めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

自らの首を絞め続ける日本人

2017-07-12 16:21:54 | 日本人

日本人の価値観は、時代と共に大きく変って来たとは言え
私達の心の中に育てられて来た、日本人気質は変わっていません。
何しろ、数千年に渡って、島国として独自の進化を遂げ、
海外から伝わって来た様々な文化も、日本人特有の物に作り替え
世界でも類を見ない、独特の感性を持った民族なのです。

様々な宗教を取り入れながらも、基本的には、神道が心に有り
万物に対する敬意と恐れは、深く心の中に根付いています。
自然界にある全ての物に対する敬意は、生活の中にも
様々な神を存在させ、あらゆる自然物には神が宿ると言う考えは
日本人の心を人として豊かに清らかにして来ました。
それ故、季節の移り変わり、動植物の変化、人間同士の関わり合い
に関して、非常に繊細で豊かな感情があり、その気持ちが、
日本国民の、深く豊かな心の感性を育ててきたのです。

所が、明治以降の経済優先の社会は、私達が敬意を抱いて来たものに対し
単に生活を豊かで便利にするために、利用破壊を繰り返すようになり
人々気持ちも、次第に私欲に任せた、荒っぽいものと成りました。
少しでも他人より秀でる生活をする事を求め、和を求めて尊しという
日本人の思いが、他人を蹴落としても豊かな生活を望むと言う、
私達が長きに渡って育てて来た日本人の気質から大きく逸脱した
人と争う事を前提とした殺伐とした生き方が主流と成ってしまったのです。

経済的に豊かになる事が、人生の目的であり、自らが満足できる方法と
信じて疑わない人が多くなるにつれ、人間社会だけでなく、自然界も
利用破壊が繰り返され、日本の自然は見る影もなく荒れ果ててしまったのです。
衣食住が満たされ、豊かで便利な生活が出来るとなると、誰もが、幸せで
長年の夢がかなえられると意気込むのですが、実際は、どんなに豊かな生活を
手に入れれたとしても、そこで満足できず、更なる欲望を満たさなければ
満足できない現実を知る事と成るのです。

これまで歴史的に見ると、日本人の生活は、決して豊かとは言えず
豊かな自然に恵まれている一方、毎年繰り返される自然災害は
現代以上に、人々の生活を苦しめて来ました。
台風による被害のみならず、大雨や干ばつに依る食糧不足は
幾度となく日本各地で飢饉を生み、その度に、多くの日本人は
ただ耐えるのみの生活を強いられました。

しかし、日本に毎年幾つも訪れる台風も、四季を通じて齎される

膨大な雨も、私達が生きて行く為の豊かな食料を得る為であり
自然は、日本人にとって、時に脅威であっても、生きていく上で
様々な命の糧を生んだのです。

近代国家になって、大幅に日本列島が天変地異に対応できる様に

改造される事に依り、数々の自然災害から人々が守られる様に
なったのですが、一方、人間側の利益のみを求めた改造計画は
日本人を太古の昔から守り育てた大自然を破壊してしまったのです。

この事は、明治以降、西洋から入って来た経済主義が主流と成ると

現代にいたるまで、繰り返される事に依り、今では、見るも哀れな
自然ばかりが目に付く国と成ってしまったのです。
それでも、自分達の衣食住が満たされれば良いとばかりに、いまだ
日本の自然は、復活するどころか、年々多くの生き物が絶滅する
非常事態が続いているのです。

今や、この自然破壊は、日本人にとって、様々な負の遺産を残し

自分達の生活を良くしようと行った事が、逆に、人々を苦しめ
傷つける結果と成っているのです。
豊洲問題の論点は、正に、負の遺産に依る自然界からの警告とも言え
東京湾を汚染物質で汚し続けた証拠と言えます。

更に、近年多く発生する大雨の後の大被害は、単に雨が多く降った

その事が原因とは言えず、かつて日本の豊かな森林資源を
自分達に有用な杉やヒノキと言った、極めて保水能力の弱い木に
変えてしまった事にも依るのです。

現在、多くの死者と行方不明者を出している北九州の災害は

ニュース画面を見ても解る様に、被害を大きくしたのは
明らかに杉やヒノキと言った木材なのです。
登山をする方ならば誰でもわかる事なのですが、山に登る際
途中で通過する杉やヒノキの森林地帯は、様々な植物が茂る
昔からの山肌と大きく違い、多くの山道が雨で深くえぐれ
V字谷の様になって、とても上り下りが難しく、雨の日には
泥の川と成って非常に上り辛いものです。

