匿名希望者のブログ

日記の様に思いついたことを何とは無しに書いておく。

正直なところ気にはなる。

2017-01-11 16:10:15 | 日記
    しかし、そうは言っても、正直なところ気にはなる。だって、「珍しい事」なわけでしょう。それが、自分は、「ありきたりの事」の様に、24時間、常に「みえる」。インターネットで調べたところ、霊的なもの、というより、ヨーガ、や、気功、に関する事であるらしい。これで、自分以外の、他者の動きでも「みえる」のならば、証明のし様があるが、自分以外のものは、「みえない」。何とも気の毒な話である。                                          今はこの位にしておこう。             
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2017年1月11日水曜日のメモ、「何にもならないが、科学では在り得ない事」。

2017-01-11 15:36:24 | 日記
    目をつむっても、自分の身体や触れた物が「みえる」という自分の特徴は、やはり「珍しい」様である。確かに、「これ」はそれ自体は、何にもならないが、科学では在り得ない事、ということもまた、確かである様だ。しかし、どの様に、あれやこれや、やってみても、本当に、「何にもならない」のである。                                                                                                  昔、福田蘭童という尺八奏者がいて、この方は、指で触れた物の色を、目をつむっても言い当てたという。が、それだけだ。「へー、それは珍しいですねえ。」というくらいの話だ。                                                        自分の場合は、とにかく、自分の身体や触れた物が「みえる」。明るい所よりも真っ暗の所の方が、よりはっきりと「みえる」。色々とインターネットで調べたが、「チャクラ」だとか、「プラーナ」や、「第三の目」などというものに行き着く。何だか、妖しげである。                                                                                     「この様な事象」は、周囲に相談する専門家でもいれば、ありがたいけれども。                                                                                                      今はこの位にしておこう。                                               
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リアルタイム解析。

2017-01-08 14:06:58 | 日記
   今、「リアルタイム解析」を、少し見てみたら、何故か今日は、かなり読まれている様だ。理由は、自分にはわから無い。ブログというものを始めた当初の頃のものも、読まれている様である。                                                                               そう考えると、本当に、去年は、「母の事」でいっぱいだったのだ。そして、その頃には、現れていなかったが、母は、とっくに「すい臓がん」だったのである。昨年5月27日金曜日に「救急搬送」されるまで、兆候に誰も気が付かなかっただけで。                                                                                          その頃は、自分は、「嫌韓」や「天皇崇拝」の事を書いていた。今もそうだが、しきりに「インターネットやパソコンがわから無い」とも、書いていた。あの頃の事が、つい昨日の事の様である。                                               今はこの位にしておこう。
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樹木葬、散骨。

2017-01-08 12:03:33 | 日記
   母は、自分と似た考えを持っていたのだろうか、よく、生前、何年も前から、「わたしが死ねば、樹木葬、散骨、にしてくれ。」と、言っていた。自分も、お寺、だとか、僧侶、というものが、なにかウソ臭く、嫌いである。だから、母の生前の望みどおりに、樹木葬、や、散骨、にすればよかったのかも知れない。葬儀、だとか、四十九日だとか、悲しみに塩を塗る様な事があるのは、正直、嫌である。
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四十九日。

2017-01-08 11:10:26 | 日記
   それ故、母の四十九日も、「儀式」に過ぎないのだから、行う必要も、本来無いのかも知れ無い。ただ単に、浄土真宗、という宗教ビジネスによって葬儀を行うのだから、ビジネスの契約に基づいて執り行う、いわば「商品」である。いや、神、や、霊、が「いない」以上、そういう事になるであろう。浄土真宗、という宗教会社から、「葬儀」、という「商品」を、購入した、というわけである。違うだろうか。
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