羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

誰が訳したの? コメントに添付されていた貴重な記録

2016年09月19日 18時15分41秒 | Weblog
「日本国憲法改正草案」を、アメリカ側と議論するにあたって、佐藤達夫氏の通訳を主につとめたのがミス・シロタであった。
 彼女が1996年、母校のアメリカンスクールを訪ねて講演をした模様を、佐治嘉隆さんが写真におさめておられた。
 土曜日のブログのコメントに添付してくださった。
『the only Woman in the room』と題された記事には、1946年当時の貴重な写真が何枚も掲載されている。
 
 これはアメリカンスクールの記録なので、誰でもが簡単に見つけられるものではなさそうだ。
 ぜひ、みていただきたい。

『日本国j憲法成立史』のなかで、この日の彼女の印象を、著者はこのように描いている。

《私の通訳は、大体ミス・シロタという司令部側の若い女性がやってくれた。たまには、私も下手な英語で直接に議論をしたが、法律用語にさえ気を付けておれば、このシロタ嬢で十分であった。この人は日本に長くいた音楽家のレオ・シロタ氏の娘と聞いていただけに、日本語もよくわかるし、頭も鋭敏で私の意のあるところは、そのまま伝えてくれたと思っている。なお、白洲氏にもときどき発言をたのんだ》

 アメリカンスクール資料の写真のなかには、ホイットニー准将か、ケーティス大佐か、あるいはハッシー中佐ではないかと思われる人物の写真も掲載されている。
 当然のことだけれど、(まだ、精確には読んでいないが)『日本国憲法成立史』の裏付けになる内容が、しっかり書かれているようだ。

 佐治さんは1996年のシロタ女史の最初と最後の写真を撮られたそうだ。
 穏やかな表情と醸し出される雰囲気が素敵だが、そこには戦時中から戦後を生き抜いた強さもにじみ出ている素晴らしい写真だ。
 撮影当時のお話を、もう少し詳しくお聞きしたい、と思っている。

 1946年3月4日、アメリカと日本の「憲法論議」に、女性が一人同席し、通訳をするだけでなく、女性問題に関しては彼女の考えが反映されていると読んだことがある。
 
 私のなかで、終戦後のこの時代が急に近づいてくれたような、気がしている。
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