めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

教育のもたらす悪癖

2017-08-09 15:05:35 | 日本人

教育と言うのは、人間が生れて成長する上で、無くてはならないものです。
しかし、それ程にも大切な物でありながら、教育は、人を天使にも悪魔にもする
両刃の剣のような結果をもたらします。
幼い頃から大人になるまで、いかなる教育を受けたかによって、人生は大きく変わり
本人のみならず、周囲の関わる人に対する影響も全く変わってしまうのです。
今社会の中心と成っている方々も、彼らの主張する言葉も、全ては、それまでに学んだ
教育に裏打ちされている事が多く、如何に大人になるまで、人として成長する為の
教育を受けて来たかが重要と言えるのです。

今や、日本の教育は、窮地に立たされていると言っても過言では有りません。
世界的に見ても高度な教育内容と言えるかもしれませんが、その内容は、
子供たちを、人としての豊かな人間性を育てると言うり、後の社会に出た時の
経済性豊かな人間を育てる意味合いが非常に大きいのが問題です。
つまり、今の社会を維持するための歯車と成るべき人材育成の意味合いが強く、
政府が遂行する経済社会を担う為の教育が主体と成っています。

受験勉強をさせる事に依り、子供たちの選別を行い、より教育方針に忠実な子供を育て、
経済社会を発展させる為の能力のみを育成する、人の価値よりも経済性を優先する人間を
優先的に育てる教育と言えます。
その為、その方針に付いて行けず、自分の存在価値を否定された子供と、政府の教育方針に
上手く答えられた子供の間には大きな溝が出来、子供の頃から、格差が生じているのです。

子供たちは、個人の、人としての心を成長させる以前に、成績で人間的な価値を決めれられる事に

酷く心を傷つけられ、そのはけ口が、同じ人間なのに差を付けられる事に依るうっぷんとして
大人たちへの反発や子供同士のイジメに発展しているのです。
学校成績ののみで優劣を決められる事に依り、子供たちの心は、健全に育つチャンスを失います。
大人たちの思惑通り育った子供たちは、成績を上げる事が自分の価値と成り、成績が良ければ
人としての価値と成ると勘違いをして、成績の悪い子供たちを蔑みます。

また、成績が悪い事で見下された子供たちは、成績が良い事だけで、人間的な価値を認められる

一部の優等生達に怒りや憎しみを覚える様になります。
どちらにしても、心が健全に育たなかった子供たちが大人になった結果が、今の日本社会です。
学校から社会から認められて育った子供たちは、人から否定される事無く育った事に依り、
社会的に地位の高い職に就くと極めて我儘と成り、自分の事しか考えられない、常に私欲を求める
我儘な社会人と成ってしまいます。

その、なれの果てが、暴言や失言を続けるリーダー達と言えるのです。

彼らは、基本的に、自分より下の成績の者達を見下して成長していますから、例え政治家になっても
その傾向は変わらず、選挙の時だけは国民の方に笑顔を向け、当選すると、利益を得られる
企業家や商人の方に満面の笑顔を向けるのです。
確かに、庶民から選ばれた時は、私達の意志を汲んで、国民を幸せにする為に努力をするのでしょうが
その地位に甘んじて来ると、我欲に目覚めて、次第に踵を変え、国民には背を向ける様に
成ってしまうのです。

人は誰でも甘言に弱いものです、しかし、その甘言に乗ってしまう事で多くの人々を傷つけ

悲しませる事が有るのです。
特に人の上に立つ人たちは、自分の後に続く人々の幸せを荷っていなければなりません。
その為には、多くの人々の心を理解する力が無ければなりません。
高い地位にあると言う事は、大きな権限を持ち、沢山の人々の運命を変えることが出来るのです。

その様な立場の方々はもちろん政治家であり、日本を動かしていく企業人と言えます。

しかしながら、彼らの中に、人との関わり合いの大切さを学ばず、自分の欲望を満たす事だけに
教育されてきた方が多いのです。
自分の社会的な結果を出す事が目的となった教育を受ければ、社会人と成っても、その基本は
何だ変わらず、社会的な自分の役割は二の次と成ってしまうのです。

