羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

4/14日経「シニア記者がつくるこころのページ」と4/15朝日新聞「ニュースの本棚」

2012年04月15日 09時31分06秒 | Weblog
 昨日の朝日カルチャーセンター「野口体操講座」土曜日クラスでは、再び『生物学的文明論』本川達雄著 新潮新書423を紹介した。著者が提唱する「時間環境」を生物としてのからだに合わせる事の大切さを、野口体操の立場からも支持したいことをテーマの一つとして取り上げた。
 帰宅して日経新聞夕刊「シニア記者がつくるこころのページ」に、著者紹介記事が載っていた。
《省エネ型の生活が社会を永続させる鍵である。シニア世代は利己主義を捨てて利他の生き方をしてほしい。企業社会の時間環境を生活に持ち込まない》等々、本の内容とリンクさせたインタビュー記事だった。
 著者は、ここでも「人間の生物としての時間環境」と合理的且つ効率的に仕事をこなし「納期にきっちり合わせるための企業時間環境」が、合わなくなっているところから、さまざまなストレスが生み出されようになって久しい、と指摘する。

 さらに示唆に富む言葉を発している。
『これまで日本人はより速くより長生きにという時間の欲望を満たすため、膨大なエネルギーを使ってきた』
 しかし、その時間環境を今一度見直す時が来た、というわけだ。
 おそらくそのきっかけとなったことは、3・11の大震災と原発事故によるエネルギー問題だ、ということは誰でもが実感として得ていることだと思う。

 で、本日、朝日新聞朝刊「ニュースの本棚」『日本型福祉の終わり「家族の革命」がすすんでいる』大野更紗(作家)の本紹介記事は、本川氏の主張とリンクさせて読むと現代日本が抱える問題がより鮮明になって来る。
 ここでは三冊の本が挙げられている。まだ、読んでいないのでこれから書店に出かけようと思っている。
 この記事を読むだけでも、考える資料となってくるだろう。
 大雑把にまとめると、これら三冊の本は、「家庭内福祉」「企業福祉」の瓦解は指摘され、日本型福祉はとっくに期限切れを起こしている。少子化と超高齢化社会が抱える今とこれからの問題を考え、厄介な先行きへの対応に重要なヒントを示してくれる、とあった。
 
 読まなければなるまい!と、その気を起こさせてくれる記事のなかで、膝を打った言葉は『今日「家族革命」が進行している。「核家族」は「典型」ではなくなる。「核家族」というユニットの維持に必要な費用を一人で稼げる男性は、残念ながら、もうそう多くはいない』である。
 とすれば女性がどのように生きるのか、ということがまっさきに問題として浮上するはずだ。
 
 記事全体から読み取れることは、現在、既に、問題が表面化している女性の“仕事と家庭、子育て、高齢者の介護問題”が、健全な社会と健全な経済活動を維持するために重要な鍵となり、この点で失敗すると日本社会そのものが崩壊することを強く示唆していることだった。
 もう一つは雇用と貧困問題だ。

 とにかく、生物としての人間から文明を見直すことと、現代進行形の日本社会の有り様をしっかり見届けることは両輪となる。 
 野口体操のこれからを考えている私には、この二つの記事を読み合わせることは、大事なことだ!とすっかり覚醒させてもらった朝だった。
 本屋に行こう。
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新学期が始まった

2012年04月14日 09時32分40秒 | Weblog
 今週から大学の授業が始まった。
 毎年、とりわけ、4月の新学期は最初の一ヶ月を乗り越えることに腐心する。学生との間で信頼関係を築くのがこの時期にかかっているからだ。
 嘘はいわない。ごまかしはしない。しかし、言わずに取っておく方が無難なことがある。
 それが野口体操の真髄だから、厄介なのことこの上ない。

《主観・特殊・個別以外に具体的に存在するものはない。存在するすべては、主観であり特殊であり個別である。客観・共通普遍という抽象概念をつくり出すのも、また主観・特殊・個別である。自分が客観と思っていることは、そのように認識する自分の主観である、ということである》野口三千三

 百歩、いや千歩譲って、こと「からだ」だけに絞り込んだとき、このことは当たり前なのだけれど、素直に受け取る「からだの教養」が育っていないのだ。しかし、数は少ないが何となくわかる学生もいてくれるから救いはある。それでも「今は、言ってくれるなオッカサン!無理ってものよ」。
 “シュウカツ”、つまり数年後に、いや、目の前に、就職活動が迫っている学生には、受け入れる余裕などない。
 殆どそうした学生に、野口体操を教えている。仕方がないので、やわらかく『自分のからだで今を生きる』ことだけはなんとか伝えられるといい、と思って授業を始めているのが例年のこの時期だ。
 試行錯誤を繰り返しながら、バランス感覚を働かせて、10年間乗り切ってきたけれど、3・11以後は少しずつ状況が変わりつつある。四角四面に規則で動くのではなく、先入観を持たず、自分の感覚で逃げることが命を守ることになることを知ったからだろう。
 新学期、ここぞ勝負処である。
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藝術と猫

