めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

断捨離は、何故、主婦に広まったのか

2017-06-14 16:42:52 | 日本人

最近流行の言葉に、断捨離と言うのが有ります。
身の回りに有る物を棄てる事に依り、新たなる豊かな
生活を手に入れるとされ、主婦を始め、若者から高齢者まで
多くの方々の間で流行っている様です。

そもそも、捨てると言う事は、それまで、持ち続けて来たと言う
身の回りの状況が前提であり、何でもかんでも捨ててしまえば良い
と言う物では有りません。
棄てるに至った物でも、最初は必要であったから手に入れた訳であり
それがいつから捨てるべきものへと変わったかは、人其々の環境や
考え方で随分変わって来るものです。

何かを所有すると言う考えは、人間特有の物であり、自分自身の
主体性をもって、自らの所有物として周囲に宣言するようなものであり
その時点で、他人の物とは区別され、個人の持ち物とされるのです。
しかし、人は、長い歴史の中で、所有すると言うだけでなく、消費、更には
廃棄と言う形で、常に断捨離を行ってきました。

その事が、人類を進化させ、より豊かな生活を生んで来たと言えるのです。
何もない時代に於いては、常に何か自分にとって有用な物を所有する事が
社会的力と成り、いかに多くの物を持ち、自らの思う様に使えるかが
権力者の条件でもありました。

その為、誰よりも多くの資産を身に付け、権力を身に付ける事が

人間の目的と成り、その目標の下で、あらゆる文化が生まれ、人類の
絶え間ない進歩が有ったと言えるのです。
しかしながら、誰もが、ある程度生活を満たすものを手に出来るようになると
他人より、より高価で近代的な物を手に入れる様に、方向性が変わって行き、
それまでに持ちえた多くの物の必要性が無くなってしまったのです。

しかし、かと言って、直ぐに交換すれば良いと言う物ではなく、一つには

手に入れた物を大切に使うと言う心理が、そしてもう一つは、簡単には
投棄出来ないと言う現実が、人々の生活に溢れる生活物資や日常品が
溢れるようになったのです。

この事は、物質的なものに限らず、社会的な環境に於ける人間関係であったり

自分自身の習慣性を伴った、日常の繰り返しの動向にも当てはまります。
つまり、私達日本人は、高度成長と共に、あらゆる物を手に入れ、
身の回りをそれらの便利グッズや日常必需品で溢れさせる日々を送る様に
なってしまったのです。

必要以上の物に囲まれた生活は、便利で有るとしても、経済的であるかとは

言い難く、使わないものが自分自身の生活圏を狭める結果ともなっているのです。
しかし、一度手に入れたものは、簡単には手放し難く、また、もったいないという
先祖からの物を大切にする心理が働き、無駄とは解っていても、多くの人々が
棄てることも出来ず、何時までも、同じ環境に悩む事と成っているのです。

使うことなくそのままであるから、何の邪魔にはならない様に思えて、実際は

室内の多くの面積を占有し、家族の生活の為の導線を断ち切る原因とも成って
知らず知らずして心の負担と成っているのです。
今の日本人の生活は、明らかに消費経済の流れを受けて、どの家庭を見ても
必要でない物品で溢れかえっています。

余りの多さに、二度と使われることなく、目の届かない所で何年も隠れていたり

年中同じ場所を占有している事から、その事が当たり前と成って、いつの間にか
人間が物の都合で動かされたり生活難を強いられたりしているのです。
その為、この不便で無駄な生活を見直すために、断捨離と言う手段が、
日本中の多くの悩める人々に共感したと言えるのです。

しかしながら、この物を棄てると言う行為は、必要でないものを手に入れなければ

行わずに済む事であり、今更、紙面に取り上げたり、書籍として出版する程の
注目を浴びる物とは言えないのです。
これまで人類は、多くの物を手に入れ、それを利用した後廃棄して来たのですから
今更当たり前のことを取り上げる必要もないのです。

所が、今になって、多くの人々から注目を浴びると言う事は、人々の生活が

本来の消費経済を続けようにも、現状を維持するだけで精一杯と成って
自分の環境を変える事すらできなくなっているからです。
この事は、物質的な面とメンタルな面があり、物でいうなら、余りの多くの物を
棄てたとて、それに代わる物を満たす術も資金も無いからです。