現代社会に生きる人たちの不幸は、我欲に満ちた人たちが創り上げた経済社会に生きている事です。

便利で経済的と言う餌に釣られ、幸せな生活を送っていると思わせる事に依り、常に消費を促し
彼らの為の膨大な利益を生んでいるのです。
社会システムが、消費する事に目的が置かれれば、おのずと、人々は、私財を削り続け
いつも限りない支出に悩む事と成るのです。

外見的な豊かな生活をしているように見えて、住宅ローンに、教育に、日常生活に

四苦八苦している日本人は、履いて捨てる程多いのです。
買い求めた商品に対して、少しでも返済できる事が幸せであるかの様な生活を強いている
日本のリーダーや企業家たちは、国民を消費者としか見ていません。
小さい頃から、一人一人の尊厳を否定され、、社会に出ては、一部の方々の創り上げた
社会システムに散財させられ続けている日本人に、幸せは決して訪れないのです。

また、この教育の恐ろしさは、近隣諸国の反日運動を見れば解る様に、戦争を知らない子供が

一方的な教育により、日本に対する憎悪の目を向けます。
正しい知識を教育しない事で、人々に人間としての心を育てることが出来ず、事実を知らない
洗脳された考えで満たされた考えは、正しい判断が出来ない、人間として不幸な人生を歩む
事と成るのです。

この事実は、日本の過去に於いても暗い時代があり、日本が諸外国から制裁を受けている頃

子供たちは、圧力をかける国々に、鬼畜米英と唱えながら、憎悪感を増したのです。
事実を曲げた教育は、戦争によって全てを失った時、事実を知った国民を落胆させました。
自分達の軍隊が行った事、政府が、自分達に行った教育が、如何に子供たちの心を曲げ
間違った考えを植え付けていたかを知りました。

戦争時であろうと、現代社会で有ろうと、その問題点は何だ変わっていないのです。

リーダーが関わった子供たちの教育施設は、その内容を見れば誰もが驚く、かつての
軍事教育と同じでした。国に忠義を尽くす為の教育内容は、現代人が見ても、明らかに
社会の常識を逸脱しています。
リーダー達の考えは、戦争中で有ろうと、現代社会で有ろうと、国民は自分達の僕であり、
国民は、自分達の利益を得るための道具にすぎないのです。

平和と言う名を借りた、独裁教育を行う事が、自分達の地位や身分を守る術と考えるのです。

国民の全てを把握するために、国民一人一人に囚人の様に番号を付け管理し、
国民の横の繋がりを無くす為に、監視制度を増やすと言うのは、明らかに民主主義国家の
本来の在り方ではなく、簡単に方針を軍事経済独裁国家に変える事が出来るのです。

人の上に立つと言う事は、人よりも優れた存在になると言うのでは在りません。

多くの人々の意思を反映させる代弁者としての存在になると言うだけであり、
決して人間的に多くの人達に優ると言うのではないのです。
この根本的考えを身に付けるのが、子供の頃から大人への大切な教育なのです。
社会生活を円滑に行っていく為の様々な知識や学力は大切ですが、その力は、あくまで
人の中でお互いの幸せの為の道具として使われるべきものなのです。
学校成績の良し悪しは、道具を使う力が高いか低いかであって、その人の人間的な価値には
全く関係ないのです。

より沢山の力を持つ人は、その力を多くの人に役立てる事こそ、教育の目的なのです。
しかしながら、現代日本に於いて、教育は、本来の目的を見失ってしまったのです。
成績は、人との格差を作り、我欲を満たすための道具と成ってしまったのです。
学校の成績が良い者程、我儘になることが出来、社会も、そんな人たちを認めてしまう
傾向が有るのです。

常識的に信じられない行動言動をしても、社会的地位が有ったり、学業が優れていれば

認めてしまうと言う、子供の頃からの教育が、日本を益々独裁国家に仕立てて
しまう結果を生んでいるのです。
陰で幾らでも甘い汁を吸っても、許されると言う社会的な風潮を生んでしまっているのも
子供の頃からの教育の荒廃が原因ともいえるのです。
習う子供達も、教える教師たちも、組み込まれた社会システムに乗せられている限り
出口の見えない日本社会を作り続ける事と成っているのです。

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