日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

映像「江戸城の天守」&「上海博物館との共演」展を見ました(2017.2.11)@東京国立博物館 東洋館

2017年02月26日 | 日本文化紹介
映像「江戸城の天守」&「上海博物館との共演」展を見ました(2017.2.11)@東京国立博物館 東洋館



ティツィアーノとヴェネツィア派展」(東京都美術館)の 無料の記念講演会(半券で入れる)を聞きに行ったら 1時に整理券配布開始のところを1時10分に着いた時点で もう整理券終了!! ←3時間前から並び始めたとのこと...

がっくり(*´Д`)...なので すぐ向かいの東京国立博物館のミュージアムシアターに行き「江戸城の天守」の映像を見てから 「上海博物館との共演」展を見てきました!! かえってこの方がよかったかも??
インド 中国 タイ カンボジアその他のさまざまな展示物がありましたが 一番キョーレツだったのは エジプトのミイラ!! 初めてです実物を見たの...

 *       *       *

映像「江戸城の天守」は ちょうど2017年2月9日(木)に「家康の江戸城最強 最古級絵図を発見」の新聞記事を読んだ直後のため ワクワクで見ました♪

この記事にあることは 実は「家康」の建てた江戸城天守についてのことでして この映像は 三大将軍家光が建てた天守についてのものでしたので 反映はされていませんでしたが それでもナビゲーターの方はこの記事を見て驚いたそうです!!

今皇居にある江戸城跡は 明暦の大火(1657)で燃え残った四代目の天守台です
 
映像では 残された図面をもとに骨格を再現していますが 江戸城は石垣も含めると59メートルの高さだったそうですが 姫路城46メートル 松本城29メートルなので 日本最大だったのですね!

石垣の石は伊豆に採石に行ったということで 石垣の形に割り ふもとまで降ろしてから 船で江戸に運び 江戸城の石垣に使ったそうですが大変な作業でしたね~

屋根の銅瓦は白く ここ上野にある 旧寛永寺五重塔にもこの銅瓦が使われているそうです ぜひ帰り道にご覧くださいとのことでした♪ また日光東照宮社殿にも使われています 
銅板(黒い)は実に8万枚も使われており 耐久性・耐火性に優れていたそうです

また 破風の飾り金具二条城をまねたそうで 金芳金具の飾りがなされ 魚々子打ち(ななこうち)という細工で 平らな部分には墨が塗られ 金色との対照が見事でした 
この現物がミュージアムシアターのロビーにも展示されており ルーペで見ることが出来ます

城のてっぺんにあったしゃちほこは 大きさ2,4メートル 金の板で作られていたそうです 
もしも今この東京に 江戸城が現存していたら...という3D映像は迫力がありました...しかし今の高層ビルには負けるネ!!

まぁ何かが見られなくとも いろいろとあるので(そういえば「ラスコー展」もやっていた...)何かしらは楽しめる上野公園でした~(^.^)/~~~


ティツィアーノ展
は こちら
← 4月2日(日)まで

江戸城の天守は こちら ←3月31日まで!!
 
東京国立博物館 東洋館は こちら


江戸城は こちら


城についてイタリア語で話す」は こちら


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東都生協「プロに学ぶトマトづくり体験・交流/第一回」に参加しました(2017.1.15)@埼玉産直センター

2017年02月23日 | 東都生協関連
東都生協「プロに学ぶトマトづくり体験・交流/第一回」に参加しました(2017.1.15)@埼玉産直センター



埼玉産直センターに行くのは今回が初めてでした 長年こちらの野菜を東都生協でいただいているのですが 今までは「農家レストラン」等で来ていただいている時に交流しただけでしたが やっぱり現地を訪ねて初めてわかることがたくさんありますね(^_^)

第1回(1月半ば)は管理作業の簡単なお手伝い 第2回(3月末)は収穫のお手伝い!! 
この日は寒波の襲来で朝から雪がちらほら...でも途中止んでくれて あたたかなハウスの中は25度もあり暖かく 家族連れも含めた全員で楽しく作業を行いました

  白や黄色の服は害虫が好む色なので暗い色の服です

実はバスが早く着いたので 直売所で先にお買い物♪ 私は普段なかなか買えないロマネスクや 黄色いカリフラワー 「カリフローレ」というスティックカリフラワー そして名産の深谷ネギをお土産にどっさり!! そして帰りにはさらに苺(とちおとめ)を「15(いちご)の日」ということで買いました~ 直売所はなんといっても安い!! 収穫の時はトマトをどっさりいただけるというので楽しみ♪

 直売所の野菜


バスの人たちとマイカー(親子参加の方がメイン)の人たちが まずは一緒に生産者の皆さんのお話を聞いて トマトの栽培に関する学習をしました 実はクイズがあり張り切ってしまいました(笑)←クイズとか検定とか好きなんで♪

次にハウスに移動し 管理作業開始!!今回は 伸びてきた蔓をとめてあるクリップを外したり トマトを観察して色々なことを学ぶのがメインでした  さつまいもの収穫の援農の時は腰が痛くなったけど今回は楽でした(笑)

次に 最近テレビでも紹介されている「焼きネギ」をふるまっていただきました!!
これは炭火焼で真っ黒に焼いたネギを一本まるごと 熱々のまま皮をむいてハフハフいただく豪快な食べ方です!! 2本いただきました♪ (焼けてないところは辛い)
小さいお子さんも初めての焼きネギ体験に こんなにとろりと甘いとは!!と残らず平らげていました 私も実は初めてです 

 焼きネギたくさん!!

そしてみんなで「武州深谷煮ぼうとう」(渋沢栄一翁が好んで食べたという郷土料理)を作って 皆でいただきながら交流しました 私は小心者なので(?)一生懸命作り方を覚えてから行ったので 生産者の方のレシピのアレンジを聞きながら 大鍋の料理を皆で楽しく作り上げました 調理実習みたい? やはりお客さんじゃなく 片づけまで「いっしょにやる」のがこちらの流儀だそうで 楽しく交流できていいなぁ 

ちなみに 翌日また煮て食べるのは「たてっかえし」というそうです これはイタリア料理ではribollire(リボリータ/ribollitaというトスカーナのレシピがある) ですね!
私はこの翌日 せっせとお土産配りをして 煮ぼうとうをまたまた作ってしまいました!! 家のコンロで焼きネギはできないかなぁ?? ←試してみたらコンロの長さ分はできた(笑)

 煮ぼうとうの大鍋

そして肥料センターを見学 ここでは「すべての野菜に有機質肥料(ぼかし)を使っている」のだそうです 産直ならではのメリットもたくさんあり とても勉強になりました
3年前の大雪のハウス倒壊の時も組合員さんの支援があり 産直として頼りにされていることが生産者の励みとなり とうとう完全復活したとの言葉に感銘を受けました

その時の感謝の言葉を書いたプレートも 今回しっかり見てきました

 感謝のプレート

ここには200軒以上の生産者が所属し 実にたくさんの品目を作っています トマトの苗は何メートルまで伸びるのか? 接木(病気にかからず農薬を減らせるメリットがある)の台の苗と 接ぐ(実の成る)苗はどう違うのか 種の袋も見せていただきながら 管理の仕方のコツも少し教わりました
トマトの原産地はどこか? リコピンは生のトマトとピューレ等の加工品とどっちが多いか? 他にどんな品目を作っているか等々...たくさん教わりました!!

ベランダでトマトを育てているがいつも枯れてしまう という質問には 下葉が枯れるとそこから病気が出て枯れてしまうので 下葉が枯れたら取るのがよいのだそうです(^.^)/ ←私も経験ありマス...

百年トマト」という東都生協の登録トマトがありますが(初夏まで13週にわたって届けられます) この素晴らしいネーミングは「100年育て続けられるように」という意味をこめてつけられたそうです

 ← たった今届いた供給の中の登録チラシ


百年トマトは 「百年続く産地、百年続く産直を目指します」「僕らのこだわりのトマトをお届けします」「ナンバー1の産地を目指します」との目標を掲げています

埼玉産直センターのこのトマトの産地訪問企画はいつも人気のため 抽選とのことでした

広々とした景色を見るととてもほっとしますね 遠くに山も見えます また3月の収穫が楽しみです(^.^)/~~~

 埼玉産直センター

開催のお知らせは こちら


素晴らしい企画を立ててくださいました東都生協様に 心よりお礼申し上げます


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ヨーロッパ人の先史時代はサルデーニャ人のDNAの中に書かれていた/La preistoria europea è scritta nel DNA dei sardi(2017.2.14)

2017年02月19日 | イタリア旅行・世界遺産
ヨーロッパ人の先史時代は サルデーニャ人のDNAの中に書かれていた/La preistoria europea è scritta nel DNA dei sardi(2017.2.14)@サルデーニャの各新聞


 
2017年のバレンタインデーの日に サルデーニャのビッグニュースが飛び込んできました!! Facebookで読んだイタリアやサルデーニャの新聞記事で ある大がかりな遺伝子調査により 石器時代に農耕民族の登場によって消えた狩猟民族等 先史時代のヨーロッパ人の遺伝子が 島という閉ざされた環境にあったサルデーニャ人のDNAの中に発見されたというものでした

サルデーニャ人の起源に興味があったので いくつもの記事を探しては 片っ端から読みあさりました! 難しかったけどおぼろげにわかりました 

     *     *     *

15 febbraio 2017


La preistoria europea è scritta nel DNA dei sardi
ヨーロッパ人の先史時代は サルデーニャ人のDNAの中に書かれていた

 

Uno studio di un gruppo internazionale di scienziati ha messo in luce alcune caratteristiche peculiari del patrimonio genetico dei sardi.


科学者たちの国際的なグループの調査が、サルデーニャ人の遺伝的資質の いくつかの固有な特徴を明るみに出した。

In particolare, l’analisi del DNA mitocondriale degli attuali abitanti della Sardegna sembrerebbe indicare che la prima occupazione dell’isola risale al Mesolitico , mostrando inoltre l’esistenza di due origini genetiche ben distinte dei primi abitanti 

di Matteo Serra


特に、サルデーニャに今住んでいる住民たちのミトコンドリアのDNAの分析は、サルデーニャ島の初期の入植(定住)が中石器時代にさかのぼる ことを指示しているように思われる、 さらにその上に 初期の住民たちの とても際立った2つの遺伝子の起源を示しながらである。


Il patrimonio genetico dei sardi è unico nel suo genere, e contiene informazioni molto preziose sulle origini dell'occupazione della Sardegna nel contesto della preistoria europea.

サルデーニャ人の遺伝的資質は その種(人類)において唯一のものであり、 そしてヨーロッパ人の先史時代の脈絡(コンテクスト)における サルデーニャの占領の起源についてのとても詳細な情報を有しているのだ。


Lo dimostra uno studio pubblicato sulla rivista “Molecular Biology and Evolution” da un gruppo di ricerca internazionale guidato dalla genetista Anna Olivieri, dell'Università di Pavia.

そのことを証明しているあるひとつの研究が 「Molecular Biology and Evolution」という雑誌に公表された。これは パヴィア大学の遺伝学者 アンナ・オリヴィエリ(Anna Olivieri)によって率いられた国際的な調査グループによる研究である。

Le isole hanno sempre esercitato un fascino particolare su biologi evoluzionisti, genetisti e archeologi per via dell'isolamento geografico e delle caratteristiche spesso uniche delle popolazioni che le abitano.

サルデーニャ島は常に 特別な魅力を放ってきた、 生物学者たちに 進化論者たちに 遺伝学者たちに 考古学者たちに。 地理的な孤立(隔絶)によって また そこに住む人々の しばしば比類なき特徴によって。

In particolare la Sardegna, per la sua posizione chiave nel cuore del Mediterraneo, rappresenta un'arena di studio ideale.

特にサルデーニャは、 地中海の中心というその位置がカギとなり 理想的な研究の舞台となっているのだ。

Per comprendere meglio le origini genetiche dei sardi, i ricercatori hanno analizzato il DNA mitocondriale *(contenuto nei mitocondri, le "centrali energetiche" delle cellule) di 3491 attuali abitanti della Sardegna, confrontandolo con 21 campioni preistorici, con un ampio database di genomi mitocondriali non appartenenti a sardi e anche con quello di Ötzi, la più antica mummia europea (risalente  all'età del rame, attorno al 3300 a.C.), scoperta nel 1991 ai piedi del ghiacciaio del Similaun, al confine tra Italia e Austria.

  * (quello ereditato per via materna) (母系の遺伝による)  Stampaの記事より

サルデーニャ人の遺伝子の起源をより理解するために、 研究者たちは サルデーニャの現在の住民3,491人からの「ミトコンドリアのDNA/デオキシリボ核酸*) (ミトコンドリアの内容物、そして細胞の"エネルギーの中枢部)」を分析し、21先史時代のサンプルと比較しながら、 サルデーニャ人には表れていないミトコンドリアのゲノム(染色体の一種)の膨大なデータベースと比較しながら、またそして 1991年にイタリアとオーストリアの国境のSimilaunの氷河のふもとで発見された、ヨーロッパ最古のミイラである Oetzi (アイスマン), (紀元前約3,300年の銅器時代にさかのぼる)のミトコンドリアのゲノムとも比較したのだ。*

  * tra questi anche il famoso uomo di Similaun, Oetzi, che non ha mostrato di avere particolari 'parentele' con il popolo sardo, al contrario di quanto ipotizzato in precedenza .

