Sleeping Sound with Swinging Sounds

Diary of a Japanese graduate student.

帰還報告!

2005-06-25 23:22:00 | イギリス生活
 昨夜、無事5泊6日の旅行から帰ってきました。
旅行中は日本語が打てず、大変ご迷惑をおかけしました。
ブログの更新はあきらめようかとも思ったのですが、
そのとき多少酔っていた勢いもあり、つたない英語で
書いてしまいました。

 そう、筆者は旅行中、たいがい夜は酔っ払ってました。
旅行先で飲むビールは、格別美味しかったのです。
ウェールズで夜の海を眺めながら飲むエールビール、
ダブリンのアイリッシュパブで飲む本場のギネス、
そして最終日グラスゴーでのしみじみ飲み、
どれも旅行の良い思い出になりました。

 でも何と言っても旅行中で一番楽しかったのは、
パブなどでの、地元の人とのちょっとした会話でした。

 例えば韓日関係の話を2人でしていた時に「あなたたちの
会話は面白い」と話しかけてくれたアイルランドのおばさんや、
パブでウィンブルドンを見ていた時に「今日のヘンマン
(イギリスのスター選手)は良くないよ」と話しかけて
きた隣の席のおじさんなどなど、あまりバーミンガムでは
経験したことのない地元の人々の気さくさを感じることが
できました。

 またそういったちょっとした会話から、思わぬ情報を得ることも
出来ました。ダブリンに2人ともややうんざりしていたときに
出会ったパブのおじさんには、「ブレイ(近郊の町)や
パワーコート(近郊の宮殿)が面白いよ」と教えてもらいました。

 面白かったのは、各地域で地元の人たちが話す英語。
ウェールズ、アイルランド、スコットランドでここまで
違うのか、という印象でした。共通してるのは、どれも
何言ってるのか全然分からんことです(笑)。地元の人
どうしの会話に聞き耳立てては、「うーん分からん」と
2人で困惑していました。

 旅行中の写真も大学のパソコンから近日中にアップ
したいと思います。目下故障中の筆者のパソコンも、
昨夜フラットメイトのティノに見てもらったところ、
どうやら本体は壊れていないということが分かりました。
いやー頼りになるドイツ人です。
 
 バーミンガムでの残りの10日間、どうやって過ごそうかと
考え中なのですが、とりあえず今日はこれから同じ大学から来ていた
日本人の友人のお別れパーティーに行ってきます。仲の良かった
日本の2人が両方とも帰ってしまって、寂しくなるなあ。

A Last Pint of Beer in Glasgow

2005-06-24 09:02:23 | イギリス生活
Dear friends.

Sorry to write to you in English again.
I'm at a youth hostel in Glasgow at the moment.
So far we have spent two nights in Wales, two nights
in Dublin, and today we arrived at Glasgow, the most
exciting city in Scotland!

Dublin, the capital city of Ireland, was a quite
beautiful city. There were full of historical
buildings from which I could feel the complex
relationships that this city has got with the UK
in last few centuries.

Apart from that, however, there were too many
American tourists in Dublin who did not seem to
care about that kind of historical facts but
only enjoyed shopping and drinking!

So we became fed up with staying in this large
city. When the first day had finished, we dicided
to go to the countryside in Ireland on the
following day.

After getting on a train for an hour, we arrived
at a seacoast area called Bray, which was a small
town and looked like the totally different world from
Dublin (I think the countryside is always far better
than popular large cities!).

There we were surprised to see how local people were
friendly to us. We had stayed in a pub for a couple of
hours and chatted with some of them. When we asked
them a question about the difference in the personality
between Irish and British people, all they answered,
'Irish are much more friendly than British!'.
Well, I agree with them. They were such good old Irish!

Today in Glasgow, we had the last dinner in our trip
at a Korean restaurant. As I had Japanese food in
Cardiff, I really wanted to have proper Korean food
as well during this trip(and it was also because
I had been so tired of eating chips!).

Fortunately there was one Korean restaurant in Glasgow
run by a Korean owner. There we had pulgoki and
Bipinpa with Korean beer. Woo told me how to eat them
properly. All they were amazing. Korean food is basically
more spicy than Japanese so it makes you feel much
excited even when you are not drunk!

Anyway, this is how we spent the last night of our trip.
I've got less than 20 more days in the UK. These days
I have kept asking to myself, 'have I spent the life in
Britain in the way which I will never regret?'. Well, I am
not sure how to answer this question yet, to be honest.
But when the time comes, I want to be able to confidently
say, 'Yes, I have, I could not do more than this'.

