めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

世界中の国民は、戦争反対なのです

2017-09-05 14:12:56 | 戦争

正に、打つ手が有りません。
北朝鮮包囲網は次第に制裁力を強化して、何とか、暴走を食い止めようと
苦慮していますが、独裁者は、その力を緩めることなく、更なる暴挙に
出ようとしています。
あらゆる生活物資や生産原料の流入をストップし、兵糧攻めによって、
世界への脅威を抑えようとしますが、彼らの生活は窮させる事は出来ても
心まで動かす事は出来ません。

そう、日本が、第二次世界大戦に突入する頃と状況が似ています。
第一次世界大戦後、大陸に進出した日本は、世界中からその暴挙を諫められ
欧米諸国は、日本のそれ以上の侵略を食い止めるべく、あらゆる輸出入を止め
日本に生活物資や資源が渡る事を阻止しました。
正に、今の北朝鮮の状態と同じです。
その為、日本国内の生活必需品は極限まで不足し、多くの国民は、飢えと戦い
益々力を増す軍の圧力に苦しむ毎日と成って行きました。

そして、遂に暴発したのが、真珠湾攻撃でした。
中々、世界の流れに応じない日本の危険な兆候に業を煮やしていた欧米諸国は
これを切っ掛けに、日本を叩き潰す口実と、自分達が正義であると言う
世界へのパフォーマンスを得たのです。

この日を切っ掛けに、更なる東アジアや太平洋諸国への進出を考えていた日本軍は
あらゆる資源と食料を得るために、一気に広大な面積を占拠して行きました。
しかし、既に資源に窮していた日本軍の敗退は目に見えていたのです。
軍による暴走も、アメリカの圧倒的な軍事力で、次第にその占領地を追われ、
日本本土まで爆撃に晒されると、兵隊だけでなく、圧倒的に多くの一般庶民が
その犠牲に成ったのです。

この苦い経験を持って、日本は全ての軍事力を棄て、無条件降伏をしたのです。
その後、70年余り、日本は、他国を侵略する術を持たず、国民は、二度と
この様な不幸の歴史を作らない様に、平和を目指す教育を受けたのです。
その為、いまだに、多くの日本人は、戦争をした相手を憎むことなく、
更には、自分達の同胞の大きな犠牲にもかかわらず、彼らの尊い命の意味を
平和への指針として心に育てて来たのです。

所が、近隣諸国は、戦後、日本とは異なり、戦争相手国を憎む事に依り
国の再建を行って来ました。
子供たちは、小さい頃から、日本を憎む教育を受け、基本的に、人の気持ちを
受け入れると言うより、自分の気持ちを主体とした、荒っぽい気性を生みました。
穏やかな日本人の性格に比べ、近隣諸国の人達の触発的な性格は、誰かを憎む
と言う、人の心の悲しい部分を育てて来た結果とも言えます。
人を憎めば、憎しみが返ってきます。
この繰り返しが、戦争が無くならない原因とも言えます。

今や、戦前の日本の状態が北朝鮮の状態と同じに感じられます。
大国ロシアは、遠目で観戦し事態が有利となったら参戦するのでしょう。
ちょうど日本がアメリカに負けそうになったときに、日本軍に参戦した
あの状況を思い浮かばせます。
中国も直接国境を接している事から、昔から関わり合いが強く、簡単には
北朝鮮を敵に回したくはないのです。

つまり、どちらも、戦いの状況を見て、参戦すると言う立場と思われます。
しかし、アメリカと同等にみられる韓国と日本は、一度戦争と成れば
真っ先に被害を被るのは明らかです。
何年も、日本と韓国に対する戦略を練って来て居る北朝鮮による戦火を
逃れる事は不可能と言えます。
如何に、アメリカが近代兵器をもってしても、無傷で住む事は有り得ません。

何とか、外交的手段によって事が収まれば良いのですが、もし、どちらかが
火蓋を切った途端、私達の平和な国は、瞬く間に戦火に包まれるのです。
まずは、沖縄や日本各地にある米軍基地が標的となり、戦況が悪化すれば、
日本の主要都市や原子力発電所などの重要拠点へのミサイル攻撃が行われ
勝っても負けても、日本の未来は、建国以来の戦慄の歴史が始まるのです。

しかし、戦争を起こした人達は、自分達の行った事が、どれだけ、世界の人々や
人類の未来に、更には、自国の人間に不幸をもたらすかが解っているのでしょうか。
戦争は、憎しみの繰り返しであり、憎しみは次なる不幸を呼ぶのです。

日本人の半数が失われたとしても、残りの半数が生き残っている限り、彼らの

憎しみは、憎しみを与えた国に対して、更なる憎悪と成って、自分達が受けた以上の
苦しみと悲しみを与えるべく、何年何十年に渡って、その機会を伺う事と成るのです。
次なる犠牲は、日本を戦火に撒き込んだ国への、更なる悲惨な報復です。
日本人が、殺戮者と成り、自分達だけでなく、国民全体に憎悪の牙を剥くのです。

これが、戦争の実態なのです。人の中の憎しみ、怒りを導き出し、更なる怒りを

生み出し、その結果また多くの人を傷つけ、その怒りをかうのです。
戦争は、いかなる理由が有ろうと争いの解決法に使われてはならないのです。
どんなに強力な破壊兵器を持ってしても、自分達の考えを認めさせることは出来ません。