その中には有名なSimilaunのアイスマン(Oetzi)があるが、それはあらかじめ仮説として立てたものとは反対に、サルデーニャ人との特別な「親戚関係」は見せなかった。 (ANSAの記事より補足)
 

I risultati evidenziano che la Sardegna rappresenta un'anomalia nel panorama genetico europeo, e per più di un motivo.

結果はサルデーニャがヨーロッパ人の遺伝子のパノラマにおける異例を示していることを明らかにしており、原因という以上のものだ。

Anzitutto, i ricercatori hanno scoperto che quasi l'80 per cento*  dei genomi mitocondriali dei sardi di oggi appartiene a rami genetici che non si trovano in nessun altro luogo al di fuori dell'isola.



何よりもまず、研究者たちは 現在のサルデーニャ人のミトコンドリアのゲノムの80%(サルデーニャ)島の外のどの場所にもない遺伝子の血統に属することを発見した。 * ←補足


* Dall'analisi dei dati è invece "emerso che l'80% dei genomi mitocondriali dei sardi moderni appartiene a gruppi genetici (aplogruppi) presenti solo in Sardegna".

このデータの分析から"現れたのは 現代サルデーニャ人のミトコンドリアのゲノムの80%サルデーニャにしか存在しない遺伝子グループ(アプログループ)に属している"ということだ  (ANSAの記事より) 

 
Inoltre, gli scienziati hanno classificato i genomi mitocondriali dei sardi in 89 gruppi genetici, detti aplogruppi.

さらにその他に、科学者たちはサルデーニャ人のミトコンドリアのゲノムを、aplogruppi(アプログループ)という89の遺伝子のグループに分類した

Quasi tutti gli aplogruppi, che probabilmente comparvero nell'isola dopo la sua prima occupazione, risalgono a un periodo compreso tra il Neolitico (tra 4000 e 7800 anni fa), il Nuragico (tra 2000 e 4000 anni fa) e il post-Nuragico (meno di 2000 anni fa).

ほとんどすべてのアプログループ(aplogruppi)は、おそらくサルデーニャ島に初期の占領(入植)のあとで現れたものだが、それらは新石器時代(4,000~7,800年前)、ヌラーゲ時代(2,000~4,000年前)、そしてポスト・ヌラーゲ時代(2,000年前よりも最近)が含まれた時代にさかのぼる。


Tuttavia, le origini di alcuni rari aplogruppi tra quelli appartenenti ai sardi moderni sono ancora più antiche, precedenti alla data di inizio più probabile del Neolitico in Sardegna, ossia circa 7800 anni fa. 

しかしながら、いくつかの珍しいアプログループ(aplogruppi)の起源は、それらは現代サルデーニャ人に属しているのだが、まださらに古く、おそらくはサルデーニャの新石器時代の始まりの時期よりももっと前、すなわち7,800年前である。

“Le nostre analisi suggeriscono la possibilità che diversi aplogruppi potessero essere già presenti nell'isola prima del Neolitico”, sottolinea Francesco Cucca, dell'Istituto di ricerca genetica e biomedica del CNR di Cagliari, co-autore dello studio.

「私たちの分析は、さまざまなアプログループが すでに新石器時代よりも前にサルデーニャ島にいた可能性を示唆しています。」と遺伝子調査研究所の フランチェスコ・クッカ(Francesco Cucca)氏は強調する、彼はカリアリのCNRの生体臨床医であり、この調査の共同指導者である。

Ma questo scenario, oltre a rappresentare la prova archeologica di un'occupazione della Sardegna già ai tempi del Mesolitico (quindi tra il 10.000 e l'8000 a.C.), suggerirebbe anche l'esistenza di una duplice origine genetica dei suoi abitanti.

しかしこのシナリオは、中石器時代での(つまり紀元前10,000~8,000年の間に) サルデーニャの入植の考古学的証拠を示すほかに、その住民たちの二重の遺伝子の起源をも示唆しているかもしれないのだ。

Due tra gli aplogruppi più antichi, chiamati K1a2d e U5b1i1 (che rappresentano quasi il tre per cento del totale), hanno infatti origini geografiche molto diverse: le radici dell'aplogruppo K1a2d sono collocate nel Vicino Oriente, mentre quelle di U5b1i1 nell'Europa occidentale.

より古いアプログループの中の2つ、K1a2dそして U5b1i1 と呼ばれるが、(それらは全グループの3%を占める)それらは実際 とても異なった地理的起源を持っている: K1a2dのアプログループの根(起源)は近東に位置しているのに対し、U5b1i1の起源は西ヨーロッパに位置しているのだ。

Lo studio evidenzia insomma che i sardi contemporanei sono portatori di un'eredità genetica unica, maturata soprattutto grazie al relativo isolamento dai tanti sconvolgimenti demografici che hanno caratterizzato il continente europeo. Un isolamento che ha favorito la conservazione di tracce genetiche così antiche.
 
この研究はようするに、現在のサルデーニャ人は、唯一の遺伝子の遺産の運搬人であることを明らかにしているのだ。ヨーロッパ大陸を特徴づけている多くの人口統計学の転覆による 比較的孤立した島のおかげで。孤立(隔絶)は このような古代の遺伝子の跡を保存するのが好きなようだ。


 “È ormai evidente - spiega Olivieri - che la mobilità umana, l'intercomunicazione e il flusso genetico attorno al Mediterraneo fin dai tempi dell'ultima era glaciale hanno lasciato firme ben precise, che sono sopravvissute fino ai giorni nostri. 

「ついにやっと明らかになった」とオリヴィエリは説明する、「地中海の周りでの人間の動き(移動)が、人々の間のコミュニケーションが、遺伝子の流れが、さいごの氷河時代からずっと とても正確な署名(サイン)を残したということが、そしてそれが私たちの時代まで生き残っていたということが。

E alcuni di questi segni del passato sono conservati dai sardi”.

そしてそれらの過去の中のいくつかの印が、サルデーニャ人によって保存されているということが。」

記事は こちら


   *     *     *


Il Dna dei sardi è il più simile
a quello degli europei preistorici
(サルデーニャ人のDNAは先史時代のヨーロッパ人のそれと最も似ている) 
 の記事(corriere)より補足:


Migrazioni
移住

All’inizio del Neolitico (tra 12 mila e 8 mila anni fa) i primi agricoltori arrivati in Europa dal Medio oriente occuparono le zone abitate da popolazioni più antiche di cacciatori-raccoglitori e, in parte, si mescolarono a loro.

新石器時代(12,000~8000年前)の初めに 中東からやってきた初期の農耕民族が それ以前にその地域に住んでいた狩猟・採集民族を占領した、そして一部は、彼らと交わった


In Sardegna, però, grazie anche all’isolamento, il mescolamento genetico è stato meno intenso e l’attuale popolazione presenta un Dna che ha ancora punti di contatto con quello di quei primi lontani abitanti.

サルデーニャでは、しかしながら、(島という)孤立(隔絶)のおかげで、遺伝子の混合はさほど激しくはなかった。 そして島に今住んでいる人々は、 はるか以前の初期の住民たちの持っていたDNAとの接点を持っているのだ。


Rifugi genetici
遺伝子の避難


«Finora si riteneva che i primi agricoltori, giunti in Europa tra 12 mila e 8 mila anni fa, avessero spazzato via le popolazioni più antiche di raccoglitori e cacciatori», spiega Alessandro Achilli, professore associato di genetica all’Università di Pavia.

「今まで 初期の農耕民族は、12,000~8,000年前にヨーロッパに到達したのですが、それよりも古い採集・狩猟民族一掃したのではないかと考えられていました。」と パヴィア大学の遺伝学の準教授 アレッサンドロ・アキーリ(Alessandro Achilli)は説明する。


Lo studio dei genetisti italiani, invece, dimostra che nelle popolazioni europee moderne è ancora possibile trovare tracce degli antenati paleolitici.

しかしながら、イタリアの遺伝学者たちの研究が、現代ヨーロッパ人の住民の中に、旧石器時代の祖先たちの痕跡を見つけることがまだ可能なのだ ということを示しているのです。

Secondo i ricercatori, le zone dove queste tracce hanno avuto più possibilità di essersi conservate fino a noi si trovano nell’area mediterranea e tra la Spagna settentrionale e la Francia sud-occidentale, in un’area chiamata rifugio franco-cantabrico * (che comprende i Paesi baschi).

調査員たちによると、この痕跡が私たちにまで保存されている可能性がより多いゾーンがあるのは、地中海のゾーンであり、スペイン北部と南西フランスの間の、フランコ・カンタブリコの隠れ家 * と呼ばれるエリア(バスクの国々も含む)にあるというのです。


* francoはフランスの  cantabricoは スペイン北部のカンタブリアの

ヨーロッパ人の遺伝子の歴史は こちら


なお この計画は 「Il progetto Italgenomics」と命名されたとのこと

  *     *     *

  補足:

高校の世界史の教科書の年表&記事より:

先史時代(preistoria):

旧石器時代(Paleolitico) 4,500,000~10,000年前 
= 狩猟・採集民族(cacciatori e raccoglitori)

・氷河時代(era glaciale)  10,000年前
 
中石器時代(Mesolitico) 10,000~8,000年前 あるいは12,000~8,000年前 
= 農耕(agricoltori)・牧畜民族

  新石器時代(il Neolitico) 4,000~7,000(7,800)年前 = 農耕・牧畜民族

原史時代:
   青銅器時代(l’età del rame) 5,500~3,500年前 
= シュメール人 灌漑農業開始

歴史時代:
  鉄器時代  3,500年前~       インド=ヨーロッパ語系民族の登場

 ・ヌラーゲ時代(il Nuragico) 2,000~4,000年前   
・ポスト・ヌラーゲ時代(il Post-Nuragico) 2,000年前~


   *    *    *


それ以外に見つけて読んだ記事:

Ancora 'vivo' Dna dei sardi preistorici (先史時代のサルデーニャ人のDNAはまだ"生きている") は こちら (ANSA)

L’origine dei sardi, nuovo studio: “Dna unico in tutta l’area euro-mediterranea”(サルデーニャ人の起源、新しい研究: "全ヨーロッパ・地中海エリアにおける唯一のDNA")
 は こちら (Sardiniapost)

Il Dna dei sardi è il più simile
a quello degli europei preistorici (サルデーニャ人のDNAは先史時代のヨーロッパ人のそれと最も似ている) 
 は 
こちら (corriere)

Il Dna dei primi sardi è ancora vivo
Svela una preistoria inedita e fa luce sull'origine degli europei
(初期/原始のサルデーニャ人のDNAはまだ生きている 未発表の先史時代をあばき、ヨーロッパ人の起源に光をあてる)
は 
こちら (ANSA)


italiani prima dei romani: il Dna dei sardi svela un popolo di 8 mila anni fa
(ローマ人より前のイタリア人: サルデーニャ人のDNAは8千年前の民族をあばく)

こちら (il messaggero)


伊検2級レベルの新聞記事です  勉強し続けてきてこれくらいの記事を読めるようになっておいてよかった♪ どんどん記事が出現してきて恐れおののきましたがなんとか読みました(笑) 
過去問ではさんざん苦しみましたが 伊検2級の読解に出てくる「新聞記事の読み方」(特に学術調査結果などがよく出ます)をきっちりやっておくと こうして自分でイタリアの情報を直接取ることができるようになるんだなぁと しみじみ嬉しい(*^^*)←理解不足やミスはご容赦ください

それにしても 孤立した島で何千年も住んでいたために 民族固有の遺伝子がこうして今も残っているなんて サルデーニャって遺伝子研究上でもすっごい場所なんですね!! 


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第23回 いたばし国際絵本翻訳大賞 結果発表!!@いたばし国際絵本翻訳大賞事務局

2017年02月16日 | イタリア語
第23回 いたばし国際絵本翻訳大賞 結果発表!!(2017.2.16)@いたばし国際絵本翻訳大賞事務局



板橋区では、外国文化に触れ国際理解を育むため 1994年より外国語絵本による翻訳コンテストを続けています
今年は 応募総数、英語部門791件、イタリア語部門246件でした


英語部門

最優秀翻訳大賞 1名
優秀賞 1名
特別賞 3名
  
イタリア語部門

最優秀翻訳大賞 1名(在イタリア)
優秀賞     1名
特別賞     2名

 ※入賞作品は、いたばしボローニャ子ども絵本館館内にて公開しております
 
審査員
•英語部門
  三辺 律子 先生(英米文学翻訳家)
  冨田 麗子 先生(翻訳家・絵本翻訳講師)
•イタリア語部門
  関口 英子 先生(翻訳家)
  副審査員 赤塚 きょう子 先生(翻訳家)

 
第23回いたばし国際絵本翻訳大賞
の経緯
【参加申込~結果発表】
平成28(2016)年8月20日 参加申込受付開始
平成28年10月31日 参加申込締切
平成28年11月30日 作品応募締切
平成29年2月16日 結果発表
 
【課題絵本】
英語部門
書名:「Stop,Thief!」
作: Heather Tekavec
絵: Pierre Pratt
  せっかく実ったいろいろな作物が荒らされています。困った農場主が、犬のマックスに泥棒をつかまえるように命じます。畑にいた小さな虫を犯人だと思いこんだマックスを、実は真犯人である動物たちがうまくけしかけます。さあ、大事な作物の運命は?
Material from Stop, Thief! written by Heather Tekavec and illustrated by Pierre Pratt is used by permission of Kids Can Press Ltd., Toronto, Canada. Text © 2014 Heather Tekavec. Illustrations © 2014 Pierre Pratt.
 
