リバーリバイバル研究所

川と生き物、そして人間生活との折り合いを研究しています。サツキマス研究会・リュウキュウアユ研究会

第55回 ダムと砂丘  あんなに広大だった砂丘が消えていく、砂丘になるはずだった砂はダムに溜まっている。

2017-05-14 14:41:05 | ”川に生きる”中日/東京新聞掲載

日本三大砂丘と謳われた中田島砂丘は消えつつある。防潮堤の建設がそのとどめを刺すことになるのだが、元々の要因は天竜川のダム建設だ。最大の佐久間ダムの堆砂問題はまだ解決していない。

 

 幾重にも連なった砂の丘、砂の海、というのが私の記憶の中の中田島砂丘(浜松市)だった。四十数年を経て、防潮堤工事が進む砂丘を前にし、その変容ぶりに驚いた。
 中田島砂丘は天竜川が造った。川は山からの土砂を海に運び、その砂は風によって陸地に吹き寄せられ砂の山となった。地元中田島町に四十年来住み「海岸浸食災害を考える会」を主宰する長谷川武さん(62)は、変化は一九九〇年代からだという。「年々、浜が消える。一昨年の台風時には凧(たこ)揚げ会場の松林まで波しぶきがかかった」
 二一(大正十)年生まれ、浜松市在住の写真家、加藤マサヨシさんは九〇年以来、中田島砂丘の写真集を六冊出版。中田島砂丘の姿を後世に伝えたいと、写真集を長谷川さんに託した。
 木曽、赤石山脈に挟まれた急峻(きゅうしゅん)な谷、年間を通じて豊かな水量。水力発電に適した天竜川に建設されたダム群は砂をとどめて、海岸線の姿を変えた。流域最大の佐久間ダムは五六年に完成した。我が国最初となる巨大ダム建設は、近代的な工法と建設機材をダム先進国米国から調達して、わずか三年で完成された。戦後最大の大規模プロジェクトが、後の高度経済成長を支えたことは間違いない。
 我が国の土木事業における金字塔とたたえられる佐久間ダムだが、これほど大規模な海岸浸食を起こすことを、建設当時想定していたのだろうか。完成から六十一年、ダム湖の堆砂は進んでいる。二〇〇三年時点で総貯水容量の43%、一・三億立方㍍の砂がたまる。
 〇四年、佐久間ダム再開発事業が着手し、ダム湖にたまった砂を下流に運ぶ方法の検討も進められている。しかし、莫大(ばくだい)な工事予算など、障害は多く、具体策はきまっていない。
 佐久間ダムにたまる大量の砂は、中田島砂丘になるべき砂だった。消える砂丘は、土砂を運び国土を造るという、川の大切な力を教えることになった。(魚類生態写真家)

 
 
 
加藤マサヨシさん撮影 写真集「風」(2000)より 転載


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 第54回 消える大砂丘 日本... | トップ |   
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。