何十万男百万の人々を殺戮しても、その事で、思い通りになると思ったら大間違いです。

その強力な兵器で多くの人々が殺され傷つけられる程、憎しみはさらに強くなり、
傷つけられた以上の苦しみを与えようとするのが人間の性なのです。
人に自分の思いを認めさせようとするならば、相手が、自分の価値を認めない限り
自分の考えは受け入れられないのが普通です。
増して、力を持って認めさせようとするのは、例え国同士で有っても許される物でなく、
戦争の輪廻が始まるに過ぎないのです。

人や国が、自然に他人や他国に対して好意的に動きたくなることは一つ、

その人や国が、最も好きな事求めている事を与えてあげる事です。
歓びや満足を与えてくれる者に対して、人は、戦いを挑む事は有りません。
国家間にしても同じです。国が求めている事、それは、国を創っている国民が
求めている事に他なりません。

北朝鮮の国民も、決して、アメリカと戦争したいと思っている人は一人もいません。

ただ、公衆の面前では、アメリカや日本は鬼畜であり、地球上から抹殺する存在であり
それを成し得るのが偉大な党首であると、声高らかに言わなければ、自分だけでなく、
親族や身の回りの全ての人が不幸になるからです。

アメリカ国民とて同じです。例え、圧倒的な軍事力を持ってしても、多くの犠牲は

免れないのです。
大人と子供程の軍事力の差であったベトナム戦争に於いて、アメリカのみじめな撤退は
如何に多くの犠牲を強いられていたかが解ります。

そう、世界中の誰もが戦争はしたくないのです。

どんなに、デモに参加して、敵国に対するアジテーションを行っても、心の中では
平和な暮らしをして居たいのが本音なのです。
そんな国民の代表として国を治めると言うなら、まず、戦争を避けることが一番です。
国民を傷つけたり悲しませる政策や方針を生む事はリーダーとして失格と言えます。
と言う事は、そんなリーダーが、戦争に国民を導こうとしているのは、国民にとって
一番の不幸と言えます。

あらゆる方法で戦争を回避しようとしているのは解るのですが、戦争を回避する事で

現実の二極化された世界を維持するのでは、何の解決にもならないのです。
何故、世界中でテロが起こり、危険な独裁者が生れ、強大な軍事力を盾にして
世界を牛耳ろうとするリーダーが生まれるのか、その本質を見失ってはならないのです。

戦争を起こさざるを得ない国内の情勢、戦争しか手立てが考えられない世界情勢、

いつまでも汲汲とした生活を送らなければならない国民を、如何に幸せにするかが
世界中に人々に与えられて課題であるのです。
食糧危機と言われながら、膨大なる食料が、一部の人達に流れ、大多数の人類が
飢えの苦しみに向かっている現実が、如何に、多くの争いを生み苦しみと怒りを
生んでいるかを知らなければなりません。

人類が幸せであると言う事は、少なくとも、大多数の人達が幸せである事です。

その事に依り、多くの資源や食料が同等に配分され、人々の暮らしに余裕が生まれ
争いが減って行くのです。
今や戦争や諍いは、持てる国と持たざる国との争いと言えます。
豊かな国々の独占的な資源や食料の確保が、多くの貧しい国々の人々を苦しめ、
その苦しみから逃れられない怒りが、豊かな国々への反発を呼んでいるのです。

戦争は、人間の心の豊かさが失われた時、次第に人々の心の中に生まれて来る物で、

富の独占が、多くの生活苦の人々の心に不安と苦しみを与え、その結果、
豊かな人々への怒りの行為としてテロや戦争を生んでいるのです。

圧倒的な経済力や軍事力で貧しい人達を押さえつけている時はいいのですが、

その幸せな生活を地獄に陥れる兵器を貧しい国が持った時、それが今の情勢です。
これまで通り、より、苦しい事態を作ろうとして兵糧攻めにしても、彼らの心は
益々敵対心を高めるだけなのです。

核兵器を放棄させるために力で圧しても、より怒りをかうのは当たり前と言えるのです。

振り上げた拳を下させるには、下させる事を納得できる意味と価値が必要です。
如何に人間として、同等な立場で、お互いに交渉してこなかった結果が、お互いの
欲望としてぶつかり合ったのが今の状況と言えます。

もう戦争回避の手段は無いのか、と思われますが、お互いの立場を認めない限り

話は進展しないのです。
この立場とは、吠え合う二匹のオオカミのプライドでは有りません。
その下にいる国民すべての立場です。
彼らが本当に欲している事を、交渉の条件とすべきなのです。

いつの世も、リーダー達の我欲が、国民に大きな犠牲を強いらせます。

戦争が最も憎む物であるならば、国民が最も望む事を、お互いのリーダーが
認めなければなりません。自分の欲望や感情で、国民を巻き込んではならないのです。
今や、どちらのリーダーも、国民から心が離れ、自分達の勝手な考えで、事を荒立て
国民を不安に陥れています。

この事は、日本のリーダーにしても同じことであり、戦争と成らずとも

現代の日本社会に於いて、本当の国民の気持ちが解らないで、自分勝手な考えで
政治を行おうとしている事で、相変わらず国民が幸せになれないでいるのです。