、

まるで教育の質の良し悪しを測ることができるように錯覚するからね。

 

過去の時代に価値を持っていた教育観も平等に評価しなおして、

子どもの生きている形について、できるだけ正確にバランスよく

教育という面から捉えて体系化すれば、

それぞれ教える側の人が、時代の流行に飲み込まれずに、

個人としてかしこくなれるよね。

自分はどのように教えるのか、その子どもにはどのような教え方が適しているのか、

一番いい方法が探りやすくなると思うよ。

それと、まず教育について議論するときに

迷走しないですむよね。」

外食ついでに教育と学習方法についていろいろと話しあった後で、

まだ話し足りなくて、結局、翌日も翌々日もその続きをあれこれ言いあっていました。

 

息子 「算数オリンピックとか数学オリンピックのいいところってさ、自らアウトプットするってところに

あるのかな?

学校の授業は一方通行にインプットされるばかりだし、定期テストはアウトプットとしては、

価値が怪しいしね。

前から定期テストのために勉強するのってどうなのかなって思ってたんだけどさ。

そもそもテストってそういうものじゃなくて、

勉強した成果がテストの成績であらわれるってのはわかるけど、

その逆はちょっとさ……続けていれば必ず学習動機を見失うよ。

話しが戻るけど、アウトプットってとても大事だと思うよ」

 

母 「でも、アウトプットが大人たち……つまり親や教師の

成果比べのために使われることもあるから、

どうなのかと思うときもあるわ。

インプットの良い面、悪い面、アウトプットの良い面、悪い面を押さえておく必要

があるのかもね」

 

息子 「確かに、コンピューター内って、誰もが気楽にできる

アウトプットのスペースになっているけど、

そこに問題がないといったら嘘になるしね。

アウトプットばかりだと、

他人の意見を聞かずに自分側から好き勝手なことを

言うだけになりがちだな」

 

母 「教育現場ではいい形で実現しにくいのかもしれないけど、

インプットにもアウトプットにも偏りすぎない

やっぱり相互交流という形の学びっていると思うのよ」

 

息子 「そうだな。相互コミュニケーションをしているときは、

思考が断片化されないってメリットが大きいもんね。

最近、思うんだけど、テレビを見ていると頭が悪くなるってよく言われるのは、

番組が低俗だからとか、脳内物質がアンバランスになるからなんてことより、

思考が断片化されてくからじゃないかなって思うんだ。

あくまでもぼくが自分でテレビを見てて

感じることで、何の根拠もないんだけどさ。

テレビの画面を目で追っていると、最初に自分の頭にあったことが、

次には何の脈絡もない話題に切り替わるようなことがしょっちゅうあるんじゃん。

そのせいでテレビがついていると理由もなく疲れていることがあるよ」

 

母 「断片化? あまり考えたことがなかったけどそうよね。

その断片化って、いろんなところで起こってきているように思うわ。

教育現場なんかでも」

 

息子 「確かに、学校の授業は思考を断片化しがちだよね。

集団で学んでいるから仕方がない面もあるけれど、

はい、次、はい、次……って、生徒の理解の度合いに関わらず

進行していくからね。

どうりでどの受験向けの参考書にも学校の授業を聞かずに

内職をすることを勧めているわけだな。

断片化しないようにきちんと思考をするには、

いろいろ考えた後で、それをひとつに統合して、蓋をするって作業が

いるんだろうけど、

ぼくは自分で勉強するときには、その都度、そうしたけじめをつけていくんだけど、

学校ではそういうことを大事にしないよね。

断片化のメリットは、生徒の進み具合が明確にわかることだろうから、

どれだけ進んでいるか、どこまで進んでいるかを教師や親が把握することが

優先され過ぎて、

むしろ思考を断片化していくことを良しとする風潮さえあるよ」

 

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