イタリア語部門
書名:「Che cos’ è un bambino?」

作・絵:Beatrice Alemagna
  世の中にはいろいろな子どもがいる。からだは小さくても、ときに大きなアイディアがひそんでいて、大人をあっと驚かせることもある。みんないつか大人になるのだけれど、いまはやさしく見守ってくれる目が必要なんだ……。イタリアを代表する絵本作家、B.アレマーニャによる、個性あふれる子ども讃歌。
Che cos’è un bambino, Beatrice Alemagna © 2008 Topipittori

 
【入賞作品の公開】
  入賞作品は、いたばしボローニャ子ども絵本館内及び主催事業で公開します。また板橋区立図書館等、区施設で公開する場合もあります。

次回の募集について
第24回いたばし国際絵本翻訳大賞」は 平成29年8月頃募集告知予定です
 
    *       *       *

講評(添付ファイルで読めます)を読んで大事なポイントをまとめました:

今回のテキスト絵本は一見したところ簡単そうに思えるが 実は訳しずらい (今回の英語部門のテキスト絵本も同様だったようです)
bello, grande, gentile, felice, cattivo… などよく使われる形容詞は奥が深く、何通りもの訳し方が考えらる←イタリア語の意味をしっかりとらえることがまずは大切!そこから適切な訳が浮かび上がってくるのですね

専門用語
などは子供にはわからないので 難しい言葉を避けつつ 挿絵と一体化して意味がしっかり伝わる訳文を心がけよう
どんなに正確な訳でも 子どもに理解できなければダメなのです

文体は 子どもに語りかけるような口調で しかも文末が単調にならないよう 繰り返しを避けるとよい 
訳し終えてから 絵本(もしくは本)をたくさん読んでいそうな人に一度読んでもらうとよい 自分で「読み聞かせ」をするつもりで 声を出して読むのもよい

原文から響いてくるリズムにも耳を傾けながら翻訳し 原文と同じリズムで訳すのがよい 音読したときに耳に心地よいし 文字数も絵本の同じスペースにすっぽり納まる とのこと

英語部門の講評より:

作者が読者の想像力に委ねているところは 勝手に訳者の「解釈」を 加えない方がよい
挿絵と違う訳はダメ 挿絵をよく見て!
誤訳に注意!! 特に英語部門は人数が多いため 何度もふるいにかけられます (一次・二次選考後 最終審査に残ったのは 36名)

複文の訳し方について 複文のあとで主文を訳すという順番は学校で習うものですが ネイティヴの人は文をひっくり返して読みませんし 翻訳でも 語の流れに従って訳すほうが自然になる場合が多い  (ここの 読みやすくする工夫の仕方はコツが必要ですね!)
文法は翻訳の骨であり 単語は翻訳の筋肉 
そして最後に 自分も面白がって訳すことが大事です

* テキスト絵本が簡単な年ほど かえって難しいようです また 今年の大賞受賞者はイタリア在住の方で やはり長年の蓄積と イタリア語を奥深く知るのが大切なんだなと感じました 子ども向けの工夫も忘れてはいけないですね!!


昨年のリポートは こちら


詳しくは こちら


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「岡山イタリアンメニュー講習会」に参加して一気に岡山が身近になりました!(2017.2.8)@日本イタリア料理協会

2017年02月13日 | イタリア料理・イタリアン食材
『「晴れの国おかやま」の食材を利用した 岡山イタリア料理講習会』に参加して一気に岡山が身近になりました!(2017.2.8)@日本イタリア料理協会


実をいうと今まで 岡山県ってほとんど知らなかったのですが こんなにも肥沃で素晴らしいところだったんですね!! あの大きなジャンボマッシュルーム 味わい深いジャージー牛 濃厚なジャージー牛の牛乳にチーズ 粒の大きな朝日米 そしてイタリアンのシェフたちの素晴らしいデモンストレーション 生産者の方たちの熱意あふれるお話...うーん行ってよかった!(^^)!

この日は 会場となる厨房メーカー エフ・エム・アイ テストキッチンは約90名のプロの料理人等で満席 私も緊張して赴きました 

イタリア料理業界の重鎮 アクアパッツァの日高シェフ 新進気鋭の若手シェフ HATAKE AOYAMAの神保シェフ 岡山の人気イタリアンのリストランテ・テラダの寺田シェフによる メニュー提案と調理デモンストレーションで この日 国産食材とイタリア料理の新しい可能性が生まれました!!

トップバッターは 新進気鋭の若手シェフ HATAKE AOYAMA神保シェフ

 ニシ貝を見せてくださった新保シェフ

前菜(アンティパスト)の「ニシ貝のアフミカート ブラウンマッシュルーム」は ニシ貝(サザエ大の巻貝)をクールブイヨンで温め ブラウンマッシュルームを加熱して刻み なんとそのマッシュルームが育った土(堆肥)に見立てて パンとともに刻んでパウダー状にしたとのことで 黒くて まるで土のような感じがしました
バルサミコ酢を煮詰めてかけたり ブラウンマッシュルームのジュ(汁)も加えて ハーブやエディブルフラワーを散らして お皿にはマスタードディジョンをディップソースとして キャンバスのように描くという一皿♡ さらにトリュフのように 生のブラウンマッシュルームをスライスしてふりかけて... 「景色や生産者の思いを ひとさらの中に込めた」とのシェフのメッセージでした 試食もさせていただきました

 前菜


 寺田シェフは 岡山視察の際にホスト役を務めてくださいました

次に 岡山の人気イタリアンのリストランテ・テラダの寺田シェフによるプリモ 「岡山産朝日米を使った 瀬戸内海産アナゴのリゾット」この日は岡山からいらしてくださいました

朝日米は ササ・コシなどのルーツとなる優良米で 大粒で甘味のあるリゾットにも向いた硬質米です (ササ・コシなどは軟質米) お酒づくりにも使われます

この日は「五城米」(岡山県内の五城地区で栽培されている)の生産者がかけつけ こだわりの生産方法を詳しくご説明くださいました 「地質 水 気象」の三拍子が揃っているとのこと 特別栽培米で特Aのブランド米です



あなごは 岡山では蒲焼で有名ですが この日のリゾットでは アオサ海苔を加えて海の香をまとわせて さらに 蒜山ジャージーバターも加えてアルデンテに仕上げました ここのキッチンに備え付けられたFMIコンベクションを使ってあなごを焼きました♪ 

岡山は標高差が800メートル近くあり 牛からあなごまで色々あります

 リゾット


そしていよいよアクア・パッツァ日高シェフが登場 今まで岡山は通り過ぎるだけでしたが 今はくまなく食材を探して訪ねていらっしゃるとのことで 地図を手に説明していただきました 

 日高シェフをテレビ以外で見るのは実は初めて♪

そして今回の岡山訪問で見たすべての食材を使ったという「岡山食材いっぱいの牡蠣フライのグラタン」をご紹介くださいました
 
たくさんの材料をすべて使うのは大変ですが 「その土地で生まれたものは相性がよい つなぎ合わせるものを考えるのが腕の見せ所」とのことでした! 岡山の牡蠣の大きなこと!! 実は日本第3の牡蠣の産地なのです 

蒜山ジャージー牛は 赤牛で ビステッカフィオレンティーナのごとく 硬いけれど噛めば噛むほど味わいが出る品種です 

このグラタンはなんと ジャージー牛のひき肉のパテで牡蠣を包んで揚げるというもの! しかもベシャメルソースで ちょっとした隠し味(若い頃出会ったシェフから教わった)があります♪ こんなトークもとても興味深く聞かせていただきました 

 こちらが完成したグラタン!

そして ダオルモ北村シェフによる「岡山かきのパスタ」の紹介 リングイネと合えたシンプルなパスタですが ひるぜんワインという山葡萄の赤ワインその他も使います 

ラストは ラ・ターナ・ディ・バッコ直伊シェフによる「ネブトとマッシュルームのエスカベッシュ」 ネブトという魚はイシモチジャコとも呼ばれる小魚で 素揚げが一番おいしいそうです ←二度揚げがいいそうです♪
岡山は小魚が多く 小魚を食べる文化があるそうです また今回は 瀬戸内の酢橘も使ったマリネ汁で ここでもブラウンマッシュルームが登場!!

 


そのあとは岡山県庁の方から食材のスライド紹介があり またまたマッシュルームの 三蔵農林さんの登場!! 三代目が 堆肥から自社製造でこだわっていること 堆肥の発酵温度を当てたり... 生産者は土・堆肥も食べて確認するそうです 
水分をぎりぎりまで飛ばして旨みを凝縮しており 手摘みでの収穫(1回だけでパッと詰め 何度も触れない)  働く人を大切にする職場とのことで嬉しいですね♡ ちなみにマッシュルームは1651年にパリで偶然発生したのだそうです 




おみやげには実に大きな(見たこともないほど大きな)ブラウンとホワイトマッシュルームをいただきました~ ジャンボマッシュルームという品種です 実は 生のマッシュルームをお刺身のように食べるのです サラダにトッピングしたり... うちに帰って早速サラダとグラタンを作っていただきました  他にもジャージー牛のゴーダチーズ朝日米も♡これはマッシュルームを入れたリゾットですね! ジャージー牛はオレイン酸が多く コレステロール値を抑えるそうです 

 ←いただいたお土産!


講習会終了後は試飲コーナーへ
乳脂肪分5.0%のプレミアムジャージー牛乳は実に濃厚で 子供の頃飲んだことがあるどこかの牧場の牛乳を思い出しました (普通の牛乳は3.5くらいです)
ひるぜんワインも 山葡萄は酸味があり 鉄分・ポリフェノールがたっぷり!!

 ジャージー牛の牛乳と ひるぜんワイン

今回の企画は イタリア料理協会と岡山県とのコラボで 岡山県産食材を使用したイタリア料理の開発・普及のため 3年目となる2016年10月末には 5人のイタリアンのシェフたちが食材視察に行ってきたとのこと 
特に 普段はなかなか近づくことのできない日生町漁協のカキいかだを見学し 900本もの垂下連にホタテ貝の殻がつけられ そこに牡蠣が養殖されている様子も見学されたそうです 

翌朝は日生漁協の競りを見学 すぐそばにある牡蠣の加工場も見学しました 夜は岡山の人々と食事と交流 有名シェフが来たのだからすごかった!!

シェフが勢ぞろい!


ちなみに 岡山県のグルメを見てみると こちら

岡山県といえば 岡山城(黒い壁が特色) 倉敷 焼き物は備前焼などが知られています  
他にも  野菜 花卉 全国的にも珍しい黄ニラ 果物 国内産のマスカットの約9割は岡山県で生産されています
 
瀬戸内海の海の幸の郷土料理は ばら寿司 たこめし ママカリ(サッパ)の酢漬けなどがあります 「かきおこ」って 牡蠣のお好み焼きの呼び名だそうです♪

とにかくこの日は 岡山の食材への熱い思いをひしひしと感じてきました 有名シェフたちも間近で見られて 試食にお土産までいただいて 本当に行ってよかったです♡

これからは あちこちのイタリアンのお店で 岡山の食材を使ったメニューが登場するかもしれませんね♪

とっとり・おかやま新橋館(アンテナショップ)は こちら (3/25,26に備前焼等のイベント・即売あり)

おかやま旅ネットは こちら

開催のお知らせは こちら

* 取材をさせていただきました日本イタリア料理協会様に心よりお礼申し上げます




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生誕110年 没後40年 ルキーノ・ヴィスコンティ監督作品「家族の肖像」デジタル完全修復版ロードショー開始(2017.2.11~)@岩波ホール他

2017年02月11日 | イタリア映画・映画

生誕110年 没後40年 ルキーノ・ヴィスコンティ監督作品「家族の肖像」デジタル完全修復版ロードショー開始(2017.2.11~)@岩波ホール他



18世紀イギリスで流行した<家族の肖像>と呼ばれる家族の団欒画のコレクションに囲まれて、ローマの豪邸に一人暮らす老教授。失われゆくものたちに埋もれ、孤独に生きていた彼の生活が、ある家族の闖入によって掻き乱されていく…。

1972年、前作『ルートヴィヒ』の完成間際に病いに倒れ、敬愛するドイツの文豪トーマス・マンが息を引き取ったというスイスの病院の同じ病室に身を置いていたルキーノ・ヴィスコンティ監督、その時65歳。

ライフワークとしていた諸作品(「魔の山」、「失われた時を求めて」etc...)の映画化を健康上の理由から断念せざるを得なくなった彼が、共同脚本のエンリコ・メディオーリに口にした「単純で簡潔な、一室内で終始する物語。登場人物は二人」というアイデアから生まれたのが本作。
美術のマリオ・ガルブリア指揮の下、制作されたスタジオのセット内ですべて撮影、車椅子を操りながら気迫と執念で撮り上げました。

長年に渡り協力関係にあった名優たちが奏でる、室内楽にも似た名演のアンサンブル。『山猫』で、最もヴィスコンティ自身に近い、と言われた滅びゆく貴族を見事に体現したバート・ランカスターが、ここでもまた、ヴィスコンティ自身の精神的な肖像とも言うべき教授役を味わい深く演じています。

始めは反目しながらも次第に強く惹かれていく、粗野な面と知性を同時に持つ美青年コンラッドには、公私にわたり監督から寵愛を受けたヘルムート・バーガー

気品あふれる存在感を過去作に焼き付けてきたシルヴァーナ・マンガーノが、貴族ならではの傍若無人さをまき散らす伯爵夫人に扮し、強烈な存在感を示します。
回想場面で登場する、クラウディア・カルディナーレ、ドミニク・サンダの特筆すべき美しさに、ため息が漏れることでしょう。

生誕110年、没後40年
を記念して、2016年春から再公開が続く名匠ルキーノ・ヴィスコンティの絢爛たる名作の数々。
その掉尾を飾るのが後期最高傑作と謳われる本作です。
1978年の初公開時から数えて、実に39年ぶりにスクリーンに甦ります


映画は こちら


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「イタリア留学&旅行セミナー 2016秋 「美食散歩」~永遠の都ローマを歴史と美食で味わいましょう~」に行きローマの食材を試食しました♡(2016.11.21)@日伊協会

2017年02月08日 | イタリア料理・イタリアン食材
「イタリア留学&旅行セミナー 2016秋 「美食散歩」~永遠の都ローマを歴史と美食で味わいましょう~」に行きローマの食材を試食しました♡(2016.11.21)@日伊協会



2016年11月21日(月) 日伊協会のイタリア留学セミナーに参加しました

今回は ローマの「美食散歩」 2014年の時は日本文化紹介を兼ねたレッスン形式で あれから発奮して日本文化を調べたものです(^^ゞ 
原稿なしの「超(講師を超えた?兼ねた?)通訳」も しっかり堪能させていただきました!(^^)!



