旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

甲州道中紀行8 勝沼宿~栗原宿~石和宿~甲府柳町宿

2016-10-13 | 甲州道中紀行

 

11:10 「勝沼宿」
 勝沼宿へ達した6月の終わりは30度を超える真夏日だったのだが。すっかり肌寒さを感じるこの日曜日、甲府盆地の中心に向かって扇状地を下って往く。スタートの本陣池田屋跡には「槍掛けの松」なる老松が残る。大名や公家が宿泊すると、その目印に槍を立て掛けたそうだ。通りを挟んでん反対側に江戸時代の豪商萩野家「仲松屋」の佇まいが街道時代を想像させる。  

勝沼周辺は観光ブドウ農園とワイナリーが点在する。今日はどこも賑やかだ。道すがらの葡萄畑でも実りの秋を確認できる。新宿から乗ってきた臨時快速列車も、勝沼ぶどう郷駅で大半の乗客が降り立ち、お目当てのワイナリーへと向かったようだ。

         

右手に秋葉山常夜燈が現れる。秋葉山本宮秋葉神社は東海随一の霊山・秋葉山を神体山と仰ぐ神社で、江戸時代には全国に秋葉講が結成され参詣者で賑わったそうだ。そういえば中山道でも群馬から岐阜にかけて、かなりの数の秋葉山常夜燈を目にしてきた。

12:00 「栗原宿」
 栗原の地名はこの地を治めた栗田氏に由来している。宿場の規模はと云うと、本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠20軒だ。本陣などの遺構は残っていない。宿場の中心地には旧栗原五十五か村の総鎮守・大宮五所大神が鎮座している。 

     

勝沼から甲府への行程は、一里塚をはじめ旧い遺構はほとんど残っていない。察するに扇状地を暴れ下る笛吹川水系の度重なる氾濫が原因なのではないだろうか。このあたりは郷土史家の研究誌を読めばよいのだが、それは別の機会に譲ろう。写真は一町田中に並ぶ秋葉大権現、山神宮、石尊大権現が祀われた石仏群がある。

     

同じく一町田中にある田安陣屋跡は、徳川吉宗の次男田安宗武が山梨郡に二十八か村を領地として与えられた際に置かれたものだ。ここに残る水上稲荷神社は陣屋の守護神であったそうだ。 

 

 石和へと向かう笛吹川沿いに松並木があるのだが、これは明治40年(1907年)の大水害の後に植林されたものだ。街道時代のものではない。松並木の外れには笛吹権三郎像がある。洪水で流された母を、母が好きだった曲を吹きながら、日に夜に探し求め彷徨い歩いた故事に因んでいるそうだ。 

     

勝沼を出てから目にする 「丸石神」は、山梨を除くと、東京都の山梨に隣接する山村、神奈川県津久井郡の一部、静岡県伊豆地方、長野県の一部にわずかに存在する謎の道祖神なのだが、山梨にはなんと700基もあるそうだ。確かに中山道でも北国街道でも見ることはなかった。

 

日蓮宗鵜飼山遠妙寺は、弘安年間(1280年頃)、日蓮上人の高弟日朗上人が鵜飼勘作の霊を慰める為に草庵を結んだのが始まりと伝えられる。石和温泉では七ヶ寺に七福神を配して、観光客の周遊を演出している。ここ遠妙寺に鎮座するのは大黒天様だ。

 

13:20 「石和宿」
 石和宿は本陣1、脇本陣2、問屋1、旅籠18軒、後藤本陣は明治13年(1880年)の大火で消失している。駐車場の奥に在る土蔵を残すのみだ。石和温泉の歴史は浅く、昭和36年、葡萄畑の中に突如湧き出した温泉だ。後藤本陣跡の向かい側には「足湯」が在る。暫しの休憩で癒しをもらった。 

 

甲運橋を渡ると甲府市に入る。橋の袂にあるのは川田道標、「左甲府 甲運橋 身延道」、「右富士山 大山 東京道」とある。万延元年(1860年)建立と新しいものではあるが、すべて漢字で彫られているのは珍しい。 

 

14:10 「青梅街道追分」
 山崎三差路交差点は青梅街道追分である。内藤新宿で分かれた青梅街道は、青梅そして大菩薩峠を経て、ここで再び甲州道中と合流する。近くには江戸深川からやってきた摩利支天尊堂がある。 

14:30 「酒折宮」
 酒折宮の御祭神は日本武尊、東征の帰途、この地の翁に与えた「火打嚢(ひうちぶくろ)」を御神体として祭っている。  

14:40 「甲斐善光寺」
 甲州道中から1kmほど外れるのだが、信州は善光寺の門前に育った者としては気になる場所。 甲斐善光寺は武田信玄が、上杉謙信との “川中島の合戦” の折、戦火による消失を恐れ(という名目のもと?)、本尊の “阿弥陀三尊像” を移したのが始まりだ。

現在の金堂・山門は、宝暦四年(1754)門前の失火による消失の後、寛政八年(1796年)に再建されたものであるが、善光寺建築に特有の撞木造であることを含め、朱塗りであることを除いては信州の善光寺によく似ている。

 

甲斐善光寺参道を過ぎると、甲州道中は左、右へと4度にわたって直角に折れて進む。街道特有の桝形なのか城下町の防衛上の構造なのか、どちらだろうか。 

     

15:00 「甲府柳町宿」
 甲斐國鎮守、甲斐奈神社を過ぎるといよいよ甲府柳町宿へと入って往く。甲府の町は武田信玄の父信虎が石和からこの地「躑躅ヶ崎」に居館を移したことに始まる。宿場の規模は本陣1、脇本陣1、問屋1、旅籠21軒、しかしながら旧い遺構は何ひとつ残っていない。今回の行程を終えるのは丸の内郵便局前、身延道追分だ。近年建てられたもののようだが、「西志んしゅうみち、南みのぶみち」と刻まれている。

 

旅の終わりは甲府駅前で一杯、冷えた生ビールを呷った後は名物「甲州ほうとう」で腹を満たす。ぶどう実る「勝沼宿」から笛吹川扇状地を「栗原宿」そして「石和宿」と下って「甲府柳町宿」まで、17.1km、所要3時間50分の行程となった。

 

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