前回から少々間が空いてしまったが、菅首相に続いて、野田首相も拒否し続けている「ぶら下がり取材」について書く。
今回は、ぶら下がり取材の歴史について説明したい。なぜ私がぶら下がり取材の歴史を知っているかというと、安倍内閣の広報担当首相補佐官を務めていて、小泉内閣で1日2回が慣例になっていたぶら下がり取材を1回にする提案をしたところ、メディア側(記者クラブ)からの猛反発に合い、大論争となった(その時の経緯は別途詳しく書く)。その際に過去の歴史を少々リサーチしたのだ。
元々、小泉内閣以前は総理大臣に対する取材は記者団が一日中総理大臣に張り付く形で行われていた。新人といってもいいくらいの若手記者達が総理執務室の扉一枚隔てた廊下にたむろしていて、総理が国会に出席する等で移動する際には大挙して付いていっていた。そして国会の廊下などでの移動中に「総理!○○に関するお考えはどうですか?」と問いかけるというのが総理大臣に対する取材スタイルだったのだ。歩く総理大臣にぶら下がるような形で取材がおこなわれるので、「ぶら下がり取材」という名称が付いたようだ。
昔の総理大臣は、記者団がいくら問いかけても返事をすることはほとんど無かったらしい。時々「うん、そうだな」という程度の答えがあるかどうかだったようだ。総理大臣のコメントを取ってくるのは、総理直通の電話番号を知っている、実力派政治記者の仕事であったのだ。しかし、いつの頃からか総理大臣が時々立ち止まってコメントを発するようになった。外交や政局等で重要な局面で、国会正面の赤絨毯が敷かれた階段の途中で総理が立ち止まり、回りを記者団が取り囲み、総理の肩越しにマイクが突きつけられ、、、といった光景をご記憶の方も多いのではないか。
森内閣の時に、総理と記者団の関係がぎくしゃくし、総理が記者の無礼な質問を叱りつける場面が報道されたり、無言で立ち去る総理をカメラが執拗に追いかけたり、といったことが繰り返された。
前内閣時のトラブルに考えるところがあったのだろうか、小泉元総理は記者団が四六時中つきまとう取材形式を嫌い、「午前と午後1回ずつ、1日2回立ち止まってきちんと記者団の質問に答えるから、記者団がずっと付いてくるのは止めてくれ」という提案が行われた。記者クラブ側も、歩きながらの断片的なコメント拾いよりも、一問一答形式で取材できることにメリットを感じたのであろう、小泉元首相側からの提案を受け入れて、午前は夕刊用にカメラ取材なしのペン取材のみで、そして午後は夜の報道番組用にカメラ入りで、ということになった。
しかし記者クラブ側はあくまでも「ぶら下がり取材」であるというスタンスは崩さず、「官邸の廊下を歩いていた首相がたまたま立ち止まって取材に応じた」というフィクションの上でこのスタイルは成り立っていた。あくまでも首相側の会見ではなく、記者クラブ側の取材であるということである。だから総理用のマイクや演壇は置かれることはなかった。
小泉内閣末期にはこの1日2回のルールが崩され、午後の1回のみとなった。
安倍内閣になって小泉内閣末期は1回だったのだから、そのまま継続しようとして記者クラブと揉め、最終的には首相側が譲歩して1日2回のぶら下がり取材ということになった。(詳細は別途書く)
それ以降、菅内閣の3月11日までは、1日2回のぶら下がり取材が続けられてきた。そして東日本大震災の対応に集中することを口実に菅首相は結局3月11日以降退陣までぶら下がり取材に応じることはなかった。野田総理も「定期的に記者会見を行う」と宣言して、ぶら下がり取材は拒否している。
これが今日までの首相に対するぶら下がり取材の歴史である。次回は安倍内閣の時のぶら下がり取材を巡る記者クラブと官邸の軋轢について詳述したい。
今回は、ぶら下がり取材の歴史について説明したい。なぜ私がぶら下がり取材の歴史を知っているかというと、安倍内閣の広報担当首相補佐官を務めていて、小泉内閣で1日2回が慣例になっていたぶら下がり取材を1回にする提案をしたところ、メディア側(記者クラブ)からの猛反発に合い、大論争となった(その時の経緯は別途詳しく書く)。その際に過去の歴史を少々リサーチしたのだ。
元々、小泉内閣以前は総理大臣に対する取材は記者団が一日中総理大臣に張り付く形で行われていた。新人といってもいいくらいの若手記者達が総理執務室の扉一枚隔てた廊下にたむろしていて、総理が国会に出席する等で移動する際には大挙して付いていっていた。そして国会の廊下などでの移動中に「総理!○○に関するお考えはどうですか?」と問いかけるというのが総理大臣に対する取材スタイルだったのだ。歩く総理大臣にぶら下がるような形で取材がおこなわれるので、「ぶら下がり取材」という名称が付いたようだ。
昔の総理大臣は、記者団がいくら問いかけても返事をすることはほとんど無かったらしい。時々「うん、そうだな」という程度の答えがあるかどうかだったようだ。総理大臣のコメントを取ってくるのは、総理直通の電話番号を知っている、実力派政治記者の仕事であったのだ。しかし、いつの頃からか総理大臣が時々立ち止まってコメントを発するようになった。外交や政局等で重要な局面で、国会正面の赤絨毯が敷かれた階段の途中で総理が立ち止まり、回りを記者団が取り囲み、総理の肩越しにマイクが突きつけられ、、、といった光景をご記憶の方も多いのではないか。
森内閣の時に、総理と記者団の関係がぎくしゃくし、総理が記者の無礼な質問を叱りつける場面が報道されたり、無言で立ち去る総理をカメラが執拗に追いかけたり、といったことが繰り返された。
前内閣時のトラブルに考えるところがあったのだろうか、小泉元総理は記者団が四六時中つきまとう取材形式を嫌い、「午前と午後1回ずつ、1日2回立ち止まってきちんと記者団の質問に答えるから、記者団がずっと付いてくるのは止めてくれ」という提案が行われた。記者クラブ側も、歩きながらの断片的なコメント拾いよりも、一問一答形式で取材できることにメリットを感じたのであろう、小泉元首相側からの提案を受け入れて、午前は夕刊用にカメラ取材なしのペン取材のみで、そして午後は夜の報道番組用にカメラ入りで、ということになった。
しかし記者クラブ側はあくまでも「ぶら下がり取材」であるというスタンスは崩さず、「官邸の廊下を歩いていた首相がたまたま立ち止まって取材に応じた」というフィクションの上でこのスタイルは成り立っていた。あくまでも首相側の会見ではなく、記者クラブ側の取材であるということである。だから総理用のマイクや演壇は置かれることはなかった。
小泉内閣末期にはこの1日2回のルールが崩され、午後の1回のみとなった。
安倍内閣になって小泉内閣末期は1回だったのだから、そのまま継続しようとして記者クラブと揉め、最終的には首相側が譲歩して1日2回のぶら下がり取材ということになった。(詳細は別途書く)
それ以降、菅内閣の3月11日までは、1日2回のぶら下がり取材が続けられてきた。そして東日本大震災の対応に集中することを口実に菅首相は結局3月11日以降退陣までぶら下がり取材に応じることはなかった。野田総理も「定期的に記者会見を行う」と宣言して、ぶら下がり取材は拒否している。
これが今日までの首相に対するぶら下がり取材の歴史である。次回は安倍内閣の時のぶら下がり取材を巡る記者クラブと官邸の軋轢について詳述したい。











