めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本人に合わない消費経済

2017-08-05 13:19:13 | 日本人

今の日本の社会が抱える最大の問題は、世の中が不景気と成って
多くの人々が生活に苦しんでいると言うより、経済的に豊かな
日々の生活に悩む事のない人達までもが苦しんでいる事です。
政府が言う様に、人々が経済的に豊かになれば、日本国民は
以前の様に元気になり、人々が幸せになるとは言えないのです。

勿論、日々の暮らしにさえ余裕を持てない方は、数知れずいますが、
少し余裕のある、所謂中産階級の方々であっても、本当に幸せか
と言えば、そうとも言えず、日本人の心は、いかなる生活レベルに
在っても心が満たされない状態なのです。

しかしながら、街頭でインタビューをすれば、多くの方々が幸せと
答えます。世界的に見ても、先進国の中でも食べ物に困る事無く、
生活レベルもかなり高いと言えます。
日常生活に於いても、様々な便利グッズや生活必需品に溢れ、
発展途上国に比べても、遥かに豊かな生活を送っています。

所が、日本人の本音は、いつも満たされず、心の奥には不安が消えません。
なのに、自分達は幸せであると答えるのは、明らかに本心とは言えず、
幸せの条件を本人の心ではなく、生活条件に置き換えられている
と言えるのです。

つまり、経済社会に於ける幸せな条件は、社会的な生活レベルが高い
と言う事を幸せと言う様に世の中が仕組まれている事に依ります。
経済的に豊かであり、他人よりも多くの資産を持ち、社会的地位が
高いと言う事を、人の幸せと定義している事から、その様な生活をしている
と言うならば、幸せであると自分に言い聞かせているに過ぎないのです。

消費経済社会を遂行していく為には、経済的な価値を人々の目的としなければ
社会が発展して行かなくなり、より多くの社会的資産が増えず、その結果、
国に集まる財も少なくなってしまうのです。
つまり、いつも、新しいものを求め、資産をつぎ込む仕組みが国民に無いと
国家が運営できないのです。

その為には、個人的な人としての幸せは、二の次と成り、国民の目的を
他人よりもより豊かな経済性を目指すようにしなければならないのです。
戦後、何もなくなったことから、ともかく、食べて行く、生活をして行く為の
経済的な力を国民に付ける事が先決でした。
その為、様々な経済戦略を考え出し、国民全体の個人所得を大幅に増す事で
人々に消費経済が日本人の目的で在るかの様に思い込ませたのです。

確かに、戦後数十年で、あっと言う間に世界のトップクラスの経済大国に
成長したのですが、この事を、多くの国民は、幸せな国になったと思ったのです。
しかし、バブルの崩壊に至ると、如何に日本経済が脆弱な物であり、簡単に
人々の心をどん底に陥れる事を知りました。
バブルが永遠に続く様に思っていた日本国民は、あっと言う間に、奈落の底に
落とされて、経済力が、決して自分達を幸せにしない事を知ったのです。

高度成長期に、幸せと思ったのは、生活していく上での多くの便利グッズを
持ったことに依る満足感であり、幸せでな無かったのです。
何故なら、便利になった代わりに、人々の関わり合いは次第に失われ、
家庭に於いても核家族化が始まり、現代社会に於いては、例え同じ屋根の下に居ても
心が何時も繋がっていると言う訳でなく、繋がっているのは携帯電話だけなのです。

人の幸せは、人によって感じられ、お互いの心のやり取りで育ってくるのです。
経済的に豊かになる事も、地位や名誉を得る事も、スポーツ芸能において有名になるのも
多くの人に認められたいからなのです。
人に認められてこそ、人は、生きがいを感じ生きる勇気を持つのです。
その境地は、あらゆる人間社会に於ける人々の生き方に伴う大切な部分であり、
経済的豊かな生活も、目的は、便利な品物を持ったり、高価な品物を求めたりするのも
単に、他の他人からの称賛を得たいと言う心の満足感に有るのです。

衣食住を満たす事に依り、少しでも多くの満足を得たいからなのですが、外見的で

経済的な物品を多く所有する事が目的と成っている方々が多いのです。
自分自身が求めているものが、物や社会的な価値観に変えられている事に、
多くの方が本能的に不満を感じ、社会的に豊かな生活を行いつつも、いつも満たされない
心の不安を感じているのです。

この不安は、生活が苦しい人であろうが、経済的に豊かな人であろうが、日本人が感じる

日本人の不満であり不安なのです。
太古の昔から育てられた、生きる事の目的と幸せが、外見的に豊かな生活と成り
いつまで経っても、落ち着かない、地に足のつかない安心した生活が送れないのです。

日本人としての心の成長を止められ、ただ、生きて行く為の外見と餌を与えられる事では
本当の満足は得られず、幸せに思わないのが日本人なのです。
古くから経済性のみを求めて来た西欧諸国の考え方とは全く違っているのです。
自然に対する感覚も、日本人と西欧人とは、根本的に違っていて、自然に生かされ
自然と共に生活を送っていた日本人と、自然は、人間が利用するものとする西欧人とは、
求めるものが違っているのです。

世界のトップクラスの経済大国となった日本は、あらゆる便利で豊かな物に恵まれています。

しかし、戦後70年を過ぎても、日本人は、消費経済の生き方を心から認めていいないのです。
日本社会の在り方が経済優先となった事で人々は戸惑い、何とかそのシステムに付いて行こうと
悩みもがいているのです。
今の日本社会は、経済的に何でも手に入ると言え、人と人の豊かな関わり合いが無くなってしまい
身近な生活で、お互いに相手の事を察し認める事が出来なくなっているのです。

日本人の心は、大自然の様に、繊細で壊れやすく感情豊かなのです。

その気持ちをお互いに共有する事に依って、人も自然と一体に成れたのです。
消費経済大国と成る事で、見た目の華やかさに幸せを求めた事に依り、日本人の不幸が生れたのです。
デリケートな心が日常的に癒される事無く、外見的な経済性を求められる事で、多くの日本人の心が
疲弊し、国民全体の気力が失せてしまっているのです。

にもかかわらず、リーダー達は、日本の経済力を増せば、人々は幸せになると言っているのは、

余りにも単純で、日本人の心を理解しない高度成長期の政治家と何だ変わらないのです。
今や日本人の子供からお年寄りまで、生きる事の不安が渦巻いているのです。
自分が生きて行く事の自信が失われ、お互いに助け合うべき周囲の人達とは疎遠と成り、
益々孤立化が進んでいます。

巨大組織の中で多くの人達に囲まれていても、まるで独居老人の様な気持ちの方が多いのです。

一生懸命見栄を張り、心とは裏腹の元気な笑顔を周囲に見せているのが現代日本人です。
そして、満面の笑みを浮かべているのが、経済至上主義の下、自分の地位や財産に対して
満足感を抱いているのが、経済力を主体にのし上がった、社会的地位の高い所で庶民の感覚と
余りにもずれた発言を行う方々なのです。

戦争ですべてを失ったような国が立ち直るには、まず経済政策が重要と言えます。

しかし、日本人は、経済力を人の価値として生きて来た民族ではないのです。
社会が発展して、経済力が満たされると共に、本当の目的である、心を幸せにする政策に
移行しない限り、日本人は、いつまで経っても心が満たされず、経済力を求める事で
益々心が疲れ果てて行くと言えるのです。

 

 

 

 

 

 



 



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