さんぽみちプロジェクト

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和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

頼宣の母「養珠院」を弔う 富士川上流の墓所と紀州の縁

2018-02-18 23:58:23 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では富士山を拝め、豊かな自然を活かした体験プログラムが提供されている「田貫湖(たぬきこ)」を取り上げた。
今週は日本三大急流のひとつとされる「富士川(ふじかわ)」を紹介したい。

富士川は山梨県の鋸岳(のこぎりだけ)を水源とする一級河川。甲斐国(現在の山梨県)と駿河国を結ぶ水運の要路として人々の暮らしを支えてきた。
長い鉄橋を渡る東海道新幹線の車窓から富士山を拝んだ記憶がある方もおられるだろう。その鉄橋が架かる川こそ富士川だ。


【写真】富士川を渡る新幹線

ここは、電力の50Hz帯と60Hz帯(電源周波数)の境目にもなっている。明治27年(1894年)に東京電灯がドイツ製の50Hzの発電機を導入。一方で大阪電灯、神戸電灯、京都電灯がアメリカ製の60Hzの発電機を導入。両者共に供給エリアを拡大し、ここが境目になったとされる。

富士川の下流にあたる鉄橋から上流へ約30㎞。山梨県身延町にある日蓮宗の寺院「本遠寺(ほんのんじ)」は、徳川家康の側室で徳川頼宣の母、お万の方として知られる「養珠院(ようじゅいん)」の墓所。
養珠院は家康の三十三回忌の際、和歌山市和歌浦中の妹背山に法華経を書写した経石を治めた石室「海禅院(かいぜんいん)」を建立。
養珠院の死後、頼宣により多宝塔が建てられ、母を弔ったとされる。
平成16年の調査では養珠院とみられる遺髪が見つかっている。

養珠院の兄にあたる「三浦為春(みうら ためはる)」は徳川頼宣の傅役(もりやく)となり、頼宣の紀伊入国の際に随行。
1万5千石を治める陪臣(ばいしん)となり、代々紀州藩の家老を世襲し続けた。墓所は和歌山市の了法寺。

和歌山市から東へ約300㎞。離れた地でも歴史を辿れば紀州とのつながりが見えてくる。

(次田尚弘/富士市)



今回も取材に同行し富士山と富士川鉄橋を渡る新幹線を撮影しました。



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