現在、仕事の関係で上海に住んでいますが、海外といっても最近は中国と日本の往復ばかり。
なんとなく、ちょっと中国から脱出したいと思い、
なんとなく、思いついたのがシンガポール。
しかし、上海⇔シンガポールの移動は約5時間半かかる。
仕事の都合上、土日以外は休みが取れない。
そんな時に便利なのが深夜便での移動。
日付が変わる頃出発して、早朝着くのだ。
東京からも出ているが、上海からもシンガポール行きの深夜便が出ている。
これほど時間を有効に使える手段は無い。
ということで、
金曜深夜に出て月曜早朝に戻ってくる、1泊4日(機内2泊)の週末シンガポール旅を計画。
さらにちょっと足を伸ばして国境を越えてシンガポールの隣マレーシア・ジョホールバル(JB)へ。
JBはシンガポールよりホテル代が安いのでJBで1泊。
なんとなく思いつきで決めた、ちょっと強行スケジュールな駆け足旅がスタートします。
■上海発深夜便でシンガポールへ
金曜夜、仕事を終えて帰宅した後、浦東空港へ向かう。
夜10時ごろ、空港到着。
上海浦東国際空港の第2ターミナルの出発ロビー。
夜遅くでも意外と人が多い。この時間帯はヨーロッパ・中東方面行きの便が多いためか欧米人が多く、
昼間の日本便が飛ぶ時間帯となんだか空港の雰囲気も違う感じ。
搭乗するのは、深夜0時10分発のシンガポール航空。
予定通りチェックイン、出国審査、荷物検査を終えて搭乗口へ。
奥に駐機するのは、これから搭乗するSQ825便。
深夜0時10分、定刻通り上海を出発。
一路、シンガポール・チャンギ空港へと飛び立った。
さて、飛行機も予定通り出発し、夜もだいぶ更けているのでさっそく寝よう、と毛布を被る。
が、深夜1時30頃、機内食が配られる。
無視して寝ておこうと思ったけど、周りがガサガサうるさくて寝られない。。。
とりあえず機内食(エコノミー)を受け取る。そして食べる。味はふつう。
機内食も片付けられて落ち着いたのが深夜3時前。やっと眠りに入る。
しかしエコノミーの座席ではなかなか眠りのベストポジションを見つけられず熟睡できないままに時間は過ぎて行き、
シンガポール時間午前5時ごろから飛行機は降下を始めた。
窓を覗き込むと、外はまだ真っ暗。
街の明かりや海上に停泊する船の明かりが所々に見える。
時々分厚い雲の中を飛んで行く。窓に水滴が付く。雨が降っているようだ。
午前5時40分。
飛行機は定刻通りにシンガポール・チャンギ国際空港に着陸。
まだ暗いチャンギ空港。雨が降っている。
飛行機はT2へ駐機。
飛行機を降りてイミグレまで結構歩く。それにしても早朝にも関わらずターミナル内は人が多い。
さすがアジアのハブ空港。
ANAの羽田発深夜便も同じ頃到着したようで、日本人をちらほら見かけた。
入国審査を何の問題もなく終えてシンガポール入国完了。
バッゲージクレームを出てすぐにある両替所で手持ちの現金をシンガポール・ドルに替えて、
さっそく市内へと向かう。
空港から市内へはMRT(地下鉄)で。
チャンギ空港駅を出発した列車はしばらく地下を走った後すぐに地上へと出た。
車窓から入ってくる眩しい朝日が車内を照らす。
飛行機が空港に到着した頃はまだ夜明け前で暗く、しかも雨が降っていたのだが、
空港を出た頃には雨もやんで空には青空も見えて、朝日が明るくシンガポールの街を照らしていた。
天気が回復して、なんだか幸先の良い旅のスタートだ。
■郊外の高級住宅地・カトン地区を散策
チャンギ空港からMRTに乗って中心部へ向かうには、Tanah Merah(タナ・メラ)駅で
市内中心部行きの列車に乗り換える必要がある。
タナ・メラ駅のホーム。
タナ・メラ駅で列車からホームへ降りると、駅に隣接する公園の木々から野鳥の心地よいさえずりが聞こえてきた。
湿気をたっぷり含んだそよ風は、南国独特の緑の匂いがする。
シンガポールは赤道直下の国。南国へ来たことを実感。
しかし蒸し暑い…。
そんな南国感を感じながらしばらくホームで待って、やってきたMRT東西線のJoo Koon行き列車に乗り込む。
車窓はシンガポールの郊外住宅地の景色。
同じ旧英国植民地だった香港と比べてしまうけれど、街の印象は香港よりも緑が多く、香港ほど高層ビルが乱立していない。
香港と同じく狭い領土だけども、香港よりゆとりのある街並みに感じる。
さて、まず最初に向かうのはチャンギ空港からシンガポール中心部へ向かう途中にある、
中心部からやや東に離れた郊外のカトン地区。
カトン地区はシンガポールの落ち着いた高級住宅地の一つだ。
カトン地区の最寄り駅、Paya Rebar(パヤ・レバ)駅で下車。
ここからしばらく歩いて、カトン地区を南北に通るジョー・チアット・ロードを目指す。
パヤ・レバ駅の周囲は広い緑地が広がっている。
パヤ・レバ駅近くのゲイラン・ロード。
ゲイラン・ロード沿いに、シンガポールの至る所にある「ホーカーズ」と呼ばれるフードコートを発見。
ちょっと覗いてみる。
朝食時間ということで多くの人たちが集まって食事をしていた。
ここのホーカーズの周りにはなぜか猫がたくさんいた。食べ残し狙い?