2012年04月12日 09時11分00秒 | Weblog
 今、Twitterで見つけました。
 名画と猫。はっと驚くエロスもあり!だから猫なんだ。好き嫌いはあるかも。
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「鉛直」と「オービット・ボール」、「水準器」、「トム・ボーイ」等々

2012年04月12日 08時06分18秒 | Weblog
 1988年に立ち上げた「野口三千三授業記録の会」では、ビデオを中心として、野口先生のレッスンを記録してきた。公開講座を企画し、朝日カルチャーセンターで開催させていただいた。
「独楽」あり、「蛇」あり、「貝」ありと、テーマは様々だった。その記録を編集し、何本かのビデオをみなさんにお分けしたこともあった。
 なかでも1991年正月「野口体操を解剖する」と題して、養老孟司先生をお招きした講座の記録は、没後、2004年に春秋社から『DVDブック アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司」として出版した。

 さて、このビデオ記録の全体のテーマは「もの・ことば・うごき」と名付けた。
 なぜ、体操におもちゃなの? なぜ体操に独楽なの? なぜ体操に石なの?
 怪訝な表情を浮かべながら、問いかけの言葉を呑み込む受講生の方も多かった。
「なぜって、とにかく、面白いでしょ』
 それでは答えにならない。
 呑み込まれた言葉を捉えて、その都度、みごとに体操へと結びつける野口先生の話術は、次第に「話芸」の域に達していった言っても過言ではない。「無理かなぁ〜」と思うこともなきにしもあらずの時もあったが、最初に見た時と話を聞いてから見直すと、ものの見え方が変わるのだった。さらにだめ押しは、「うごき」だ。その壺にはまって動くことができた時の感動は、そんじょそこらの体操(ゴメン)とは違う!ことが明確になる。「ただ面白そう」と感じる人はもとより、深く腑に落ちるた人は継続組に残ってくれる。
 言ってみればそのあたりの間合いが「知る人ぞ知る体操」と言われる所以かもしれない。

 思い出してみよう。
 とりわけ今の時期ならば植物の蕨薇。ご自宅の庭に顔を覗かせる「蕨薇」を切って、教室に持参される。
 因みに、3月29日に亡くなられたことで名付けた「早蕨忌」はそこからもらった。
 
 ほかにもおもちゃ類のなかでも筆頭は「トム・ボーイ」だった。
「生ものは円柱形(円筒形)」「生きもののからだは管の集まり」を形として示し、重さで動く代表例として見せられる貴重な道具であった。残念なことにこの製品はすでに作られなくなって相当な時間が経過した。
 たくさんの「もの」を通して、そのものが持つ「構造(象ち)」と「機能(働き)」に触れることで、動きのイメージが具体化し豊かになる「導具」として大切にされてきた。

 もう一つ、いつも持ち歩いておられた袋のなかには、「鉛直」があった。これは紐に鉛の玉(釣りに使われる錘)をぶら下げて「鉛直線」「地球の中心方向」を実感するための「導具」であった。
 残念なことは亡くなる直前に持ち込まれた「オービット・ボール」だけは、関心が向くことはなく遊んでもらえなかった。この優れもののおもちゃは、鉛直を実感し、真ん中にある移動する玉を軸に末端についている同じ大きさ同じ重さの玉を回転させてあそぶもので、動きの基本を教えてくれるものだった。
 元はアメリカ製で日本では手に入らなくなった。そこで江戸独楽作家の福島保さんに木で作ってもらっている。

 さらに加えてもう一つ、興味を示されたものに「水準器」がある。
 因みに「水準器」とは、《 水平面あるいは鉛直面を定めたり、水辺面から傾斜を調べたりするときに用いる器具。「気泡水準器」は、やや湾曲したガラス管にアルコールかエーテル(二個の炭化水素基が酸素原子1個と結合した化合物の総称。一般に中世で芳香のある揮発性の液体。特に、エチルエーテルをいう。)をいれ、気泡を残し、管が水平になったとき気泡が中央に来るようにしたもの。 》
 これは鉛直に対して水平を見る「導具」である。野口体操には水平感を探る動きがいくつもある。

 かくして、「もの(道具)」とは“道を貞く”、動きのイメージを引き出す、導きのための貴重な手がかりという位置づけなのだ。
「鉛直(鉛の玉をぶら下げたもの)」と「オービット・ボール」と「水準器」と「トム・ボーイ」は、動きを磨くための基本の「導具」と言える。
 ということで、今週もこれらのものたちに、お世話になりましょうぞ!
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花祭りの女子会

2012年04月09日 19時29分02秒 | Weblog
 一昨日、63歳の誕生日に、ちょっと贅沢な午後を楽しんだ。
 野口体操ゆかりの女子会に、母も仲間にいれてもらった。メンバー全員がそれぞれの経験からよい間合いで年寄りに接してくれた。おかげで翌朝の母は、いつになく気力が充実していたようだった。
 老いたら若い人たちと過ごすことの大事さを知ったが、当日参加した若い女性にとっても親族やPTAや仕事に関係ない年の離れた女性たちとの交流もまたよし、って感じかな。