保水力のない人工林は、雨の度に根元がえぐられ、多くの

土砂が川に流れ込み、川底を浅くしてしまいます。
この事に依り、日本中の河川で土石流が発生しやすく
その為に、幾つもの巨大な人口の堰を作らなければなりません。
しかし、今回の様に、余りにも多くの雨が降ると、土だけでなく
森林そのものが土石流と成って、下流を襲う事と成るのです。

こんな危険な地域は、日本中に数えきれない程有るのです。

山の管理者達の高齢化もあって、山は荒れる一方です。
人工林は一年中管理が欠かせません。ひとたび放置すると
自然に任せて伸びて行く木々は、材木としての価値が無くなり
更に土壌は脆く浸食されやすくなるのです。

海も川も山も、私達人間が、自分達に都合の良い様に

変えてしまった事で、本来の力を失い、そのマイナス条件が
日本中で、負の遺産が私達の生活を脅かす結果と成って
いるのです。

私達の先祖は、大自然の猛威に苦しみながらも、自然と共存し

生きる為の命の糧を得てきました。
時に、大きな被害を受ける事が有っても、決して自然を憎まず
如何に協調して、自然と一体と成って生きるかを考えてきました。
自然を肌で感じる事で、日本人独特の豊かな感性が育ち、
人間関係に於いても、相手の事を思いやる気持ちが育ったのです。

しかしながら、それ程にも大切にしてきた日本の自然を、

欲望に任せて、ことごとく破壊し続けて来たのが、日本人にとって
最大の不幸と言えるのです。
経済的に豊かになったとは言え、欲望と争いの中に、日本人の
繊細な心を満たすものは有りません。
どんなに豊かな生活をしても、大自然から得られる豊かな恵みには
到底敵いません。

今や、日本人は、欲求不満の民族と言えます。

幸せになると思って、一生懸命働き、便利で経済的な物を手に入れても
一時の満足感はあっても、直ぐに、飽きて、次なるものを求める毎日、
満たされる様で満たされない社会に生きているのです。
この社会は、一部の方々には便利かも知れませんが、多くの人にとって
ただ、次々に消費を要求される、果ての無い散財の社会であり、
自分以外の物で満たそうとする事に依る心の中の本当の要求との
果てしない葛藤に誰もが苦しんでいるのです。

本来、理想的な社会は、衣食住の最低限度の生活は、完全に保証され

生きていく上での最低限度の生活は気にしないでいられることです。
もちろん教育医療福祉ももちろん、生きる基本が守られていてこそ
国民は其々の思いで、自分の未来を夢見て進めるのです。
しかし、経済的に豊かである事が幸せと定義した途端、幸せは
永遠に得られない、果てしないマラソンの様になってしまうのです。

安らぎと安心が得られない人生は、人々の心を苦しめ、怒りや悲しみを

生み易くなります。
かつての御先祖様たちは、少なくとも私達よりも幸せで、心豊かな
生活をしていたと思われます。
万物から得られる豊かな富に感謝をし、自然に生かされている事を
誰もが感じる事で、幸せの意味をしっかりと感じていたと思えます。

私達が自然を作り変えて育てた巨大な木材が、人々の便利な生活を

破壊してしまいました。
これは、明らかに、人間が生み出した災害と言えるのです。
日本中が、自然を作り変えた負の遺産の中で、私達は生活しています。
何故、日本人の心が癒されず、殺伐とした気持ちの方が多くなって
人の気持ちを考えられない方が増えているか解ります。
私たち日本人は、豊かな自然の中で生きる糧を得て、自然に囲まれ
子孫を繋いできたのです。
ただ経済力を増して、便利で豊かな生活を送っても、誰も満足せず
次から次へと物欲にかられる呪縛から逃れることなくして、
日本人が、本当に幸せをつかむ事は出来ないのです。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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