ホーカーズを冷やかしで覗いた後、少し歩いてジョー・チアット・ロードに到着。
カトン地区の中心部を歩いて行きます。
■美しいプラナカン建築群
今回、シンガポール旅行を思い立った理由の一つが、「プラナカン」様式の建物を見てみたいと思ったこと。
以前、ANAの機内誌で紹介されていたプラナカンの建物がとても美しく、とても印象に残っていた。
それで、そのとき初めて「プラナカン」という人たちの存在を知ったのでした。
プラナカンとは、貿易のため15世紀ごろからマラッカにやってきた中国人と、現地マレー人との混血の人たちで、
中国とマレーの文化をベースにアジア・ヨーロッパなどの文化を折衷させて独自の文化を創り上げた。
近代になってマレー半島が英国植民地になってから、シンガポールなどを拠点に貿易などで財を成して
実業家や政治家も多く輩出した。
シンガポールには、かつてプラナカンのコミュニティがあったエリアがいくつかあって、
特にカトン地区のジョー・チアット・ロード周辺には、鮮やかなプラナカン建築のショップハウスが多く見られる。
ショップハウスとは、中国南部の広東省辺りでよく見られる建築様式。
かつて香港でも至る所にあったが最近はめっきり無くなった。
プラナカンのショップハウスは、中国建築には無い西洋式の窓やレリーフ、マレー風の軒下飾りなどを取り入れて、
他には無い独特な折衷建築様式となっている。
ジョー・チアット・ロードを歩くと、通り沿いにカラフルなショップハウスが建ち並んでいる。
1階が店舗、1階の奥と2階より上が住居となっている。
鮮やかなショップハウスを眺めながらぶらぶら歩くのが楽しい。
ジョー・チアット・ロードをしばらく南向きに歩いて、クーン・セン・ロードを東へ曲がって少し行くと、
色鮮やかでメルヘンチックなショップハウス(住居のみはテラスハウス)群が目に入る。
戦前の1900~1940年に建築された、カラフルなプラナカン住宅。
映画のセットのようなこれらテラスハウスは、住宅として今も人が住んでいて、しかもかなりの高級住宅らしい。
ここに建ち並ぶようなシンガポールに残る代表的なプラナカン様式建築の最大の特徴は、
正面から見ると一軒分の幅が狭く、また壁面に過剰とも言えるほどの装飾が施されているということ。
ただ、一歩中に入ると、意外なほど奥行きがあって、広々とした造りになっているようだ。
プラナカン文化の発祥地であるマラッカ(マレーシア)では、
当時この地を支配していたオランダの植民地行政方針によって建物の幅を基に家屋税が決められていた。
そこで、プラナカンの人たちは建物の幅をわざと狭くすれば税金を安く済む…、という方法を思いつき、
風通しや採光も考えて中庭を設けた「狭くて奥行きのある細長い家屋形式」が生まれて、
シンガポールにも引き継がれたようです。
この特徴的なプラナカン様式の建築が税金対策から生まれたというのは、なかなか興味深い。
細かく非常に凝った装飾が多いのが特徴的。
花や幾何学模様のセラミック・タイルは、フランス、イギリス、ベルギーから輸入されたもので、
窓や柱のデザインは西洋の建築スタイルがみられる。
南国の青い空に色鮮やかなプラナカン建築が良く似合う。
陽の光に照らされて美しく輝く。
中国の伝統的なモチーフや装飾を基本にして、西洋やマレーのエッセンスを巧みに取り入れたプラナカン様式建築は、
アジアで生まれた芸術作品の一つとも言えるでしょう。
■華麗なるニョニャ文化に触れる
しばらくクーン・セン・ロードのテラスハウス群を眺めた後、再びジョー・チアット・ロードへ戻り南へ歩いて行く。
やがて、イースト・コート・ロードという大通りへと到着。
イースト・コート・ロード沿いにもショップハウスが建ち並ぶ。
イースト・コート・ロード沿いのプラナカン雑貨店を覗いてみた。
プラナカン独特の粉彩による鮮やかなパステルカラーが特徴の「ニョニャ・ウエア」と呼ばれる陶器類が目を引いた。
この他にも、精巧なビーズ刺繍や、細かい刺繍のニョニャ・ケバヤと呼ばれる服も印象的。
ちなみに、プラナカンの女性を「ニョニャ」と言い、男性は「ババ」と言うらしい。
「キム・チュー・クエ・チャン」というプラナカンの家族が経営するお店を覗いてみた。
