手塚治虫の短編作品


最近、手塚治虫(1928-1989)の短編にはまっている。
「火の鳥」や「ブッダ」、「陽だまりの樹」、「アドルフに告ぐ」
など、数々の傑作大河ドラマを生み出してきた「マンガの神様」
こと手塚治虫だが、彼の短編が、実は長編ものに負けず劣らず
面白いということに気がついたのは、ごく最近のことである。

ここ数日で続けざまに読んだ「時計仕掛けのりんご」「サスピション」
「メタモルフォーゼ」などは、その24収録作品すべてが秀逸で、
物語のラストでは「そうきたか!」とうならされること必定である。


1作品わずか30ページかそこらなのに、ストーリーの
凝縮されていることと言ったらない。読者は最初の数ページを
読むやいなや、最後まで読むことを止めることはできないだろう。
多忙なスケジュールであっただろうに(巻末の本人あとがきでは、
しばしば忙しさへの愚痴が見られる)、よくもまあこう次から次へと
面白いストーリーを思いつくものだ、と驚嘆させられる。テーマもSF、
サスペンス、歴史もの、社会派もの、青春もの、人情ものなど、
扱う主題には枚挙に暇がない。

ストーリーの巧みさもさることながら、その確かな画力と構図の豊かさは、
物語に緊張感や生き生きとした情感を生む。「ハリウッド映画が大好き」と
本人がどこかで話していたが、なるほど、そう言われてみれば彼の描く
マンガの構図は、非常に映画的である。「たとえセリフが分からなくても、
絵を追っているだけで充分面白い」ことが良いマンガ家、面白いマンガの
必須条件だと勝手に思っているが、手塚治虫の作品は、その例に見事に
当てはまる。


自伝的作品「紙の砦」などで描かれる、戦時中の体験に依るものであろう、
彼の社会派作品には、常に権力というものに対する不信感が強く漂っている。
市民に対する国家権力をはじめ、庶民に対するエリート、生徒に対する教師、
果ては日本に対するアメリカなどである。(ジェンダーが生みだす権力関係への
無自覚がしばしば見いだされるが、「マンガの神様」も時代的制約には
かなわない)

例えば日本国民が一首相の独裁下に置かれたという設定の話の終盤では、
首相を暗殺しようと試みた学生と、彼の師で暗殺を煽った中年男性思想家
との間で、次のような緊迫したやりとりが交わされる。

「あの先生の著書はみんな・・・たわごとだったんだ!
口ではカッコいいことをいって、裏じゃ政府側に内通してるイヌだったんだ!
先生!恥ずかしくないんですか・・・」。尊敬する師に裏切られ、今にも殺され
ようとしている学生がこう問いかけるのに対し、思想家は葉巻をふかして一言、

「インテリというのは、まあそういうものさ」。

サスペンスなどではありがちな展開かもしれないが、そこでしっかりと
社会関係の本質の一面を突いているところが、手塚治虫の非凡さであろう。
「ルードウィヒ.B」など、彼には未完の秀作が数多く存在する。
60歳での早逝が、本当に惜しまれる。
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「玉屋」と「鍵屋」ってまだあるんだろうか

今日院試の1次試験の結果が発表されました。何とか通ってました。
心配していた英語ショックもどうやら大丈夫だったようで安心しました。
でもまだ倍率が3倍から2倍になっただけの話。2次の面接が本番です。
でもまあ受かるかどうか分かんないし、1次もちょっと諦めモード入ってたので、
とりあえずは良かったということで・・・・・・


景気よく花火だー!

も一発ドーン!
 
花火キター━━━(゜∀゜)━━━!! 

