9月7日だったと思うが、「米軍兵士の自殺者数過去最多となる見通し」というAFPの配信記事があった。米軍兵士の今年の自殺者数は現在93人にのぼっていて、「今年は米軍史上最多だった昨年の115人を超えるだろう」と米軍の人事部幹部の見方を伝えていた。航行中の艦内で海上自衛隊佐世保基地の護衛艦「さわぎり」の若い三等海曹がロープで首を吊って自殺した事件で、上官のいじめ自殺であることを大筋に認めた福岡高裁の判決が出たばかりだったので、その自殺者数に関心をもった。
自衛官の自殺者数は、90年代は50人前後で推移していたが、この数年は年間100人を記録しているようだ。自衛官の数を約24万人とすれば、10万人あたりの割合は41.5人。日本の自殺者数がこのところ年に3万人を超えて、大きな社会問題となっているが、国民全体の自殺率としては10万人あたり25.5人であり、これでも自衛官の自殺率はかなり突出している。しかし人事院が発表している公務員全体の自殺者の割合は17.7人という数字と比較すれば、いかに突出した自衛官の自殺率であるということがわかる。
*
では米軍の場合の割合としてはどうか。AFP電では、この米軍の人事部幹部は「米軍兵士の自殺者増加の勢いから、ベトナム戦争時代以来初めて民間人の自殺率を超える見込みである」ことも明らかにしているが、2005年の民間人の自殺者の割合は10万人あたり19.6人だという。なんと自衛官の自殺率は米軍の倍以上ということになる。
ベトナム戦争が行われていたのは1960年代後半から70年代前半。過酷なゲリラ戦、いくら「グッモーニングベトナム」からスティービーワンダーが流れていようとも、ストレスから心の消耗は激しかったに違いない。それから30年以上経過して、今度は対テロ戦、イラク、アフガンで生身をさらし、より過酷な精神状況を強いられていることから、その増加傾向は理解できないわけでもない。
ところが、日本の自衛官の場合は、なぜに、米軍幹部のいう「民間人」をはるかに超える水準で自殺率が推移しているのだろうか。どこかと戦争しているわけではなさそうだし、平和勢力のかつては叫んでいた「自衛隊解体」に神経をピクつかせているわけでもない。糧食が足りないわけではない。たっぷりと予算は与えられ、国防費用は世界屈指である。なのになぜ。「国土を守る」という生命の尊厳をどこよりも教えられなければならない自衛官の自殺が繰り返されるのだろうか。
自衛官自殺者の原因別のデータでは、借金苦、家庭の悩みなどの他、6割が原因不明とされている。しかし、冒頭の護衛艦「さわぎり」の若い三等海曹のケースをはじめ、ご遺族が国を相手に損害賠償をもとめる訴訟が相次いでいるが、これらの裁判の過程でわかったことは、隊内で陰湿ないじめと暴力が横行している実態である。
太平洋戦争末期の沖縄戦で洞窟にたてこもったなかで命をつなぐ部隊の、その隊員たちの心象風景が浮かんでくる。それに続くのは組織の自壊である。外敵に向かうことはあきらめざるをえない状態で、部隊そのものが内部で殺人マシン化してくるのである。現在の自衛隊は、戦争をしているわけではないのに、どこかにたてこもっている状態に組織全体が急激に陥っていると考えるしかない。放置するならば、あと二年ほどで組織崩壊する。われらが税金である莫大な国家予算をドブに捨てる結果とならないようにも、「ニュース知らず」では自衛隊の組織崩壊を食い止める道を探ってみた。
*
「ミッションなくして組織なし」。まず、自衛隊の「ミッション」づくりからはじめなければならないだろう。「ミッション」とはその組織体の拠って立つ存在理由であり、理念である。たとえば企業でいえば、マイクロソフト社の場合、「世界中のすべての人々とビジネスのもつ可能性を、最大限に引き出すための支援をすること」である。それを遂行するために「向上心を忘れない、徳の高い社員」という社員像が結ばれ、そして、「他者に対する率直さと敬意、他者の向上への専心」が行動綱領として引き出される。
自衛隊の「ミッション」は、「国土を守る」ということがそれにあたるのだろうが、とにかく漠然としすぎる。たとえば、他の省庁や海上保安庁や警察などの警備・警察活動体との差異性は感じられない。しかも無理して憲法との整合性をとろうと「専守防衛」なる言葉をつくりだしたものの、自衛隊のトップ層には煮え切らない思いが続いていたことだろう。
このような状態では、あるべき隊員像が結ばれることがなければ、行動綱領が引き出されることはない。その状態が戦後の軍事組織として自衛隊が発足してから60年以上推移して今日の状況を迎えてしまった。しかも、日米安保体制の変質・新展開とともに、「ミッション」がますます見えにくい状態となってしまい、お気の毒としか言いようがない。もしも私企業だったら、どこかに合併されるより道なしである。
