羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

『日本国語大辞典』小学館

2012年02月14日 08時58分54秒 | Weblog
 昨日は、3・11の地震の際に本棚の上から落ちた「五人囃子」人形を片付けた。
 昭和25年の初節句に母方の祖父母から送られたお雛様だ。内裏様をはじめ他の人形や雛道具などは、茶箱に納められているらしい。らしいというのは蔵のむき出しの梁に近いところの棚に乗せられていて、長年にわたっておろしたことがないので、確かめていない。
 その茶箱に入りきれない一箱がこれだった。文字が書かれて使用しなくなった和紙を張り合わせてつくった畳紙に包まれ、紙縒りの紐がかけられていた。床の上で包みをほどくと、桐の箱が音も立てずにバラバラに壊れた。高いところから落ちた衝撃でいたんでいたのだろう。まず、人形を一体を取り出した。そろそろと紙をはいで見ると、着物は色あせていなかった。頭も離れることもなくちゃんと着いていた。無事だ。一体ずつ丁寧に紙を取り除いて、並べて見たが、五体満足であった。きっと他の人形もおそらく綺麗な状態に保たれている、と思いたい。
 丁度、空になっていた柔らかで軽いスーツケースが見つかり、取っておいた桐箱二つに、新しい紙で養生した人形を入れた。後々、壊れた箱を修理して、そこに戻そうと思っている。
 再び、蔵の二階にしまうと、落ちついた。
 連日ドラマ「カーネション」が描いている昭和の時代。思えば、25年当時、まだまだ物が充分になかった。ましてや段飾りの雛人形を持っている女の子は、ご近所では少なかった。
 これは迷いもなく、取っておくものだ。

 さて、それはそれとして、次なる悩みが発生している。
 本の整理をはじめたのだが、小学館『日本国語大辞典』をどうするのか、である。
 野口体操をはじめて、この20巻と諸橋轍次の『大漢和辞典』をまず用意した。記念すべき辞書たちである。
「体操になぜ辞書?」
 そんな疑問符をつけることもなく、野口先生のレッスンを理解する為には必要だ、とばかりに高円寺の古書店・都丸書店で買い求めた。
 因みに、『日本国語大辞典』についてこのような説明がある。コピペをお許しください。
《上田万年・松井簡治による『大日本国語辞典』を引き継ぐ事業という性格をもつ。松井簡治の子松井驥、その子松井栄一三代の蓄積していたカード資料に注目した小学館が、1960年に松井栄一に出版を持ちかける。1964年に、国語学者・金田一京助や、広辞苑の著者・新村出、大漢和辞典で知られる諸橋轍次を始め、佐伯梅友・時枝誠記・西尾実・久松潜一・山岸徳平という日本の国語学界を代表する学者を編集顧問に迎えて編集委員会が発足し、200名以上の執筆者を動員して本格的に編纂作業を開始する[1]。
1972年から1976年の5年間にわたって刊行され、全20巻、45万項目、75万用例という大部の辞典となった。また別冊には主要出典一覧、方言資料などが収められる。活版印刷には図書印刷があたった。》
 ウィキペディアでこの説明を読むと、ますます手放し難くなってしまった。
 古本屋でも引き取ってくれそうにないから、捨てるしか道はないのだが、家の前に積み上げる勇気はほとほと持ち合わせていない。
 そこで、片付けの手がぴたっと止まってしまった。
 まったく置き場がないわけではないが、電子書籍の時代に、どうしうたものかなぁ〜!?
 以前、SPとLPレコードを引き取ってくれる方を、サジさんが紹介してくださったことがあった。遠方からわざわざ取りにきてくれたご友人を前に「やっぱり、手放せません」と平謝りしたことがある。それ以来、もとの棚に収まったまま数十年が過ぎた。これとてカビがついているに違いないよね。ほーッ。
 
 二日目にしてこの有様。結局のところ、思いのほか、断捨離の道は、険しく遠い。
 Oh, My God!
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日本国語大辞典 大漢和辞典 金田一京助
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