日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

イタリア文化特別講座「第2部~イタリア南部のルネサンス~IL Rinascimento di Sud Italia」の文化セミナーに参加しました(2017.6.18)@吉祥寺LCI

2017年07月28日 | イタリア関連の催し
イタリア文化特別講座「第2部~イタリア南部のルネサンス~IL Rinascimento di Sud Italia」の文化セミナーに参加しました(2017.6.18)@吉祥寺LCI


3月の第1部「第1部~ルネサンス期を支えた名家たち イタリア北部と中部」は 世界遺産検定のため珍しく欠席...なのでアリアンナ先生が担当される第2部のイタリア南部のルネッサンスに参加してきました!
この日は終了後すぐにアイランドギャラリーに行き 初めてサルデーニャの先生の写真を買いました!!というわけで思い出深い一日でした:
  ← 吉祥寺のLCI イタリアの旗が目印♪

セミナーの内容: 南イタリアのルネサンス時代は、北部の貴族社会とは異なり、王朝が統一を図ります。この講座では分かり易く時代の流れと共にご紹介致します。

    *     *      *

第1章 教皇領(Lo Stato Pontificio)


南イタリアでは教皇がその一部を統括していました 教皇領(lo Stato Pontificio)の歴史をざっとおさらい 

今のヴァチカン市国よりも広く 多くのヨーロッパ諸国を統括していましたが 南イタリアはシュヴァーベン王フェデリコ2世(il re svevo FEDERICO Ⅱ)が統括していました

宗教的にも政治的にも権力を持っていたのは 税金を取っていたから 
当時は教皇領への税金から宗教税(Assicurazione spiriuale)に至るまで 実に様々な税がかけられていたのですね( ゚Д゚)

ちなみに1500年での年収は労働者で12スクード 枢機卿で1320スクードだったそうです(スクード=5リラ銀貨)


ここでビデオを見ながら 西ヨーロッパの教会分裂(Scisma d'Occidente)について説明していただきました

アヴィニョン捕囚
(Avignone)について イタリア人の教皇(Papa)とフランス人の対立教皇(antipapa)がいたこと

紋章(stemma)についても見ました 教皇領の紋章の金と銀のカギの意味 三重冠の意味などです



第2章 支配(Le Dominazioni)


シュヴァーベン王朝(gli Svevi) アンジュー家(Gli Angioini) アラゴン家(Gli Aragonesi)があり いよいよシュヴァーベンの フェデリコ2世(Federico Ⅱ di Svevia)についてです

ナポリとシチリアの君主一覧は こちら


フェデリコ2世は エンリコ(ハインリヒ)6世とシチリア王女コスタンツァ(Costanza)の息子として生まれました

16才でドイツ・エルサレム・シチリアの王となり アラブと西洋文化を愛し 数カ国語を話し 世界初の無償の国立大学をナポリに創り←ナポリ大学のことですね(ボローニャ大学が世界初だが無償ではない) 貧困の民のための無償学校を作り シチリアに詩人の学校を作りました なんとダンテも通ったといいます

ただカリスマ的存在のためあまりヴァチカンとはよい関係を持たず 神は信じていたが教皇は神ではないとしていました 教皇側はフェデリコ2世の統治国を支配したかったのだそうです

さてフェデリコ2世の死後 息子マンフレディ(Manfredi)が継承します(subentrare)

マンフレディはホーエンシュタウヘン(シュヴァーベン/sveni)の紋章を新しくします  鷲(l'aquila)は教皇派のシンボルですね

教皇は 税を増やして民衆が不満を持っていたマンフレディを軍隊を送って討ちます そして教皇ウルバーノ4世(URBANO Ⅳ)が フランス王の兄弟 カルロ(re di Francia/Carlo)をシチリアに送り マンフレディを討ちます 

さて ホーエンシュタウフェン(シュヴァーベン)家には息子はおらず 娘コスタンツァ(Costanza)が アラゴン王ピエトロ3世(il re d'Aragona PIETRO Ⅲ)と結婚します *アラゴンはスペインの王国

皇帝派(i ghibellini
/教皇反対派のシチリアに住む民衆)は カルロ アンジョー王(Carlo D'Angio')に反対し コスタンツァ女王につきます

ところが シチリア議会はピエトロ3世(Pietro Ⅲ)をシチリア王に選出し 一方教皇はカルロ・アンジョー王(Carlo D'Angio')を選出し シチリアには2人の王が生まれ混乱します そしてピエトロ3世はシチリアで亡くなります

さてここで紋章クイズ! アラゴン王朝の新しい紋章を当てました 
二つの鷲はシュヴァーベンの紋章(Stemma Svevo)が アラゴンの旗(Bandiera aragonese)に描かれているものが正解♪ これは紋章まで注意してみたことがなく とてもためになりました!!


