にいや徒然エッセイ

「あめつち」に響く歌声の持ち主、シンガー・ソングライター「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

ヒロシマを伝える

2017-07-22 | スピリチャル

原爆投下の惨状を伝えることは

核兵器がいかに非道であるかを

次世代に伝えること。

それが今後の世界平和の一助になると信じているが、

体験した人が高齢化するに伴い

風化に歯止めが掛からない。

 

私の両親は広島県北部の寒村に生まれた。

原爆が投下された時、

父は16歳だったと思う。

学徒動員で呉の海軍工廠にかりだされていた。

戦艦「大和」の乗組員のお兄さんは

父にとって憧れの存在だったと語ったことがある。

昭和20年8月6日朝、

父は前夜大酒を飲んで寝ていたそうだ。

広島市内が爆弾で壊滅状態だから

帰省命令が下り電車に乗った。

「広島駅に降りたら焼け野原で

比治山までみな見えた。」とだけ語った。

最晩年、病床にあった父は

恐怖におののいたように目を見開いて

空(くう)を凝視していたことがある。

目の前で手をひらひらさせても瞬きをするだけ。

目から涙がこぼれ落ちる。

父は「地獄」を見ていた。

「お父さん!お浄土を見て!」と声を掛けた。

確たるものはないけれど

その地獄とは原爆投下直後の広島だったのではないかと

今でも思っている。

 

母は当時10歳。

キノコ雲を見ている。

自宅前は島根県に向かう県道沿い。

間もなくたくさんの怪我人が

トラックの荷台に積まれて何台も北上したそうだ。

母が言うに、原爆にあった知らない女の人がやってきて

乳がはるからと妹に母乳を飲ませたそうだ。

直後から嘔吐下痢で亡くなった。

お墓には名前も刻まれているが、

祖母はその子の名前どころか

生涯「産んだことはない」と言い張ったのだと、

母は笑う。

それも原爆の悲惨さのひとつだろう。

 

「ヒロシマを伝える」というDVDを見て

思いだしたことがある。

原爆投下前の広島市猿楽町が

CGで再現されるに至るプロジェクトが扱われていた。

そのCGを私も新聞紙上で見たが、あれからもう12年。

「地球ハーモニー」出演まじかだった。

8月6日「灯篭流し」が行われる元安川の川岸で

行われていたコンサートだ。

「どうしてもにいやさんに伝えなくてはと思って」と

30代の女性からお電話をもらった。

新聞紙上で見たCGに自分は見覚えがあると、

ご自身も驚いて混乱している様子だった。

60年以上前の街並みなのだ。

科学的にはありえないかもしれないが

原爆投下で亡くなった人の御霊を宿している人だ

と思った。

地球ハーモニーで一緒に歌いましょうと強く勧めた。

恐怖心があるようだった。

最初は固辞されていたが参加された。

過去の恐怖をひとつ克服されたのだと私は思っている。

 

誰にも語ることができない、

思いだしたくないと

そのDVDでうめくように言葉を吐きだす男性など

我々の想像をはるかに超えた

深い悲しみと憤りと恐怖心を

未だに心に秘めておられる方がたくさんおられるに違いない。

すべての御霊が安らかでありますようにー。

その祈りを歌に込めるのが

父からもらった命あっての私のミッションだろう。

 

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