めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

本当の幸せを得られない現代人

2017-07-29 16:03:58 | 東京

日本人の一般家庭を覗いてみると、ありとあらゆる生活用品に溢れていて、
その全容を把握する事は、家人に於いてもほとんど不可能と言えます。
長年の生活で集められた様々な日用品は、その時々に必要と言えど、
殆どの場合、その後使われる事無く、部屋の各所に置き去りにされていたり、
押し入れや倉庫に居れたまま、何年も陽の目を見ない状態が多いのです。

確かに、生活するにあたって、どうしても必要な物も有るのですが、
いつも使われるものは、殆ど限られていると言ってよく、多くの物が、
その都度買い求められたものであり、今では何の役に持たたない物が
山積していると言えます。
こんな光景は、日本人の家庭に於いては、ごく普通と思われるのですが、
この、使われなくなった日用品や生活用品の量は、国内規模で考えると
それこそ、天文学的な膨大なる量と言えます。

多くの日本人にとって、自らが買い求めた物であり、その溜め込んだ
不用品には、なんの罪悪感も無いのですが、日本に存在する資源と考えると
何も使われなくなった物は、無駄な資源消費の結果ともいえるのです。
高度成長期の様に、経済成長の勢いのまま、欲しいものは何でも手に入れる事が
当たり前の時代に於いては、常に新しいものに目が行き、古い物は捨てて行くのが
日本人の普通の姿でもありました。

しかしながら、その結果が、今や、社会的には負の遺産として問題と成ったり、
資源の枯渇を招き、私達日本人の生活を苦しくしているのです。
日本にある資源が足りなければ、海外から輸入して消費する事に依り、
資本主義国家として、世界でも有数の先進国となったのですが、
何でも手に入れて、消費し続けた事で、私達は、本当に幸せになったのでしょうか。

身の回りにある溢れるばかりの生活物資や機器は、地球の資源を使う事に依り

私達の生活を豊かにしたのですが、使われなくなった品々は、殆どの場合、
元に戻すことが出来ず、ゴミとして自然環境に出される事が多いです。
勿論、燃やしたり、化学処理をしたりして、出来るだけ無害な状態で排出されると
言われているのですが、実際は、完全に処理される事はほとんど無く、経済的不利益と
ならないレベルで妥協しているのが現状です。

その為、人類の生活が便利で豊かになればなる程、地球環境は酷くなる一方であり、
その影響は、私達の未来に大きな警鐘を与えています。
地球温暖化による異常気象は、かつてフィクションの様に思われていた事を、
現実の脅威と感じられる程になってきました。
異常気象による穀物の生産量は、地上からえる食物供給を危うくし、汚染され乱獲される
世界の海からの海洋生物は激減し、海からのたんぱく質供給を次第に難しくしています。

かつて、消費経済を奨励する事で日本の経済力は高まり、日本人の生活が便利で豊かに
なったと言えますが、身の回りの様々な生活物資や生活用品、更には、社会の様々な
近代化は、本当に人々の心を豊かにしているとは言えないのです。
人は何を持って満足するかと言えば、やはり生きている意味、自分の存在価値を
感じられる時、心の平安と満足を得るものです。

どんなに文明が進化しても、生活が豊かになったとしても、しょせん人間は、

少し知能が発達した裸の猿に過ぎません。
生物学的には、地球に生きる動物に過ぎません。
動物は、簡単に病気をし、命を失う事も珍しくないのです。
いずれ、寿命を迎えれば、嫌でも、この世を去らなければならないのです。
それ程にも儚い存在を、様々な文明機器で身を守り、生活環境をあらゆる
脅威から守る事で地球に存在出来ているのです。

もし、その様な身の回りを守る物が無ければ、簡単に、命を失う程弱い存在

と言えるのです。
それ故、生きている事を感じ、その存在を認められることに喜びを感じます。
しかしながら、現代生活は、自分の生き甲斐も存在意味も感じられない、
単に、自分の持ち物や地位、財産でしか評価されえない事が問題です。

日々、自分が生き物として生きている実感を得られる生活は、やはり

環境と人々に生かされている事を感じるしかないのです。
しかしながら、環境は汚染され、人工的に作られた自然は、私達の心を
労り癒すにはあまりにもお粗末です。
更には、人間同士の思いやり労りよりも、より経済的に豊かになる事を
人の価値とする風潮は、人々の心を疲れさせ、自分の個人としての存在価値を
否定されている事と成り、いずれも、人々が、幸せになるには程遠い環境と
言えるのです。

生活用品や生活機器は、生活を便利にするには非常に好ましいのですが、

いずれも、あくまで生活をして行く為の道具であり、心を豊かにするもの
とは言えないのです。
昔から、日本人は、心を豊かに安らぎを与える為に、日常的に様々な趣味を持ち
自然の中で、自らが生かされている事を感じて生活して来たのですが、近年は、
多くの資金をつぎ込み様々なレジャーを楽しむ事により、心の安定を図ろうと
するのですが、それとて消費経済に則ったシステムによって作られていて、
生活を豊かにするにも、多くの資金が必要であり、誰もが楽しめると言うより
一部の人の娯楽と言えるのです。

個人所得は決して低いとは言えないのに、発展途上国の人々よりも幸せを感じる

とする人が少ないのは、その見た目の経済力が、実際には、人々の幸せに
繋がっていないと言えるのです。
今や、日本人は、衣食住を満たす事で精一杯で、とても、人の事を考えたり
自分の心を癒す術を持つまで余裕が無いのが現実と言えます。
多くの国民が、収入をそのまま支出に変えなければいけない社会システムに喘ぎ
心の安らぎを得る生活が出来ずに苦しんでいるのです。

ならば、経済を活性して、所得を増やせば豊かな生活が出来ると言うのは、
企業の言い成りになっている政治家の弁であり、今の日本社会は、どんなに
経済的に豊かになっても、稼いだだけ出て行く様に作られていて、誰もが、
常に欲求不満の状態に置かれているのです。
これこそ、経済社会そのものの在り方であり、その頂点に立つ人達のみが潤う
経済独占国家の在り方なのです。

身の回りにうず高く並べられた生活用品は、多くの企業に買わされた、必要以上の

品物であり、本当に生きて行く為に必要な物は、数分の一と言えるのです。
しかし、この膨大なる消費が、今の地球を壊し、生き物たちが住みずらい環境を
多くしているのです。
生き物達に依存している私達人類が生きていく上でも難しい環境を、私達自らが
己の欲望だけで作って来たのです。

私たち人類は、まるでシロアリの様にあらゆる物を食べ尽くし、いつの間にかに、

自分達の生活環境も破壊しているのです。
自然破壊は、目に見えないスピードで確実に進んでいます。
強欲な人類には、この大自然からの警鐘が子守歌ぐらいにしか聞こえないのです。
今まで、生きる為の糧をすべて大自然に託し、今や自然の許容量すら超えていても
相変わらす甘え続けています。

学者に依れば、6回目の生物大絶滅が、人類の横暴で急速い近づいていると言います。

地球上の殆どの生き物が死に絶えるこれまでと同じ大絶滅が起これば、、どんなに
人類が繁栄していても、生きて行く事は出来ないと言われます。
しかしながら、生き物達の頂点で、やりたい放題の事をして来た人類は、
地球規模のお仕置きを受けない限り反省する事は無いのかもしれません。

 

 




 

 

 

 

 

 

 

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