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ブログ版ネクストテクストです。

「空っぽの頭」という題名の映画

2006-03-12 21:01:43 | 映画とドラマのはなし
人間ドックの一日目が午後3時くらいに終り、病院にいても暇で暇で仕方がないので外出することにした。人間ドックを受けた病院は京都の九条大宮(東寺のあるところ)近く。私は京都の地理をまったく知らないので、看護婦さんに映画館の場所を教えてもらい、市バスに乗って新京極通りにあるMOVIX京都というシネマ・コンプレックスへ。

しばらく前から気になっていた『ジャーヘッド』を観ることにした。湾岸戦争に参加した二十歳前後のアメリカ海兵隊員の物語である。「ジャーヘッド」とは、マッチョだけれども、ヘッド(頭)はジャー(ポット)のように空っぽ、という海兵隊員を揶揄する(あるいは隊員自身が自嘲気味に使う)言葉なんだそうである。映画のなかでは、まさにマッチョを絵に描いたような新兵訓練が描かれる。そして湾岸戦争が勃発。「砂漠の嵐作戦」の動員を受けた彼らが、およそ快適さとは程遠い環境のなかで繰り広げるこれまたマッチョで退廃的な生活が延々と描かれる。

『華氏911』でマイケル・ムーアは合衆国における新兵募集の実態を明らかにしてみせた。ミシガン州の小さな町の、煤けたショッピングモールでスカウトされた貧しくて学の無い青年たち。『ジャーヘッド』が描くのは、そうやって兵士になった彼らの次の姿だ。

湾岸戦争のとき、われわれは米軍から提供されたビデオゲームのような映像を、メディアを通じて見た。武器庫や戦車や管制塔といった軍事目的の施設や兵器にだけを狙い撃ちしていると強調する、あの映像である。

けれども『ジャーヘッド』は、戦争とは、兵器の性能がどれほど高度になった現代においても、生身の人間同士が小銃やライフルで撃ち合い、ナイフで刺し合い、夥しい血を噴き出させ、内臓を飛び散らせるものだということを、再認識させてくれる。そしてその争いあう人間たち(の少なくとも一部)は、マッチョで貧しく、頭が空っぽで無垢な若者たちであることを教えてくれる。

戦争そのものではなく、戦争の周辺部分を徹底的に描くことによって、逆に戦争そのものの生々しさを浮かび上がらせる。これこそが『ジャーヘッド』を佳作たらしめている所以なのだと思う。


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