   *        *        *

gastronomia romana(ローマの美食)
が今回のテーマです

まずはローマの歴史から 753acに古代ローマ帝国建国~現代史に至るまでざーっとご説明いただき まずはローマの街に入る時に必ず通るアウレリアヌス城壁(Mura Aureliane)(275d.C.)の写真とともに 5つの地区が示されました:

1. Ghetto Ebraico ユダヤ人ゲットー地区


2. Trastevere トラステヴェレ地区 下町地区ですね

3. Monti モンティ地区 街の中心でテルミニ駅近く

4. Testaccio テスタッチョ地区 ピラミッドのある伝統的地区

5. San Lorenzo サン・ロレンツォ地区 ローマ・サピエンツァ大学の近く

   *       *       *


1. Ghetto Ebraico ユダヤ人ゲットー地区



ナヴォーナ広場は 冬でも外で食事を楽しむ人が多い 周辺の田園地帯で収穫されたものを食材に使ったオリジナルな伝統料理が発達しました それこそ地区ごとにメルカートがあります
ティヴェリーナ島近くのゲットー地区では 3世紀もの間外に出られなかったユダヤ人たちの料理が発達し ユダヤ人レストランが多いのです 

特にカルチョーフォ(アーティチョーク)が名物ですね♡ フリットにしたり リゾット等に使ったり... かぼちゃ(zucca)の花もまた ripiene(詰め物)に使います fritto misto alla romanaなども有名です


2. Trastevere トラステヴェレ地区

 
ティベリーナ島近く 下町地区ですね 歩いて回れるところで 有名人が住みたがるところです 
たくさんの席があるお店は観光客のための店で ローマっ子は食べないそうです!
フレッシュな野菜が多く cavoro romano(ロマネスク)というブロッコリーや 豆類が またチコリの一種である「カタローニャ・チコリ(cicoria catalogna)」はここローマのみで プンタレッレ(puntarelle)というひと品は お肉の付け合わせやサラダに!
puntarelleは絶品!!ぜひ食べてみてください♡




シンプルな料理 cucina popolare sempliceが残っている街 ローマ...

グァンチャーレ(guanciale/豚のほほ肉)や grasso animale(動物の脂) オリーブオイルなどが使われ pastore(羊飼い)の街であったことからpecore(羊)が多く ペコリーノ・ロマーノ(pecorino romano)が有名で この日はラストに試食させていただきました♡ この塩気が懐かしい~(#^.^#)

ペコリーノ・ロマーノといえばスパゲッティ・カルボナーラ(spaghetti alla carbonara)!! 卵は液状(riquido)でないとダメです♡

Cacio e pepe にも使われますね 

夏の夜のトラステヴェレは 文化フェスティバル"Lungo il Tevere"(テヴェレ川沿いの遊歩道で同時期に開催)と "ローマの夏(estate romana)"ですね!!


3. Montiモンティ地区

高級で高い 昔は売春宿などもあった地区
サルティンボッカ(sartinbocca) 生ハムと子牛の肉にセージをはさんで...あの香り♡  salta (saltare/飛び込む) in boccaがくっついた名前です

アバッキオ(abbacchio)という ローマ弁でパスクワに食べられる 乳飲み羊のあばら肉のアバッキオ・ア・スコッタディート abbacchio a scottadito(アツアツの←アツアツで指をやけどする、の意)のグリルが...写真見ただけでおいしそう~!!



海の近くではトルティーノ レンズ豆とパスタのスープ(ユダヤ風)  アンチョビー(alice)とエンダイブ(苦みばしったフリルレタスで、典型的なローマ野菜)の重ねオーブン焼き うさぎ ニョッキ等々...

ストラッチャテッラ(stracciatella)は かきたまスープのようなもの
 
サルシッチャのブロッコリー煮
は 冬だけ食べます
 
ポッロ・コイ・ペペローニ(pollo coi peperoni/鶏肉とパプリカ)はFerragosto/フェラゴスト(聖母被昇天の祭日,8/15)に食べる料理です


4. Testaccio テスタッチォ地区
 ピラミッドのある伝統的地区

ここテスタッチョ地区にはピラミデ(piramide)があるそうで  鉄道駅オスティエンセ 地下鉄ピラミデの駅前です
ミラノに来た日本企業が修復をしたとのこと

アンフォレ(anfolle)という古代ローマのテラコッタの壺のかけらを積み上げてできた丘が「8つめの丘」(ローマには7つの丘があることから)とのこと これは人工の丘でNHKテレビでイタリア語でも紹介されたことがありますね~ この丘は36メートルもあるのです 
テスタッチョは アンフォラ(anfora)のかけら(coccio)でできた山の名前 テスタッチョ山が由来の地区なのです 
"Il nome deriva dal cosiddetto "monte" (mons Testaceus): 35 metri di cocci (testae, in latino) e detriti vari, accumulatisi nei secoli..."(wikipedia)


ex mattatoio (
もと畜殺場)もありますね ローマ第三大学の美術館もあり テスタッチォの市場ではabbacchioも!
テスタッチォでは 内臓などの捨てる部分をお給料の一部として払ったことから トリッパ(内臓)料理が発達しました

coda alla vaccinara は 豚のほほ肉と一緒に煮込んだオックステールのシチューですね



ジェラートもおすすめはGelateriaFassiという1800年代からやっているお店で テルミニ駅の次のヴィットリオ広場にあります♡ 


5. San Lorenzo サン・ロレンツォ地区
 ローマ・サピエンツァ大学の近く

ここはmartire(殉教者)が多く ローマ・サピエンツァ大学のミネルヴァ像は1930年に建て直されたそうです 爆撃を受けた建物も残っています

殉教した聖人ロレンツォ(名前も「殉教者聖人ロレンツォ」と "殉教者"が入る)のお墓の上に建てられた教会 「サン・ロレンツォ・フオーリ・ムーラ大聖堂(Basilica di San Lorenzo fuori le Mura)」があります
ここはローマで唯一 第二次世界大戦時に連合軍の爆撃を受けた教会です


前菜は suppulì al telefono これはライスコロッケの中にチーズが入っており そのモッツァレッラが電話のコードのように伸びるのでこんな名前が付けられたそうです( *´艸`)



ポルケッタ(porchetta)は 若い豚の丸焼きですね!! パニーニにはさんで食べます

baccalà(干し鱈)のフリット等もあります
pizza bianca con il prosciutto e fichiというピッツァビアンカは パンのようにして食べます イチジク(fico)を生ハムと一緒にはさんでいました♪

dolceはシチリアほどこってりしていませんが さくらんぼのトルテ ドーナツ その他色々... (私はローマでマチェドニアを食べました~)

夏は海へ!! グラッタケッカ(grattachecca)という グラニータのような氷菓ですね 
またローマの泉の水は飲めます

    *      *      *


そしてここからがTorre di Babele校のビデオ紹介です:

30年続く 16才から80才まで 様々な国籍と年齢の方が学び 教員養成コースもある学校です ドイツ人が割と多く 日本人は5%と少ないです (私の時はクラスに日本人は私の他に1人 ドイツ人は2人いました)

建物全体が学校です そして広い庭の手入れはEnzo校長自らが!! 近くには ムッソリーニの別荘でもあった トルローニァ公園(Villa Torlonia)があり ジェンツァーノの花まつり(Infiorata di Genzano)等にも遠足に行くこともあるそうです 

そしていよいよ試食・試飲コーナー♡ ワインはフラスカーティ そしてスライスしたパンにあのペコリーノ・ロマーノを乗せてかじりながら Enzo校長の話に耳を傾け 学校の紹介ビデオを見たりして...さて次の場所へと移動($・・)/~~~



私は2008年10月にTorre di Babele校で短期ですが学びました♪
今回ようやくEnzo校長先生とご一緒に写真も写せて満足♡ 次にお会いできた時にはもっともっと成長した自分でありたいと思います!!

開催のお知らせは こちら

素晴らしいイベントを開催してくださいました日伊協会様 Torre di Babele校様に心よりお礼申し上げます

* 写真は 2080年10月にここのTorre di Babele校に短期留学した時に食べたローマのトラットリアの前菜 abbondante!!


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第2回サルミアーモ「レストランプロモーション」が始まります(2017.2.11~2.26)@全国各地レストラン40店舗

2017年02月05日 | イタリア料理・イタリアン食材
第2回サルミアーモ「レストランプロモーション」が始まります(2017.2.11~2.26)@全国各地レストラン40店舗



2017年2月11日(土/祝)より 全国の下記レストランにて、第2回サルミアーモ「レストランプロモーション」が始まります。2月26日までの連続16日間、お近くのレストランで本物のイタリアサルーミをお楽しみください。
 
イタリア・サルーミ普及促進協会は 欧州連合(EU)とイタリア政府の支援を受け 日本で2回目となるサルーミのプロモーションを 2/11(土)~2/26(日)の日程で 全国各地のレストラン40店舗で開催しております。


詳しくは こちら

EATERY日本橋三越店 ピアット鈴木 リストランテ山崎 リストランテ濱崎 京都のイル・ギォットーネ その他...今回は店舗が増えていますネ♡


みんな大好き、サルーミしよう! サルーミアーモ(SalumiAmo)第1回プロモーション開催中!(2016.12.3~12.25)@百貨店等25店舗のお知らせ」は こちら


*情報をご提供いただきました日本イタリア料理協会様に心よりお礼申し上げます
 


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イタリア映画「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~(Fuocoammare)』」ロードショー開始(2017. 2.11~)@渋谷東急Bunkamura他

2017年02月02日 | イタリア映画・映画
イタリア映画「海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~(Fuocoammare)」ロードショー開始(2017.2.11~)@渋谷東急Bunkamura他


2016年の難民映画祭でも上映され 本年度アカデミー賞 長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされている映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』が いよいよ2月11日(土/祝)よりBunkamuraル・シネマ ほかにて公開されます!


