世耕日記

参議院議員 内閣官房副長官 世耕弘成(せこう ひろしげ)の活動を日記形式と雑感、主張を交えお伝えするブログです!

3月27日(日)【安倍元総理と被災地に救援物資を輸送:南相馬市、相馬市、新地町を激励訪問】

2011年03月28日 | Weblog
 昨日(3月26日(土))、安倍晋三元総理と私とで被災地の避難所に救援物資を届けた。運送会社の協力で10トントラックと4トントラックを用意し、安倍さんと私以外には安倍事務所の秘書一人とトラックの運転スタッフのみ。警護のSPも同行させず、事前告知も行わず、あくまでも個人として救援物資を届けるという目的で訪問した。

 訪問先は地震、津波、原発事故の三重苦に見舞われている福島県南相馬市、相馬市、新地町。20キロ~30キロ圏内の屋内退避地域にも足を踏み入れた。地元で活動する現在落選中の亀岡偉民・前衆議院議員が案内役を買って出てくれた。
 物資は安倍事務所と世耕事務所が手分けをして企業等に依頼して集めた物や、安倍さんが地元下関で行った募金活動で集まった義援金で購入した物だ。事前に入念に調査を行い、避難所で真に必要とされている物を用意した。
 主な物資はおむつ、女性用ナプキン、トイレットペーパー、ウェットティッシュといった紙製品。靴下、下着、トレーナーといった衣類。ミネラルウォーター、あられ、菓子パン、カップ麺といった食品。マスク、タオル、歯ブラシセット、綿棒といった衛生関連用品、等々だ。

 午前8時前に議員会館近辺で安倍さんと落ち合い、二人でトラックの乗員席へ乗り込んで出発した。東北道は一般車両も乗り入れられるようになっており、渋滞も無く順調に北上を続けた。物資を輸送するトラック、自衛隊の車両が非常に多かった。途中でジーゼルガソリンをトラックに補給。現地での補給は困難だから余裕を持っておかなくてはならない。
 福島県に入ったあたりから、路面のひび割れやずれが目立ち始め、震災の爪痕が感じられるようになってきた。

 正午過ぎに福島西インターで東北道を降りた。そこからは一般道で一路南相馬市を目指す。福島市内ではガソリンスタンドの長蛇の列が目立った。また飲食店はほとんどが閉店状態だ。
 南相馬市へ向かう一般道では高速道路であれだけ目立ったトラックをほとんど見かけなくなった。南相馬市内に入ってからは屋内退避勧告が出ている影響で走行する車そのものもまばらになった。街自体が静寂に包まれている感じだ。

 南相馬市の避難所で亀岡前議員と合流。避難所にはちょうど自衛隊の物資が届いたばかりで、その物資を避難者に配布する人手が必要だったため、急遽安倍さんとともに手伝った。行列する避難者の皆さんに家族の人数を確認して、カップ麺を渡すという作業だ。行列していた皆さんは安倍さんに気づいて一様にびっくりしていた。物資を手渡した後、体育館に設けられた避難所内に入って皆さんを激励し要望等を聴かせてもらった。この避難所には原発事故に伴う避難勧告で20キロ圏内から避難してきた人が多い。
 南相馬市には亀岡さんの同期に当たる現在落選中の前衆議院議員の皆さんもボランティアで手伝いに来ていた。このあと行方不明者捜索のボランティアにも参加するそうだ。

 その後地元の皆さんの案内で南相馬市内の津波に襲われた現場を視察させてもらった。あまりの惨状に言葉も出なかった。海は遙か遠くにある地域なのに津波が襲ってきている。建物は一切なくなっており、ここに住宅街が存在したとは信じられない光景だ。津波で流されたタンクローリーや漁船がそこかしこに転がっている。瓦礫の下にはギターや冷蔵庫といったものが見える。
 入所者とスタッフのほとんどが死亡・行方不明となっている特別養護老人ホームに案内された時には思わず掌を合わせた。数メートル先には全く無傷の住宅が建っている。ちょっとした高度の差で運命が分かれてしまうのが津波の怖いところだ。

 その後相馬市に移動。市内の避難所を訪問。歯ブラシが足りないとのことだったので、持参の歯ブラシをお渡しした。この避難所は津波で家を失った家族の方が多数入っておられる。子どもの姿も目立った。安倍さんは各部屋を訪問して被災者の皆さんを激励した。

 さらに新地町に移動し、町役場にある対策本部を訪問。町長、医療チームの皆さんから話を聞かせてもらった。ぎりぎりのところで津波の被害を免れた町役場の屋上から町の全貌を見せてもらったが、海側はほとんど建物が残っていない。海岸線にあった高さ4メートルの堤防も無残な姿をさらしていた。「ここはリアス式ではなく直線の海岸線だから大丈夫」、「堤防があるから大丈夫」という感覚が被害を広げたようだ。
 その後町内2カ所の避難所を慰問。救援物資を届けた。ここも津波で家を流された方々が避難してきている。地域別で固まっておられ、この窮状を地域の団結で乗り切ろうといういう意気込みが感じられた。しかし明るく振る舞っている方でも家族を亡くしておられる方も多数おられ、いたたまれない気持ちだった。

 新地町を後にして再度福島市内へ移動。福島市内にある、南相馬市から避難している方々の避難所を訪問、激励。
 最後はボランティア活動で頑張っている亀岡事務所を訪問し、スタッフの皆さんを激励した後、福島県を後にした。東京に着いたのが午前2時だった。

 避難所で特に目立ったのは「ガソリンを何とかして欲しい」との要望だ。車が生活ツールである地方市町村で発生した今回の震災ではガソリン不足が深刻な影響を与えている。給水車のような形で避難所に来ている方のために給油をするサービスが必要だと痛感した。早速政府に伝達することにした。薬の不足を訴える人も多かった。私のネットワークで手配することを約束した。

 今回の訪問で安倍さんは訪問した避難所にいる被災者一人一人に膝を付いて激励の言葉をかけ握手をしていた。安倍さんに対して厳しい言葉をぶつける人もいたが、要望や苦情を述べる被災者の前では正座をしてじっくりと話に耳を傾けていた。親族の火葬の手続きのために距離が離れている役場や警察を歩いて回らなければならない実情を訴えられたりもした。亡くなった息子さんの遺体の写真と火葬の通知書を握りしめているお母さんからも痛切な話を聞かせてもらった。
 一方で多くの被災者から「よく来てくれた」との声もかけてもらった。携帯で安倍さんとの記念撮影を求める人も多かったが安倍さんは積極的に応じていた。

 元内閣総理大臣の突然の訪問が被災者の皆さんを少しでも勇気づけ、希望を持ってもらう機会になったならばと念じている。また今回の訪問で聴かせていただた要望、苦情はきちっと政府に伝え、自民党の活動にもフィードバックして、一日も早い生活再建につなげていきたい。
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