もうひとりの私

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講師の違いで感じること

2013-07-31 06:04:50 | 日記

人に話をする仕事は実に難しいと思う。

主義主張がはっきりしていると、聞いていても面白い。

その話に賛同するかどうかは別としても、

聞きながら自分の思いがはっきり分かるからである。

午前中はカウンセリングについてだった。

「平等と公平は違う。

平等はなべて同じにすること。

AさんにもBさんにも均等に仕事を与えること。

公平は、Aさんの能力Bさんの能力に合わせて仕事を与えること。」

そう言われると、公平には、その人の価値観や基準が入ってくることになるのではないか。。。

「自我があるから戦争が起きる。

自己だけだと平和そのもの。」

そうそう、自我は自分と人を区切る枠になるから、違いを現してしまう。

自己は融合しようとするから、そこに争いは起こらないだろうな。。。

午後は差別の話だった。

「差別はある。差別が見えにくくなっている。

人は隠されたら、隠された側の人は見つからないようにするし

差別する側の人は、暴こうとする。

暴かれたとき、その人だけではなく、周りの多くの人が傷つく。」

だとすれば、その人の人権感覚を磨くしかない。

日々、情報を集め、自己を磨き、事実を見つめる目を持つことかな。

今日、会うのも最後になるだろう人と昼食を一緒にすることにした。

これが最後だと思うと、きっといろいろ話してくださるだろう。

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自尊心が低いと

2013-07-30 06:26:27 | 日記

昨日のカウンセリング研修会でストレスチェックの分析があった。

3年生~6年生で一番ストレスを感じているのは3年生。

その子たちの記述で、一番多かったのは、

「人からどう見られているか気になる」

「嫌われているのではないかと思う」

という項目だった。

ここから自尊心が低いということが考えられるという分析結果が言われた。

学校では、地域の人にかかわってもらうことが多く、外部の評価があった。

また毎年研究発表会をしていたので、厳しいチェックもあった。

そういう意味では、教師が周りの目を気にしていたのは確かである。

そのため、やかましく言われてきた。

今でこそ、職員がかわり、ゆるくなったが、子ども達の作品一つとっても

みんな徹底的に指導されていた。

その中で、今年来られた先生が1学期で退職を決意された。

その理由は複雑だが、歪みがあるのは間違いない。

働きやすくない職場なのだ。

子ども達に不登校はいない。しかしいじめはある。

二学期、少しは変化して過ごし安くなるだろうか?

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転職するとしたら

2013-07-29 05:22:51 | 日記

もしも私が何か他の仕事をするとしたらどんな仕事に向いているだろう。

・攻撃的、活動的、行動的、積極的なところがあれば、営業など

・フォロー、用意周到、ツール開発などが好きなら、弁護士、コンサルタントなど

・計画・プラン、作戦立てが好きなら、研究者、広報、企画事業など

・管理業務、継続作業・改善などが好きなら、事務、家事など

4つのパターンから向いている仕事を考えていく方法があるらしい。

これでいうと、私は企画かな。

私は、物事を考えるとき、消去法では考えない。

自分の行動を振り返って、何ができるか、何を今までしてきたかを見たとき

結構企画の段階でプロジェクトに参加していることが多い。

どんなものにしようかと考え、意見を出し合うのが面白い。

今までにやったことがないものを作りたいと思う。

そう思うと今の仕事が向いているのかも知れない。

もう少しこの仕事を続けてもいいかな。

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若い人が多い!

2013-07-28 08:09:58 | 日記

研究会に行くと、若い人がたくさんいた。

質問でも若い人たちが自分の考えをしっかり発表していた。

私の若かった頃は、意見など言えなかった。

それこそ経験豊かな方々が、自分の考えを朗々と述べられていたから

そこに入り込む余地はなかった。

そんな場で自分の意見を言うと、たちまち鋭い指摘が返ってきて

自分の至らなさを感じたものだ。

今回、発表した若者たちは違う。

実に言葉の使い方もうまい。

情報化社会において、様々な情報を取り入れ処理し、自分の物にしていく若者たちが増えた。

時代はどんどん変わっていく。

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もしも自分がこの世から消えてしまったら

2013-07-27 05:51:53 | 日記

今、自分が消滅してしまったら何らかの変化が起きるだろうか?

家族の中での私は、ほとんど居ても居なくてもいい存在になっている。

居たらいたで話をし、関わりがあるが、

居なければ、それはそれで問題無い。

仕事においては、居なくなってできなくなるものはない。

誰かが代わりにできる仕事だから問題無い。

とすれば、私が今ここに居る必然はない。

いつ消滅してもかまわない。

そう思うのだが、ではなぜ生きているのだろうか?

今は、その意味はわからないが、きっと分かる日が来るのだろうか?

今日は阪神人権同和研修会に出かける。

人権の意味を深く考えてみる日にしてみたい。

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