羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口三千三の運動感覚と言語能力の卓越性を再確認した話

2017年07月23日 07時47分52秒 | Weblog
 昔の師範学校は、小学校の先生を養成するところだった。
 野口は、さらに上の学校の教師になるべく、国家検定試験を受験した。
 既に戦時体制に入っていた時代のこと、体育・体操で受験することが有利だと、教師や先輩から聞いていた。
 そこで師範学校に在学中から、受験勉強準備を始めたのでという。

 なかでも解剖学は必須であった。そこで1頁ずつ隅から隅まで、あますところなく暗記したそうだ。
 ◯◯筋は、どこから始まり、どこについてくる、という風にとにかく覚えた、という。
 この話は、野口の著書や、春秋社『DVDブック アーカブス野口体操』で養老孟司先生を相手に話をしている記録が残っている。

 結局、一生懸命覚えた知識は、実際の動きの際に役立つことはなかった。
 主働筋はこれこれで、それに対する拮抗筋はこれこれ。それの補助的に動く筋はこれこれ。
 つまり死体解剖がもとになっている解剖学は、時間がとまり、重さの方向がなく、そもそも死体は動かないわけだから、動きには関係がない、と豪語されていた。
 それだけ一生懸命勉強したにもかかわらず、という恨みにも似た(?)思いが根底にはあった。

 当時の年齢を18歳から19歳と想定してみるとざっと85年以上が経過している。
 解剖学はすでに変わりようのない学問と思われてきた。
 それが機能解剖が研究され、動きとの関連で学べるようになった。

 さらに、「アナトミー・トレイン」という考え方の本が何冊も出版される時代となった。
 日本語に訳すと「解剖列車 筋筋膜経線を鉄道に見立てて、からだの旅に出る」というようなことらしい。
 筋の働きをつながりとして捉え、12路線を想定している。

 さて、7月15日土曜クラスでは、FB上で見つけた代表的な図録:スーパーフィシャル・バック・ライン 略してSBLをiPadでご覧にいれた。
 足の裏からはじまって、足の後ろ側、背中、頸、頭、頭頂から眉間にかけて繋がる筋と筋膜の繋がりを示した図であった。

 20日木曜日に、偶然のことに紀伊国屋書店で第三版Web動画付き『アナトミー・トレイン』医学書院を購入して来た。

 いや、驚きましたね。
 何がって、本に一つずつ、IDとパスワードが隠されていた。
 医学書院のサーバーに入っていくと、ログイン画面が待っていて、IDとパスワードを打ち込むとWeb画面が表示される。
 本文の図版にふられている番号をクリックすると、その英語による音声説明に日本語の音声説明がかぶっていて、よく聞こえるのである。
 一見、難しそうな専門書が、本文と照らし合わせWebを見て聞くことで、すんなりと理解できる教科書であった。

 いやはや時代は変わった。
 晩年の野口が「文明さんお先にどうぞ」と言って、ファックスさえ拒否しておられた。
 むしろ懐かしい。
 今や、PCだけでなく、タブレット(たとえばiPad)スマホ(たとえばiPhone)なしには、学びにも乗り遅れる時代となった。
 つまり、ガラケーは、すでに過去のものになりつつある。

 フーフー言いながらも、結構、楽しんでいる私としては、レッスンの場でご披露する有様である。

「つながり、つたわり、ながれ、とおり、まわり、めぐり、次々順々」とは野口体操の動きにとって重要なキーワードであり、実際にその方向でからだの動きをみていく。
 足の運動、手の運動、頸の運動、などと分けられないのが、体の動きである、という野口の実感に基づく考えで、野口体操の動きは成り立っている。
 繋がりとしてのうごきを大切にしている。

「アナトミー・トレイン」とまったく同じとは証明できないが、考えとして共通するところがある。
 解剖学もこうした方向にまでようやくなった、別の言い方をすれば野口が主張していた、臓器も筋もバラバラにしては、生きているからだの理解にはならない、という考えに近づいた、ということである。

 朝日カルチャーのレッスンでは、二週にわたって野口流マッサージ法のうち、三つの姿勢をとりながら腰から上、肩、背中、頸、頭を中心にマッサージをする。腰や足に直接触れていないにもかかわらず、SBL スーパーフィシャル・バック・ラインの全体、とくに足から腰がほぐれて「上体のぶらさげ」が楽になる。からだの中身の質感が変わる、骨盤を含む上体が重さによって下へ下へ地球の中心に引っ張られる感覚がつかめた、という結果が現れた。
 野口指導の正統(丁度いい表現がみつかりません)なマッサージのやり方を、まず守っていただいて、確かめた。
 先週よりも今週の方が、重さが実感できた方が増えていた。
 本を見て、Web動画を見ながら解説を聞いてもらった効果は大きかったようだ。
 
 解剖学も変わった、ということ。
 教科書もWeb導入の時代になった、ということ。
 野口の先見性、というより運動感覚と言語能力の卓越性を、実感させられた、ということ。

 この三点がお伝えしたかったことでした!
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『明治維新という幻想』

2017年07月22日 09時15分53秒 | Weblog
 買い物のついでに、ふらりと本屋に入った。
 お目当ての本は置いてなかった。
『明治維新という幻想 暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像』森歌健司著 羊泉社 歴史新書 を手に取った。

《私が江戸時代に惹かれる理由は、実にシンプルだ。そこに眩い庶民の文化があったから、である。中略 二百六十五年間の江戸の世が産み落とした「非戦の美学である。中略 究極、どの戦争も無意味だが、それでも戊辰戦争ほど無意味な戦争はなかったと断言したい》

 あとがきを読んで、決まりである。

 夕食前に一気に読んでしまった。
 船戸与一『新・雨月 戊辰戦役朧夜話』を追認する読書だった。

 暴力革命で新しい政権を勝ち取った為政者のやることは、いつの時代でもどこの国でも同じだ。
 青史を都合のよいもの、自分たちの正当性を主張するために、それまでの政治・文化・風習、すべてを闇に葬るのである。