一方、準軍事組織とされる海上保安庁の場合はどうだろうか。映画のヒットもあって、ますます意気軒昂である。英語の略称表記もアメリカの沿岸警備隊(コーストガード)にならって「JCG」とした。海難救助では世界トップレベル。貧弱な装備にあっても国際交流も活発で多くの国から信頼と尊敬を集めている。彼らが「ミッション」とする「航行の安全と犯罪取り締まり、海洋汚染防止」の海上警備範囲も日付変更線の近くから北緯17度まで広大となってきている。有事の海上自衛隊、平時の海上保安庁という役割分担というものの、有事の前に自衛隊が自壊状態ではどうしようもない。
*
すなわち、自衛隊は軍事組織としての「ミッション」をもてないのならば、組織を削減して、準軍事組織に再編成することも視野に入れる必要が出てきている。安全保障のパートナーとされるアメリカも最近は中東情勢に手一杯で、核不拡散の掟破りまでしてインドと原子力協定を結ぶなど、東アジアは中国にお任せする傾向にあり、タイミング的にはちょうど半世紀前、60年安保論争まで戻っても良いころである。
結論を急ごう。海上保安庁が海上自衛隊を吸収する。戦前は海上警備は帝国海軍が行っていたのだから問題ないだろう。陸上自衛隊は自走して移動できない戦車も組織も半減させて準軍事組織の陸上保安庁として国土災害復旧と、国際的な復旧支援活動に専念する。その組織ならば、世界と平和相互復旧同盟を締結することもでき「国際貢献」は完璧だし、海外の邦人救護も遠慮はいらない。
大正期には四個師団削減して、実は装備の高度化を図った陸軍大臣がいた。宇垣軍縮と呼ばれている。軍事組織から準軍事組織に「格下げ」を装って、実は国土安全警備の機動力と情報力アップの超高度国防国家をつくるという独自の安全保障戦略を打ち出せるそんなスーパーマンはいないのか。安全保障に向けた明確な「ミッション」をもつ組織づくりを急がなければ、もはや組織崩壊を食い止めることはできず、「国土を守る」として自衛隊に入隊した若者が、やさぐれた上官の餌食になることを避けることはできない。
やはり、企業活動のミッションはコンプライアンス(法令順守)と切り離すことはできないのと同様、憲法を無視していては、国家の安全保障をミッションとする組織体はつくれないのである。
戦後に新たな憲法を日本が制定したとき、ヨーロッパの知識人に相当なショックを与えたものだった。それはなぜか。「日本はただでは転ばない、したたかな国民だ」。戦争放棄の憲法をもつ平和国家として、その期待にそろそろ応えるときでありたい。
「ニュース知らず」編集人
自衛官の自殺者数は、90年代は50人前後で推移していたが、この数年は年間100人を記録しているようだ。自衛官の数を約24万人とすれば、10万人あたりの割合は41.5人。日本の自殺者数がこのところ年に3万人を超えて、大きな社会問題となっているが、国民全体の自殺率としては10万人あたり25.5人であり、これでも自衛官の自殺率はかなり突出している。しかし人事院が発表している公務員全体の自殺者の割合は17.7人という数字と比較すれば、いかに突出した自衛官の自殺率であるということがわかる。
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では米軍の場合の割合としてはどうか。AFP電では、この米軍の人事部幹部は「米軍兵士の自殺者増加の勢いから、ベトナム戦争時代以来初めて民間人の自殺率を超える見込みである」ことも明らかにしているが、2005年の民間人の自殺者の割合は10万人あたり19.6人だという。なんと自衛官の自殺率は米軍の倍以上ということになる。
ベトナム戦争が行われていたのは1960年代後半から70年代前半。過酷なゲリラ戦、いくら「グッモーニングベトナム」からスティービーワンダーが流れていようとも、ストレスから心の消耗は激しかったに違いない。それから30年以上経過して、今度は対テロ戦、イラク、アフガンで生身をさらし、より過酷な精神状況を強いられていることから、その増加傾向は理解できないわけでもない。
ところが、日本の自衛官の場合は、なぜに、米軍幹部のいう「民間人」をはるかに超える水準で自殺率が推移しているのだろうか。どこかと戦争しているわけではなさそうだし、平和勢力のかつては叫んでいた「自衛隊解体」に神経をピクつかせているわけでもない。糧食が足りないわけではない。たっぷりと予算は与えられ、国防費用は世界屈指である。なのになぜ。「国土を守る」という生命の尊厳をどこよりも教えられなければならない自衛官の自殺が繰り返されるのだろうか。
自衛官自殺者の原因別のデータでは、借金苦、家庭の悩みなどの他、6割が原因不明とされている。しかし、冒頭の護衛艦「さわぎり」の若い三等海曹のケースをはじめ、ご遺族が国を相手に損害賠償をもとめる訴訟が相次いでいるが、これらの裁判の過程でわかったことは、隊内で陰湿ないじめと暴力が横行している実態である。
