透水の 『俳句ワールド』

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金子兜太の一句鑑賞(十一) 高橋透水

2017年05月13日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 霧の村石を投らば父母散らん  兜太
 兜太の生まれ育った秩父盆地はときおり霧に包まれる。久し振りに兜太が訪れたときも霧のなかだった。そんなとき「ポーンと石を投げたら、村も老父母も飛び散ってしまうんだろうな」という感慨をもった。
 昭和十二年、兜太は故郷を離れ水戸高校に入学、俳句を始める。浪人後東大に進学すると、「成層圏」に参加し、「土上」などに投句する。就職したものの、戦況悪化のなか戦場に駆り出された。帰還後、日銀に復職し秩父の女性と結婚。妻の皆子に「あなたは土に触れていないとダメな人間になる」といわれ熊谷に住むことになる。故郷にはすぐに行ける距離だが、しょっちゅう帰るわけでない。
 掲句について『兜太百句』では次のように述べられている。「ちょうど郷里の皆野の駅に降りた時に出来た句なんですけどね。やっぱり私に映像が留まってたんでしょうね。ほっと出た、まとまったんです」「両親も歳とってきたし、高度成長期で都市に人が出てるときでしたから、田舎は駄目になってきてるでしょ。父母がかわいそうだということと、集落そのものも石でもなげたらなくなっちまうだろうと。時代への思いと父母への思いとが重なってましたね」。都会の成長に比し、山間からは人口が流出し、農村と都市との格差がますます広がってゆく。これからの日本はどうなるのかと、日銀に勤めていた兜太は、高度成長の危うさにも敏感だったのだろう。
 また『定住漂白』のなかで、「外秩父の山を越えて平野にでると、しばらく丘陵地帯がつづくが、そこにある小川町で生れ、戦争で南の小島にゆくまで、秩父の皆野町で育った」「そのごは県外の学校に学んだが、休暇にはかならず帰って、土蔵のなかで寝起きしていた。夏は荒川で泳いだ。秩父は、まぎれもなく私の故郷である」とある。ちなみに兜太の父親は開業医で母親は小川町から嫁いできた。あれほど反対したにも関わらず俳句を始めた兜太を、母親は生涯可愛がった。この句はそんな郷土への思いの素直な心情が現れてる。


 『鴎座』2017年5月号より転載
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