 明治新政府が潰した江戸を、民衆がつくった「風刺錦絵」と、旧幕府軍側の視点で維新を解明している。
 なかなかよかった。

 丁度、野口三千三のおじいさんのことを「地芝居」との関連で書いていたところなので、この本の記述に、納得し腑に落ちるところが多かった。
 
 そこで、平成の現政権の資質、改憲への意欲等も、この視点から見ていくと、なるほど……と思える。
 危のうございまするー。

 著者は、江戸時代の庶民思想の研究に注力している、とプロフィールにあった。
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人が人を生かす……老婆の回復力に……

2017年07月21日 19時37分46秒 | Weblog
 金曜日の午前、母の施設に口腔ケアの歯科衛生士の方が来る予定になっている。
 そこでその時間に合わせて、出かけていった。
 丁度、ケアがはじまったときだった。

 その間、介護士の方と話をしていた。
「今朝はトイレで、立派な太いバナナが出てくれました」
「まぁ、去年から少なくなってましたから、よかったですね。手を合わせてしまいますね」
 二人、にこやかに話し合った。
「やっぱり、お襁褓ではなく、便座に座って自分の力で排便ができることは、ご本人にとっても気持ちがいいんですよねー」
「本当にそうですね」
 食事も完食になって、おやつもあっさり食べ切っているそうだ。
 母の部屋に行って、持って行ったタオルケットに名前を書いて戻ってくると、丁度、口腔ケアが終わっていた。

 挨拶をすると、若い女性の歯科衛生士の方が、ものすごく嬉しそうに
「お口の中をみてください」
 相当綺麗になっていて、下の歯の裏側が黒ずんでいるのを、これから丁寧にケアをすると、伝えてくれた。
「随分、歯が残っていて、ちゃんと噛めるので常食がたべられるので、よかったですね」
 入居する前に、ほぼ2年をかけて歯の治療を行った。30回近く、歯科医院に通ったことを伝えた。
「入れ歯もなく、虫歯もないくて、すばらしいですね。だいぶ前から嫌がらずにやらせてくれるようになりました」
 私が褒められているような気分になった。

 その後、一年に一回の健康診断に行っている間、仲良くなった入居者のまり子さんとひとしきりおしゃべりをしたり、もうひとりの介護士の方に自分でする眉間から頭、頭頂部、頸、肩のマッサージと、肋骨をたっぷり動かす呼吸法と腰が痛まない程度に上体をゆする体操をお教えした。
 直接、腰を動かすことができないくらいの腰痛に悩まされている。
「これって、いつでも出来ますよね。まず、ここからはじめてみます」
 私の肋骨に触って、呼吸の時にどのくらい動くかをしってもらった。
「こんなに動くですね。やってみます。痛くない程度で……」
 しばらく仕事をしながら、会話をしていた。

 母が帰って来たので、用意した新聞を拡げて、手の爪を切って、話をする。
 爪切りはこれで二回めだった。
 私の切る動作に合わせて、指の位置を少しずつズラしてくれる、という変化を見せてくれた。

 仲良くしているまり子さんとも、介護士さんとも少しずつ会話をするようになったそうだ。

 よくここまで来ました。
 人は変わる。いくつになっても少しずつでも変わる力がある、ということを知った。
「この調子だと、百歳まで生きるんじゃない?」
 毎日の刺激は、自宅で留守番をしている毎日とは、まったく違う。

「脱衣もなくなってきましたよ」
 帰りがけに、思い出したように報告してくれた。

 11時半。
 外は、猛烈な暑さだったが、ホッとしたせいか、足取りも軽く自宅へと向かった。
 スタッフの方々が、真剣に取り組んでくださったお蔭だ。
 人間は孤独になってはいけない、とつくづく思った次第。
 人が人を生かすんですねー。
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新しい本のあり方

2017年07月20日 13時55分41秒 | Weblog
 午前中、所用で新宿に出たついでに、紀伊国屋本店に立ち寄った。
 ほしかったチケットを手にいれて、そのまま書店を出ようと思っていた。
 最近では、Amazonで本を求めることが多くなって、書棚にならぶ膨大な量の本を目にして、戸惑いを覚えた。
 どこに何があるのか、どんな本なのか、本の見分けがつきにくく、呆然としてしまった。
  
 以前なら、本の背表紙を見ながら、楽しんでいた。
 それが、苦痛感が伴って、書名が脳に入力されてこない。
「これって、ヤバそう!」
 PCの画面上で、検索することに慣れすぎてしまった。
「エーっ?」
 なぜか許せない感じが、体の奥から沸々と湧くのである。

 諦めてエレベーターに乗って1階までおりようとボタンをおした。
 なかなか来そうもない。
 ふと後ろを振り向くと『アナトミー・トレイン』という文字が目に飛び込んで来た。
 ササッと、近寄って本を手に取る。
 この頃、FBで目にしている図版が載っている。
 手強そうだな、と躊躇して、棚の後ろ側にまわったり、少し先の書棚を見たりしているうちに、エレベーターに乗ることをすっかり忘れてしまった。
 
「やっぱり 本だ」
 感覚が戻って来た。

 気がつくと、その本を手に持ってレジの前に立っていた。

 さて、帰宅して、今、本の表紙裏にある《↑コインなどで削ってください》に気づいた。
「なんだ?」
 先を読んでみると、どうやら矢印に番号がふってあって、図版の説明を動画で見ることができるらしい。
 
 十円玉で銀色の部分をゴシゴシ削ると、IDとPASSが表示されていた。
 実際にiPadに医学書院のURLを打ち込んで、動画一覧から2つ見たところだった。

 なるほどであった。
 本を読みながら、動画を見ながら、学ぶ方法は、なかなか新鮮だった。
 きっと他の分野でもこうした本はすでに沢山作られているのだろう。

 野口体操もどこかの出版社が、話を持って来てくれないかしら、と都合のいいことを考えた。
 付録Web動画を、本を読みながらPC iPad スマートフォン(iOS.Android)でみながら、学べるっていいと思いました。
《ただし、バケット定額サービスなどにご加入されていない場合、多額のバケット通信料を請求されるおそれがありますのでご注意ください》
 と書かれていた。

 いやいや気をつけよう。
 なかなか甘くないなー。
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お蔭様 本日のこと