From Cardiff with love !

2005-06-21 06:27:14 | イギリス生活
I am writing this diary at a hostel in Cardiff.
I have found that I can neither write nor read Japanese
so I will write in English for today. I am sorry about
the inconvenience.

So far we have been to Swansea, a second largest
city in Wales, Gower Peninsula, a beautiful
countryside where there are lots of beaches,
and here, Cardiff, the capital city of Wales.

Today Woo, a Korean guy and I went to a Japanese
buffet-style Izakaya in Cardiff for a dinner. It was
a bit expensive but taste was really authentic.
We had Yakitori, Tempra, Norimaki, Nikujaga, and lots
lots more with drinking Sake! I felt as if I was in
Japan!

One thing very funny was that there were some
British people who did not seem to know the proper
way of eating Japanese food.

Some people were even putting a huge amount of
Wasabi on Norimaki, and ate it without adding
any soysauce. Oh that was terrible, but
at the same time very funny to see their faces
confused and suffering from Wasabi's spice!

Tomorrow we will go to Dublin, a capital city of
Ireland by airplane. I'm really looking forward to
drinking real Guiness beer. Can't wait!

OK time is almost running out. I will finish writing
for today. Dewa Mata.

旅行いってきまーす

2005-06-19 02:57:30 | イギリス生活

 明日から韓国人の友人であるウーと、5泊6日の旅行に行ってきます!
ウェールズのカーディフ&スウォンジーに1泊ずつ、アイルランドの
ダブリンに2泊、スコットランドのグラスゴーに1泊ずつ、それぞれ
行ってきます。格安飛行機を活用した、地理的には無茶苦茶な
スケジュールです。

 3月にも湖水地方→エディンバラ→ダーラム→ヨークなど国内の
各地方を電車で回ったのですが、ウーとの旅行はそれに続いて2度目です。
今回彼はヨーロッパの大陸に行きたがってたのですが、俺にとっては
留学最後の旅行になるので、国内を回りたいというわがまま(アイルランドは
外国ですが)を聞いてもらいました。まあウーはあと2年間イギリスに住む
予定ですし。

 なのでブログの更新もその間できるかどうか分かりませんが、
ネットカフェなどを見つけ次第、可能な限り更新していきたいと思っています。

 留学生活最後の旅行か・・・。最近すること何でも「留学最後の」っていう
枕詞が付いてしまい、その度にセンチメンタルな気分になってしまいます。
はあ。

3巨頭の1人、散る。

2005-06-18 01:52:20 | イギリス生活
 筆者と同じく東京の大学から留学に来ている友人が
今週末に帰国してしまうので、昨日は彼のお別れ会が
ありました。

 パーティーの前に、筆者と彼と、筆者と同じ大学から
来ているもう1人の日本人留学生の3人で集まって、
この1年を振り返ったしみじみ飲みを行いました。

 この3人は去年の8月の語学研修の時からの仲なのですが、
みんな英語が全然駄目だった最初の数ヶ月間、お互い生活の
ことや授業のことで助け合ってきた仲でもあります。

 イギリス社会特有の適当っぷり、慣れない気候、まずい食事、
全く分からない英語・・・最初の数ヶ月は本当に大変だった
留学生活でしたが、この2人がいてくれたおかげで、
筆者はずいぶんと救われました。

 特に留学生ばかりの大学院コースと違い、イギリス人の
学部生に寮でも授業でも囲まれていたうちら、たまに話す
日本語は、砂漠の中のオアシスのようなものでした。

 語学研修が終わったときに、3人でパリに貧乏旅行に
行ってきたこともあります。その4日間は本当に楽しくて、
今でも彼らに会うたびに、その時の思い出話に花が咲きます。

 その後は3人がそれぞれ遠くに住むようになった
こともあり、自分たち独自の留学生活をそれぞれに
切り開いてきたという感じです。それでもたまに
会っては、近況をお互い報告しあったりしてきました。

 今日の3人で集まった0次会では、みんなが「できれば
帰りたくない」という意見で一致しました。初めの数ヶ月、
毎日のようにイギリスに文句を言っていた頃を考えれば、
驚くべき変化です。

 今週帰るその友人に至っては、「身寄りが日本に誰もいなくて
天涯孤独の身だったら、イギリスに永住したい!」とまで言い切りました。
まあその理由の大きな部分が、金髪の姉ちゃんをもっと拝んでいたい
からってことなんですけどね。ホントしょうがない奴です(笑)。
 