・・・はい訳わかんなくてスイマセン。
昨日僕が住んでいる市で一番のイベントのお祭りがありました。
シメに花火を近くの山から打ち上げるのですが、毎年うちからも
よく見えるんです。去年の夏、何か足りないなーと思ってたのは
これだったんだよなあ。イギリスにも花火はありますが、夏に
見るんだっていうこだわりはないようでした。日本みたいに
夏の終わりを花火で飾るのって、「風流」って感じがしますね。

2次試験もこの打ち上げ花火の勢いを借りて、終わったらビールで
盛大に打ち上がりたいものです。
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カネの切れ目が縁の切れ目じゃい


 勉強の合間に読んでます。
 今は亡き青木雄二さんの代表作、『ナニワ金融道』

 コテコテの関西系の絵にはじめはちょっとなじめなかったのですが、
ものすごく面白いです。「金が人生を変え、人までを変えていく悲喜劇」
を見事に描いています。

 消費者金融を舞台にしたお話ですが、「世の中カネや」
(なぜかこのテの話には、関西弁がよく似合いますね)、という
弱肉強食の現代社会の本質を、鋭く暴いています。

 筆者の友人にも、消費者金融で日常的に借金している輩が少なからず
いるので、人ごとではありません。

 今の社会は何かおかしい!という青木雄二さんの情熱と、それに
裏打ちされた猛勉強の成果がひしひしと伝わってきます。そして1コマ
1コマに、大きな経済のうねりに翻弄されつつ、それでもたくましく
生きている庶民の人々に対する、作者の厳しくも温かい眼差しが感じられます。

 せちがらい世の中です。自分が社会に出てからダマされないため、世の中の
仕組みを知っておくためにも、現代日本人にとっては、必読の書とさえ言える
のではないでしょうか。つまんない社会学の本なんかより、よっぽど勉強に
なります。

 読むとア○フルやプ○ミスといった大手消費者金融でご活躍の優しそうな
お姉さま方が、途端に悪魔の手先に見えてきます(言い過ぎか)。なーにが
「あなたのために、親身になってご相談に乗ります」じゃい。調子いいこと
言って、早い話が「借金ノススメ」やないか!(いかん、またエセ関西弁に
なってしもうたがな…)
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総選挙結果を考える-再び小泉政権批判-

衆議院総選挙投票日から日付が変わって午前2時現在、
選挙結果の大勢が明らかとなった。自民党は議席を大きく伸ばし、
単独で絶対安定多数の確保が確実となった。事前調査からある程度
予測できた結果とはいえ、改めて結果を知らされると、暗い気分になる。
これからの4年間、大多数の国民の暮らしが良い方向に進むとは思えない。
1年前のアメリカ大統領選の結果を知った時も、ちょうど同じような
落胆を味わったことを思い出す。

果たして小泉政権がこのまま続投して、私たちにとって何か良いことが
あるのだろうか。まず年金はどうだろう。自民公明の年金制度案は、実際は
「年金制度改革」とはほど遠い、旧来型の制度維持である。マニフェストに
よれば、両党とも国民年金の財源として、従来型の保険料と税(国庫)の混在を
続けるつもりのようだ。しかし大量の保険料滞納者による年金財政破綻の
危機を考えると、国民年金の財源は、野党各党(民主、共産、社民)が提案
していたように、すべて税収によってまかなうようにすべきであった。
その上で低所得者(特に若者)に対する税負担を抑えるため、民主党案のような
年金消費税でなく、法人税課税等、累進的な課税システムを取り入れるべきで
あった。

年金の「保険」としての機能は、少子高齢化によって、もはや立ちゆかない。
そもそも「保険」は各人がお金を出し合って、リスクを集団的に管理することで
なりたつものだ(年金の場合は「老後の生活のリスク」)。そこにはリスクに
対するコンセンサスと、保険に対する信頼がなければならない。しかし保険料を
払うことに負担を感じこそすれ、制度への信頼は持てないという現在の低所得
若年層にとっては、保険料を払うことそれ自体が、新たな生活上のリスクと
なってしまっている。