2017年07月17日 12時47分04秒 | Weblog
 八日ぶりに母を訪ねた。
 入居者の数名の方々と同じテーブルについて、雑誌をみていた。
 入っていくと私に気づいて、手を上げながら笑ってくれた。

 とても落ち着いて、脱衣も少なくなったと聞いた。
 食事もおやつも、食べるようになったとも聞いた。
 
 母のそばに椅子を持って来てくださったので、しばらく一緒に雑誌をめくって話をしていた。
 ときどき笑ってくれる。
 大きな進歩である。
 入院以前、状況が切迫してくる前の表情を取り戻しているようだ。
 お蔭さまです。

 たかだか一ヶ月と十日ほどで、ここまで落ち着いてくれるとは、入所当時の混乱ぶりからは思いもよらない適応ぶりである。
 スタッフの方々の並々ならぬ努力、心遣いの賜物である。
 感謝の一言しか言葉は見つからない。さすがにプロである。

 もし、緊急入院から自宅に帰っていたら、このような回復は不可能だった、と思う。
 少し想像しただけで、母と娘の暮らしの破綻が見えてくる。
 
 最初はどうなることかと思い悩んだあの時間は、何だったのだろう。
 それがあっての今日である。
 ほんとうにいいタイミングで入所させてもらった。
 
 ところで今年はやめておこうかともおもったのだが、お盆の行灯を出し、花を飾ったり、供物を用意したり、母の分も加えて香を焚いて静かにすごすことができた。
 お迎え火で、父を迎え、昨日、送り火焚いて、また来年のお盆までの無事を祈った。
 
 午前中に、穏やかな表情の母に会って安心して、午後からはしっかり仕事ができそうだ。

 スタッフのみなさんに、こころからのお礼をいいたい。
 これからも予期せぬ出来事が起こると思うが、ジタバタしないでお任せいたいとおもっている。

 みなさまよろしくおねがいします。
 
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お蔭さま

2017年07月13日 07時23分37秒 | Weblog
 お蔭さまのはなしー1−
 大学の春学期授業も、残り少なくなった。
 昨日の空手教場での授業は、蒸し風呂状態のなかで行った。
 樹木に囲まれて、部屋は申し分なく広く、天井も高く、窓も広い。
 そうはいっても多摩地方も、かなり暑い。
 外での授業は、気温・湿度を測って「熱中症危険・厳重警戒」が出されたこともあって、室内に振り替えた先生もおいでだった。
 
 野口体操の授業は、熱中症にならないためにそれなりに工夫ができる。
 しかし、学生も含めて途中挫折せず、無事に終えることができた。

 母が入所している施設にいくと同じ世代の入居者がいて、車椅子生活を送っている姿を見ている。
 そのことを思うと、若い学生たちに野口体操を伝えられることは、なんとも有り難い。むしろ幸せを感じている。
 さすがに帰りの立川駅までの多摩モノレール、三鷹で特別快速電車からも快速電車に二度も乗り換える中央線でさえも、普段ならば効き過ぎ感がある冷房は、ありがたかった。

 お蔭さまのはなし−2−
 時系列は前後するが、一昨日のこと、昔は養老院と呼ばれた老人福祉施設、最近では認知症研究所と入所施設をもつ「浴風会」に出かけた。この施設は、介護施設としても、研究機関としても、とりわけ認知症研究では、日本でも中心的な役割を果たしていることで有名である。

 ケアスクール校長の方との面談が叶った。
 本部の建物は文化財指定を受けているだけあって、どっしりとして長年つきかわれた権威が息づいている雰囲気であった。
 敷地は広く、庭には大木の樹木がつらなり、その中に建物がいくつも点在している。
 杉並区内、静かで恵まれた環境にある。
 短い時間ではあったが、貴重な話を伺うことができた。
 この話をテーマに、明後日のレッスンではディスカッションしてみたい。
 これは、母が施設に入所したことによって、得られてご縁である。
 
 その折に、紹介された催し物がある。

「人生の最終章への備え 絆のバトンタッチ」
 〜生きること・逝くこと〜

日時:平成29年9月8日(金) 12:30〜16:00(開場 11;30)

会場:有楽町朝日ホール

入場無料 定員600名 要申し込み

プログラム
第一部 基調講演 「お任せデス(死)から私のデスへ」樋口恵子

第二部 シンポジウム 〜人生最終章への備え・絆のバトンタッチ
    終活 マネー 医療 介護 看取り
    石黒秀喜他

第三部 ミニコンサート(15分)「心に奏でるハーモニー」 アンサンブル・ソノール

お問い合わせ  浴風会ケアスクール事務局 電話 03(3334)2149(平日9〜17時)

 主催:社会福祉法人 浴風会

 以上です。

 
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マガジン『エレガンテ』の効用、そして……

2017年07月10日 07時02分52秒 | Weblog
 日本ではピアノメーカーとして、YAMAHAピアノとカKAWAIピアノが有名である。
 その河合楽器 KAWAIピアノの二代目が「SHIGERU KAWAI」というグランドピアノをつくりあげた。
 ショパンコンクールなどでも使用されるという、日本生まれの名器らしい。
 最近ではピアノとすっかり疎遠になっていた私だ。
 今年の春までこのピアノの存在を知らぬままであった。

 メールで取材の申し込みを受けたのは4月だった。
 母が自宅にいる頃である。自宅には御呼びしにくく、新宿の喫茶店で落ち合う約束をした。
 50がらみの紳士のライターさんに、音楽やピアノについて、野口体操とからめてお話ができた。

 その冊子がおくられてきたのである。
 SHIGERU KAWAI オーナーズ・マガジン「エレガンテ」2017 JUNE vol.3

 一般には手に入りにくいマガジンなので、野口体操公式ホームページ「のnet通信」に、「心とからだと音楽ー身体感覚をひらく」見開きページを、佐治嘉隆さんが中身が読める状態で掲載してくれた。
 他には、バレー、ヴァイオリン、万華鏡、特別なスィーツ、モーツアルトやメンデルスゾーンの話、上村松園の美人画等々に混じって、野口体操の記事である。エレガントで高尚な雰囲気が漂っている。