 残してあったあった到来物の KUSMI TEA(The vert au Jasmin+Kashmir Tchai)に、当日持参してくださった自家製マーラーカオ(中華風カステラ)で、少し早めの午後の紅茶を味わった。
 最近手に入れた内側がホウロウで外側が鉄瓶製の紅茶ポットは優れもので、KUSMI TEAの香りを上手に引き出してくれる。保温性も抜群で、パリでも人気だということがうなづける。
 で、見た目は地味なお菓子だが、人様の家に土産として持っていけるほどに美味しくできるのは素敵だ。

 翌日も、いただいた可愛いいドレスタオルや花を玄関に飾って楽しみに、一人の女性が語った野口体操に辿りつくまでの意外な経歴話を思い出し、女だけの柔らかな時間を振り返ってよい気分に浸っていた。

 今年の桜は、丁度、満開。
 爛漫の春に生を受けたことが、これほど嬉しいことはないと感じた年はなかったかもしれない。
 心機一転。
 清々しさが身内から沸き上るが、不思議なゆとり感も同居している。
 年齢を重ねることで選択肢も減って、着実に残っていることに丁寧に向かい合えばよい、という諦念もまたよし、ってところかな。
 
 皆様、いつまでどこまで続けられるか見当はつきませんが、野口体操を生きる私の人生にもうしばらくのおつきあいをお願いしたいでーす!
 
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まずまず予定をこなした春

2012年04月07日 12時00分43秒 | Weblog
 今年は満開の花の下での灌仏会になりそうだ。
 最近は散る花、あるいは葉桜になることが多かったが、三月の寒さが開花時期を遅らせてくれたようだ。
 明日で満63歳になる私。こうして数字を打ち出してみると、もうそんな年なのかと驚くが、数字ほどの身体的な実感はまだない。

 ところで今年は2月に蔵の整理をして、階下に6畳ほどの作業場を確保した。
 3月には資料のデジタル化に精を出し、鉢植え植物の植え替えをした。
 月末から4月にかけて障子張り替えと畳表の裏返しと機に、部屋の掃除にかけくれた。予定に入っていたようないないようなガラス拭きは残ってしまった。
 建て替えた家に住まって6月で満7年になる。そんなこともあって、ここで少し手を入れておきたかった。
 いよいよ来週から新学期授業も始まる。その前に予定通がクリアできたことが嬉しい。
 かなり詰めて整理に励んだような気がしている。

 そんなこんなで、清々しい気分が得られた。
 おかげさまで、新たに、気持ちを引き締めて、2012年度が始められそうだ。
 春はいいな〜。桜は美しいなぁ〜。
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東京都の神田川洪水対策

2012年03月30日 19時04分18秒 | Weblog
 先日、町内会の見学会に参加した。
 場所は神田川・環七地下調節池だ。東京都の壮大な治水事業で、神田川水系の洪水被害を防ぐ為に、杉並区、中野区、新宿区から、最終地は日本橋川に合流させて東京湾に流し込む壮大な計画らしい。
「水を制するものは国を制する」

 私たちが訪ねた「神田川・環状七号線地下調節池」は、取水施設:川から洪水を取り入れ、地下トンネルまで導く施設。調節池トンネル:取水施設から流入した水を貯水する施設。管理棟:流入や排水設備等の運転操作や監視制御を行う施設。これらの施設で構成されている。

 整備事業の経緯は次のようである。
 延長4・5キロメートル、内径は12・5メートル。神田川、善福寺川及び妙正寺川の洪水約54万㎥を貯留する事業だという内容も含めて、この事業の意義について30分ほどパワーポイントを駆使し動画等も示しながらレクチャーを聞いた。別室では模型を使って水がどのように集められるのかをみることができる。
 その後、地下43メートルまで降り、巨大なトンネルが掘られている中間地点に立った。
 水は空ではなく、防火用水として貯水されている。気温は20度以下で寒い。照明は一つもなく、説明する管理者の方二名が照らす、サーチライトのように明るい携帯電灯がたよりだ。
 いつも持ち歩いている LED携帯ライトでは足下しか照らすことができなかった。
 そこを去る間際に、全部の照明を切って、暗闇体験をさせてもらった。これがいちばん恐い体験だった。隣に立っている人の存在もまったく消えてなくなるのである。
 こうした巨大空間のなかでは、市販されている携帯のミニライトでは、周りを照らし出すことができなくて、恐怖に駆られることを知った。

 この施設が出来てから、洪水の被害は減ったらしいが、施設があることすら、知らなかった。
 この施設を溢れさせるような大洪水が起こりませんように。
 なにより暗闇体験が出来たことが有益だった。何も出来ない。

 30分ほどして地下空間lから上がってきて、再びセミナー会場に戻った。
 質疑応答がなされたが、そのなかで興味深い話が出た。
「去年の3・11の地震が起きたその時に、地下トンネルに作業員がいたのですが、地上ほどの揺れを感じなかったそうです。あれだけの巨大施設で、地下全体が揺れるようです」
「まぁ、そうですか」
 としか言いようがなかった。

