
余計なひとことを言って失敗。
冷蔵庫の扉に息子が「数学の問題を3問解いたらはがす」
というルールで貼っていた
付箋がかなり減っているのを見て、
「やっぱり目標を目に見える形にしていると、進みがわかっていいわね。
物理や化学もしておいたら?」とたずねました。
すると息子から、
「それくらい(数学用の付箋)ならいいんだけど、
あれもこれもと可視化して、進歩状況を確認しはじめると、
見えるものにだけ気を取られて、数値化しにくいものがなおざりになってしまうからね。」
という答えが返ってきました。
そういえば、同じようなこと
(目に見える数値化できるものにフォーカスしはじめると、子どもの姿が見えなくなるといったこと)を
教室の乳幼児の親御さんたちに伝えておきながら、
自分が言われてるんだからしょうがありません。
息子 「そもそも学校でする勉強がたいていうまくいかない理由は
進歩状況を数値化することに囚われているからなんじゃないかな。
数値を追ううちに、
本当に理解しているのかどうかよりも、どこまで進んだか、何問解いたかってことが
目的に取って変わられてしまうから……。
何度も失敗してみて実感したことだけど、
可視化した進行状況ほどあてにならないものはないんだ。
数学を勉強する時にしても、進行状況ばかり気にしていると、
今日は微分のところを○○問解いて、次の分野に進めそうだ、と量をこなしたことで
その単元を理解したような錯覚に陥るんだよ。
でも、実際には、すべての問題はひとつの問題であって、
ひとつの問題の本質を正しく理解したら、どの問題も解けるという面があるんだ。
もちろん、問題慣れする必要もあるし、いろいろな問題の傾向を体系的に捉えておくことだって
大事さ。
でも、1問すら完全に理解していないのに
大量に問題にあたるのは本末転倒だよ。
本当にかしこくなって数学の問題をきちんと解こうと思ったら、
問題に恵まれ過ぎているから
理解できなくなることもあるという情報過多から起こる弊害に
注意してなきゃならない。
つまりより少ない問題数で、より多くの問題が解けるだけの
本質的なものを汲み取ろうとする鋭さが必要だからね」
母 「そうね。しなくていいものまで可視化して数値で表すことの弊害は、
お母さんが関わっている幼児教育の世界で
嫌というほどわかっているのに……
受験日がこれほど迫ってくると、
とりあえず一通りは目を通せたのかと気になってしまうのよ。
特に夏から冬にかけて立てつづけに風邪をこじらせたり、胃を壊したりして
予定が大きく狂ってたでしょ。
傍から見ていると、苦手分野にかかりっきりで得意分野が放りっぱなしになっているように
みえて心配していたのよ」
息子 「確かに、時間は足りないけどさ……。でもベストはつくすつもりだよ。
チャート式の問題集とかを使って、一通りの問題をこなしていくと、
確かに数学を解くための『道具』は手に入るし、
何はともあれそうした基本的な通るべき道は避けるわけにいかないけどね。
でもだからといって、全ての問題を解き終えたからといって、頭がよくなったわけじゃない。
単に数学に役立つ電卓とかコンパスといった解くための『道具』を
手にしたことにすぎないんだ。公式や技能という形でね。
そうした道具を手に入れると、メガネをかけるのと同じで、
それまでかすんでいたものが遠くまで見えるようになる。
そうしてよく見えるようになった目で、見て、感じて、実際、やってみて確かめていったときに、
かしこくなってくるよ。
つい最近も、
『円』自体の性質を数学的な特徴から見ていくのではなくて、
そうしたものを超えて、素直に『円』そのものとして見ることができた時、
はじめて解ける、という
いくら公式を覚えても本当にかしこくなったわけじゃないってことを
そのものズバリで教えてくれるような
問題に出会ったよ。
体調崩して、受験までのカウントダウンで頭がいっぱいになってしまった時は、
とにかく量をこなすことにあせっててさ。
でも試験の結果を見直してみると、
難しい問題でも青空学園数学科(息子がよく読んでいるホームページ)
で1問でもじっくり取り組んだものはどんなに変形されていても解けているし、
センター数学のような易しいものでも、
問題集の問題だけこなしてわかったと錯覚していた分野は
こんな問題で?と言うような易しい問題でつまずくこともあるんだ。
2週間ほどしか勉強していないとはいえ、手書きで地図を描いて、かなり踏み込んだところまで
勉強したセンター地理は満点だったしね。
だから先へ先へと量をこなす浮ついた学び方はやめて、
今自分の目の前にある課題と全身全霊で向き合うという方向に切り替えたんだ。
そこで可視化するものは、勉強の進行にリズムをつける程度にとどめているってわけ」
母 「自分のやり方を見つけたなら、それが一番よ。余計な口出しをして悪かったわね。
晩の国語の勉強にしても、試験のための勉強というより、1日、1日、自分の生き方や考え方や感じ方が
浮き彫りになって見えてくるような、つかめてくるような……塗り絵のような受験勉強ではなく、
一枚の自分の絵を仕上げるような勉強になっているものね」
センター試験の後から、わたしは夕食後の数時間、
息子が現代文の過去問を解くのに付き合うようになりました。
付き合うといっても教えるほどの能力があるわけでもなく、
ただ解答を添削するときに、ひとりよりふたりの方が答え合わせの際に、
重要事項が漏れていないかチェックしやすいからという理由で、しはじめたことです。
息子は高校で受けていた国語の授業で学んでいた
『しかし』や『ところで』を三角や四角で囲って、近くにある文を抜き出すといった
言葉を記号のように扱う学習法が性に合わなくて、センターが終わるまで
現代文はほとんど手つかずのまま来ていました。
でもさすがに二次試験は勘で解くわけにもいかないので、
二次までは毎晩、一定時間を現代文にあてることにしたのです。
テキストは、京大の赤本を使い、毎日二問ずつ解いていてきました。
先日、それを全て解き終わったので、東大の現代文を買ってきて解いていってます。
息子の勉強に付き合うのは、中学入試の時、たまに進み具合を聞くために
見ていた時以来。その時も、息子は塾に行かずに自分でマイペースに勉強していましたが、
大学受験を迎える今も、塾や予備校には通わず自己流にのんびり勉強しています。
「予備校や塾に通ってる友だちと結果を比べたら、
勉強時間は友だちの4分の1とか8分の1って量ではあるけど、
成績は一番伸びていたよ。量より質を重視するのはやっぱり大事だって実感したよ。
体調が悪いまま勉強できなかった時期はもうダメかと思ったけどさ」と漏らしていました。
現代文の勉強をはじめて数日後、わたしも息子もとにかく取り上げられている文章の内容に感動して、
答え合わせが済んでもその話題で議論し始めて、
翌日になってもずっと話し続けているということがよくありました。
設問への答えは、最初のうちは、大事なキーワードや押さえておくべき内容を書きそびれていたりしたものの、
数日すると、息子はコツを呑み込めたようで
重要事項を短い言葉のなかに収めることが上手になってきました。
わたしはというと、文で書かれていることはわかるけど、設問に字数内で答えるとなると
蛇足が多く、あまり上達していない状態です。





