『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~
』の舞台は 難民危機の最前線である ランペドゥーサ島(Isola di Lampedusa) 自然の中で無邪気に遊ぶ少年サムエレの笑顔 過酷な海の旅を経て島にやって来た難民の涙...
ニュースでは描かれない複雑な世界を 美しく詩情溢れる映像と共に描かれるそれぞれのストーリーがドラマチックに伝える 静かな衝撃作です
 
<ストーリー>

地中海に浮かぶ小さな島に暮らす12歳の少年サムエレは、友達と手作りのパチンコで遊ぶのが大好きな どこにでもいる普通の子ども
だが彼が暮らすその島は 他とは違う
彼の島 ランペドゥーサ島は この数十年間アフリカや中東から船でやってくる移民や難民にとっての ヨーロッパの玄関口だ

平和と 自由で幸せな暮らしを求めて 命がけで海を渡る人々
しかしその過程で多くの人が命を落とす 日々この人道危機を目の当たりにしてきた島の日常に カメラは静かに寄り添う

 
前作『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』で2013年度ヴェネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)を受賞したジャンフランコ・ロージ監督が 次にカメラを向けたのはひとつの島だった
難民危機の最前線、ランペドゥーサ島

ある国際映画祭で上映する短編を撮影するために島に入ったロージ監督は ニュースでは描かれない複雑な世界を目の当たりにし たった数分の映画に収めることは不可能だと悟る

そして 島に暮らすたったひとりの医師から聞いた難民救援の現状や 少年サムエレとの出会いをきっかけに 『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』の製作を決意
島へ移り住み ランペドゥーサの人々と時を共有しながらゆっくりカメラを回し 島の“真の姿”を描き出した

自然の中で無邪気に遊ぶ少年サムエレの笑顔 過酷な海の旅を経て島にやって来た難民の涙
小さな島の中には死があり そして 生がある
美しく詩情溢れる映像と共に描かれるそれぞれのストーリーが ドラマチックに心を揺さぶる 静かな衝撃作

本作は2016年度のベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)を獲得
ロージ監督は、二作連続で世界三大映画祭の最高賞を受賞しただけでなく ベルリン ヴェネチアと ドキュメンタリー映画で初の最高賞を受賞するという快挙を成し遂げた

審査員長のメリル・ストリープは「現代を生きる私たちに必要な映画。この映画が世界中で公開されるためならどんなことでもする」と力強く本作を応援している
また 当時のイタリア首相マッテオ・レンツィも 2016年3月に行われた移民政策が議題のEU首脳会談にて 「人々を、数ではなく、ひとりひとりの人間として描いている。この映画を観たら、違った視点での議論ができるはず」と 本作のDVDを27人の全首脳に手渡したという

その後も 本作はアカデミー賞 外国語映画賞イタリア代表 ドキュメンタリー部門ショートリストと 2部門に選出 世界中の映画祭を席巻中だ

   *      *      *

船が浮いて見える」ほど、透明度の高いターコイズブルーの美しい海で有名なランペドゥーサ といえばやはり思い出しますね 「海と大陸/Terraferma」の映画... ここにも島に住む少年が出てきました


映画は現実を投影しています 現実の世界では今 信じられない暴挙がまかり通っており  無念です


映画は こちら

原題: fuocoammare *

*fuocoammare: 第二次世界大戦中、港に停泊していたイタリア軍のマッダレーナ号が連合軍に爆撃され、真っ暗闇の深夜だというのに海が真っ赤に燃え上がり、漁師は夜に漁へ出ることを恐れたという、島民に語りつがれる逸話から生まれた地元の伝統曲で ‟炎の海(Fire at sea)“の意。本作の原題である。

詳しくは こちら



 

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「ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」セミナーリポート(2016.11.26)@piazzaItalia&サルデーニャセミナーのお知らせ(2017.2.19)@渋谷タロス

2017年01月28日 | イタリア旅行・世界遺産
ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」のセミナーリポート ヌラーゲからフレグラまで盛りだくさん♪(2016.11.26)@高円寺piazzaItalia&「サルデーニャセミナー」開催のお知らせ(2017.2.19)@渋谷タロス



ようやくサッサリ出身のジョヴァンニ先生の「まるごとサルデーニャ」のセミナーに行ってきました!!
この日は午前中のIPAのレッスンからダッシュで高円寺piazzaItaliaに向かいました

サルデーニャの歴史 ヌラーゲについて 地理 言語 料理 等について 90分では話足りないような密な内容でした~
サルデーニャの物産を示した地図はジョヴァンニ先生のご持参のものです♡

   *       *       *

まずは ヌラーゲの時代について 年表をもとに説明いただきました:

最初のヌラーゲは形もシンプルだった ほとんどが土に埋まっていた 
だんだんと高くなり 形も複雑になっていった

Domus de Janas  1700ac
"Le domus de janas sono delle strutture sepolcrali(墓の) preistoriche (先史時代の) costituite da tombe scavate (堀った) nella roccia (岩) tipiche della Sardegna prenuragica. "(Wikipediaより)

"Gli archeologi sostengono che le prime domus de janas siano state scavate intorno alla metà del IV millennio a.C.(紀元前4千年紀の中ほど) durante il periodo in cui sull'isola si sviluppò la Cultura di San Ciriaco (Neolitico recente 3400-3200). "と大変古いものです

次のヌラーゲは 
Nuraghe Santa Antine


Sa domo de su Re
(in italiano "La casa del Re") 王の家と呼ばれていた

"L'intero complesso rappresenta un importante esempio di architettura preistorica mediterranea (地中海の先史時代の建築物の重要な例) e si presume (推定される) che l'altezza originaria del mastio centrale (中央の主要な塔) raggiungesse una misura compresa tra i 22 e i 24 metri (22~24メートルに達した), la più alta per quel periodo dopo le piramidi egizie e il mastio della reggia nuragica di Arrubiu che misurava tra i 25 e i 30 metri. "(エジプトのピラミッドや25~30メートルあったArrubiuのヌラーゲ王宮の主要な塔に次いで、この時代で最も高かった)(Wikipedia)


"Le indagini effettuate datano il primo insediamento(設置) tra il 1.600 ed il 1.450 a.C.(紀元前1,600~1,450年), nell'Età del Bronzo Medio(青銅時代)."(Wikipedia)

また 近くには村があった 入り口は南側で中はスペースがあります
muschio(苔)で覆われていた 
すべて石でできた家 中は大きな空間があり何階かに分かれていて階段もあった
砦(fortezza)として作られていたものもあるが ヌラーゲによって違う

 
世界遺産にもなった(サルデーニャではこのヌラーゲのみ登録) (Su Nuraxi di Barumini)
"Su Nuraxi o più propriamente il Villaggio nuragico di Su Nuraxi, è un insediamento risalente all'età nuragica sviluppatosi intorno ad un nuraghe quadrilobato risalente al XVI-XIV secolo a.C(紀元前16~14世紀). (cioè con un bastione(砦) di quattro torri angolari più una centrale), tra il XIII ed il VI secolo a.C.(紀元前13~6世紀), che si trova in Sardegna in territorio di Barumini. È uno dei villaggi Nuragici più grandi della Sardegna.(サルデーニャでもっとも大きいヌラーゲの村のひとつ)"(Wikipedia)

何のために作られたのか?

"Alcuni studiosi ritengono che la parte più antica del nuraghe fosse destinata ad uno scopo religioso(宗教的な目的のために作られた), di rifugio(避難所), civile o ancora di parlamento (市民あるいは議会の) o sede del capo villaggio (村の長の所在地), mentre le torri aggiunte erano più probabilmente destinate a scopo militare e di magazzino (一方付け加えられた他の塔は、軍事上の目的または倉庫と思われる)"(Wikipedia)



il Pozzo di Santa Cristina
(Santuario nuragico di Santa Cristina)
は 三角形の入り口をしたヌラーゲで井戸だった la dea Madreに捧げられた 春分・秋分の日に上の穴から光が入る 水が今もある

"Il sito si compone essenzialmente di due parti: la prima, quella più conosciuta e studiata, costituita dal tempio a pozzo, un pozzo sacro (聖なる井戸) risalente all'età nuragica, con strutture ad esso annesse(隣接した): capanna delle riunioni(集会小屋), recinto(囲い地) e altre capanne più piccole(他のもっと小さな小屋).
La seconda parte del complesso a circa duecento metri a sud-ovest (南西に向いた200メートルの第2部分) è costituita da un nuraghe monotorre(一つの塔のヌラーゲでできている), da alcune capanne in pietra (石でできた小屋) di forma allungata di incerta datazione ed un villaggio nuragico, ancora da scavare, di cui sono visibili solo alcuni elementi affioranti.

Benché di limitato interesse archeologico integra il complesso l'area devozionale (信仰エリア) cristiana della chiesa e novenario (9音節詩行の) di Santa Cristina inteso come il luogo nel quale si celebra la novena (9日間の祈り) in onore della santa."(Wikipedia)

ヌラーゲ人(popolazione nuragiche)は 紀元前1,500年頃からいたそうです 

モノリテ(石)は 最古の人間の遺跡で ストーンヘンジのようなもの
tombe di Giganti(巨人の墓) 巨人が建てたかと思われるような重く大きな石 
ドムス ディアナス 死のculto (宗教) この写真を見せていただき 遺体を置くスペース 会議や祝いごとをするスペースがあり ドアは異世界に通じるとされ 石のカバーをはずして遺体を入れた 以前はヌラーゲのまわりで子供たちが遊んでいたが今は入れない


Monte Pramaの巨人

紀元前6~9世紀に建てられた Oristano県Cabrasにある巨人の遺跡 発掘されカリアリの国立考古学博物館に展示された

"Le statue sono scolpite (掘られた) in arenaria(地下墳墓) gessosa(石灰石を含む) locale e la loro altezza varia tra i 2 e i 2,5 metri(2~2,5メートル)."(Wikipedia)
 frammenti(かけら)に分かれている これは考古学ファンにはたまらない!!

  *       *       *

民族そして歴史


歴史: 先史時代 → 石器文化と黒曜石(ossidiana)の時代 → ヌラーゲ文化の時代 → サルデーニャにおけるフェニキア人、カルタゴ人、そしてローマ人 → 中世 → サルデーニャ王国の誕生から現代 (Wikipedia)

「エジプトを侵略した海洋民族シャルダナ (Shardana) とサルデーニャとのつながりは真偽が疑わしく、立証されていない」(Wikipedia)とありましたが 先生はこれについてもお話してくださいました 曰く:

シャルダーナという民族 これはアジアのどこかから来た最古の民族といわれる 
サルデーニャにいた海賊ではないか エジプトのファラオの墓では盾が見つかっている
ヌラーゲ文明はローマ文明よりも古い etc...

いや~ 初めて聞きましたこの民族のこと!! 新しい発見です( ^^) _U~~

また フェニキア人についても語ってくださいました 
紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出し 地中海全域を舞台に活躍した カルタゴの街を作った 

フェニキア人はレバノンの出身で 地中海で交易を行っていた 彼らは島のあらゆるエリアに定住した 
フェニキア人ののちに 紀元前500年ごろカルタゴ人(Punic、ポエニ)がサルデーニャ周辺の地中海の覇権を確立した カルタゴの影響はサルデーニャのほぼ全域に及んでいる 

紀元前238年 ローマ人が島を獲得した
ローマはカルタゴと第一次ポエニ戦争を戦ったが 戦後にカルタゴの傭兵が反乱を起こしたため ローマはサルデーニャを占領した その時点で既にサルデーニャには社会基盤と(少なくとも平野部では)都市化された文化があった
サルデーニャはシチリアとともに エジプト征服までのあいだローマの穀倉地帯(granai di Roma)のひとつでありつづけた
フェニキア・カルタゴ文化は ローマ人の支配下にあっても 紀元後数世紀まで根強く残った Tharros(ターロス)、Nora(ノーラ)、Bithia(ビティア)、Antas(アンタス)、Monte Sirai(モンテ・シライ)らは 建築と都市計画の調査に重要な考古学遺跡となっている」 (Wikipedia)

彼らは果実の木(alberi da frutto)を禁じていた 麦が大事だったから etc...


ジュディカーティ(Giudicati)の領国(14世紀)
「ローマ帝国の滅亡後、サルデーニャは何度と征服の対象とされている
456年北アフリカのヴァンダル人に占領され 711年からはサラセン人による沿岸部の都市への攻撃を受け 1063年から 東ローマ帝国の政治行政組織を踏襲する形で、審判による統治を意味するジュディカーティ(Giudicati)という制度が形成された
同じ時代、アラゴン=カタルーニャ王国の影響が大きくなり、これはアラゴンによるサルデーニャ占領まで続いた。当時のスペインの影響の強さは、今でもアルゲーロ周辺でカタルーニャ語の方言が使われていることからも伺える」(Wikipedia)

スペイン人がいた頃(700年間)は一番暗い時代だった 長い中世だった とのこと

Giudicati(900-1323)は 中世サルデーニャを4分割していた独立国でした

giudicatiとは 自分たちを守るために勝手に作った国だ (普通はimperatore(皇帝)や神から権力をもらって国を作るが)とのこと

4 repubblicarinari marine
 海洋国家はヴェネツィア、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァのこと
シチリアにはアラブ人が入ったが サルデーニャには入ったことはなかった 

スペイン継承戦争でサルデーニャがスペインからオーストリアに渡った後、1720年にシチリア島との交換によりサヴォイア家が領有してからイタリア統一1861年まで、サルデーニャはピエモンテとサルデーニャ王国を形成していた。
1861年にサルデーニャ王国がイタリア統一を果たして国名を「イタリア王国」と改めた。(Wikipedia)



   *       *       *

サルデーニャ語(Sardu)について

サルデーニャ語はラテン語から来ている
 
「イタリア全土で公用語とされているのはイタリア語だが、サルデーニャではサルデーニャ語(Sardu)が広く使われている。サルデーニャ語はイタリア語の方言(言語変種)ではなく、ラテン語を起源とするロマンス語に属する言語である」(Wikipedia)

ちなみに 講師の苗字"Piliarvu"の語源(Piliはcapelli, arvuはbianchi) ラテン語ではピルス アルヴス 
いくつかのサルデーニャ語をご紹介いただいたがイタリア語と全然違う!

テレビの普及により全サルデーニャ人がイタリア語を話せるようになったとのこと
若い世代の講師自身は サルデーニャ語は話せないが聞いてわかるそうです
  
     *       *       *


次は お祭り(le feste):

2月のオリスターノでのSa Sartiglia 騎馬祭り カーニバルのあとの日曜と火曜日(l'ultima domenica e il martedì di carnevale ad Oristano) 罪人を生贄にしたというエグイ祭りとのこと 
民族衣装が村ごとに違うのはスペインの影響を受けたこともある etc...