よって今のような「自分の将来にとっての保険」なのか、それとも
(若者から高齢者への)「所得再配分」なのか、位置づけがはっきりしない
年金のあり方を廃すことにより、これからの年金の機能は、一律税収を財源と
する、高齢者への「所得再配分」であると明確にすべきである。(いわば
高齢者に対する「公的扶助」の位置づけ。よって高齢者への給付は、所得に
対して逆進的な形態を取るべきであり、同時に上述したように、納税は累進的な
形態であるべき)。このように年金の機能を明確にすることで初めて「年金制度
改革」と言えるのに、保険と税の混合を維持しようとする自民公明のアイデアは、
位置づけの曖昧な旧来の年金制度を温存するだけであり、若者の不公平感や制度
そのものの見通しの悪さは全く改善されない、不毛な政策である。

次に外交政策はどうだろうか。小泉政権が誕生してから、靖国参拝と教科書問題
をはじめ、東アジア諸国との関係は悪化の一途を辿った。小泉首相が本当に自分
の個人的信念だけで靖国神社に参拝しているのであれば、それは一国の代表と
して真に愚かしいことだ。いらぬ火種をどうして隣国との間に巻き起こすのか。
そこにどのような「国益」(私はこの言葉も好まないのだが)を見いだす
ことができるのだろう。私には全く理解できない。

小泉首相の取り巻きにも、安倍晋三を初めとする対東アジア強行派が多く、
小泉政権が続く限り、東アジア国際関係は常に緊張の下に置かれるだろう。
金大中政権以降、韓国が中国や北朝鮮に対して融和戦略へ大きく舵を切り、
また世界的にも、米国の経済的・軍事的・イデオロギー的な単独覇権主義が
限界を見せ(イラク政策が顕著である)、覇権の多極化へと向かう現状がある。
このまま対米追随を続け、東アジア外交をなおざりにする小泉政権のやり方は、
日本の将来にとっても、決して賢いものとはいえない。

また自民、民主、公明各党によって、近い将来、間違いなく
憲法改正論議が盛んになるであろう。憲法9条を改正し、国際的な
非難を浴びる米国の軍事戦略にますます追随していくことの、いったい
何が「国際貢献」だろうか。さらにより本質的な問題として、戦後9条の
おかげで歯止めをきかせてきた、日本の軍事大国化(現在の軍事的状況も
決して認められるものではないが、これでもし憲法9条がなかったら、
と思うとぞっとする)が、ますます現実味を帯びることになるであろう。

経済政策はどうか。小泉政権は、従来の保守主義的な利益誘導型、
バラマキ型の「護送船団政治」から離れ、民主党とも軌を一にした、
新自由主義的な政策転換を行おうとしている。確かにそれは「構造改革」の
名にふさわしいものであるかもしれない。しかしその中身を見れば、それは
規制緩和による大企業の活動促進であり、私たち一般庶民にとっては、
全く好ましい改革ではない。なるほど経済活動それ自体は、確かに効率的な
ものになるかもしれない。だがそれと引きかえに、私たち庶民に押しつけられる
のは、職場における果てしない競争と、労働強化、さらに広がり続ける所得格差
である。弱肉強食のアメリカ式新自由主義社会が、もうすぐそこに見えている
のだ。

私たちは戦後、「もう充分」というところまで経済成長を達成したのではない
だろうか。「幸福は経済成長によってのみもたらされる」といった、明治以来の
後発国的な考えは、もう捨て去る段階に来ているのではないだろうか。
俗に言う「トリクル・ダウン方式」(パイ全体を拡大することで、最下層の
人々のパイも増大する)の考え方は、パイが充分に拡大された現在の状況では、
すでに「最大多数の最大幸福」の達成にとって非効率的なものとなっている。
従来の保守主義的自民党政治が行き詰まった今こそ、パイの拡大よりも
その「配分」に政策の思考を転換する良い機会であったのに、小泉政権は
それと全く逆の方向に進もうとしている。

また今回の自民党選挙運動の目玉である「郵政民営化」も、この文脈で
考えるべきであろう。そもそも「郵便事業は先細りなので民営化すべき」
という議論自体がおかしい。採算が取れなくなろうがなるまいが、
ネット環境の整わない人々や、地方の人々にとっての郵便事業の必要性が、
この先も減少するとは思えない。地方における郵便サービスの必要性については、
採算うんぬんの原理とは別の次元で考えるべきである。郵便事業は、非効率的な
事業は切り捨てるといった民間宅配業者の論理、すなわち「市場の論理」を
通じては、決して充足できない種のサービスである。