 英語力もまだまだ全然ですが、あの頃に比べればみんな
格段に上達しました。自分ではなかなか実感することは
難しいのですが、他の2人の上達ぶりを見ると、自分も
それなりにマシになってるかも、と思えます。

 その友人の後は、10日後に2人目である我が同胞が、
そしてその10日後は、いよいよ筆者が帰国する番です。
いやあ時の流れの速いこと。諸行無常の響きありです。

 昨日のパーティーでは、気心の知れたみんなが集まって
したたか飲みました。内容はいつもの飲みと大して変わり
ありません。中華食って、パブに行ったあとは韓国人のチェジンの
フラットで3次会です。それでもその友人が帰る時間になると、
みんな淋しいって感じてるのが、ひしひしと伝わってきました。

 特にチェジンの淋しそうなこと。たいてい留学生は1年か2年で
帰国してしまうのですが、彼女はもう3年間イギリスに住んでいます。
その分、よりたくさんの留学生との出会いと別れを繰り返してきた
ことでしょう。

 彼女1人だけバス停まで見送りに来なかったり、残ったうちらに
「もうちょっと飲んでってよ」と頼んだりしたのも、なるたけ
淋しい思いをしたくなかったからだと思います。

 でも人生、別れあれば再会もありです。グローバル化が進む
このご時世、生きてさえいれば一生の別れなんてことは絶対
ありません。筆者も最近、8年前のウィーン時代の友人たちから
突然連絡が来るなんてことがありました。東京に帰って再会
するのが今から楽しみです。

 大切な友人たちが出来た留学生活、もうすぐ終わりになってしまうのは
本当に残念ですが、思い出は思い出として大切にしつつ、前を向いて
生きていこうと思いました。

 そう、パソコンが壊れたことも、ある意味良い思い出。
前向きな姿勢が肝心ですよね。ハハハ・・・ハハ・・・ハ・・・・・・・・・・・・orz
(前回タフになったとか何とか言っておいて、やっぱり
結構引きずってる筆者でした)。 

イギリスでの一番不幸な日(I hope so.)

2005-06-17 23:04:17 | イギリス生活
 おととい、突然日本から持ってきたパソコンが
壊れてしまいました。電源を入れても、いつものように
起動しません。

 画面に「起動できませんでした。最近の更新が
原因の可能性があります。次の選択肢から最適な
ものをお選び下さい」といった表示がでてくる
のですが、どの選択肢を選んでも再び同じ画面に
戻ってきてしまいます。しかもガガガ・・・という
変な音のおまけつきです。

 そういえばこの前日の夜、Windowsの新しい更新を
受け付けたような気がします。それが原因なのでしょうか。
はたまたウィルスにやられたのか、それとも2年以上
使ってるのでもう寿命がきたのか(ちょっと早すぎるとは
思いますが)、いろいろ原因は考えられます。

 とにかく変な音もすることですし、パソコンが故障して、
中のデータは全部紛失、という最悪のケースを想定した方が
よさそうです。

 一番ショックなのは、バックアップを怠っていたため、
今まで留学中に撮りためて保存しておいた1000枚はくだらない
写真が、全部パアになってしまうことです。

 あとは在学中に書いたレポート類なども全部紛失してしまい
ます。まあ自分の駄文は良いとしても、写真を失うのはかなり
ショックです。けっこうヘコみました。

 仕方ないので帰国までブログも大学のコンピューター・
センターで書くことになりそうです。みなさん、ある日
本当に突然、パソコンは壊れます。

データのバックアップは頻繁に行いましょう。

 今回筆者が体験から得た教訓です(涙)。
 
 まあこの事件が今回の留学中での一番の不運になることを
願うばかりです。でもヘコむかたわら、「友達に送った写真をまた
もらえばいいや」とか考えて、そんな大したことじゃないと思っている
自分がいることにもちょっと驚きです。

 客観的には留学の貴重な思い出を全部失ってしまうのは
相当な悲劇だと思うのですが、それを「まあ何とかなるさ」と
考えられるのは、こっちにいる間に自分はタフになったという
ことでしょうか。それとも感情喪失!?