ちなみにこちらは私が前に作ったサルデーニャのお祭りリスト(Il Calendario delle feste in Sardegna)です:

2月Carnevale di Mamoiada(マモイアーダのカーニバル)
 Mammuthones(Mamoiada)は黒いお面 
5月1~4日 Sant Efisio a Cagliari(聖エフィジオ祭)/ Cagliari
(聖アントニオ なまはげのような衣装 メルドゥーレスというマスクを付ける)
5月の最後から2番目の日曜日 Cavalcata Sarda(サルデ ーニャの騎馬行列) /Sassari
6月(夏至の日) S.Giovanni Battista/サルデーニャ各地
8月半ば  Chiostro del Carmelo (白黒写真)
8月14日(日)  Faradda dei Candelieri(蝋祭り)/Sassari
8月29日の前の日曜 Sagra del Redentore(救世主の祭り)Nuoro
10月最後の週末 Sagra delle Castagne(栗祭り)/ Aritzo 他

出典: サルデーニャ州観光サイト

 
      *       *       *


伝統文化(cultura tradizionale):

Tenores 男性4人によるテノール ユネスコの無形文化遺産となりました

ラウネッダス演奏 un fiatto continuo 葦でできた楽器
 こちらから聞けます (儀式のパンのセミナーで私が聞いた演奏/音が出ます)

Artigianato(手工芸) は刺繍 儀式のパン(il pane rituale) 陶器 ボタン corallo(サンゴ) ナイフ 羊飼いの道具 cuoio(なめし革) と色々あり その地図を示してくださいました



   *       *       *

サルデーニャの特産品(Alimentali tipici):


島であるため 外からモノが入るのが難しい 村ごとに食べ物も違っている 外の影響を受けたのは海のそば 山は手つかずで残された

「サルデーニャ料理 (Cucina sarda) は イタリア料理のほか アラブや北アフリカなどの料理の影響を受けて発展した 豊富な海産物や 羊の肉などが主要な食材として用いられる
2010年にユネスコの無形文化遺産に指定された「地中海の食文化」 (Mediterranean diet) の一部を構成する」(Wikipedia)


ドルチェ(dolci)/


テリッカスは ザザッパ(ぶどうかす)を使った 死者の日に作るお菓子とのこと



パスタ(la pasta)・パン(il pane)/
クスクスに似た粒状パスタ「フレグラ(fregra)」は今も手作りという これは南のみ
ニョッキ状の「マロレッドゥス」 (Malloreddus) もニョケッティ・サルディとして有名
堅く焼いた薄いパン「パーネ・カラザウ」は長期保存が可能な食材
パーネ・カラザウとトマトソース、ペコリーノ(羊乳のチーズ)とをラザニア状に重ねた「パーネ・フラッタウ」 (Pane frattau) がある。

海産物(frutta di mare)/
魚は南しかほとんど食べない からすみはサルデーニャが有名 しかしサッサリでは食べないそうだ 
「海産物(frutta di mare): サルデーニャ料理の主役のひとつは、エビやマグロ、イワシ、貝などといったさまざまな海産物が有名 日本のカラスミに相当する魚の卵巣の加工品「ボッタルガ」 (Bottarga) が、カリャリやトルトリ、サンタンティオコなど島内各地で生産されている」(Wikipedia)

お酒(bevande alcoliche)/
ミルト酒は キンバイカで作られるリキュール
グラッパ ビネガー リモンチェッロ などなど...
ワインはマルバージァワインが有名 ヴェルメンティーノ・ガルーラ カノナウ 
白ワインのカピケーラはとても高い!

「ワイン(i vini)/ サルデーニャはイタリアワインの生産が盛んな地域、多くのワインが原産地統制呼称(DOC)の指定を受けている
サルデーニャ全域を名称保護地域とするものには以下がある:
カンノナウ・ディ・サルデーニャ (Cannonau di Sardegna) 
モニカ・ディ・サルデーニャ (Monica di Sardegna) 
モスカート・ディ・サルデーニャ (Moscato di Sardegna) 
ヴェルメンティーノ・サルデーニャ (Vermentino di Sardegna) 
ガッルーラ地方で生産されるヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ (Vermentino di Gallura) は、統制呼称の最上級にあたる保証つき統制原産地呼称(DOCG)に指定されている。」(Wikipedia)


チーズ(formaggi)/
「サルデーニャ島では牧羊が盛んなことから、羊乳を用いたペコリーノが多く生産される、「ペコリーノ・ロマーノ」にはラツィオ州・トスカーナ州とともにサルデーニャ州も生産地域としての指定を受けている。「ペコリーノ・サルド」(サルディニアのペコリーノ)はサルデーニャ産のペコリーノにのみ認められた名称である。
このほか、サルデーニャではカチョカヴァッロなども生産される。
サルデーニャ島のユニークなチーズとして、チーズバエの幼虫の働きでペコリーノの発酵をすすめたカース・マルツゥがある。」(Wikipedia)

このあとは参加者の皆さんでおしゃべりしたり サルデーニャの本や雑誌を皆でまわしたりしました♪ とにかくサルデーニャ好きな皆さんが集まり 何度もサルデーニャに行ったことのある方などもいらしていて 大変ためになりました( ^^) _U~~ 

講座は こちら


*楽しい講座を開いてくださいましたpiazzaItalia様に心よりお礼申し上げます

*       *       *

おまけでーす♡:

サルデーニャの民族の起源(origine)
について:

サルデーニャの歴史は aC800年頃 ヌラーゲ人が住んでいた島にフェニキア人が入り カルタゴ人やローマ人の侵略を受け 中世のスペイン支配と続いた とのことですが 民族の起源について:

1.ネットで見つけたSardegna Postの記事に「アフリカが起源」という記事がありました:
“Dall’Africa alla Sardegna in 70 mila anni. Il mio DNA vi racconta il viaggio”(2016.11.1)
http://www.sardiniapost.it/cronaca/dallafrica-alla-sardegna-70mila-anni-nel-mio-dna-racconto-del-viaggio-dei-sardi/

2.『地中海の聖なる島 サルデーニャ』(陣内秀信著 山川出版社) のP55に「馬は生活に欠かせない家畜であり、馬にまたがる人をモチーフにした青銅器彫刻がたくさんある。古くから馬と共存するサルデーニャ人の先祖は、アジア・アルタイ高原にいた遊牧民族であるという有力な説もある」とありました。
また モンゴルがサルデーニャの民族の起源という説も、どこかで聞いたことがあります (なので乗馬が得意という説)

4.Wikipediaでは:
新石器時代からローマ帝国の時代にかけて、ヌラーゲ(Nuraghe)人が上陸し、生活しはじめた。この謎に満ちた民族は、紀元前20世紀頃、東地中海からやって来たものと推測されている。少しわかっていることは、エジプトの碑文に「海の民」という意味の名前で登場する人々を指しているということである。その碑文の研究によると、彼らは、サルディス(リディア)を出発し、ティレニア海にたどり着いた。そこで、サルデーニャに行く者とエトルリアに行く者に分かれた、ということである。
遺伝学的な研究によると、サルデーニャ人は周辺地域の人々や若い民族とは異なり、前インド=ヨーロッパ人だとしている。

5. 「サルデーニャ!南イタリアの美食と工芸の島紀行」(池田 匡克、池田愛美著、講談社)
によると「北東部にエトルリア人 西部バレアレス諸島経由でスペイン人 カリアリと南サルデーニャにはアフリカ民族が入った
それよりもはるか昔新石器時代の6000AC 西アジアから来た民族が 高度なオリエント文明を伝えた ヌラーゲがその一つである
ちなみにこれはLa Storia di Sardegna(カリアリ大学F.チェーザレ・カズーラ教授)の言葉である」とありました

サルデーニャ民族の起源には 所説あるようで興味津々です...♪

    *     *     *

2017年2月19日(日) 渋谷タロスにて 「サルデーニャセミナー」が開催されます:

まだまだ知られていない魅力の島サルデーニャ どんな島? 何があるの?魅力って何だろう?
未知の島サルデーニャを知っていただきたい!とサルデーニャ出身スタッフによるセミナー、郷土料理の会を行います! みなさま、どうぞお気軽にご参加ください。

日時:2017年2月19日(日)16:30~19:30
会費:5000円(セミナー・料理・ワンドリンク付き)
場所:渋谷サルデーニャ料理「タロス」
東京都渋谷区道玄坂1丁目5-2
お申込み: 03-3464-8511(タロス)

内容: セミナー(40分)「地中海、古代の神秘に出会える島 サルデーニャ
講師は、サルデーニャ島出身でタロスのスタッフでもあるマルティーノ・カッパーイ。(サルデーニャの文化オペレーター)

カリアリとシエナで美術史や文化史を学んだマルティーノによるセミナーです。
現地の人にしかわからない、一段深いサルデーニャの魅力に触れられる事間違いなしです。
食文化と歴史、古代から続くカーニバル(マモイアーダのカーニバルなど 不気味な黒い仮面を被る祭り)、繊細な工芸品などイタリアの中でも多くの謎に包まれている。そんな島を珍しい写真と共に紹介致します!
セミナー後はサルデーニャ島の郷土料理をブッフェ形式でお楽しみいただけます。中でも仔豚の丸焼き「ポルチェッドゥ」はイチオシです😊!
普段は中々食べられない一品、島ならではの料理をご用意しております。

セミナーは こちら

ポルチェッドゥ(Porceddu)って 仔豚の丸焼きです! あのクリスマス料理のセミナーで写真見てびっくりした料理です!(^^)!



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DEFA70周年「知られざる東ドイツ映画」で「引き裂かれた空」「冬よ さようなら」を観ました(2016.12月)@東京国立近代美術館フィルムセンター&「ポーランド映画祭2016」を見て

2017年01月26日 | ドイツ語・独検
DEFA70周年「知られざる東ドイツ映画」で「引き裂かれた空」「冬よ さようなら」を観ました(2016.12月)@東京国立近代美術館フィルムセンター&「ポーランド映画祭2016」を見てきました



旧東ドイツ映画はあまり日本で公開されることもないため 2作品を見に行きました

で 「旧東ドイツには アンジェイ・ワイダはいなかった... 」 というのが正直な感想です

同じような時代に 同じような国家体制の国でありながら ソ連とドイツに挟まれて大戦中に様々な過酷な目に遭ってきたポーランド(もともとカトリックの国であり 共産主義でありながら神にのみ仕えるという国民性)での 気骨あるアンジェイ・ワイダ監督のような世界的に知られる大物監督は 共産主義の優等生であった東ドイツ(プロテスタントの国であり 宣誓により上に従う国民性)では生まれにくかったのでは? 優秀な者は当時西ドイツに逃げたこともあるだろうし... とは想像ですが

でもベルリンの壁のあった時代に何回か東ドイツには行きましたので あの時代の風景や人々の様子などはとても懐かしく感じました 

7階では「戦後ドイツの映画ポスター」展をやっています(2016.11.15~2017.1.29)

ちなみに昔 栗原小巻主演の日本映画が東ドイツで公開されていたため けっこう小巻ファンがいるので 壁崩壊後に旧東ドイツの友人が栗原小巻に会いたいというので 一度通訳をしたことがあります(笑) ←その映画のタイトルを聞いてなんとかなった!!



DEFA(Deutsche Film Aktiengesellschaft)は 1912年に活動を開始したヨーロッパでもっとも古いバーベルスベルク撮影所を拠点に 戦前ドイツの映画美術・芸術を継承し 個性的で豊かな映画文化を育んだ 旧東ドイツ唯一の公式映画製作機関です 1990年の東西ドイツ統一とともに活動を終了 


   *       *       *

冬よ さようなら」(Winter Adé/1988年) は ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツに生きるさまざまな境遇の女性たちをとらえたドキュメンタリー 彼女たちのことばは苦労や後悔に満ち 社会主義の説く男女平等の理想に対する鋭い批判となっている 女性監督 ヘルケ・ミッセルヴィッツ監督の出世作

ツヴィッカウの鉱山で働く47才の女性  
ベルリンで広告の仕事をする42才 2度の結婚を経て新聞広告で子連れパートナーを探すにいたる 広告関連の表彰式で会場には男ばかりなのに驚き シャボウスキーが来賓として来る 

ダンス学校を夫婦で経営する73才の老婦人 若き頃のダンスの写真が飾ってある ここは東ドイツ初のダンス学校とのこと 

練炭工場で働く37才女性 金槌で一時間ごとに煙突をガンガン叩くのが仕事 煤がつまり爆発を防ぐためだ 子どもの頃は家の農作業の手伝いに追われ 弟は手伝わなくてもよかったが非行に走る 17才で家を出て結婚するも出産後に離婚 

人形の病院 子どものために人形を修理する仕事 離婚して 1981年に西に逃げた夫がいる

二人の家出娘 うるさい親から逃げるため 男友達のところに転がり込む 成績が悪くて調理師になれないという(成績で職業選択が決められていた!)