最後により重要な問題として、郵政公社が保有する350兆円もの資金流出の
結果が懸念される。世界的な金融市場の規制緩和は、俗に言う「グローバル・
カジノ」と呼ばれる問題を生み出している。地球規模の経済的リスクの高まり
(顕著な例は1980、90年代の南米およびアジア諸国における経済危機など)、
企業間および国家間の格差拡大、大企業による途上国の経済的搾取などは、
こうした金融市場の自由化による、膨大な資本の蓄積と移動の自由をその
原動力としており、これらはまさに、グローバリゼーションの影の部分を
縁取っている。こうした弊害に対し、現在では資本の海外流出に対する規制や、
資本移動への課税といった対策が必要であるのに、郵政民営化による
保有資産開放はそれと全く逆の方向、すなわち国際金融市場をますます
肥大化させてしまうことになるだろう。

失望に任せて、自民党の政策的欠点について長々と書いてしまった。
しかしここまで書いておいて何だが、本当に大事なことは「それでも
どうして今回、多くの人々が自民党に投票したのか」という問題だろう。
政治は、しばしば政策とは異なる次元でコトが進むものだ。これはむしろ、
日本人の政治意識の性格の問題かもしれない。この点については、今後
より突き詰めて考えていきたい。

総じて今回の選挙では、小泉首相のたくみなパフォーマンスに対し、もともと
首相と同じ方向を向いている民主党が埋没し、自民党の増長を許したといえよう。
民主党の限界が明らかになった今、民主党内で内部分裂が起こり、右派が
自民党と、左派が社民党と合併することも予想される。そうなれば現在の
「右向け右の2大政党制」ではなく、政党間の政策的な相違がより明らかに
なるだろう。ともあれこれからの4年間、私たちの生活はより不安定化
(或いはより停滞)することが予想される。願わくばそれをきっかけに、
国民がより望ましい政治のあり方に思いを致すことに期待したい。
しかしその間犠牲を、そして「痛み」を強いられる多くの人々、また自分
自身や周りの人々の生活に思いを馳せると、ますます気分が暗くなってくる
のである。
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米ハリケーンにみる貧困層の悲惨

先月末にアメリカ南部を襲った巨大ハリケーン。
それは図らずも、世界で最も豊かな国である、
アメリカ社会の矛盾をさらけ出したといえよう。

特に被害の大きかったニューオーリンズ市では、
48万人の市民のうち、5万人から10万人に
及ぶ人々が逃げ遅れ、現在悲惨な避難生活を
余儀なくされている。

この逃げ遅れた人々の大半は、貧困層の人々である。
事前に州当局が市民に伝えていたとされる避難方法は、
主に当局のウェブ・サイトを通じてなされており、その
内容も、車による脱出方法に限られていた。また被害が
拡大する以前は、公共バスによる避難サービスも無かった。
インターネットにアクセスできない層、車を持たない層の
人々に対する考慮は、皆無であったと言ってよい。弱者
切り捨て社会の縮図といえよう。(参考:2日付毎日新聞朝刊3面)

今回の被害の原因は、ハリケーンそのものというよりも、
その後の高潮によって市の堤防が決壊して起こった、
水害によるところが大きい。以前から治水事業関係者の
間では、決壊した部分の地盤が軟弱で危険であることが
知られていた。しかし修繕のための予算増額を政府に訴
えた関係者の話からは、長引くイラク戦争への予算を最優先
させ、国内の公共政策をおろそかにする政府の姿
が浮かび
上がる。大義なき侵略戦争が生み出す悲劇が、ここにも見られる。
(上述毎日新聞の記事も参考)

自然災害にしろ、戦争や公害といった人為的災害にしろ、
被害にあうリスクが最も高いのは、いつでも貧困層の人々で
ある。彼らにはリスクを回避するための情報が足りなければ、
経済的な資源も足りない。その結果が、取り残された数万の
人々であり、数千の死者である。