 さて、昨夕、このマガジンを持って、母を訪ねた。
 寄り添ってページをめくりながら、たわいのない会話を交わした。
 ふと、母の目を見ると、親の欲目ならぬ子供の欲目だろうか、今までみたこともないほどきれいに澄んでいるではないか。
 ついでに口の中も見せてもらった。口腔ケアを受けていて、歯茎の様相もよい方向に向かっているのが確認でした。

 再びマガジンに戻る。
 何度も繰り返しページをめくりながら、同じ反応を示す。
「モーツアルトね」とか、「上村松園 美人画は綺麗ね」とか、言いながら見ているのである。
 私の名前を見つけて、読み上げる声には力があった。

 そんな母を介護職員の方が、トイレに連れて帰って来た瞬間のことだった。
 一緒にいたテーブルから少し離れてところに立っていた私を見つけて「みさお」と名前を呼んだ。
 直前の記憶が失われる母だ。
 今しがたまで、私とマガジンを見ていたことは忘れているらしい。
 むしろ、私が、そこに居ることに、新鮮な驚きを感じた声であった。
 
 脳科学の知識を調べたわけではないが、何かが残るような気がする。
「羽鳥操」と印刷された漢字が、脳の深層に働きかけ、久しぶりに顔認証と名前が一致したような印象を受けた。

 特別にクラシック音楽が好き、興味を持っているか、というとそれほどではなかった。
 積極的に関心を示めすことはなかった母だったが、日常的に娘の音楽があった暮らしを長く続けた証拠を見せてもらった。

 そうこうするうちに
「さぁ、帰りましょう」
「えッ、あ あの もうすぐ夕食だから、ここにいましょうね」
「あッ、そう」
 私の言葉に、納得したようなしないような母を残して、ディルームを後にしたのは5時少し前だった。

「あぁー、脱がないでくださーい」
 夜勤の女性介護士の方の声が後ろの方から聞こえたてきた。
 
「お任せ、お任せ」
 エレベーターの5桁の暗号を押して、階下におりた。
 外に出ると、梅雨明けではないがすでに真夏の夕暮れの彩りに、からだとこころを偲ばせるように、自宅に向かって歩きはじめた。
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意識をアナログに分け積み上げる稽古「野口流・ヨガ逆立ち+呼吸」

2017年07月08日 09時18分44秒 | Weblog
 1991年、『野口体操を解剖する』と題して、朝日カルチャーセンター特別公開講座「野口三千三+養老孟司」の対談のなかで養老先生はおっしゃる。
「現代人の多くは、意識でなんでも解決できると思いすぎている」

 作家・ジャーナリスト佐々木俊尚氏は、春秋社・月刊『春秋』2017・7月号「テクノロジーと死」で、つぎのように書いておられる。
『意識が自分にあることをわたしたちは自明として捉えているが、他者の意識をわたしは直接に認識はできない。中略 そもそも、意識やクオリアはそれほどまでにかけがいのないものなのだろうか?』

 野口三千三は運動という観点から次のことばを残している。
《筋肉の存在を忘れよ、そのとき筋肉は最高の働きをするであろう。
 意識の存在を忘れよ、そのとき意識は最高の働きをするであろう。》

 比較解剖学の観点から三木成夫は、こころと意識を次のように分けている。
『腸管にこころは宿り、意識は脳に宿る』

 三木の説によれば、植物・内臓系(一本の管・腸管)=「こころ」に対して、動物・体壁・運動系(筋肉・骨・神経.脳)=「感覚・意識」として捉えている。

 このことがストンと腑に落ちたのは、『人体 5億年の記憶 解剖学者・三木成夫の世界』布施英利著 2017年3月刊 を読んだことに依った。

 意識は邪魔だ、意識は憎むべきものだ的な感じを持ちすぎていたことに同時に気づいた。
 運動には感覚(クオリア)と意識は、切り離せないこことして徹底的に意識的な練習をしてみようか、とも思った。

 もしや、私のように運動が不得意で、運動音痴の私が、野口体操に出会ったことで曲がりなりにもからだの柔らかさを得られた過去を振り返ってみる。
 右も左もわからず、どの動きも梃子にも棒にも引っかからなかった体操を、自分ひとりで自宅学習をする際には、とことん意識を働かせていたと思う。
 その時の意識は、養老先生や佐々木さんや、野口がいう意識とは、レベルも質も違うのかもしれない。
 が、ある運動を身につけようとして、稽古したり・倣ったりする時には、意識は働くんじゃないか、と肯定的に捉えていたように思う。
 当初は、どれもこれも動きにはならなかった。
 野口体操教室では、ほとんど立ったまま、皆さんの動きをひたすら目で追って、野口の話をしっかりと耳の奥に定着させようとつとめていた。

 自宅練習では、ノートを手元において、気づくことを端からメモしていた。
 高尚なことば、哲学的なことば、含蓄のふかいことばなどは皆無で、とるにたらなようにないようなメモだったと、思う。

 さて、野口体操を始めて40年を過ぎ、今年6月下旬から、あたらしく野口流ヨガ逆立ちの稽古をはじめた。
 からだをほぐしながら、ほぐす合間に襖を背に、行っている。
 正確な日付は、6月26日である。
 最初の一週間は、まず、脳天に乗せる感覚を集中して探った。
 安定してのせられたときには、呼吸練習を加える。
 
 まず、息を吐き切る。最後の段階で腹筋をぎゅーっと締めるように肋骨も内側に寄せる。
 そこで「止息」。数秒間、息を吐くことも吸うこともしない。落ち着いたところで、息を吸う。
 下に位置する肋骨を外側にじわりじわりと膨らませる。次に、鳩尾から下腹部をふわーっと膨らませ、骨盤の中へと意識を落とし込む。最後の段階で恥骨を意識して、膣を締める感じで、ゆっくり息を吸い込む。
 
 つまり、意識を次々順々・三カ所に移行させながら行うのだが、その間つねに頭の中心に重さがのっていることだけは中心の意識に置いておくことは忘れないようにしている。

 ある意味で相当な集中をしている。
 逆立ち以外の意識はすてているのだから。
 しかし、逆立ちするからだの内側のありよう、呼吸のときのからだの使い方についてはこまかく意識しているわけだ。