ツヴィッカウ国立公園の管理人夫妻は子だくさん 前の仕事は三交代できつくとても安かったため転職 子どものものを買うともう金がなくなる なんでも物価が値上がりしてしまった ベルリン750年祭を祝うベルリンの街に行く

地下鉄の運転手の女性 女性の運転手はとても多い 私も昔ドレスデンで市電に乗った時に女性の運転手だったが とても多いと当時聞いた覚えがある 社会主義の国であり女性も労働が推奨されていた 保育も手厚かったし贅沢をしなければ十分暮らせた(生活物資の物価が低く抑えられていた)

ホーネッカーが登場するZKの女性の日の祭典 

電車の中の4人の少女たち 結婚への夢と不信を語る Doppelname(夫婦別姓)がいいなという少女 

結婚60周年を祝う老夫婦 ひ孫まで数十名の親類縁者が集い 祝う(東ドイツはホームパーティーが盛んだった) しかしこの妻は 妊娠してしまったから結婚した 夫は子供が3人もいるのに浮気したので結婚は後悔してるのよ と夫のいない所で述懐する

魚工場で働く中年女性たち 50も過ぎれば男はいらないと豪語 若い頃もっと勉強していればこんな工場で働かずもっといい仕事につけたのにと言う 

地方議員も務めながら子供たちの施設を経営する独身の55才の女性 仕事に情熱を注ぐあまり結婚から遠ざかっていたが3人の子どもがいる 今は友情で結ばれた男性はいる  
子供たちには自分のようには生きてほしくないと語る 人生は戦いよ と 

電車の中でのインタビューが多かった 白黒作品

   *       *       *

引き裂かれた空」(Der geteilte Himmel/1964)

クリスタ・ヴォルフの同名小説の映画化 ドイツ分断・ベルリンの壁のテーマを扱い 東ドイツではプレミア上映後に上映禁止となる コンラート・ヴォルフ監督 1964年白黒作品

ベルリンの壁が建てられる前に出会った女子学生と 10才上の男性との恋のゆくえがつづられる 世代が違うということは 彼が違う考え方を持っているということ 
将来を嘱望される科学者の恋人マンフレートは西に移り 恋人リタもスーツケースひとつで彼を追う けれど「ここ(西)には何もない 格差がくっきりと見える場所だ 外国でないだけにかえってつらい」と 住んでいた東に帰り 恋は終わる...

東の人々は貧しくとも助け合って生きてきた 西ではお金持ちとそうでない人がくっきりと分かれる 彼女の大学のクラスメートは 両親が西に逃げたことを3週間も隠し続けて 大学を追われる... 当時は壁ができたばかりで 西に逃げる人がまわりに続出していた 


知られざる東ドイツ映画」祭は こちら


  *     *    *

「追悼 アンジェイ・ワイダ監督特集 ポーランド映画祭2016 Poland Film Festival 2016」(2016.11.26~12.16)を見に行きました@シネマート新宿





HPで冒頭に 2016年10月9日に亡くなられたアンジェイ・ワイダ監督の自宅の庭でのインタビューがあり 実に感慨深いものがあります 
「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」「大理石の男」「鉄の男」皆見ました 
20代の頃にドイツで知り合った 戒厳令下の祖国から逃げてきていたポーランドの女の子と「灰とダイヤモンド」の話をしたっけ...

映画祭で見たのは「戦いのあとの風景」(1970) これも「灰とダイヤモンド」を彷彿とさせるシーンがあります 遺体が安置された冷たい部屋の中で 残された主人公が悶えつつ述懐するシーンなどがそれ 

この作品の冒頭でのチャイコフスキーの「春」の爽やかなヴァイオリンの音色が響く中 第二次大戦終戦直後に ナチスの強制収容所から解放された囚人たちが雪の中に駆け出すシーンは鮮やかに記憶に残っています (昔見ました)
彼らはその後米軍下の難民収容所に移送され 主人公(ダニエル・オブリフスキ)はユダヤ系の娘と知り合いますが... この娘が火のように熱く獣のように強いです 
やがて運命は...

今年で5回目を迎える「ポーランド映画祭」は ワイダ作品10本の他若手監督たちの最新作も上映されていました 監修: イエジー・スコリモフスキ

ポーランド映画祭2016は こちら


*情報をいただきました東京ドイツ文化センター様に心よりお礼申し上げます
(日伊協会に行くと すぐそばなので必ず立ち寄っています♪)

1961年8月13日に ベルリンの壁が作られたが これは旧東ドイツが自分のカネで作った 旧西ドイツに壁を作るカネを請求してなどいなかった...($・・)/~~~


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「春日大社 千年の至宝」展に行ってきました(2017.1.17~3.12)@東京国立博物館&春日大社についてイタリア語で話す

2017年01月23日 | 美術館・博物館
「春日大社 千年の至宝」展に行ってきました(2017.1.22)@東京国立博物館&春日大社についてイタリア語で話す



世界遺産でもある春日大社の「至宝」を見に 1月22日(日)に家族と行ってきました「春日大社 千年の至宝」展 
始まったばかりの「ティツィアーノ展」は もう少しあとになります~

式年造替(しきねんぞうたい)」という 20年ごとの社殿の建て替えの時に (2016年が60回目となる 1200年間続く儀式) めったに見られない貴重な古神宝などが見られました 
中でも本殿の一部を再現してあり 上野にいながらにして春日詣でを体感できるというもの  (でも現地に行った方が霊験あらたか...?)

春日大社は 奈良時代初め(768年)に 国家の平安と国民の繁栄祈願のため奈良県に創建されました 
一番見ごたえがあったのは 国宝の 金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたのたち)で 柄や鍔(つば)に金無垢で模様を掘り出してある黄金の太刀です この複製を作る過程がテレビでも紹介されました

また 60回目の式年造替で御摘下(ごてっか)*された獅子や狛犬 また重要文化財の 舞楽面 納曾利(なそり) これは龍が舞い遊ぶ様を表したとされる舞で使われた 舞の動きに合わせて顎が動く面ですが とても面白かったです

* 御摘下 = 神に奉られていた御道具などが役目を終え、神殿から下ろされること

そして 鼉太鼓(だだいこ) いわゆる火焔太鼓と言われる 雅楽で使われる大きな和太鼓が展示されており壮観でした 日本最古の鏡もありました

予習をしていかなかったのでイヤホンガイドを実は初めて使ったのですが 読むのと聞くのと観るのと家族と話すのとが同時で疲れてしまい(笑) 集中できないのと 混んでいると長い話を聞いていられないので 家で予習してから展示説明を読んだ方がいいかなと... それとイタリアの展覧会は80点くらいですが これは219点もあり数が多く疲れるので 第6章までの中からどこを重点的に見るかをあらかじめ決めておくとよいかもしれません 

  記念撮影コーナー (釣灯籠)

見どころ:

第1章 神鹿の杜 
春日鹿曼荼羅がいろいろ また「鹿図屏風」はチラシでは色鮮やかですが 実物は殆ど色は落ちていました 祭神である武甕槌命が鹿に乗って春日の地に降臨した様を表してある「鹿島立神影図(かしまだちしんえいず)」は印象的でした


第2章 平安の正倉院

 本宮御料古神宝類など 弓矢 太刀 琴
お目当ての「国宝 金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)」(1月17日(火)~2月19日(日)展示期間)は 「柄(つか)や鍔(つば)などの多くの金具は金無垢に文様を彫り出し、鞘(さや)は金粉を蒔き、螺鈿で雀を追う竹林の猫を表現しています。まばゆく輝く黄金の太刀です。」とのこと 実物は長い時を経ています
 
第3章 春日信仰をめぐる美的世界
 
春日曼荼羅 御堂関白記や書状 中でも 「重要文化財 文殊菩薩騎獅像および侍者立像(もんじゅぼさつきしぞうおよびじしゃりゅうぞう)」は興福寺に伝来したもので 春日大社の祭神のうち、若宮は文殊菩薩と同体と考えられており 神と仏の一体化を象徴する作例で見事でした

第4章 奉納された武具 
国宝の大鎧がすごい だんだんと見ごたえがあるものが増えてきます 太刀 腰刀(短い刀) 鎧金具など


第5章 神々に捧げる芸能 

祭礼絵巻物 屏風 太平楽装束 伎楽面 能面 舞衣など 12月に行なわれる若宮おん祭(国の重要無形民俗文化財に指定)等の祭礼の際に神前に奉納された舞楽や能など 芸能に関わる作品がありました 映像もあります 雅楽を見に行ったことがあるので身近に感じました

特に 納曽利装束(なそりしょうぞく) [前期展示:2017年1月17日(火)~2月12日(日)]と 重要文化財 舞楽面 納曽利(ぶがくめん なそり)が面白かった


第6章 春日大社の式年造替
 社内院絵図 絵馬 特に2016年の御造替は60回目を数え 今回の御造替で御徹下(ごてっか)され注目を浴びた獅子・狛犬(第一殿)が展示されておりました


さて 奈良の春日大社については 1月28日(土)には 春日の大とんど 2月3日(金)には 節分万燈籠 3月13日は春日祭(非公開)

また 春日大社国宝殿にて 「春日大社第六十次式年造替記念展」が開催中です(2016.12.3~2017.3.27) 

後醍醐天皇奉納 重要文化財の葡萄鏡や 千年前の名刀が初公開されます

3月31日まで 春日大社 正遷宮初参り として 20年ぶりに新装なった 国宝 御本殿の特別参拝 (4月以降も予定)もあります
詳しくは こちら



「春日大社 千年の至宝」展は こちら

見どころは こちら


今 江戸城の天守」展も開催中です 2017年1月4日(水)~3月31日(金)@東京国立博物館 ミュージアムシアター(東洋館地下1階) 
こちらは実物はもうないため 図面 絵図 現存する文化財や伝統技術を手掛かりに再現過程を試みています ミュージアムシアターで「江戸城の天守」が上映されています (500円、40分)

映画と一緒で 続きますね~(*^^*)

    *     *     *


春日大社についてイタリア語で話す
:

Il grande santuario Kasuga (春日大社 Kasuga-taisha) è un santuario Shintoista situato a Nara, nella Prefettura di Nara, in Giappone.

Fondato nel 768 e ricostruito diverse volte, è il santuario della famiglia Fujiwara.

L'interno è famoso per le sue lanterne di bronzo e le molte lanterne di pietra (tōrō/燈籠) che conducono al (~に導く) santuario.

Lo stile architettonico Kasuga-zukuri prende il nome dall'area più sacra (神聖な), detta honden(本殿), del santuario, il quale assieme alla (~と一緒に) vicina foresta Primordiale (原初の) Kasugayama è registrato tra i patrimoni dell'umanità dell'UNESCO, come parte dei "monumenti storici dell'Antica Nara(古都奈良の文化財)".

Il sentiero(細道) per il santuario Kasuga attraversa (横切る)il parco del Cervo(鹿) (dove i cervi addomesticati (飼いならされた) vagano liberamente).

Più di mille lanterne di pietra sono disposte lungo la via.
Il giardino botanico Manyo è adiacente al (~の近くに) santuario.
(wikipediaより)

春日大社のイタリア語は こちら


春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社。神紋は「下がり藤」。
全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。
ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。 (wikipedia)

 *     *     *


Grande Santuario Kasuga

Costruito come santuario tutelare(保護する) dei Fujiwara, influente (影響力のある) famiglia di Nara, Kasuga è uno dei siti scintoisti più famosi e fotografati.

Il primo edificio fu realizzato nel 710, ma in linea con i principi scintoisti di purezza (清浄) e rinovamento (復興、再生), la struttura del Kasuga, come quella del grande santuario di Ise(伊勢神宮), è stata demolita (取り壊された) e ricostruita identica (同一に) ogni vent'anni (20年ごとに)*.
*式年遷宮のこと
("Giappne" le guide comdadoriより)

*1月からNHKラジオで 「ニッポンを話そう!」再放送中です 再放送でようやく理解できるくらい内容は高度です~( ;∀;)

* NHKドキュメンタリー「春日大社 よみがえる黄金の太刀~平安の名宝に秘められた技~」を見ました(2017.1.31) 金無垢で作られていた鞘と刀の身がぴったりと入った瞬間 ドキドキしました 素晴らしい伝統芸術です!!