日本語ペラペラのイギリス人と出会う

2005-06-15 06:54:58 | イギリス生活

   ↑ウー、ウィリアム君&リチャード君

 先日、韓国人の友人ウーと彼のクラスメートである
香港のリチャード君、イギリス人のウィリアム君と
4人でお昼を一緒にする機会がありました。

 このウィリアム君、お母さんが日本人で、お父さんが
イギリス人のハーフだということ。12歳の頃まで川崎市に
住んでいて、お母さんとは今でも日本語で話すそうです。

 日本語でちょっと話しかけてみましたが、完璧な発音と
受け答え、正真正銘のバイリンガルでした。

 ご両親のなれそめを話してくれたのですが、
これがなかなか面白かったです。

 イギリス人のお父さんはその昔、東京を基点に
韓国や中国、シンガポールを行き来する、バリバリの
エリートサラリーマンでした。

 ある日飛行機のなかで気分が悪くなったお父さん、
日本人のフライト・アテンダントの人がお世話して
くれたのですが、それがウィリアム君のお母さんでした。

 お母さんに好意を持ったお父さん、その後も彼女会いたさに、
同じ航空会社を使い続けたということです。

 なんかベタベタなストーリーですな。お父さん、
気分が悪くなったとか何とか言っておいて、
実は最初っから狙ってたんじゃないか、
という邪推の1つもしてしまいます。

 その後も順調に交際は進み、いよいよ結婚というところまで
話が進んだのですが、1970年代当時、国際結婚はなかなか
難しいものがあったようです。

 特にお母さんの実家は長野県の田舎町、青い目の異人さんと
結婚すると聞いて、親戚一同大騒ぎだったとのことです。

 それでもお父さんの人柄を知ってからは、みんな賛成して
くれるようになったそうですが、ただ1人お母さんのお父さん、
つまりウィリアム君のお祖父さんが頑なに反対し続けたそうです。

 戦争世代のお祖父さん、「大事な娘を鬼畜米英などにはやれん!」
といったところでしょうか。いやまあ、さすがにそこまでは
言ってないでしょうが、とにかくなかなかうんと言っては
くれなかったようです。

 その後も親戚総出で数ヶ月間、説得し続けたところ、
ついに頑固なお祖父さんも少し話を聞くようになりました。
そこである日ついに、お父さんにこう言ったそうです。

 「娘が欲しければ、わしを倒してからにしろ。」

 お~何と古風な。こんなことって本当にあるんですねえ。
腕相撲で勝負して、お父さんが勝てば結婚を認める、という
話になったそうです。

 しかしお祖父さん、魂はサムライだったかもしれませんが、
ガタイの違うイギリス人を相手にしてはさすがにかないません。
見事お父さんが勝ち、めでたく結婚できるという運びになったそうです。

 その日ウィリアム君のお宅にもお邪魔し、噂のお父さんとも
お会いできました。お歳は60とのことでしたが、でか!って
感じで、こりゃ勝てんわ、と思いましたね。

 ウィリアム君ちは、外は広いガーデンがあり、逆におうちの中は
日本の置物とか掛け軸がいっぱいで、日本っぽさに溢れてました。
筆者はなんかおばあちゃんちにいる気分になりました。

英国コメディー'Little Britain'を見る

2005-06-14 10:51:16 | イギリス生活


 前回のスター・ウォーズの記事に関して、「ネタばらしを
してしまっているのは、よろしくないのでは?」という
コメントを友人から頂きました。

 言われてみればその通りです。ファンであればあるほど、
映画は余計な情報ぬきに楽しみたいもの。日本では公開は
7月ということなのでなおさらです。やや軽率でした。
<ネタばれちょっとあります>と追記しておきましたので、
ご勘弁を。


 さて冒頭の奇妙な写真は、ここ数年来イギリスで
大人気のコメディー番組「リトル・ブリテン」からのものです。

 前から面白いよ、と色んな人から言われていたのですが、
今日初めてマスームの部屋のテレビで見ることができました。
「多彩な登場人物が、現代のイギリス社会を映しだす」という
触書きです。皮肉たっぷりの上質コメディーでした。

 登場人物がみんな変わってて、女装するおじさん、反肥満差別運動家の
おばさん、自分が村で唯一のゲイだということを誇りにする青年、総理大臣に
片思いするゲイの秘書(同性愛ネタ多いです)、本当はピンピンしてるのに、
介護されることにハマって車椅子生活を続けるエセ障害者の青年などなど。
現代イギリス社会を反映していないこともない・・・ような気もします。

 内容はくだらなさとブラックさを混ぜた感じでしょうか。
これは笑っていいのか?というネタの連続です。

 例えば肥満差別反対運動リーダーの白人のおばさんは、
毎回のミーティングでインド系のおばさんの英語の発音を
徹底的に馬鹿にします。そのインド系のおばさんが
何か言うたびに、「は?」「英語喋ってくれない?」と
いう反応をします。