 さて、武蔵野市、杉並区、中野区に田畑があり緑が多かった時代から、次第に住宅が建てられ市街地となることで、洪水による被害が大きくなった、という説明はよくわかる話だった。東京の町が西へ西へと伸びていった結果、もたらされた人災かもしれないと考えると複雑な思いに駆られる。
 何が起きても不思議はない。
 とりわけ、繰り返しになるが、暗闇を失った東京の暮らしで、いちばん恐いのは「大規模停電」であることを改めて思い知らされたよい体験だった。

 お問い合わせ
 東京都第三建設事務所工事第二課 
 建設局ホームページ

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呼吸

2012年03月28日 14時17分18秒 | Weblog
《ミトコンドリアは細胞の中にあって、呼吸をつかさどっている。「細胞内呼吸」と呼ばれている。呼吸とは、息を吐き、吸うことだけでなく、酸素を使ってエネルギーを生み出すこと。ミトコンドリアは細胞内の呼吸の場であり、代謝の場である》
 こうした知識は、今ではかなり一般化している。
 
 現代人のストレス生活に鍵を握る呼吸に関連し、呼吸法などもヨガなどを中心に、実践されている。
 その場合は、意識を吐く息にまとめ、吐ききったところでからだを緩めれば自然に息は入る、と教えてくれる。「吐いてー、吸ってー、吐いてー、吸ってー」、玄人になれば「踵で呼吸する」とこまで到達できる、というわけだ。
「踵?」
「深い呼吸、ということです」
 生徒の問に答える。
「腹式呼吸は、腹に空気が入ってくる呼吸だと勘違いして、言葉通りに受け取る人だっているんですから。ちゃんと注意しないとね!」

 思い起こすのは、野口三千三の呼吸についての講義。それと同時に行われるパフォーマンスだ。
 吐く息だけでなく、息をすって「保息」の働きの重要性を、みせてくれる。
 まず、野口が仰向けに横たわる。ご自身より20キロ近く体重が軽い女性を選んでおく。女性を両肩ギリギリのところに左右の足を開いて立たせる。そして腹の上に座らせる。
 このとき野口は、息を吐ききっている。
 次に、床に接している女性の足をあげさせる。いわゆる「体育座り」の足をあげることになる。重さは野口の腹にかかってくる。その状態で息が入ると、女性のからだは上に持ち上げられる。
 今度は目一杯吸い込んで、吐くことも吸うこともしない「保息」状態であることをわからせる為に、野口は口を軽く開いても息が出ていかないことを、もう一人の人の手をかざして確かめてもらう。

 具体的に横隔膜はどのようになっているのか。
 横隔膜式呼吸(腹式呼吸)の場合、息が吸われると横隔膜は下げられる。これを仰向け姿勢で行うわけで、腹の上にのっている女性は、持ち上げられて状態で保たれている。示したかったことは、呼吸における横隔膜の力は、相当に強いことだ。からだの内部圧力を高めることができることを実証してみせたことになる。
 このときに大事なことは、腹筋の力が抜けていること。
 たとえば立つ姿勢の場合には、腹筋が働いて固められていると、横隔膜が下げにくくなる。内蔵が前や横に移動できないからだ。つまり横隔膜式呼吸では、腹筋が働くと動きの邪魔になる。
 仰向け姿勢の場合でも向きが異なるだけで同様である。

 他にも、横隔膜によってからだを守る例として、前突きがある。
 まず、直立した姿勢で、腹筋が緩んでいることを実感させる。その後、横隔膜式呼吸(腹式呼吸)で横隔膜を下げ、そこで「保息」状態にしておく。腹を突かれても、ふにゅっと緩まないことが肝心だ。
 相手に拳による前突きをさせる。かなり強い突きでも、横隔膜の位置が下げられている状態が保てれば、内蔵を守ることができる。そのことを示すパフォーマンスを行っていた。

 伝えたいことは、呼吸における感覚を磨くとき、横隔膜を下げた状態の「保息能力」が高いことが、いかに重要であるかだ。

 一般的に名人は「間の取り方」が違うというが、それこそが「呼吸」の上手さなのである。とりわけ吐くことも吸うこともしない「保息」と「止息」が「間」なのでる。
 前回の「円柱形・円筒形」と「筋膜」の話に、「呼吸」が加わると、「静かなるほぐし」が本当の意味で生かされてくる。構造と機能が見事に調和した時、人のからだの内側には、気持ちよい海が広がる。

 あえて言おう。
 呼吸を極めることは、「ミトコンドリア・イブ」に出会う旅に出ることかもしれない。そのまま存在のルーツを探る旅。
 そして、なぜ父親のミトコンドリアは受精卵で食べられ消滅してしまうのか、そんな生命の不思議に思いを馳せる時を過ごすことも、体操の醍醐味かもしれない。
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「からだは管(チューブ)のあつまり」と「筋膜」