 


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雪崩がホテル直撃、3人死亡・多数不明 イタリア地震(2017.1.18)&生存者計10人に 宿泊客ら約30人(2017.1.20)

2017年01月20日 | イタリアのニュース
雪崩がホテル直撃、3人死亡・多数不明 イタリア地震(2017.1.18)&生存者計10人に 宿泊客ら約30人(2017.1.20)



2017年1月18日(水)、イタリア中部を襲った連続地震で、地震で起きたとみられる雪崩が中部ペスカラ県ファリンドラののホテルを直撃し、少なくとも3人が死亡した。

ANSA通信が伝えた。2人が救助されたが、子どもを含む多くの人が行方不明になっている。防災当局によると、当時ホテルには宿泊客と従業員ら約30人がいたという。

 救助隊は徒歩などで現地へ向かい、19日未明に捜索を始めたが、悪天候で、捜索は困難を極めている。
在イタリア大使館によると、19日昼(日本時間同夜)までに日本人が巻き込まれたとの情報はない。また、伊メディアなどによると、別の地域では80代の男性が地震と雪の重みで崩れた農場の屋根の下敷きになり死亡した。

 昨年夏以降、大地震が相次いだ伊中部では18日、アマトリーチェ近郊でマグニチュード(M)5・0以上の強い地震が4回発生した。被災地では余震が続き、停電している地域もある。

 伊中部では昨年8月24日にM6・2の地震がアマトリーチェなどを襲い、299人が死亡した。昨秋にも大地震が相次ぎ、さらに多くの建物が倒壊した。絶え間なく続く地震により、被災地の復興が遅れる可能性がある。(ローマ=山尾有紀恵)


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イタリアの雪崩で生存者計10人に 宿泊客ら約30人(2017.1.20)@朝日新聞デジタル


 イタリア中部ファリンドラのリゾートホテルを18日に襲った雪崩で、救助隊は20日午前(日本時間同日夜)、がれきの下に8人の生存者を発見した。ANSA通信が伝えた。うち2人は子どもだという。19日にも難を逃れた生存者2人が救助されている。

 防災当局によると、事件当時ホテル内には宿泊客や従業員ら約30人がいた。19日に3人の遺体が発見されたと報じられたが、後に2人に修正された。

 雪崩は、18日に伊中部を襲った連続地震に誘発されたとみられている。現地からの映像によると、ホテルの山側は室内に大量の雪やがれきがなだれ込んでいる。救助隊は、残された空間にさらに生存者がいないか確認を急いでいる。

 防災当局によると、伊中部の別の2カ所でも、雪崩に巻き込まれたとみられる2人の遺体が発見された。(ローマ=山尾有紀恵)
朝日新聞社

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2017.1.20 La Repubblicaの記事より:

Valanga (雪崩) su hotel, si scava al gelo(凍てつく寒さ): 4 morti, oltre 25 dispersi (行方不明者) Liveblog

Il soccorritore(救助者): "Io lì per primo, con la rabbia(怒り) di non poter fare nulla"


Il nostro inviato(通信員): "Così è diventato una trappola(罠)" / RepTv "Ho dato allarme, non mi credevano"

Video L'impresa degli alpinisti (登山家) per raggiungere il luogo / Il geologo(地質学者): "Zona non a rischio" (危険のないゾーン)

Si indaga(調査する) per omicidio colposo(過失致死). Due persone salvate(2名救出): "Lì sotto ci sono i miei figli". Sindaco: "Speranze ridotte" (望みは少ない)

Videoscheda La ricostruzione della tragedia(悲劇) ora per ora · Video La strada per l'hotel tra muri di neve alti 2 metri(2メートルもの雪の壁)

dal nostro inviato CORRADO ZUNINO e di ALBERTO CUSTODERO e GIOVANNI GAGLIARDI

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救出の映像は こちら


地震 雪山 雪崩 夜の闇に 積もる雪...悪条件が重なったのですね...心よりお見舞い申し上げます

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2016年「第2回 須賀敦子翻訳賞」授賞式に初めて行ってきました(2016.11.18)@イタリア文化会館

2017年01月18日 | イタリアの本・絵本・雑誌
2016年「第2回 須賀敦子翻訳賞」授賞式に初めて行ってきました(2016.11.18)@イタリア文化会館


この栄えある第2回須賀敦子翻訳賞受賞式に 初めて行ってまいりました イタリア文化会館は いつものイベントとは違う静謐な空気に包まれ 受賞された方々のご家族やまわりの方々 先生方などが訪れていました 

今回は若い新進気鋭の翻訳者が受賞され 新しい息吹きを感じ ひさびさに希望溢れる瞬間を感じとることができて実に感無量です 世界をめぐる暗いニュースに心が沈んでいた私ですが 新しい力と希望を得ることができたと感じました 受賞された方にとって人生で最高の瞬間に居合わせることができたのですから!!
 
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2014年に設置された「須賀敦子翻訳賞」は、1988年に創設し、2007年に中断された「ピーコ・デッラ・ミランドラ賞」の後継となるもので、イタリア語の著作の優れた日本語への翻訳を評価し、広く紹介するものです

2014年に続き 2回目となる今回の受賞作は 選考委員会が、2014年7月から 2016年6月までの翻訳作品のなかから 下記の2作を選出しました。

プラハの墓地』、橋本勝雄訳(ウンベルト・エーコ著、東京創元社、2016年2月刊)
偉大なる時のモザイク』、栗原俊秀訳(カルミネ・アバーテ著、未知谷、2016年5月刊)

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私のような者がこのような栄えある受賞式に招待されたのは 2015年4月の「イタリアブックフェア」の翻訳者による本の紹介イベントで 今回受賞された栗原氏の本の紹介の記事をブログに書いたことが主催者の目に留まったからとのこと 10年間続けてきたことが報われたと感じています...スミマセン文学は実はあまり...読んでなくて イタリア語を聞いてどうにか少しはわかるだけの私なのですが(;'∀')

館長の挨拶に続き この翻訳賞の紹介 そして 川原千晶(ソプラノ) 岡田真歩(ピアノ)の演奏に続き 選考委員の紹介 総評 そして盾と副賞の贈呈に 受賞者挨拶と朗読(日伊) 閉会ということでしたが なんといっても嬉しかったのは 受賞者の挨拶と朗読です

橋本勝雄氏は 挨拶の中で 今年2月に亡くなったウンベルト・エーコの「プラハの墓地」を翻訳されたことに触れ 原作者のエーコがこの受賞を知ることは叶わなかったが 世界で最も早い手向けとなったと 選考委員長の和田先生の言葉に呼応するかのような挨拶に 胸があつくなりました...

エーコ自身の言葉によると 「いわゆる翻訳の忠実さというのは 認められるたったひとつの翻訳にたどりつく基準ではなく むしろ 情熱的にふみこんだ解釈をすればどんなテキストでも翻訳は可能だと信じる素質であり…(中略)その努力なのだ」という言葉に とても感銘を受けました

そして続くは 若き翻訳者 栗原俊秀氏の挨拶と朗読 ご自身のご家庭でも最も幸福な瞬間を迎えることができたこと!! それがなぜか日本語挨拶ではなく イタリア語挨拶の時に出てきたことに感じ入り 後日聞きに行ったイタリア語スピーチコンテストでのある出場者の言葉「イタリア語は日本語よりも感情を表しやすい言葉だ」を 再度実感するに至ったのでした 

最も感じ入ったのは 2012年に 無名の作家の作品を無名の翻訳者が訳したものを 面白いと 日本に紹介する価値があるねと 出版を即座に決意してくださった未知谷出版  まずもって未知谷にお礼を言いたいとの言葉でした その後毎年 翻訳者が惚れ込んだ作品を刊行してくださっているそうです  

確かに2015年のイタリアブックフェアでは 私はこの本も原作者も知らなかったのです 

そういえば いたばし絵本翻訳大賞受賞作品を出版してくださっている「きじとら出版」は たった一人での会社とのことですが この大賞受賞作品の出版を続けてくださっていることを思い出しました 今の世の中で 貴重な存在ですね...


この2作品の受賞の理由は 日本語の出来栄え 作品自体の価値と翻訳紹介の意義 訳者による原作に対する綿密かつ緻密な調査 という3点において審査されたのですが まず11作品が第一次審査で選ばれ そこから3作に絞られてから 今回の2作品に受賞が全員一致で決まったのだそうです

朗読は...言葉にはできない程の魂をゆさぶられるものでした 最初は日本語 次に原書を取り出しイタリア語での朗読 一番のクライマックスのシーンで 翻訳の苦労がにじみ出ており 10年勉強して少しでもわかるようになっていたことがなによりでした (講評のイタリア語はそらで聞きました)

私は翻訳はあまり得意ではないけれど せめて聞いてわかるくらいはできるような自分でいてよかったと そして次にどこかでお会いすることがあれば もっともっと成長した自分でいたいと この日 誓いました

素晴らしい賞を創設してくださいました イタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます


開催のお知らせは こちら


毎日新聞記事「須賀敦子翻訳賞決定」(2016.11.27)は こちら


2015年4月の「イタリアブックフェア」での栗原氏(翻訳者)による本の紹介「文学作品が描く『イタリアと移民』」のリポートは こちら



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フェルザン・オズペテク監督作品「カプチーノはお熱いうちに(Allacciate le cinture)」のDVDを見ました

2017年01月14日 | イタリア映画・映画
フェルザン・オズペテク監督作品「カプチーノはお熱いうちに(Allacciate le cinture)」(2014)のDVDを見ました

以下は2016年秋に 日伊学院IPAのレッスンで「好きなイタリア映画のストーリーの要約(riassunto)を書け」という宿題が出たので DVDを見てから書いた文です (いい宿題だなぁ~♡ いろんなテーマが出てきます♪):


Trama/ストーリー:

A Lecce, 2000. Elena (cameriera) si è innamorata di Antonio (meccanico), il ragazzo di Silvia (collega di Elena e intima amica), mentre Silvia si è innamorata di Giorgio (fidanzato di Elena).

レッチェ、2000年。 エレナ(カメリエーラ)はアントニオ(修理工)に恋をするが、彼は同僚であり親友のシルヴィアの恋人。 一方シルヴィアはエレナの婚約者ジョルジォと恋に落ちる。

Dopo 13 anni, Elena (adesso imprenditrice di un bar) e Antonio si sono sposati e hanno due figli, ma si litigano spesso. Per caso a Elena si è scoperta cancro al seno dopo il controllo medico, si è ricoverata in ospedale.

13年後、エレナ(今はバールの経営者)とアントニオは結婚して2人の子どもがある。しかしケンカが絶えない。たまたまエレナに検診乳がんが見つかり、入院する。

Egle (donna senza famiglia), la compagnia di stanza, è morta. La dottoressa Diana (ex-cliente del bar) assicura la guarigione di Elena che ha famiglia e gli amici che la aiutano sempre.

エグレという独り身の同部屋の友人が亡くなる。 ディアナ医師(元バールの客)は 家族や助けてくれる友人の多いエレナの回復を確約する。

Elena e Antonio giurano che la loro vita continui per sempre, proprio sulla spiaggia dove loro si erano assicurati del loro amore 13 anni fa. La vita continua.

エレナとアントニオは 彼らがまさに13年前に愛を誓い合ったその海岸で 彼らの人生がずっと続くことを誓う。人生は、続く。

       *         *          *


以下は ネタバレありの感想です:

この映画は NHK「テレビでイタリア語」の中でもF.オスペテク監督インタビューで紹介されてましたよね (インタビュアーは鈴木マリア先生でした!) 親友の恋人と愛し合うようになり 奪うようにして結婚して13年 子どもも2人いて精一杯に働いて暮らしてきたのに ある日病魔に侵されていることがわかり...

なので 泣けました 

どこで一番泣けたかというと カフェのかつての常連で 医師を目指すディアナと エレナが入院した病院で「担当医と患者」という関係で偶然再会したシーンでした

最初は女医の方は気づかなかったのですが 昔彼女がいつもオーダーしていた「カプチーノ」の種類をぽろっと言うエレナ 女医はふと立ち止まり過去を思い出し それに答えるんですね

こんな形で再会するなんて皮肉ですよね...一瞬女医の心に戸惑いと衝撃が走るんです 医者となった彼女の表情に... そこが見ていてつらかったです 他の場所で再会したかっただろうと思いますよ

あと ゲイのファビオは つかず離れずエレナに寄り添って助けてくれる 若い頃からのなくてはならない大切な親友 
実はそれには 昔のつらいエピソードがありましたね

エレナにアントニオがお似合いか? と聞かれると うーん...と思ってしまうんですが つきあってた資産家のボンボンのジョルジォよりはましかな...と でもアントニオという彼そのままを愛しているんですよね エレナは 

しかし長年連れ添っていると険悪な間柄になるっていうのもまぁ...わかります(苦笑) ママ似の娘がかしこいですね~ 


でもさすがに エレナが叔母に誘われて受けた検診の結果を聞いた一週間後に皆を集めて 初めて病気のことを告げた時に 夫のアントニオが 荒れて独りでバイクでどっか行っちゃった時は見ていてがっかりしました いちばん一緒にいてあげなきゃいけない時に 不器用な男なんですよね...

こんなに必死で頑張っているエレナが なぜ独りで泣かなければならなかったのか まず最初に夫に話すことができなかったのかという気がします 


同室の エグレという面白い中年女性の患者さんも なんとなくまわりにいますよね~( ;∀;) あと お母さんと叔母さんが口喧嘩ばかりしながらも いつもエレナを見守ってくれているんですよね あのおしゃべりっぷり!!←ここがイタリア人らしい(笑)

ラストは 昔の自分たちと出会う不思議なシーンで終わります ここは若い頃のシーンで見ていて懐かしかった 

G.トルナトーレ監督「シチリア!シチリア!」のラストシーンで 使い走りにやって走って戻ってきた子どもと今の子どもがすれ違う不思議なシーンがあったけど この映画のラストにも似たような「昔の自分たちとすれ違う」時空を超えたシーンがありましたね あっと思わせてくれました

ほんとに よい未来が待っているといいなと思う 救われるラストでした...


原題の「Allanciate le cinture」は 飛行機のアナウンス等での「ベルトをお締めください」という意味ですが まさに人生の乱気流に遭遇した主人公を取り囲む愛しき人々の ヒューマンラブストーリーでした


人生って 若い頃には想像もつかないような荒波が待っているものなんですよね... 若い頃の悩みってその時は大変でも こんなことで悩んでいたんだねって 振り返ってみると思うんですよね... そしてそれは年を経た今でないとわからないものなんですよね~しみじみ

イタリア語のテキスト「Chiaro!」(B1)8課に出てきた "Un uomo giusto"(Elena Stancanelli著、Einaudi社発行)という小説(2011年)の中に "mecanico, dislessico(難読症)"という主人公Davideが出てくるのです 
建築家(architetta)のAnnaと恋に落ちるのですが 人物設定が(有望な女性と 不釣り合いな男性のカップル)実によく似ているのです...


登場人物は こちら


映画は こちら




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