 この短いネタが10分に一度くらい、場面を変えて流されます。
リーダーが「あんたの言ってること分からないわよ」と言う場面が
笑うポイントなのですが、同じく外国人である筆者的には、
このネタに笑っても良いものかどうか、一瞬迷いました。
でも同じくインド系であるマスームが笑いころげていたので、
まあアリなのでしょう。

 また別の場面では、小太りで上半身裸、半ズボンにサスペンダー、
ハイトーンボイスという、ゲイの人々に対するありとあらゆる偏見を
そのまま地で行ったような青年が、村のパブで他の大勢のゲイの人々
(これもマッチョに水着とか、超ステレオタイプな人ばっか)を
目の当たりにしてしまいます。

 「村でたった一人のゲイであること」がアイデンティティである彼は、
その村から出て行かざるを得なくなります。この話もまず彼の外見から
してとてもおかしかったのですが、またもや「う~んこれは笑って
良いものか・・・」と考えてしまいました。でもゲイの友人を多く持ち、
普段は同性愛者差別の馬鹿らしさをとうとうと語るマスームが
またもや隣で爆笑していたので、これもまたアリなのでしょう・・・。

 他にも差し出されたクッキーが、ホームレスの団体が
ボランティアで作ったものだと告げられるやいなや、大量の
ゲロを吐いてしまう上流階級のおばさんなどなど、ブラックな
ネタがこれでもかというばかりに流されてました。

 一見マイノリティである当事者の人々にとっては
憤激もののようにも思えるネタの数々、それでも大人気なのは、
やはりその裏に、マイノリティの人々に対する偏見そのものを
笑い飛ばす皮肉が込められているからでしょう。

 「ホームレスの人たち可哀想ね」などと口では言っておきながら、
彼らの作ったクッキーは食べられない上流階級の人々をネタにする
ところなど、皮肉以外の何物でもないと思います。

 この現代社会に対するブラック・ユーモアを効かせている点が、
レベルの低い同性愛ネタを繰り返す日本の「エンタの神様」
(まだやってるかな?)辺りのお笑いとは、一線を画している
ゆえんだと思います。

 でも外国語のコメディーを理解するのは難しいですね。
会話で笑いを取るネタなどは、まだほとんど理解できません。
映画館でも他のお客さんが大ウケしてるのに、自分だけ
何がおかしいのか理解できなくて「汗・・・」となってしまう
経験は、イギリス生活ではもうおなじみです。
 
 イギリス生活5年目のイラク人のモハメッドに、
「コメディー分かるようになるまで、何年くらいかかった?」と
聞いたら、「今でも分からんことあるけど、大体2年だな」との
答え。あーもう1年欲しいなあ・・・。欲には限りがありません。

Star Wars: Episode3: Revenge of the Sithを見る 

2005-06-12 09:43:40 | 映画・小説・漫画・音楽・時事ネタなど


<注:ネタばれ少しアリ>
 
ダーンダーンダーン ダーンダ ダーン ダーンダ ダーン・・・
                  (ダース・ベイダーのテーマ)

 今日近所の映画館で、「スター・ウォーズ・エピソードⅢ
~シスの逆襲~」を見てきました。前2作が筆者的には今イチ
だったので今日もそこまで期待はしてなかったのですが、
個人的に新シリーズのなかでは一番の出来だったと思います。

 筆者は特別スター・ウォーズの大ファンというわけでは
ないのですが、各シリーズ3~4回ずつくらいは見てると
思うので、まあ人並みには好きな方だと思います。

 正直新作のエピソードⅠとⅡを観たときは、がっかり
させられました。よく言われることですが、エピソードⅠはCGに
頼りすぎてストーリーが間延びし、非常に退屈な作品でした。

 またⅠではあんなに可愛かった主人公のアナキン・
スカイウォーカーが、青年になったエピソードⅡでは
途端に魅力が無くなるのも残念でした。頭の弱い反抗期の
わがまま坊ちゃんにしか見えません。旧作でダース・
ベイダーのファンだった筆者は、幻滅させられました。

 あとジョージ・ルーカス監督は基本的に心理ドラマを
撮るのがうまくないんですね。アナキンとパドメの恋愛
シーンの薄っぺらさには思わず目を覆わんばかりでしたし、
何よりアナキンがダークサイドに堕ちていく過程での
彼の苦悩が、エピソードⅡでは全く感じられませんでした。