高度成長期は、新製品が生れれば、何も躊躇わず前の物を捨て去り、すぐさま

新たなる生活が出来たのですが、そこそこすべての品物がそろい、不具合も無く
使えるとあって、新たなるものを求めても、捨てるほどには至らないと言う考えが
生まれる様になったのです。
当然、社会経済の停滞は、新たなる物への交換を躊躇わせ、いつの間にかに
家中に新旧の物品が溢れる事と成ったのです。
今や、古いものを棄てるにも廃棄料がかかり、殆どの家庭には、過去から現代に
歴史を物語る物品が溢れる事と成っているのです。

更に、この社会の変遷は、人々の心の中にも大きな影響を与え、新たなる夢に

進む勇気と決断をためらわせ、如何に現状を維持するかと言う事に、多くの人が
凌ぎを削る様になってしまっているのです。
新製品が溢れているのに、それに買い替える資金が無く、新たなる夢を持っても
現実化する勇気も力もないのが、現代日本心の特徴と言えます。

こんな中、忘れてしまった断捨離が注目されているのは、人々が失ってしまった

未来派の方向性と決断を教えていると言えるのです。
現状の生活では、ますます貧窮し、それ以上豊かな生活にならない苦悩、
何とか仕事を失わない様、少しでも長く働ける様にと言う保守的な考えが
日本人の心を窮屈にし、世の中の活性が損なわれる原因ともいえるのです。

私たち人類の先祖は、日々新たなる環境にさらされる事に依り、五感を磨き

身体を作りながら子孫を繁栄させてきたのです。
もし、すべて満たされ危険から守られ、明日の食事の不安を抱かずに済んだら
今の地球を支配する文明は築けなかったのです。

当然、今の私達の身体の中には、そのDNAは残されていて、人類の進歩は

常に新しい環境にさらされる時に生まれているのです。
つまり、私達の日常に於いても、生きて行く喜び明日への夢は、常に流動的に
新たなる環境を体験して行く事に有るのです。
高度成長の頃は、常にこの新陳代謝が国民にあり、誰もの目が輝いていて
その結果、日本は世界でも有数の先進国になり得たのです。

しかし、現代社会は、人々にこの躍動感を与えてくれません。

1つは、いまだ経済が伸び悩み、具体的に人々の生活が行き詰ったいると言え
日常的な断捨離が滞っているのです。
更にもう一つは、社会的に階級が定められ、貧富の差がはっきりとしていて
更には、日本人全体が、政府の管理の下で、囚人の様にナンバー化された為
便利な様で、完全に国民は、支配者の手の平に委ねられたからです。

努力しても、手の平から出る事は出来ず、その中で優劣を決めて行く生活は

所詮、新たに事を起こしても、努力をしても報われないと言う思いを生み
現状を変えようとする意志が育たないのです。
いわゆる、ゴミ屋敷が、日本中の家庭に出現しているのです。
ただゴミと言っても、高価な物も使える者も多く、決して捨てる物とは言えず
各家庭で人目に触れずいつまでも保存されているだけなのです。

この様に新陳代謝の無い生活は、国民を怠惰にさせ、未来を夢見る事を

失わせてしまうのです。
手の平の中で、周囲の他人より少しでも優る事を生き甲斐とし、ささやかな
優越感で生きているのが近年の日本人と言えるのです。
断捨離は、そんな生活にメスを入れ、太古の昔から日本人の心に眠る、
明日への勇気と夢を引き起こす切っ掛けを作ると言えるのです。

新たなる環境を作る最初の手段が、身の回りの光景を変える事なのです。

要らないものを片付けるという子供でも年寄りでもできる事に、多くの人々が
注目したのです。
とは言え、問題は、真っ先に片づけの対象にならないかと言う心配です。
長年耐えに耐えて来た主婦が、一番片づけたいと思っているのが、
粗大ごみとも言われがちな亭主だからです。
長年溜まった多くのゴミと共に、亭主も捨てることが出来たら
最高の断捨離と、満面の笑みを浮かべる奥様方が目に浮かびます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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