この店は1階の半分はニョニャちまきなどのプラナカンのデザートを売る庶民的な店で、
残り半分はニョニャ・ウエアやニョニャ・ケバヤなどを売る雑貨屋になっている。
お店の中のテーブルで、プラナカンのニョニャ(おばちゃん)がくつろぎながらビーズ刺繍の小物を作っていた。
お土産にニョニャ・ウエアのデザインのスプーンを購入。
ニョニャのおばちゃんに「ぜひ見て行って」と言われたお店の2階には、プラナカンの小物・衣服・陶器・アクセサリーなど
様々なプラナカングッズが飾られていて、ちょっとしたプラナカン博物館のようになっていた。
中国の陶器はよく人物画や山水画が描かれるものが多いけども、そういった中国陶器と異なり、
牡丹の花の絵がふんだんに描かれて華やかな模様が特徴的なニョニャ・ウエア。
ここでプラナカンの色鮮やかで華麗なるニョニャ文化に少し触れることができた。
■突然のスコールとラクサで腹ごしらえ
さて、プラナカン雑貨屋でしばらく時間をつぶして外に出てみると、なんだか空が暗い。
頭上を黒い雲が覆っていて、生暖かい強い風が吹き始めた。
しばらくして…
土砂降りの雨!
シンガポールは赤道直下の常夏の国だけども、10月~3月は雨期で雨の日も多い。
そして晴れていても、このように急にスコールがやってくる。
ショップハウスの軒下でしばし雨宿り。
インド系の家族も慣れたように雨宿りをしてスコールがやむのを待っていた。
ふと、雨宿りしている場所に「328カトン・ラクサ」というラクサのお店を発見。
深夜1時半ごろに機内食を食べてから朝食も食べていなかったので小腹がすいていたので、
雨がやむまでラクサを食べて腹ごしらえ。
ラクサは、ココナッツミルク・ベースのちょっとピリ辛なスープに、
短く刻まれた米の麺が入ったシンガポールの麺料理。
干しエビで出汁を取っていて、エビの香りとココナッツミルクのマイルドな舌触りがとてもマッチしていておいしい。
あと、ラクサはお箸を使わずレンゲで食べる。
そのためなのかお米の麺は短く切られていてレンゲでスープと一緒に麺をすくって食べるのが特徴的。
ラクサにがっついている間に、いつの間にかスコールはやんでいた。
ということで街歩き再開。もと来たジョー・チアット・ロードを歩いてパヤ・レバ駅方向へと戻ることに。
■ゲイラン・セライ・マーケットでディープマレーの世界にトリップ
ジョー・チアット・ロードを今度は逆に北上して、ゲイラン・ロードへ戻って来た。
信号待ちをしていると、周りはマレー人だらけということに気づく。
ゲイラン・ロード沿いに大きな建物が建っていて、その周辺にマレー系の人たちがたくさん歩いていた。
ここは、ゲイラン・セライ・マーケットというマレー系の人たちが集まる市場。
とにかく、この市場にいるのはマレー系の人たちばかりで、薄暗い市場の中はなかなかディープなマレーの世界。
とはいえアジア各国共通の市場の活気があって、ぶらぶら歩いて市場の様子を眺めるだけで楽しい。
南国シンガポールらしく、みずみずしい果物や野菜が豊富だ。
食料品だけでなく、身近な日用品から民族服、美容用品や薬など、シンガポールの他のお店では見られないような
マレーグッズがたくさん売られている。
みんな大量に食料や日用品などを購入して帰って行く。
マレー系の人たちはイスラム教徒なので、女性は頭にスカーフを巻いているのが特徴的。
ゲイラン・セライ・マーケットは1階部分が市場で、2階部分はホーカーセンター(フードコート)になっている。
2階のホーカーセンターを覗いてみると、朝食を食べに来る多くのマレー人たちで賑わっていた。
広いホーカーセンター内にあるお店はほとんどマレー料理のお店。
ゲイラン・セライ・マーケットを一通り見学して、再びMRTパヤ・レバ駅に戻って来た。
ここからMRTに乗って、シンガポール中心部へ向かいます。
そして、シンガポールといえばアレ…、というアイツを見に行きます。
(つづく)
次、なんとなく週末シンガポール旅(&ちょっとだけJB)その2はコチラ →(その2)
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なんとなく、ちょっと中国から脱出したいと思い、