「からだの重さを分けるように。細胞ひとつ一つに分け入るように」
 野口のことばである。

 この2週間で倣ったことは、意識の中身を細かく分けることだった。

 内臓に宿る心は捨てる。
 しかし、筋肉・骨・神経・脳=感覚(クオリア)・意識には、徹底的にこだわってみる「野口流逆立ち+呼吸」練習である。

 まだ、襖から離れることはこわい。
 そのうちに部屋の真ん中で、こうした稽古が出来る予感がしている。
 
 信じてみよう。
 負けて、参って、任せて、待ってみようと思う。

 佐々木俊尚さんのことば
『わたしたちは意識をかけがいのないものだと思っているが、一方で意識はつねに雑念に囚われる厄介な存在であり、わたしたちの生を苦しめる元凶でもある。中略 わたしたちの本質は、この厄介な意識という「雲」なのではなく、その向こう側にある「青空」ではないだろうか?』

 むむッ、「青空?」
 三島由紀夫は、ボデイビルで鍛えて得た強い筋肉が自信となって、自由が丘商店街で神輿を担ぐ。
 担いだその果てに、汗と疲労が齎してくれた無心が、彼の「青空」を見せてくれた。
 しかし、見上げた「青空」とその情景を、彼は言葉にすることはできない、と書いている。

 今、改めてはじめた「ヨガ逆立ち+呼吸」意識を分け・積み上げるアナログ稽古の果てに見えるものは、いったいどんな風景だろう。
 実に、実に、楽しみである。

******

 因みに、月刊『春秋』巻頭エッセー「テクノロジーと死」佐々木俊尚氏 哲学的な深い内容です。
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文月……まさかの坂の途上にて

2017年07月07日 10時37分59秒 | Weblog
 カレンダーをめくった。
「7月、文月かー」
 よくぞ渡り切った、と振り返る道には緩みかかった綱が一本。
 でも、実感としては、緊張感を完全には取り除けない。
「むしろ、一気に、緩みすぎてはいけない」
 自分に言い聞かせ、他の方からも忠告をいただいている。

 それでも少し得られたゆとりだろうか。
 ここ何年も母を背負って綱渡りをしていたことを思い起こす。

 向こう側の施設に送り届けて、思いもよらない出来事に遭遇した。
 上り坂、下り坂、まさかの坂、……うッ、誰の言葉だ?
 誰のことばでもいい。
 まさかの坂でみた風景は、なかなかに見事だった。
 
 こんなはずじゃなかった。
 先の予測はつかないのが人生ってものさ!

 背負うものは変わっても、最後まで綱渡りのなかでバランス感覚は磨かれる、のかな?
 その都度、アタフタ、ドギマギ、「あー、もうダメだ」の連続だった。
 こころの中で叫びながら、レッスンにでかける。授業にでかける。
 その場に立てば、背負っていることも、綱渡りのことも忘れて、集中する。
 終わった時には、微妙なバランス感覚を取り直せることを知った。
 また、ブログを書く事も、書く事で、行き詰まり感が払拭できることも知った。

 向こう側にいる母は、ケロッとしている。
 今週は美容師さんに髪を切ってもらった。
 前髪はつむじのところ7・3で左右に分ける。後髪は鬱陶しくない長さにカット。
 若返ったのである。
 よく似合うのである。

 さすがプロ集団だ。
 まさかの坂の上り坂も下り坂も、この分だと無事に通過させてくれるのではないだろうか。
 老いて、不自由になって、認知能力が頓に衰えて、そして乱れる。
 この乱調は、彼岸に渡る前の「通過儀礼」であろうか。
 途上にあって、本人には不満も不平もあるやもしれず。
 それによって周りの方々を振り回すことは確実である。

 しかし、彼女の立つ位置を真ん中にして、全体を俯瞰すれば、満更ではないとこまで導びかれて、たどり着けそうな気配を感じている。
 この通過儀礼の乱調は、この程度ですめば許容範囲にうちでしょうか。

 いすれにしても「お蔭さま」です。

 野口先生がある年の年賀状に、このことばの本当の意味が解った、と記されたことがあった。
 目の前にいてくれる人、目の前にはいない人、まったく知らない人も含めて、“人生はお蔭さま”なのであるといった趣旨だった。

 まだまだ、母も娘も、まさかの坂の途上です。
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「断捨離」の極意かも……野口三千三の名言

2017年07月03日 13時40分48秒 | Weblog
 母が高齢者施設に入所して、一ヶ月が過ぎた。
 まったく安心とまではいかないが、少しずつ落ち着いてきた。
 
 この間、住まいの部分の片付けは、相当に進んだ。
 残すものと捨てるものを仕分けして、かなりの量を捨てさせてもらった。 
 この際だから勢いに乗って、蔵の中のものを処分できるものから整理しよう、と流行りの「断捨離」を決行しようか、と考えてみた。
 
 ひとつの理由は、簡単だ。
 直近の母をみていると、元気そうなのである。
 食事も完食するようになった。それも自分の箸で、自分の歯で食するのは普通食である。
 ちゃんとお風呂にも入れてもえらえる。
 入れ歯はない。口腔ケアは一週間に一度の割合で受ける手筈はととのって、すでに3回は受けている。
 自宅にいたとき同様に常備薬はない。
 トイレトレーニングも受けているようだ。

 すべてこれでよし!とはいかないが、それなりに安定期に入ってくるのだろうことが、顔の表情からも読み取れる。
 まだまだ長生きしそうな元気さを見てとった。
 しかし、である。
「家に帰りたい」
 一言も言わない。
 それが不気味でもあり、有り難くもある。

 で、ふと、思ったこと。
 もし、仮に、私が先に死ぬようなことがあったら、この家はどうなるのか。
 ぞっとした。
 遺品整理を誰かにおねがいせねばなるまい、と。
 想像すると気が遠くなるのである。
 たとえプロの業者に頼むとしても、それだけではすまされない事情がある。
 たとえ誰かが采配を引き受けてくれる、としても気の毒である。