 とはいえ旧作には無い新作ならではの魅力があることも
確かです。それは新3部作では共和国が帝国へと変容する
顛末が描かれるため、旧作では少なかった大河ドラマ性が
より多く感じられることです。

 共和国がどのようにして独裁化し帝国となっていくのか、
エピソードⅠですでにその萌芽が見られ、エピソードⅡでは
それがかなり顕在化します。政治的かけひきなども多く描かれ、
旧作に比べストーリーが複雑です。その過程を追っていくのが
なかなか面白いなと思いました。

 エピソードⅡはエピソードⅠに比べて間延びしてる部分も
少なかったし、戦闘シーンは相変わらず迫力あったし、
ストーリーもいよいよ核心に近づいてきたという感じで、
エピソードⅢへの期待を持たせるに充分でした。

 そして今日、満を持しての新作完結編エピソードⅢ。
とても面白かったです。相変わらず主人公アナキンの
描きかたは今イチで、そのため彼がダース・ベイダーに
なる過程には全く同情できなかったのですが、
それを除けば期待していたシーンも満載だったし、
緊張感もありました。前2作の汚名は挽回できた
という気がします。

 ストーリー的には帝国が誕生し、アナキンがダース・
ベイダーになる過程が描かれるわけですので、予想通り
全体的に雰囲気は暗めでした。ただそれは話の流れ上
しかたのないことで、破綻せずに旧作へつなげられた
ことには拍手を送りたいと思います。

 あまり細かいネタばらしはしたくないのですが、
主人公アナキンに魅力が無い以上、今回も最大の
見所は、共和国が帝国へと変容していく過程でした。

 個人的にはナタリー・ポートマン扮するパドメが
「自由が死んでいく」と嘆いたシーンや、ダークサイドに
取り込まれてしまったアナキンが、それでも「正義」という
言葉を使って自分の行ったことを正当化するシーンなどが興味深く、
9.11後のアメリカ、果ては20世紀のファシズムの成立過程を
彷彿とさせました。

 映像は相変わらずのすごさで、頭をからっぽにして
映画館で見て楽しむには最適の映画でした。日本でももう
公開されているのでしょうか?請うご期待ですよ。

ナショナリズムとアイデンティティについて

2005-06-09 12:22:44 | お勉強
 昨日の続きです。バーベキューをした後、
エレン&アンソニーの部屋で「フェイク」という映画を観ました。
ジョニー・デップとアル・パチーノが主演のマフィア映画で、
とても面白かったのですが、あるシーンでかなり気まずい思いを
してしまいました。

 その映画は、FBI捜査官のジョニー・デップが
素性を隠しつつマフィアの1人であるアル・パチーノの
弟分となり、組織の壊滅を試みるというストーリーでした。

 そのなかでギャングの一味で日本料理店に行く場面が
あったのですが、日本の文化として、座敷に上がる際は
お客さんは靴を脱がなければいけません。

 ところが靴のなかに録音機を潜ませているジョニー・デップは、
靴を脱ぐことができません。録音機がギャングの仲間に見つかったら、
自分がFBIの覆面捜査官だということがばれてしまいます。

 そこで「お客様、靴をお脱ぎください」と繰り返す日本人店員に対し、
デップは「俺の祖父は戦争中に日本人に殺されたんだ。俺はこんな
ジャップの言うことは聞かん」と逆ギレして店員をののしり、
何とか靴を脱ぐまいとします。

 なおも「靴を脱いでください」と繰り返す店員に対し、ギャング仲間は
その店員を裏口に連れ込み、彼を罵倒しながら暴行を加えてしまいます。

 それを見ていたうちら、初めのうちはアンソニーが俺に
「あ、「いらっしゃいませー」って言ったの分かったよ」と
言ったりして、和気あいあいの雰囲気だったのですが、状況がシリアスに
なるやいなや、うちらの雰囲気は途端に気まずいものになってしまいました。

 俺も見てて良い気分のしない場面だったのですが、それ以上に
みんなが日本人である俺に対して、気まずい思いをしているのが
ひしひしと伝わってきます。

 特にアメリカ人の2人のばつの悪そうなこと。俺の顔を不安そうに
ちらちらと窺ってくるのが分かります。ひえ~どないせいっちゅうねん、
早くこの場面終わらないかなーと、俺もひたすら願ってました。