これが一国全体が貧しい場合はどうだろうか。その被害は
さらに深刻なものとなる。1998年にホンジュラスを襲った
ハリケーンは15000人の死者を出し、1991年のバングラディシュ
サイクロンは13万9千人の死者を出し、また2004年の東南
アジアを襲った津波は、およそ15万人の死者を出した。
(参考:1日付朝日新聞朝刊37面)

先月30日に発表された04年のアメリカ所得調査によると、
ブッシュ政権誕生後、4年連続で貧困層は拡大し、いまや
その数は3700万人に達する
という。順調に経済を拡大し
続けるアメリカと、貧困にあえぐ発展途上国とのあいだで拡大
し続ける格差、そのアメリカ国内でもまた広がり続ける格差。
自然災害がもたらす悲劇は、こうした現代社会の暗部を、
図らずも明らかにする。
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「小泉劇場」政治を憂う

今回の総選挙運動における自民党の不誠実さには、
あきれを通り越して暗澹たる思いにさせられる。

小泉首相はテレビや街頭演説、広告などあらゆる場で、
馬鹿の一つ覚えのように郵政民営化だけをひたすら唱え、
それさえ実現すればまるで他の政策問題が全て解決するかの
ような幻想を、日々国民に植えつけようとしている。そのくせ
当の郵政改革が具体的に何をもたらすのか、全く明らかにして
いない。

小泉政権に理念が無いわけでは決してない。彼は確かに、
これまでの自民党政治のあり方を、根本から変えようとしている。
しかし、「構造改革」という耳に心地の良いことばの目指すその
具体的な内容は、国民に全くと言ってよいほど知らされていない。
せいぜい「構造改革とは小さな政府を目指すことであり、その方が
無駄が少なくて効率的なのだ」と言い続けるくらいである。

マス・メディア、特に最も影響力の大きいテレビ各局は、
小泉政権の政策を何ら具体的に分析、批判することなく、
「ひからびたチーズ」だの「刺客」だのといった小泉劇場に、
見事に踊らされている。

国民が各党の政策的違いをしっかりと理解した上で投票する、
という議会制民主主義の基本が広まらなければ、いつまでも
日本は政治的に後進国のままである。この意味で各党の違いを
国民に分かりやすく示そうとしない、テレビ各局の罪は重いと
言わざるをえない。

しかし同時に、テレビ局は視聴率の論理で動く部分が非常に
大きい。視聴者の関心を呼ぶような番組を優先して流すわけだ。
この意味で、政治における政策的中身に関心を持たずに
スキャンダラスな政治報道だけを喜ぶ、我々視聴者の責任も
あるだろう。

マス・メディアにしろ個々人にしろ、ここで問題になるのは
日本社会における政治意識の低さである。政治は私たちの
日々の生活に大きな影響を与えているという事実を、私たちは
もっと自覚する必要がある。

現在の日本の状況は、欧米諸国に約20年遅れで社会・経済
構造の大転換を迎えている。機会があればまた書きたいと思うが、
簡単に言えば、「企業社会」の終焉と家族構造の変動がその主要な
中身であるといえる。そして現代日本の課題である、少子高齢化と
財政危機は、そうした社会変動がもたらした部分が大きい。

欧米諸国は20年前の似たような社会変動に対し、大きく分けて
①アメリカ・イギリス型市場主義、②大陸ヨーロッパ型保守主義、
③北欧型社会民主主義の3つの方向に分裂していった。同じような
変動を迎えたいまの日本は、これからどの道を選んでいくべきなのか。
それを決めるという意味でも、現在の政治が持つ重要性は非常に大きい。

そして考え得る選択肢のうち、小泉政権は確実にその1つ、すなわち
①アメリカ・イギリス型市場主義に向かって突き進もうとしている。
国民がその具体的内容や欠点を知らされることなく、イメージに
流されてなし崩し的に彼を承認してしまうことは、民主主義の
健全な姿とはいえない。もはや政治を「お上に任せておいて」
良い状況ではない。私たち一人一人の、政治意識の向上が
問われているのである。
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