 どうするの!?
 まったくお手上げ。

「捨てられるものから、手をつけはじめようか……」
 そう簡単ではない、と思った矢先に親戚の者と電話で話した。
「操ちゃん、年内はまだ手を付けない方がいいと思うわ。まだ六十代でしょ……」

 その一言で冷静になれた。
 施設は近くにあるとはいえ、68年ともに暮らした母と別れたばかりなのだから。
 お互いに心の内は尋常ではないはず。
 そのような状態でくだす判断は危うい、ということを遠回しに言ってくれたのに違いない。

 時がくれば自然にからだが動いて片付けるだろう、と自分を信じてみることにした。
 半地下に二階建ての蔵の建坪は、およそ十五坪である。
 捨てるものばかりである、と想う。
 それもひとりでは片付けられない事は自明である。

 今、すべきことは、時間をかけて自分自身の老後の暮らしも視野に入れて、よーく、案を練ることだ。
 それって、実は、大変なこと。
 つまり、安易に「断捨離」をしていけない、という結論に至った。

 そこで思い出した言葉がある。
 甲骨文字研究に没頭したなかで見いだした野口三千三の名言だ。
「信」という漢語にそのままぴったりの和語はない、という前提をおっしゃる。
 たどり着いた「信」の訓みは、ひとつではなかった。
『「信(じる)」とは、負けて・参って・任せて・待つ』
 
 思わず、膝を打った。
 信じてみよう。
「機が熟す」
 死んだあとではなく生きているうちに、その時はかならずくる、と。

 極端な話「死んでしまえばおしまいよ」
 腹をくくった。

 なんだか、急に楽になった。
 あッ、これが「断捨離」なのか?!
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乱調もまたリズム

2017年06月28日 09時18分06秒 | Weblog
 今朝、母の鏡台を粗大ゴミに出した。
 雨に濡れるのがかわいそうな気がして、濡れないように工夫をした。
 修復不可能なほど壊れているのだけれど、母の思いを想像した。

「羽鳥さんね」
 二階に上がって、体操をはじめていた。
 道路から男性の声が聞こえた。
 階下におりてみると、鏡台はなくなっていた。
 再び、二階に上がって体操を始めようとしたが、こみ上げるものがあって、部屋の柱に手を当て、さらに手の甲に額を乗せて、じっと堪えた。
 しかし、悲しさに、しばし涙す。

 これではいけない、とばかりに、吹っ切るように体操を再開した。
 まず「やすらぎの動き」の姿勢をとった。
 思い切り息を吐く。それを繰り返すうちに、からだの奥が静かになってきた。
「しばらく深い呼吸ができなかった。なのに……」
 何ヶ月、いや、何年ぶりだろうか。
 深い呼吸とともに、体操が続けられた。

“物の怪”とは、よくいったものだ。
 ひとつ、母の代わりにしょっていたこだわりが、スーッとからだから抜けてくれたような気がした。

 まだまだ新たな生活のリズムはつかめていない。
 夜中に目覚めて体操をしたり、昼間に睡魔に襲われそうになったり、夜テレビを見ているといつの間にか居眠りをしたり、それなのにどんなに遅く寝ても陽が登る時間には目が醒めてしまう。

“ぐっすり眠れた感”がほしいなー。

 まぁ、ぼちぼちですね。
 慌てずにリズムをつかんでいきたい、と理屈で思うものの、ちょっと焦りっぽい自分を感じている。
 無意識の緊張から、解放されるのは、いつのことだろう。

 先日、母を訪ねた。
「今朝、はじめて私に笑ってくれました」
 介護職員の女性が嬉しそうに話してくれた。
 母の顔をみる。
 目と頬のあたりに、入院以前の表情の片鱗をみつけた。

 話をしているうちに、最近ではめっきり少なくなったという服を脱ぐスイッチが入った。
「あら、鉄火場の女みたいね」
「ほほほッ」
 笑ってくれた。
「入れ墨はないけれどね」
 肩脱ぎしている腕を袖に通している。

 彼女もまた施設でのリズムがつかめるには、時間が必要だ。

 生きているものには、自ずからのリズムがある。
 生きているから、生命のリズムが生まれる。

 そして、乱調もまたリズムのうちだ!
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立ち話

2017年06月25日 07時47分05秒 | Weblog
 母の施設まで、徒歩13分ほどである。
 ほぼ3週間が過ぎて、通う道も定まってきた。
 先日、大きなトート・バックに持参するものを目一杯詰めて左肩から下げ、右手にも大きな袋を下げて、いつもの道をテクテクと歩いていた。

 太陽は真夏を思わせる。気温はジリジリとあがっている。
 日傘はさせない。
 こんな時には大きな麦わら帽子をかぶるのが、私の慣わしとなって久しい。
 畑仕事にでも出かける出で立ちである。

 気づくと2メーターくらい前を、犬を連れて散歩中の女性が歩いている。
「お久しぶり」
 声をかけると振り返って
「ほんとうに」
 にっこりと笑ってくれた。

 どちらへ、と言葉には出さず、少々怪訝な表情を一瞬みせた。
「母がこの先の施設に入所して、届け物なの」
 それがキッカケで話がはじまった。

 彼女は私と同い年。
 30年以上も前に、二人のお嬢さんが我が家にピアノを習いに通っていた。
 時々、こうして会うと、なんとなく世間話をする間柄である。

「母を家に引き取って5年、施設に入ってもらって5年、ざっと10年介護したの。でも引き取ってすぐに、母におむつを当てたのよ。そしたら“こんなことなら死にたい!”っていわれてしまって……」

 しばらく間をおいて
「介護だけに専念しようと思ったんですけどねー」
 周りの人たちに画廊の仕事だけは続けるようにすすめられ、土曜と日曜の二日間だけ続けたそうだ。
「それはそれでよかったんですけど。死にたい、繰り返し言われると……」
 仕事も介護も、どちらか選択を迫られたときの、何とも言いようのない切なさはよくわかる。

 とくに親におむつを当てる判断は苦しいし、それ以上に当てられることへの抵抗感はいかばかりか。
「私もそろそろ母におむつをしなければ、と思いはじめた矢先に母の入院と施設からの入所のすすめの電話をもらったの」

