早期教育の是非についての話題が上ると、
胸の中でもやもやざわざわした思いが、渦巻きます。
なぜなのか考えてみると、
「嫌がるのを無理強いするのではなく、子どもが喜んでやっているなら
問題は起こらないはず。」
「勉強を遊びと思っているうちに、知識をたくさんインプットしておいたらいいかな。」
「うちは早期教育はやっていない。子どもが喜ぶことに付き合っているだけ。」
「親がやらせたいことをさせたらいいのでは?何をさせるかは親の自由。」
といったごく普通の子育て中のママさんたちの言葉に自己欺瞞を感じることがあるから
かもしれません。
言葉によって自分の行動を正当化してしまうと、
自分の心のセンサーが働きにくくなるので要注意かな、と。
どんなに子どもが喜んでやっているようにみえても、
早期教育はやり方によって弊害が生じるでしょうし、
その一方で、早期教育に批判的になるあまり、子どもの知的な好奇心や向上心に対して
鈍感になるのもどうかと感じています。
早期教育によってどんな弊害が生じることが危惧されるのでしょう?
どんな点に気をつければいいのでしょう?
では、どのような早期の教育が大切なのでしょう?
子どもの教育は親の趣味だから、育て方は各家庭の自由だから……と
言いきれるものなのでしょうか?
<早期教育によって生じる弊害>
◆ 自己肯定感の欠如。
早期教育をする親のほとんどは、子どもの自己肯定感を高めてあげたい、
自分に自信をつけてあげたい、という思いを持っているはずです。
でも、親が導く形で、さまざまなことができるようになっても、
自分の意思で何かしたり、主体的に活動しない限り、自尊心は育たないものです。
子どもの成長のプログラムには、まだ生まれて2年しか経たない子が、
自分の主張を訴え、
自分でやりたいという意欲を持ち、自分で考えて、実際にやってみようとするように
計画されています。そうやって自分の内側のニーズに応えながら、
「わたしはわたしでいいんだ。あるがままの自分でいいんだ。」という生きていく上での
基盤ともいえる確信を育てていきます。
自己肯定感は良いところも悪いところも含んだ自分らしさを外に出しても大丈夫な
環境で育まれるものです。
もし早期教育による弊害を避けたいとしたら、そうした子どもが
もともと持っている成長のプログラムに敬意を示す必要があるかもしれません。
親の働きかけに何らかの結果を期待するものが多いと、
できるできないで自分の価値が決まるように思ったり、
期待に応えないと親から愛されないと感じたりすることが起こりがちです。
また、親の期待に応えて、親を喜ばせることに敏感になって、
自発的に楽しそうに振舞っていても、実は自分が本当にそれがしたいかどうかは不明で、
確かな自分がないままになってしまう子もいます。
◆ 想像力や創造力を育てる機会が減ります。
自発的に能動的に何かに取り組む姿が減ります。
◆ フロー状態が起きにくくなります。 集中力や注意力が弱くなります。
子どもの集中力や注意力は、時間を気にせず、遊び込むことで身に付いてきます。
大人に管理された活動が多いと、思いきり遊ぶ体験が少なくなり、
それが集中力や注意力の低下につながります。
◆ 過密なスケジュールが脳の成長を妨げます。
子どもの脳は活動し続けているときより静まったときのほうが、
より成長すると言われています。
◆ 答えがある課題をたくさんする中で、感受性が鈍ったり、個性的な才能が
伸びにくくなったりします。
一つの結果を目指す活動は、それ以外の見え方や感じ方や独創的な発想を弱めて
しまいがちです。
(次回に続きます。後から、この記事の一部を書きくわえるかもしれません。)