2012年03月26日 13時17分47秒 | Weblog
 今日の題名は、3月24日(土)、朝日カルチャーセンター「野口体操講座」のテーマだ。
 持参したのは「トム・ボーイ」。太さも素材も長さも色もさまざまで、それらを立った目の高さで持って、中をのぞいてみる。太さによって見え方が全く異なる。一番細いトム・ボーイは、生体の中に吸い込まれるような感じすらしてくる。
 そうすることで、“からだは「円柱形」「円筒形」「管(チューブ)」の集まり”というイメージを、非常に単純化したところで、からだの中を探る一助にしてもらうために持っていった。
 太い物の直径は100ミリ弱、細い物は10ミリ弱。これだけそろうとイメージも膨らむ。
 野口先生は『標本は一つではなく、いくつも示すことが大事だ』とおっしゃり、事実、ご自身が何かを示す時には複数を持ってこられた。

 もう一つのテーマ「筋膜」については、キタムラさんからのデジタル資料をお見せし、言葉による対話をしながら、いつも行っている動きを味わい直してもらった。
「筋膜」は、解剖の際には邪魔者扱いで、ばっさばっさと切り捨てられていくそうだ。
 久しぶりに参加できた新井英夫さんが、思わずご自身の体験を話された。
「イノシシの肉を友人からもらったんですが、肉屋で買うような状態ではなく、大雑把に切ってあるだけで、筋膜がしっかりついていたんです。これがくせ者で迷路のように入り組んでいて、剥がすのがとっても大変でした。剥がした物を引き延ばしてみると、相当に伸びます。でも伸びきった限界ギリギリのところでピーンと張って、かなり丈夫な感じがしました」

「筋膜」が第二の骨格といわれる由縁は、仮に筋膜がない状態で筋肉の力を抜けば、形が保てないからだ。つまり、筋膜はからだの内側で構造を維持する役目を果たしている。その筋膜がゆがんだ状態で姿勢を正そうとしても「無理は無理」ということになる。筋膜を伸ばせば筋肉が自由になるので、解剖学的には無用なものであっても、生きているからだにとっては、ものすごく大切で、筋膜の状態次第でいかようにも不具合が出て来る。したがって筋膜をできるだけゆがみの少ない状態へと修正することが大切である、ということになる。

 野口体操には、この筋膜に働きかけるであろう方法があったことに気づいてのは、昨年のことだった。
 そんなわけで板書している内容をここに貼付けます。覚え書きメモです。
 ここには書きませんでしたが、「呼吸」が深く関わります。
 また、野口体操は治療を目的としていないので、ロルフィングとは異なります。


2012年3月24日(土)朝日カルチャー 

※今日のテーマ『からだは管(チューブ)のあつまり」と「筋膜」への働きかけ』
一、野口三千三語録より
『「もの」の基本の形は球である。ものの「動き」の基本は「円・波・渦・螺旋」あり、「生きもの」の基本の形は「管(入り口・通り道・出口)」である。』
『人間の基本の在り方は「寝る・這う」と「立つ・歩く(走る)」の二つであり、どちらか一方だけにしようとするには無理がある。』
『からだの動きは外側の形の変化として捉えるだけでなく、からだの内部隔壁・体腔の変化、さらには体腔内の状態の変化(圧力・硬度・比重・密度・温度・粘性度・伝導などの総合感覚)として感じ取ることが大切である。これは筋肉の緊張・弛緩の感覚だけでなく総合直感によるしか捉えようがないのかもしれない。』

二、 「筋膜」『北村さんからのデータ』から。映像を見ながらどうぞ。
* 『表皮のすぐ下で全身をタイツのようにおおう浅筋膜と深筋膜、筋肉を包む筋外膜、筋肉の中で繊維を束ねる筋周膜や筋内膜といった具合に何層にも重なっていて、しかもあらゆる筋膜が連続的につながっている。(第二の骨格)』
* 筋膜は、コラーゲンとエラスチンという二種類のタンパク質繊維が、メッシュ状に張り巡らされている。このうちコラーゲンはほとんど伸びないが、エラスチンは伸縮性に富み、2・5倍もの長さまで伸びる。
* 日ごろよく動いている部位の筋膜は、エラスチンがよく伸縮する。だが、あまり動かない場所のエラスチンは動かない。するとコラーゲンがエラスチンにまとわりついて凝集し、伸縮性を失う。膜同士が接していれば互いに癒着する。「煮こごり」のような状態だということが言える。
*よれた筋膜を伸ばせば筋肉は自由になる。
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《模様替えするなら「室内カラースキーム」》だそうよ!