 そういえば『母に襁褓をあてるとき』なんて題の本があったことを思い出す。
 著者は、最後は都知事の地位に就いたものの、晩節を汚した政治家だったなぁ〜。
 いやいやまだお元気でご存命のようだ。失礼。

 彼女は話し続けた。
「施設に入って亡くなる頃には、まったく食事をとらなくなって、自然に衰えて静かに逝ってくれて」
「そうでしたか」

 昨今、友人や知人、ある年齢の方との会話内容は、親の介護話であることが増えた。
 それほど親しい関係でなくても、道で偶然に出会って、さらりと話をかわすことが、どれほど気持ちを落ち着かせ、気持ちを楽にさせてくれるかが、わかってきた。

 この街に住んで半世紀。
 両親を知っている何人もの方と、こうして立ち話をする機会がある。
 声をかけたり、かけられたり、世間話を少し超えた会話は、萎えている心に束の間の安らぎをもたらしてくれる。そして元気をもらっている。
 
 この日も、お互いに、黙礼して、別れた。
 日差しが燦々とふりそそぐ道を、私は、ふたたび歩きはじめた。
 環状七号線はすぐそこだった。
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この数字、どう思われます?

2017年06月24日 09時22分06秒 | Weblog
 いよいよ東京都議会議員選挙の投票用紙が郵送された。
 ニュースでもさまざまな角度から報道されている。

 お恥ずかしいことだが、今回、私にとってはじめて、と言ってもいいほどに自分の問題を考えて、投票に行きたいと思った。
 やはり老後のことが、具体性を帯びて迫ってきたからだ。

 たとえば実父が亡くなったのが80歳だった。
 現在68歳の私には、80歳まではあと12年しか残されていなしい。
 その前に命を落とすこともあるだろうし、それ以上に長生きするかもしれない。
 それはわからない。
 が、しかし、80歳まであと12年という数字は、ちょっとショックだった。

 それもこれも母を施設にあずかってもらい、これまで滞っていた部屋の整理や掃除や洗濯、とりわけ母の寝具や衣類の整理とすることで、気持ちがすっきりしたところで、たどり着いた自分の老後問題だった。
 
 さて、選挙投票用紙と前後して、入所している特別養護老人ホームの「平成29年度 家族懇談会」議事録も郵送された。
 当日、出席してメモはとってあった。
 改めてこの数字を読んだ。

1) 特養の1割が介護職不足で空きの状態である。

2) 有効求人倍率 全国全業種平均1・45倍に対し、都内の介護職に関しては6・4倍にのぼる。
   現時点で都内では、1万5千人の介護人材不足。
   2025年までに3万6千人の確保が急がれる。
   ※人員確保には、派遣・人材紹介が手段となり、人の確保に大きなお金が必要となるっている。

3) 都内特養養において施設独自の配置基準を満たしていない施設が62・1%。
   その状態が6ヶ月以上続いている施設も65・4%にのぼる。

4) 23区内の孤独死 1日13人

5) 介護殺人の背景 2010年〜2014年の5年間に44件発生し
   加害者80%⇒介護疲れ 45%⇒深刻な不眠 25%⇒複数の介護 
   70%⇒男性(息子・夫)

6) 中学校・高等学校の教科書に「介護現場は重労働で低賃金」と堂々と記載されている。

7) 2015年の介護報酬の大幅引き下げにより、特養でも▲4〜5%報酬減。

******

 母が入所している施設は、かなり大きな規模である。

 先を読むと次のような記述があった。
 この施設では、202床を国の基準では、68名のスタッフとされているところ、112名(44名多く)雇用し、常勤換算としては100名超えを維持している、とあった。

 その他、さまざまな問題を抱えているが、近隣の施設に比べて恵まれているらしい。
 今後も安定経営につとめたい、と記述もあった。

 なんというか、自分に呆れている。
 安定経営などまったく考慮せず、どこよりも近いという条件で希望し、運良く入所させてもらえた。
 これまで有料老人ホームもいくつか見学し、在宅での特養並のサービス等々も検討した。
 しかし、どれも条件がいまいちで、落ち着いた先がこの特別養護老人ホームであった。

 このタイミングで、この施設に入所できたのは、きっと神様の計らいに違いない。
 開催された一年に一度の「家族懇談会」にも出席できるタイミングだったことも幸いしている。

 こうして議事録の数字を読んでみると、今までにまして都民としての自分を意識する契機となった。
 ちゃんと考えて投票にいきたい、と殊勝な私である。

 ちょっと、苦笑いであります。
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細やかな心遣い……カイロス的時間とクロノス的時間のはざまで

2017年06月23日 14時22分57秒 | Weblog
 昨日、7日ぶりに母を訪ねた。
 私のことは忘れられているかもしれない、とドキドキしながら5階のエレベーターをおりた。
 母にお近づくと「いつ来たの」と自然に声をかけてくれた。
 ホッとした瞬間だった。
「少しずつ落ち着いていらっしゃいましたよ」
 その言葉でさらにホッとした。
 
 入所時から、部屋には動くと “ ピポピポピポ ” と、かなりけたたましく反応するセンサーの敷物があったが、それを取り外して、外に出たときだけ知らせるためのドアチャイムがつけられた。昼間でも結構よく聞こえるし、よい音色なのだ。
「これからの季節、風鈴みたいですね」
 担当の方が話しかけてくれた。
 つまり、部屋の中では危険はないので自由に動いていい、という判断らしい。

 ここまでが昨日のこと。
 ここからが今日のこと。

 衣類の入れ替え、長年使っていた枕を用意し、自宅から茶葉と急須を持って行くことが主な仕事だった。

 10時ごろに、デンタルクリニックの訪問診療で、歯のクリーニングをしてもらったあとの時刻に到着した。
 ちょうど皆さんにそれぞれの好みの飲み物を配る時間で、母には50年以上も日常的に呑んでいる狭山茶を入れてくれた。
 母と話していると、日本茶のよい香りが漂ってきた。
 こんなにいい香りがするとは、今日の今日まで気づかなかったことに驚いた私だった。
 こんなふうに一日に一回でも入れてもらえたら、母にとってはありがたいことだと思う。
 スタッフの方々の心遣いに感謝しかない。