太平洋戦争末期の沖縄戦で洞窟にたてこもったなかで命をつなぐ部隊の、その隊員たちの心象風景が浮かんでくる。それに続くのは組織の自壊である。外敵に向かうことはあきらめざるをえない状態で、部隊そのものが内部で殺人マシン化してくるのである。現在の自衛隊は、戦争をしているわけではないのに、どこかにたてこもっている状態に組織全体が急激に陥っていると考えるしかない。放置するならば、あと二年ほどで組織崩壊する。われらが税金である莫大な国家予算をドブに捨てる結果とならないようにも、「ニュース知らず」では自衛隊の組織崩壊を食い止める道を探ってみた。
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「ミッションなくして組織なし」。まず、自衛隊の「ミッション」づくりからはじめなければならないだろう。「ミッション」とはその組織体の拠って立つ存在理由であり、理念である。たとえば企業でいえば、マイクロソフト社の場合、「世界中のすべての人々とビジネスのもつ可能性を、最大限に引き出すための支援をすること」である。それを遂行するために「向上心を忘れない、徳の高い社員」という社員像が結ばれ、そして、「他者に対する率直さと敬意、他者の向上への専心」が行動綱領として引き出される。
自衛隊の「ミッション」は、「国土を守る」ということがそれにあたるのだろうが、とにかく漠然としすぎる。たとえば、他の省庁や海上保安庁や警察などの警備・警察活動体との差異性は感じられない。しかも無理して憲法との整合性をとろうと「専守防衛」なる言葉をつくりだしたものの、自衛隊のトップ層には煮え切らない思いが続いていたことだろう。
このような状態では、あるべき隊員像が結ばれることがなければ、行動綱領が引き出されることはない。その状態が戦後の軍事組織として自衛隊が発足してから60年以上推移して今日の状況を迎えてしまった。しかも、日米安保体制の変質・新展開とともに、「ミッション」がますます見えにくい状態となってしまい、お気の毒としか言いようがない。もしも私企業だったら、どこかに合併されるより道なしである。
一方、準軍事組織とされる海上保安庁の場合はどうだろうか。映画のヒットもあって、ますます意気軒昂である。英語の略称表記もアメリカの沿岸警備隊(コーストガード)にならって「JCG」とした。海難救助では世界トップレベル。貧弱な装備にあっても国際交流も活発で多くの国から信頼と尊敬を集めている。彼らが「ミッション」とする「航行の安全と犯罪取り締まり、海洋汚染防止」の海上警備範囲も日付変更線の近くから北緯17度まで広大となってきている。有事の海上自衛隊、平時の海上保安庁という役割分担というものの、有事の前に自衛隊が自壊状態ではどうしようもない。
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すなわち、自衛隊は軍事組織としての「ミッション」をもてないのならば、組織を削減して、準軍事組織に再編成することも視野に入れる必要が出てきている。安全保障のパートナーとされるアメリカも最近は中東情勢に手一杯で、核不拡散の掟破りまでしてインドと原子力協定を結ぶなど、東アジアは中国にお任せする傾向にあり、タイミング的にはちょうど半世紀前、60年安保論争まで戻っても良いころである。
結論を急ごう。海上保安庁が海上自衛隊を吸収する。戦前は海上警備は帝国海軍が行っていたのだから問題ないだろう。陸上自衛隊は自走して移動できない戦車も組織も半減させて準軍事組織の陸上保安庁として国土災害復旧と、国際的な復旧支援活動に専念する。その組織ならば、世界と平和相互復旧同盟を締結することもでき「国際貢献」は完璧だし、海外の邦人救護も遠慮はいらない。
大正期には四個師団削減して、実は装備の高度化を図った陸軍大臣がいた。宇垣軍縮と呼ばれている。軍事組織から準軍事組織に「格下げ」を装って、実は国土安全警備の機動力と情報力アップの超高度国防国家をつくるという独自の安全保障戦略を打ち出せるそんなスーパーマンはいないのか。安全保障に向けた明確な「ミッション」をもつ組織づくりを急がなければ、もはや組織崩壊を食い止めることはできず、「国土を守る」として自衛隊に入隊した若者が、やさぐれた上官の餌食になることを避けることはできない。
やはり、企業活動のミッションはコンプライアンス(法令順守)と切り離すことはできないのと同様、憲法を無視していては、国家の安全保障をミッションとする組織体はつくれないのである。
戦後に新たな憲法を日本が制定したとき、ヨーロッパの知識人に相当なショックを与えたものだった。それはなぜか。「日本はただでは転ばない、したたかな国民だ」。戦争放棄の憲法をもつ平和国家として、その期待にそろそろ応えるときでありたい。
「ニュース知らず」編集人