2012年03月23日 11時21分52秒 | Weblog
 2012年4月No.192日経「interesse」版が、本日3月23日付け日経新聞朝刊に挟まって配られた。
 2ページ目から、今日のブログテーマ記事が3ページにわたって、SPECIAL掲載されていた。
「これだ!」
 思わず食入るように読んでしまった。
《室内のベースカラーだけで100%、そこから色を加える、あるいは引き算してていくとこうなる》という例がイラスト付きで載っている。
 例、Aは白かベージュばかりの部屋、Bは同系色だけの部屋、Cはカーテンの色だけが浮いている部屋、Dは目立つ色合いのものが点在している部屋。
 それぞれ四例が示されていた。
 他にも、室内で使う色の比率まで%で示し、懇切丁寧に教えてくれる。
 最後のページには、少量加える色の選択方法が載っている。

 というわけで《カラースキームとは、住空間における床、壁、テーブルなどのインテリアを構成する各パーツの具体的な色を極めること》と知った。
 なぜ?
 それはね、快適な住まいの空間を演出することは、暮らしを豊か快適にするだけでなく、そこに住まう人の心身の安らかさ健やかさにとってとても重要な要素だ、ということを言葉にこそ出さないが、教えてくれているようだ。
「なるほど、それでわかった!」と膝を打った話がある。

 昨日のこと。我が家を建てた工務店のご主人から聞いた話だ
 話はこうだ。
 若いカップルが古めのマンションに引っ越してきた。古いから残っているのだけれど、六畳と四畳半の畳の部屋があって、襖をはずし二間続きで使っているらしい。ごく最近、その工務店のご主人は、マンションのオーナーを介して四畳半の畳替えを頼まれ、新しい畳をおさめたという。
 ところが若いカップルは、畳の色が気に入らない、と言ってきた。おどろいて飛んでいくと、なぜ「茶色ではないのか」と詰め寄られた。「だって、新しい畳は青いですよ」と答えると「そんな話は最初に聞いていないし」と言ったそうだ。すかさず「三ヶ月もすれば色は焼けて、茶色に変色しますよ」と答えた。すると「説明不足だ!」と語気を強めたそうだ。
 言葉を重ねたが相手は話をまったく受け入れてくれない、とご主人はぼやく。
 
 カップルが話す事情はこうだ。
 畳のある部屋にすみたくてその部屋を選び、茶色の畳に合わせて家具も用意し、インテリアの色をコーディネートした。だから四畳半の畳の色だけが青く浮いてしまってイメージが壊された、という理由。

「そんなこと言われたって、昔から新品の畳は青い物です」
 言わなくても解っている筈、というのがご主人の説。
 ところが最近では30年も40年も畳替えをしない家もあるらしい。それどころか畳の部屋は特にマンションから消えてしまって久しい。すると子ども頃から畳のある暮らしをしたことがなく、畳替えの作法など知らないまま育ってきた若者たちがすでに出てきている、ということなのだ。
 若い学生の一人暮らしだけでなく、家族と暮らす家々からも座布団が消えている時代だ。

 更に話を続ける。
「実際には茶色の畳はなくはないんです。床の間に敷く畳。また琉球畳ははじめから茶色系で、紙やビニール製の畳には茶色があるんですが、どれも値が張るんです。アパートには使えませんよ」
 そこで畳屋に相談すると、棚の上に放ってあって古くなったので色がついている畳表ではどうか、という提案を得たらしい。
 いまのところ話はそこまでで、とまっている。

 驚くなかれ、畳は変色することを知らない若いカップルが、育っている日本だ。彼らが一方的に悪いとはいえない。しかし、年配のおじさんの話も素直に聞かないといけない。
 すでに「物を知らないって、そういうことだよね!」とは言えない居住環境変化が、日本には起こっている。
 たしかに室内カラースキーム記事は、フローリング床の居間の模様替えがメインの話題だ。その方が一般的に広まっている住まい方なのだ。
 畳の部屋に住んでみたい!そう思ったカップルの感性は悪くない。だったらそこで「最初に説明がなかった」と言葉を発しちゃいけないでしょ。

「一生、そこに住むわけでなし、たかが借りてる部屋でしょ。そんなに色にこだわらなくてもいいじゃないかッ」
 ムッとなった年寄りが呑み込んだ言葉らしい。呑み込んだところが少し大人だったが、若いカップルにはカチンとくる。言葉にされなくても感じちゃうんですよ。見下された思いがのこってかたくなになった、と想像できる。
「インターネットで調べてみます」
 その言葉にも年寄りとしては我慢がならない。
「そこで突っ張って、インターネットに悪口でも書かれたらかなわないから、引き下がりましたよ。なんとか茶色の畳表を使って、張り直してもらいます」
 
 今朝は、「室内カラースキーム」の基準で、我が家の各部屋を見て回った。どの部屋も基準にはほど遠いようだ。こうしたことに無頓着な私は、使い勝手がいいという条件を満たした物をそばに置き、何時からあるのかもわからない物で間に合わせている。よく見れば、とんちんかんな色使いのまま平然とくらしているなぁ〜、と思った次第。
 お蔭で我が家の畳も畳替えすることに決まった。
「今回は裏返しだから、替えるなら早めがいいわ。その後はとことん使ってすり切れてから替えるのよ」と、母が言った。
 
 はてさて、青畳は、日本の暮らしの心地よさの象徴だったのに。
 別れ際に工務店のご主人が言い残した言葉を思い出した。
「若者には、気をつけなさって。はい、ごめんなさいよ」
 年代で価値観も常識も暮らし方も、その差が大きく広がっている日本だ。
 今日の「室内カラースキーム」の記事を読んで、若いカップルの思いが透けて見えてきた。
 畳の部屋に暮らそう、と思い行動した気持ちは大切にしてあげよう。
 せめて、お互いに聞く耳を持ちたいね!
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Scanして転送、それもFREE!

