赤福の偽造が話題となっている。
今日は取材のために現地入り。
そこで聞き込みをしていたところ、地元の人から興味深い話を聞いたのでご紹介。
赤福の改ざんは73年からしていたのはすでに報道されている通り。
だがそのきっかけとなった事については未だ報道されていない。
今回、ヒアリングした地元の元職員は次のような話をした。
「そういえば、73年の頃、赤福を支えていた非常に優れた職人の料理人がいました。赤福の味はそれまで門外不出で誰もそのレシピを知らなかったのです。ですがその時、料理人が急死してしまいます。
赤福の職員は誰もレシピを知らないため、存続の危機に瀕したのです。
そこで赤福はその味を再現するため、試行錯誤を繰り返します。そして地元の宇治の人々に赤福を無料で配布し、味を再現できているか、その感想を聞いてまわったのです。そして当時の味には及ばないものの、それに近い味にすることが出来たため、これが現在のレシピとなったのです。
赤福の偽造はこのときから行われたと思います」
とのことだ。昔気質の職人が死んだことで、「品質」を守る意識が低下したのだろう。
これは単に赤福だけの問題ではなく、すべての製造業・開発業務に通じる授戒ではなかろうか?
(続)
今日は取材のために現地入り。
そこで聞き込みをしていたところ、地元の人から興味深い話を聞いたのでご紹介。
赤福の改ざんは73年からしていたのはすでに報道されている通り。
だがそのきっかけとなった事については未だ報道されていない。
今回、ヒアリングした地元の元職員は次のような話をした。
「そういえば、73年の頃、赤福を支えていた非常に優れた職人の料理人がいました。赤福の味はそれまで門外不出で誰もそのレシピを知らなかったのです。ですがその時、料理人が急死してしまいます。
赤福の職員は誰もレシピを知らないため、存続の危機に瀕したのです。
そこで赤福はその味を再現するため、試行錯誤を繰り返します。そして地元の宇治の人々に赤福を無料で配布し、味を再現できているか、その感想を聞いてまわったのです。そして当時の味には及ばないものの、それに近い味にすることが出来たため、これが現在のレシピとなったのです。
赤福の偽造はこのときから行われたと思います」
とのことだ。昔気質の職人が死んだことで、「品質」を守る意識が低下したのだろう。
これは単に赤福だけの問題ではなく、すべての製造業・開発業務に通じる授戒ではなかろうか?
(続)