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菅直人元首相がハンブルクで「脱原発と持続可能な社会への移行」を訴える講演

2016-03-25 18:13:21 | 日記
菅直人講演会と 日独における市民のための政治教育/Vortrag des Premierministers A.D von Japan Naoto Kan und politische Bildung der Bürger in Deutschland und Japan

菅直人元首相が3月23日ハンブルクで「フクシマから脱原発へ」をテーマに“原発電力なしの朗読会“シリーズの講演会を開いた。6,7百人収容の階段教室は立ち見を含め超満員、別の会場に実況中継、そこでもメイン会場以上のハンブルク市民が菅の声に耳を傾けた。市民の反応は、菅の語る脱原発から再生可能エネルギーによる持続可能な環境にやさしい社会への移行を弁護する内容を共有していることが随所で確認できるほど、一体感をなすものであった。
Der Premierminister a.D. von Japan Naoto Kan hat am 23. 3. in Hamburg in der Riehe „Lesen ohne Atomstrom“ einen Vortrag über das Thema „Von FUKUSHIMA zum Atomausstieg“ gehalten. Der Treppen-Hörsaal mit 6 bis 700 Plätze war bis unters Dach teils mit stehenden Gästen besetzt. In den neben stehenden Raum wurde der Vortrag direkt übertragen und dort sollen genauso oder mehr Gäste gewesen sein. Die Reaktion der Hamburger Bürger war derart mit dem Einigkeitsgefühl erfüllt, dass sie die Inhalte der Kans Rede über Ausstieg von AKW und Wechsel zur nachhaltigen umweltschonenden Gesellschaft durch erneuerbare Energie voll und ganz teilen.

ここまでだけ長いので私のFBサイトに掲載、ここからはとりあえず日本語だけです。

内容をかいつまんで言うと、フクシマ事故以前は原発に対する安全神話を疑うことは全くなく、推進派であった菅が、事故の後180度考え方を変えたと正直に告白。フクシマ過酷事故は250キロ圏5千万人が避難しなければならない直前まで進行、間一髪で核溶融を止めることができたが、ここにいたった責任は原子力ムラにある。具体的には東電が科学技術者の助言をことごとく経済的理由で無視、例えば、緊急用発電装置を設計にあった15メートル上の高台から、海抜10メートルに下ろし、冷却水を吸いあげる経費を節約したことにあること、また菅が海水による冷却水をストップさせたなど、うその情報を流して責任を菅に押し付けようとしている原子力ムラがまたぞろ復活、再生可能エネルギーへのシフトを妨害し始めていると報告。
国の最高責任者が連絡網を断たれたときに、現場に乗り込んで視察したことも、それで事故対策が遅れたなど、国民を馬鹿に仕切った理由で、菅降ろしに現を抜かしていた党内外の政治家、あたかもほかの首相であれば適切な処置でフクシマ過酷事故は避けられたかのような印象を市民に与えているマスコミの責任もまた大きい。
斑目というでたらめ極まりない原子力委員会委員長に適切な助言など期待できなかった事実、東電も菅に怒鳴りつけられるまでフクシマを放棄し従業員を引き上げようとしていたことなど、東京工大で物理を学んだ菅ではなく、例えば勉強が嫌いだったと言う阿部さんが首相をしていた場合、無責任無能の斑目の間違った助言に惑わされることなく、本当に適切な処置を施し、過酷事故をくいとめることができたか、考えてみるべきだろう。
菅の大きな功績は原発を止め、2年間という短期間と言えども原発なしで日本の経済が十分に機能することを証明したこと、先陣を切ったドイツを見習い固定価格買い取り制度(Einspeisevergütung)を導入、電力供給自由化で今では200社近い大小の電力会社が太陽光発電を中心に、風力、バイオマスなど再生可能エネルギーを供給していることなどでしょう。
震災後原発が止まり、火力発電に頼らざるを得なかったとき、化石燃料の輸入が嵩み,高額の貿易赤字が出たことがあったが、原発事故当時ドイツのようにせめて10パーセントでも再生可能エネルギーで電力を供給していたら、石油等の輸入量を10パーセント以上節約できたわけで、貿易赤字の責任の大半は再生可能エネルギー産業を等閑にし、あまつさえ成長を妨害していた電力会社、電力行政にあったことも忘れてはならないと思います。
そんな中で、ドイツの大電力会社E.onやバッテンファールはメルケル首相の脱原発宣言で選択の余地はなかったとはいえ、再生可能エネルギーに投資をシフト、今では総電力量の30パーセントを超えるまでにいたり、最終的には化石燃料から完全に離脱することを目指し、オフショアーを中心に電力過剰なまでに発電量を上げています。そのため、今大きな論争の一つになっているのは送電網の整備。従来の送電線は海上の電源からとはまったく離れたところを通っており、また北の海のオフショアーから南の工業地帯に運ぶ新しい送電線の建設など、再生可能エネルギー産業の成長には目を見張るものがあります。ドイツの市民は原発建設当初から、核廃棄物処理場をめぐり反対運動を進めていたので、市民は原発の知識を共有、経済界以外にはこれといって反対する者はほとんどいない。また、経済界も再生可能エネルギー産業の将来性は十二分に理解しているので、原子力ムラのように大金をつぎ込んで反対勢力を潰そうなどということはしていないし、市民もそんなことは許さないでしょう。
ドイツ市民の政治意識がどうしてここまで高められたのか。それを一言で説明できるのは「市民のための政治教育センター」というのがどの州にもにあるという事実でしょう。そこでは原子力問題はもとより、選挙制度や新しい法律、文化現象に至るまで、名だたる専門家が分厚い調査報告書から簡単なマニュアルまでを作成、今でこそ少しお金を取るようになったが、昔はただで市民に配っていました。
日本は逆に市民にはできるだけ、詳しい正確な情報は与えず、地方の大ボス小ボス、政治家、行政が「オレに任せておけ」と市民意識が成熟することをことごとく妨害しているのではないかと思われるが、具体的に、津波で壊滅的な被害を受けたある東北の町ではボランティアで都市計画の専門家が市民をサポート、復興計画にゼミなどで助言していると、行政が「いらんことをする」と煙たがるとか。「お上に任せて下々は黙って聞きおけ」という封建思想の現れでしょう。事実、役人にしても未だに仕えるのは市、県、国で市民に奉仕するなどという意識はないのではないでしょうか。
今、日本の国民が喫緊の課題として学ぶべきは、一人一人が学歴、出自、勤め先に関係なく、国や社会に対して自分の言葉で自分の意見を言う権利を持っているとともに、民主主義にとってはそれが義務でもあることの自覚ではないかと思います。SEALDsやT-en SOULはじめSilversにいたるまでその兆しは出てきているが、残念ながら今のところは日本の行政が「市民のための政治教育センター」を造るなど考えだにできず、松下政経塾と“生長の家”主導の「日本会議」にカヤの外に置かれているという現実に甘んじているほかないように私には見えます。安保法制案から市民の反対意見を封じ込める特別秘密保護法、緊急事態事項の憲法明文化など独裁戦時体制が着々と進められている今、あらゆる意味で手遅れにならないことを祈るばかりです。


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