2012年03月22日 12時49分55秒 | Weblog
 今しがた「筋膜」について、健康雑誌からScanしたデータを受け取った。送り主はフリージャーナリストのキタムラさんだったので、安心してiMacとMac Book Airにダウンロードしたところだ。
 この転送方法は無料の大容量ファイル転送サービス「宅ふぁいる便」で送られたものだった。
 映像はとても美しいし、文字も読みやすい。紙をめくる指先感覚がない!何てことは問題ではない。データのやり取りとして便利な時代になってすでに久しいってことだ。
 当方もFUJITSU のScanSnapからScanしたデータを直接メール添付で送れるので、これまでに使ったことがあったが、大容量の時には「無料サービス」には、何ともお得感があるよね。

 さて、今週の土曜日の朝日カルチャーセンター講座は「からだはチューブの集まり+筋膜」をテーマにしたいと思っていたので、丁度、ぴったりのデータをいただいた。
 それもあってMac Book Airにもダウンロードしたというわけだ。
 実は、住友ビルはSOFT BANKのbgWiFiの入りが悪く、DropBoxからは読み取りが出来そうにない。不便なことだ。この「宅ふぁいる便」のダウンロード先選択には、DropBoxも可能だった。(これも時代だね)
 今回は、デスクトップ上に置いて持っていくことにした。しつこいけれど、クラウドのDropBoxが使えれば、何度もダウンロードしなくてもいいのにね。(因みに、野口体操のデジタル化した資料は、DropBoxにあげている)
 先週は、「製造業コマ大戦」のYouTube動画や「由紀精密」のホームページをお見せしたかったが、基地局との調子が今一ですんなりといかなかった。
 こうして情報のやり取り方法が、日に日に変化し、その変化に対応できないビルから会社が出て行くのもわかる話だ。

 皮肉なことに、昨日のブログでは「紙書籍へのオマージュ」を書き、本日はデジタル+ITの便利さを綴っている。このような時代が来ようとは、考えてもいなかった。

「馬鹿と鋏は使いよう」という言葉を思い出すが、今や「ITとFREEは使いよう」ってことでしょうかね。フムフム!
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指が感じる半世紀……紙の手触り

2012年03月21日 13時36分18秒 | Weblog
 1949年(昭和24)から2010年(平成22)まで、まずは61年間の資料デジタル化を終えた。
 “未整理”と書いた紙が貼られている箱があるが、ここまでの分量からしたら、それほど多くはない。
 つまり、ようやく一山超えられた。
 
 まず、昨年の九月に始めてから、しばらく遠ざかっていたが、この春に仕事を再開して一週間。
 連日のこと、正座で作業を続けていた。
 先週末の土曜日クラスでは、思わず「私の人生はなんだろう」と口走ってしまった。今となっては取り消せないが、余計なことを言ったものだ、と反省している。
 
 資料のうち、いちばん古いものは、戦後の混乱期には紙が不足していた昭和の20年代の資料だが、それらは国会図書館と大屋文庫で探し出したコピーだ。
 国会図書館のものは、別室の小部屋で閲覧する“持ち出し禁止”の古い雑誌だった。監督する人の目があるところで読み、コピーはその方にお願いする。一般の場所で見ることができない雑誌だった。今でもその時の感触を思い出す。カビの匂いがかすかにして、紙の色は赤茶け、手触りはザラザラで、丁寧に扱わなければ今にも破れてしまう状況だった。
 大屋文庫の雑誌はそれほどではなかったが、似たような状態だ。

 さて、61年間の月刊誌、週刊誌、機関誌、その他、等々の紙に触れ、製本に触れて、内容はともかくとして、時代とともに材質がよくなっていくのを知った。
 なによりも製本は壊れないことを目的としているから、ばらす作業はなかなかに苦労だった。
 いちばん大変だったのは教科書、次は分厚い本の代表格『教育をどうする』岩波書店編集部編が極めつけだった。なかなか崩れないのである。崩すことを想定していないのだから当然だ。書籍が誕生した時には、まさかデジタル書籍の時代が来て、自炊する人間が出て来るとは誰も思わない。
 
 ところで、はじめのうちこそ本をばらすことに抵抗感を抱いたが、次第に慣れてしまう。黙々と壊し続けた。黙々とスキャンし続けた。その間、様々な条件の紙に触れ、さまざまな製本をこわし、均一なデジタルに置き換えていく行為は、“機械的でしょ”と言われれば、“そうでもない”と答えてしまう。一つひとつ条件が違うだけに、その都度、新しい気遣いをすることになる。
 なかでも雑誌として楽だったのは『AERA』だった。紙もよく、製本も丈夫でありながら手動断裁機で断裁しやすく、スキャンの段階では紙の質の違いで何回かに分けるものの、何ごともなくきれいに送り出されてPCに取り込める。手間のかからない良い子だったのよ!