 いつもは私がお茶を入れていた。にもかかわらず、香りに気づいて新鮮だった。
 これも私が得られた「レスパイト・ケア(施設入所することによって、介護者が自分の時間を持つ)」の賜物であろうか。
 これは多くのスタッフに支えられていることを、現場で身にしみた瞬間だった。

 先日行われた施設の「懇談会」でも話題になっていたことがる。
 介護は、サービスかホスピタリティーか。
 そのことを考えながら、講習等々も受けているという。
 またKさんからのメールにもあったが、『本来ケアの本質は、その人の固有の時間、歴史時間(カイロス的時間)を共有する事にあると思いますが、制度化された介護業務はどうしても定量化された時間管理(クロノス的時間)の中で業務が遂行されていきます。施設介護の限界のように思います』

 限界の中でも、50年以上呑み続けたお茶を入れてくれる、ということは身体記憶のカイロス的時間を過ごさせてもらった、と言える。
 母は、すぐにも呑みたそうだった。
 言葉には出さなかったが、香りが懐かしかったかもしれない。
 じれったそうに冷めるのを待った。
 そして、表情も変えずに、お茶をすすっていた。
 5月20日以来、久しぶりの我が家のお茶である。

 他にも、ほぼ一週間過ぎたが、床に寝具をおろして就寝するということで、少しずつ落ち着きはじめたらしい。
 ベットではなく布団を敷いて休む、という90年の習慣は、からだの芯にしっかり刻まれている固有の時間(カイロス的)、そのものなのだ。
 
 深夜の状況はわからないが、朝・昼・夜の介護現場を垣間みながら、たくさん学ばせてもらっている。
 徐々にです。
 ぼちぼちです。
 日常の些細なことは、けっして些細なことではないんですねー。

 ひたすら、ありがとうございます。
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高円寺にも空があった! レスパイト・ケアの賜物

2017年06月21日 08時25分25秒 | Weblog
 高円寺駅の北口改札を出て、交番前にある信号機を渡ろうとしたその瞬間、信号は赤色に変わった。
「アラッ、残念ッ!」
 舌打ちをするようなはしたない行動まではとらないが、帰宅時間に追われている私は、からだの奥にキュッと締め付ける違和感が走るのを覚えていた。

 つい最近のこと、そうした状況に何事も感じないで、ゆったりした気分で立ち止まった。
 それだけではない、なんとはなしに西北の空を見上げていた。
 ビルの最上階のむこうにひろがる淡いブルーの空に、薄い雲が薄紅色に染まって細く長くたなびいていた。
 住宅密集地のこの街でも、何かを忘れさせてくれる夕焼け空が見えるではないか。

 このところ何年間も、真っ直ぐ目の前をみてセカセカと帰宅する毎日だった、と気づいた。
 まだ二週間くらいのことだが、ほぼ同じ時間に帰宅している。
 しかし、気分は全く違う。
 気持ちが楽になった。
 帰宅してすぐ、母をトイレに連れて行かなくていい、という安堵感。
 なんでこんなホッと出来るのだろう。

 Kさんから再び内容の濃いメールをいただいた。
 読みながら納得である。
 刮目である。
 
 書かれていた「レスパイト・ケア」とはこの体験なのだろう、と思った。

 さて、懸案事項のうちの一つ、母の寝具の片付けを行った。
 本日、6月21日が夏至である。その前日、つまり昨日6月20日は、昼間の時間がいちばん長い夏至と同じだけあるのだとニュースで耳にした。
 晴天の上、気温も夏日とあっては、この日に片付けをするのがいちばん。
 寝具を干し、布団カバーをその他を洗濯した。干しきれないほどの洗濯物に寝具類をなんとか干し切った。

 夕方になっても明るく、気温は高かいままだった。
 4時になるのを待って、冷房除湿を入れた部屋に取り込みそのまま放置して一時間待つ。
 十畳の部屋が足の踏み場もない状態を見ながら、野口先生から教えられた言葉を思い出す。
「宮本武蔵だ! 何人いても切るのは一人づつよ」
 野口体操で鍛えたからだである。軽々と易々と押し入れにしまい込んだ。
 ふっくらとした寝具の山で、押し入れは飽和状態であった。
 しかし、圧縮してしまう気持ちになれなかったのである。

 そしてもっと気持ちに変化が起きてきた。
 これまでにかなりの数のものを整理し捨てた。 
 家のなかのあちこちを片付けている。
 まだ躊躇っていたものもある。
 その一つに、蔵に入っている桐の箪笥のうち、すでに空にしてあった一竿を粗大ゴミに出そうと思っていたがとりやめにした。
 ハンガーを吊るすスペースがある箪笥だ。数少なく残しクリーニングし、ハンガーにかかった状態でもどってきている母の服を、この箪笥にしまっておこう。
 もう着ることはないかもしれない。
 だととしても箪笥がそこにあって邪魔になるわけではないから、残す決心がついた。
“寝具を丁寧に片付けた”という行為の向こうから、母からのメッセージが届いた。

「私は、まだ、生きているのよ」

 デイ・ケアサービスも、シュート・ステイも自宅で受けられる理学療法士の方のリハビリも、頑固に嫌がって拒否してきた母にとっては、まったく納得できず不本意ながら生きる時間かもしれない。

 私は、限界だった。
 その現実が、実感として感じられた瞬間であった。

 祖父から母へ送られた三竿の桐箪笥、洋材の小振りの箪笥、シンガーミシンは、やはり捨てることは出来ない。
 修繕不可能なほどに壊れてしまった鏡台だけは、いかんともし難い。
 28日に粗大ゴミとして出すことになっている。

 さて、「今は、捨てない」という選択ができたのも、レスパイト・ケア、つまり「施設に入所することによって、介護者が自分の時間を持つこと」のお蔭のような気がしている。
「今からではもう遅い、しかし、今からでも遅くはない」野口のことばだ。

 負担に感じはじめていたレッスンや授業から、負担感が失せた。
 日常の暮らしの時間が、ゆったり流れてくれるようになった。
 それもこれもレスパイト・ケアの賜物であろう。

 そして
「高円寺にも空があった!」

 その気づきもまた……。
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