 ストーリー上それほど重要な場面ではなかったし、映画自体がとても
面白かったので、その場面のことはみんなそのあと忘れたようでした。

 でもジョシュ君たちが帰ったあと、アンソニーに「そういえば
あの場面は気まずかったよな」と言ったら、「嫌な思いをさせて
しまって、ほんとにごめんよ!いや~ヒロシマだかナガサキの
ドキュメンタリーを一緒に見ているような気分になったよ」と
謝られてしまいました。

 正直俺も日本人キャラクターが差別語を浴びせられながら
リンチされる場面を見ながら、嫌悪感をもよおしていました。
さらに彼がもし日本人でなかったなら、この嫌悪感はより
軽いものになっていただろうということにも気づきました。

 この感覚って突き詰めれば、俺の内にある「同胞である日本人が
やられている」というナショナリズムの意識から来るものだったのだと
思います。

 この「同胞」って感覚、いったい何だろう、と不思議に思いました。
たまたま同じ国に生まれたってだけで、自分とは全く関係のない
日本人がリンチされているのを見て、どうして他のシーンとは異なる
感情を抱いてしまうのでしょう。

 そして果たしてアンソニーたちは、そのことで俺に謝る必要は
あったのでしょうか。ひとたび考え始めると、この疑問には実に
いろいろな問題が孕まれていることに気づきます。

 これはナショナリズムの、ひいてはアイデンティティの
問題だと思います。ここから先はかなりまじめに書いてしまうと
思うので、ご了承ください。特に上記の疑問、「アンソニーは、
俺に謝る必要があったのか」という点について考えたいと思います。

 結論から言えば、アンソニーを初め、アメリカ人の2人もまた、
その場にいても謝る必要はなかったと思います。

 自分がアンソニーたちの立場だったらどうでしょう。
例えば女の人や同性愛の人や在日朝鮮の人と日本映画を見たときに、
女性に対する性犯罪のシーンや、ホモ・フォビア(同性愛嫌悪)に
よる暴行や、朝鮮学校の生徒がナイフで切りつけられるシーンなどに
遭遇してしまった場合はどうでしょう。

 自分はこんどは「男性」として、「非同性愛者」として、
また「非在日」として、加害者と同じカテゴリーに入ってしまいます。

 そしてもしその時に俺が「男性」として、「異性愛者」として、
「日本人」として相手に非難されれば、彼らに対して申し訳ない
気持ちでいっぱいになります。

 でも彼らに対する申し訳なさと同時に感じるのは、
「日本人」や「男性」といったもろもろの加害者カテゴリーの中に
勝手に俺を押し込めた、この社会の仕組みに対する反発心です。
この反発心が、何の関係もない俺が彼らに謝るのはおかしいん
じゃないか、という思いにつながっています。

 ここで押さえておかなければいけないのは、「女性」「日本人」
「同性愛」「障害者」等々、こうしたもろもろのカテゴリーは、
普遍的なものではなく、歴史的に創られ、恣意的に引かれた
境界線であるにしか過ぎないということです。

 普遍性を装ったカテゴリーそのものの持つこうしたうさんくささが、
「日本人だから謝らなきゃ」という考え方に対する不信感を助長
させます(ちなみにこれは日本政府の謝罪問題とは全く次元を
ことにする問題ですので、誤解のなきよう)。

 例えば女性と男性の間の境界線は、半陰陽の人々や、トランス・
ジェンダーの人々のような、どちらのカテゴリーにも属すことのできない
少なからぬ数の人々を無視した結果生まれたものです。

 その結果起こっていることは何でしょう。半陰陽やトランス・ジェンダーの
人々に対する無理解と、さらには経済的、社会的、性的に女性に不利な社会を
生み出している、性差別の構造です。こんな負の面を生み出し、しかも
現実の性の多様性を反映しない「男性」「女性」のカテゴリーに組するなど、
まっぴらごめんです。

 またホモ・フォビア(同性愛に対する差別意識)の感情も、
ここ200年くらいの間に「創られた」ものですし、さらには
「日本人」というカテゴリーもまた、「われわれは同質の文化、
同質の言語、同質の民族である」という、国家が強制した
フィクションの産物であるに過ぎません。

 実際は色んな文化、言語、民族が存在しているにもかかわらず、
そこは見ぬふりをして「日本人」としての同質性を強調する
ナショナリズム、こんなものを信じても、ろくなことにならない
ことは歴史が証明しています。