 さて、思いますね。
 これから本はどうなっていくのかしら。著者と編集者の本つくりの楽しさも苦労も工夫も奪われてしまうのだろうか。
 少なくとも自炊しながらデジタル化する行為は、本の世界をいとおしむ思いからだったが、やっていることは真逆の行為にすぎなかったわけだ。
「願わくば紙の本がなくなりませんように」
 デジタル化し終わっていく資料の本や雑誌類の数が増えれば増えるほど、その思いが強くなっていく。
 
 粘土版、パピルス、羊皮紙、甲骨、青銅器、竹、その他、さまざまな材質のものに人は文字を記してきた。
 そうした材料のなかでも、紙に記される内容は、聖職者が担う宗教からアダルトな下世話な話まで、それはそれは豊かな世界が築かれている。もちろん言葉だけでなく絵や写真がプラスされて、より一層の豊穣さが、本の文化にもたらされた。
 
 今、バラバラにすることから始まる資料整理の一段落を得て、紙に残された文字や絵や写真が、内容を超えて全ていとおしい。
 こうして半世紀の紙の手触りを体験できたことは、条件付きだが、幸せな体験だ。
 つくづく思います。
 編集者の方々はもちろん、印刷、製本する方々の徹夜の仕事に感謝し感服している。
 私の指先が、そう感じている!のです。

 とにかく野口体操資料は、硬軟取り混ぜて、お硬い哲学関係誌から、アダルトな日刊紙・週刊誌まで、色とりどりでした。
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手動断裁機の寿命は?

2012年03月20日 14時23分10秒 | Weblog
 野口没後の羽鳥を中心とした資料のデジタル化は、大方のところ整理がついてきた。
 が、しかし、今日になって手動断裁機の切れ味が、今ひとつ芳しくないときがあった。
 相当に無理をさせたこともあって、刃を替える必要が出てきたのだろうか。
 週刊誌は思ったより厚みがあって、最後までぶすっと切ることができなかった。紙が柔らかく、というよりザラツキがある上、紙自体に腰がないからだろうか。
 女性誌の月刊誌は、大振りで厚みがあるので、カッターでさばいていた。
 
 とはいえ全体に言えることは、1990年代から2000年以降の雑誌は、紙の質も装丁もきちんとしていて、野口資料に比べたら天と地の差があるのは、致し方ないことかもしれない。
 一つにはメジャーの媒体が多いことも一因している。

 野口体操の生き残りをかけて、15年は歩いてきた。その間、おかげさまで思いがけなく取り上げていただいたことが改めてわかる資料整理となった。
 知る人ぞ知る体操だが、一般の方々に発信したいという私の思いを掬いとってもらえたことはありがたいことだ。

 明日は一覧表打ち込み作業に、移れそうだ。
 こうした作業を黙々と行ってみると、身体に対する見方や「価値観」が、時代とともに変化し、取り上げ方も真っ当になっていくことが、流れのなかで感じられる。とはいえまだまだ知る人ぞ知る体操であるけれど。だからこそ存在価値があるのだと思う。

 手動断裁機がなかったら、FUJITSUのSCAN SNAPがなかったら、これほど仕事がはかどらなかった。一人では到底のこと手に負えなかったことは火を見るよりあきらかである。
 やっとコツが掴めてきたころには、殆ど終了に近い。
 どちらもかなりいたんだことだろう。まだ限界ではないと、思うが。思いたいがという方が正確な言い方であり、そうあってほしいと願う気持ちだ。
 ご苦労様!
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デジタル化の作業から全ては始まる?!

2012年03月19日 18時50分33秒 | Weblog
 土曜日と日曜日はしなかったものの、連日、紙資料のデジタル化をすすめて、残すところは羽鳥の分の一山となった。
“未整理”と印の入ったケースがまだ残されているが、これに関しては廃棄してもよさそうな物ばかりだと思う。

 結局、どのような方法が良いのかは解らない。紙の資料がいちばん長持ちするのかもしれない。
 できればデジタル化したものを、電子本と紙の書籍にひとまとめにするのが最善だと思う。
 まずは整理の一歩を踏み出した、というところだ。こうしたことは条件が整わないとできないもので、時期があるらしい。
 没後15年。
 次の段階に踏み出すことになりそうだ。

 あと2日くらいで、この仕事もメドが立ちそうなところまで追い込んできた。
 一気にやらなければ、できないことってあることを身をもって知った。

 ひたすらに座して行う。
 あともう少しだ!
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ものすごい写真!?

2012年03月18日 07時26分35秒 | Weblog
 今朝、久しぶりにFacebookをくまなく見た?というか読んだ?というか見た。
 昔、野口体操に通っていらした朝日新聞記者の方の投稿写真に、オッとなった。
『「アフリカでは日常茶飯事だぜ」なものすごい写真30枚』
 唖然として、溜息ついて、ブログでも紹介しようと、貼付けました。
 思わぬところにいる蛇の写真もありますから、お気をつけて!
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