1302年のカルタベッロッタ平和協定(Pace di Caltabellotta)というのは 亡くなったピエトロ3世の息子(アルフォンソ2世とジャコモ1世)が統治するも ジャコモ(Giacomo/ハイメ二世)は土地の権利を教皇ボニファチョ8世(BonifacioⅧ)に献上し(cedere) 代わりにサルデーニャ島とコルシカ島を教皇から譲渡されたのです!!

 ここで休憩(pausa) あっワインなんか出していただいちゃって...(笑)

    *      *      *

休憩後は 難しい歴史の話から離れて お城や絵のお話に移ります💛


第3章 城 I Castelli


← カステル・デル・モンテ(Castel del Monte)

まずはカステル・デル・モンテ フェデリコ2世が建てた八角形のお城で1996年に世界遺産となりました プーリア州アンドリアにあります 
用途は不明で 狩猟用の館かアラビアンスタイルのスパ(hammam)ではないかと言われているそうです
屋根等すべてが八角形(ottagono)で これは円(空)と四角(地上)の中間的な形状とされています
フェデリコ2世は何度もエルサレムの「岩のドーム(Cupola nella roccia)」を訪れており とてもよく似ており フリードリヒ2世の数学へ造詣を表す黄金比を用いた八角形を象徴的に取り入れています

夏至・冬至(solstizio)と昼夜平分時(equinozio)に一定の場所に適格に影が投影されるように設計されており その他様々な不思議な特徴を説明していただきました フェデリコ2世の王冠も八角形とのこと

アンジュー家の城(Castello Angioino)について シュヴァーベンの城を修復して使っていましたが 戦いのための仕様がなされています アンジュー家はもともとフランスからフレミン(fiamminghe)の影響を受けていました

次はナポリ王国(Regno di Napoli)について

ルネサンスのあとはヒューマニズム(umanesimo)が展開してゆき ゴシック・アート(arte gotica)が発展します

アンジュー王朝からアラゴン王朝へと移ってゆき アラゴンの城(Castelli Aragonesi)は戦いがなくなったため城の塔を低くしたのだそうです (アンジュー家の城とは対照的!)

マスキオ・アンジョイーノ城(Maschio Angioino)*は アンジュー家のカルロ1世(Carlo ⅠAngió)が建てて そののち 1443年にアラゴン王アルフォンソ(Alfonzo di Aragona)が ワニの洞窟や夏至(冬至)による光の遊びなどを増築しました

* ナポリのヌオーヴォ城は13世紀に存在したアンジュー家の城として作られましたが、15世紀にアラゴン家によって再建されたため「アンジュー家の城」とも呼ばれています


 第4章 絵画 PITTURA:

アントネッロ・ダ・メッシーナ(1429-1479)のフラマン画の特徴は 4分の3方向を見る姿勢(posizione a tre quarti)ですね 正面でもなく横顔でもなく 精神面を表現しています これについてはのちにクイズで どれがメッシーナの描いた肖像画かを当てるのですが この顔の向きが決めてで全員正解(^^)/

彼はイタリアで初めて油絵具を使ったそうです フラマン絵画から学んだ技法とのこと 『受胎告知のマリア』(シチリア州立美術館)は彼の作品の中で最も有名ですね
Ecce homo(エッケ・ホモ/彼だ)や シチリアのモナリザと言われる「無名の船員(Ritratto dell'ignoto marinaio)」の作品などをご紹介いただきました 
ちなみに「メッシーナ出身のアントネッロ」という意味の名前です ← 「ビンチ村のレオナルド」とおんなじ♪


また 南部のルネッサンスについても少し...

ナポリはハンザ同盟(lega anseatica)に属しており税金が優遇されており 北欧から多くの芸術も入って来ました 
メッシーナの師匠ニッコロ・アントニオ・コラントニオ(Colantonio)等についても説明していただきました 
北ヨーロッパと異なり 教皇や王国の支配により ルネサンスの到来が遅れましたが メッシーナとナポリはハンザ同盟都市のため 芸術は早く入って来ました 

残念なのは 地震(terremoto)によりルネサンスの作品の多くは消滅し ルネサンス末期(l'ultima paete del Rinascimento)のものしか見られないことですね


第5章 ルネサンスの後 Dopo il Rinascimento


ヴァチカンは1870年まで権力を維持していました
シピオーネ・ボルゲーゼ(Scipione Borghese)は 神聖ローマ皇帝カルロ5世(Papa CarloⅤ)の孫(nipote)で 縁故主義(nepotismo)により枢機卿(cardinale)になり そしてヴァチカン大聖堂の司祭長になります
彼こそが ローマにボルゲーゼに屋敷を作り芸術作品のコレクションを集めたのです つまりボルゲーゼ美術館(Galleria Borghese)を作ったというわけですね

ダヴィデ像(ベルニーニ) アポロとダフネ(ベルニーニ) その他の素晴らしい作品を見て セミナーは終わりとなりました!!

あぁ~ローマでなんとしてもボルゲーゼ美術館に行っておくべきだった~(*´Д`)

セミナー開催のお知らせは こちら

素晴らしいセミナーを開催してくださいましたLCI様に心よりお礼申し上げます


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