 かように筆者には、もろもろのカテゴリーづけによる良い面よりも、
悪い面の方がより強く感じられるのです。だからこそ自分が「日本人」
等々のカテゴリーに属すことにこだわりたくないし、そのため「日本人」や
「男性」であることで責められても、謝りたくないと思ってしまうわけです。

 カテゴリーづけによる良い面ももちろんあります。何よりも
それはアイデンティティの形成です。人はアイデンティティを持つことで、
自分が何者なのか、仲間は誰なのかがはっきりして安心します。
「男(女)どうしの連帯感」、「日本人どうしの連帯感」ってやつです。

 また差別されている人々が力をあわせて現状を変えていこうとする
際にも、アイデンティティによる結集力が必要になります。そして
こうした結集力は、差別の改善に大きな役割を果たします。

 例えばフェミニズム運動や黒人運動などは、いずれも「女性」
や「黒人」といったアイデンティティのもとに人々が集まった、
アイデンティティ・ポリティクスの表れだと言えます。

 しかしこうしたアイデンティティ・ポリティクスには、
必然的な限界が伴います。  

 それは簡単に言えば、カテゴリーづけにはきりがないということです。
例えばフェミニズムのなかでも、白人女性と黒人女性の間の不平等があり、
黒人女性のなかでも、健常者と障害者の間の不平等があり、黒人女性の
障害者のなかでは、若者と高齢者との間の不平等がある等々、
カテゴリーによる境界線は、留まるところがありません。これは
アイデンティティ・ポリティクスの本質的な限界だといえます。

 さらにカテゴリーづけが引き起こすより本質的な悪い面は、
それが自分達のカテゴリーに属さない人々を排除したり、
敵だとみなしたり、差別したりする結果につながるということです。
どうしても異なるカテゴリーどうしの力関係が生まれてしまいます。

 一番分かりやすい例が国家間の戦争で、これはナショナリズム
というフィクションを元にしたアイデンティティに国民みんなが
染まってしまった結果起こる悲劇だといえます。それで結局得を
するのは、一般市民ではなく、一部の人々であるにしか過ぎません。

 理想としては、こうしたカテゴリーの偽善性にみんなが気づき、
その結果ナショナリティや性別やセクシュアリティ等々の違いが、
何とか「ショートカット」か「ロングヘアー」か、または足の
人差し指が親指よりも長いか短いか、ぐらいの些細な違いに
ならないもんかと思います。

 そうすれば男性と女性の違いとかにみんながこだわらなくなり、
今よりもずっと生きやすい社会になると思うんですけど。
ジョン・レノンですな。

 そのためには、第一段階としては上記のアイデンティティ・
ポリティクスが必要になると思います。たとえカテゴリーが現実を
反映しない恣意的なものであっても、現実にそのカテゴリーにのっとって
差別が存在する以上、アイデンティティ・ポリティクスをもとに
差別の改善を図ることは、第一段階としては必須の課題でしょう。

 ちなみに20世紀は、フェミニズム、黒人運動、同性愛権利獲得運動、
民族運動等、これらアイデンティティ・ポリティクスが強力に広がり、
異なるカテゴリーどうしの「平等」への気運が一気に高まった世紀
だったと思います。

 そして次の段階では、上記のようにアイデンティティ・ポリティクスの
限界が明らかになり、それよりもより深い、現代社会の根源的な問題に
目が向くようになると思います。この問題を克服してから、ようやく
上記のような、今は夢物語のような社会が実現するのだと思います。

 その根源的な問題とは、端的に言えば経済的格差の問題なのですが、
これについて書くともうきりがないので、今日はこの辺で止めときます。

 いや~今日はかなり過激なことを書いてしまいました。でも一見過激に
みえるこうした議論は、政治学や社会学ではもうおなじみのようですね。
今日書いたようなことをもっと強く主張すると、ポスト・モダンとか
いうのになるようです。ポスト・モダンの考え方も問題がかなりありますが、
アイデンティティについて考える際は、わりと有効なようです。

 結論としては、上記のような理由から、アンソニーは俺に謝る必要は
ないし、また謝ってほしくもないと思います。「謝れ」と要求するやいなや、
俺が「日本人はみな同胞」というフィクションを100%受け入れる、
ということを意味するからです。ナショナリティから個人を見てしまうことは、
究極的には危険なことである、と考えています。

 ただ頭ではそう考えていてもなお、俺が嫌な思いをしてしまった
昨日のエピソードは、いかにこのフィクションが個人のなかに
深く刻み込まれているか、そこから抜け出すことが難しいのかを
示す出来事だったと思います。長文すみませんでした。