なんとなく、思いついたのがシンガポール。
しかし、上海⇔シンガポールの移動は約5時間半かかる。
仕事の都合上、土日以外は休みが取れない。
そんな時に便利なのが深夜便での移動。
日付が変わる頃出発して、早朝着くのだ。
東京からも出ているが、上海からもシンガポール行きの深夜便が出ている。
これほど時間を有効に使える手段は無い。
ということで、
金曜深夜に出て月曜早朝に戻ってくる、1泊4日(機内2泊)の週末シンガポール旅を計画。
さらにちょっと足を伸ばして国境を越えてシンガポールの隣マレーシア・ジョホールバル(JB)へ。
JBはシンガポールよりホテル代が安いのでJBで1泊。
なんとなく思いつきで決めた、ちょっと強行スケジュールな駆け足旅がスタートします。
■上海発深夜便でシンガポールへ
金曜夜、仕事を終えて帰宅した後、浦東空港へ向かう。
夜10時ごろ、空港到着。
上海浦東国際空港の第2ターミナルの出発ロビー。
夜遅くでも意外と人が多い。この時間帯はヨーロッパ・中東方面行きの便が多いためか欧米人が多く、
昼間の日本便が飛ぶ時間帯となんだか空港の雰囲気も違う感じ。
搭乗するのは、深夜0時10分発のシンガポール航空。
予定通りチェックイン、出国審査、荷物検査を終えて搭乗口へ。
奥に駐機するのは、これから搭乗するSQ825便。
深夜0時10分、定刻通り上海を出発。
一路、シンガポール・チャンギ空港へと飛び立った。
さて、飛行機も予定通り出発し、夜もだいぶ更けているのでさっそく寝よう、と毛布を被る。
が、深夜1時30頃、機内食が配られる。
無視して寝ておこうと思ったけど、周りがガサガサうるさくて寝られない。。。
とりあえず機内食(エコノミー)を受け取る。そして食べる。味はふつう。
機内食も片付けられて落ち着いたのが深夜3時前。やっと眠りに入る。
しかしエコノミーの座席ではなかなか眠りのベストポジションを見つけられず熟睡できないままに時間は過ぎて行き、
シンガポール時間午前5時ごろから飛行機は降下を始めた。
窓を覗き込むと、外はまだ真っ暗。
街の明かりや海上に停泊する船の明かりが所々に見える。
時々分厚い雲の中を飛んで行く。窓に水滴が付く。雨が降っているようだ。
午前5時40分。
飛行機は定刻通りにシンガポール・チャンギ国際空港に着陸。
まだ暗いチャンギ空港。雨が降っている。
飛行機はT2へ駐機。
飛行機を降りてイミグレまで結構歩く。それにしても早朝にも関わらずターミナル内は人が多い。
さすがアジアのハブ空港。
ANAの羽田発深夜便も同じ頃到着したようで、日本人をちらほら見かけた。
入国審査を何の問題もなく終えてシンガポール入国完了。
バッゲージクレームを出てすぐにある両替所で手持ちの現金をシンガポール・ドルに替えて、
さっそく市内へと向かう。
空港から市内へはMRT(地下鉄)で。
チャンギ空港駅を出発した列車はしばらく地下を走った後すぐに地上へと出た。
車窓から入ってくる眩しい朝日が車内を照らす。
飛行機が空港に到着した頃はまだ夜明け前で暗く、しかも雨が降っていたのだが、
空港を出た頃には雨もやんで空には青空も見えて、朝日が明るくシンガポールの街を照らしていた。
天気が回復して、なんだか幸先の良い旅のスタートだ。
■郊外の高級住宅地・カトン地区を散策
チャンギ空港からMRTに乗って中心部へ向かうには、Tanah Merah(タナ・メラ)駅で
市内中心部行きの列車に乗り換える必要がある。
タナ・メラ駅のホーム。
タナ・メラ駅で列車からホームへ降りると、駅に隣接する公園の木々から野鳥の心地よいさえずりが聞こえてきた。
湿気をたっぷり含んだそよ風は、南国独特の緑の匂いがする。
シンガポールは赤道直下の国。南国へ来たことを実感。
しかし蒸し暑い…。
そんな南国感を感じながらしばらくホームで待って、やってきたMRT東西線のJoo Koon行き列車に乗り込む。
車窓はシンガポールの郊外住宅地の景色。
同じ旧英国植民地だった香港と比べてしまうけれど、街の印象は香港よりも緑が多く、香港ほど高層ビルが乱立していない。
香港と同じく狭い領土だけども、香港よりゆとりのある街並みに感じる。
さて、まず最初に向かうのはチャンギ空港からシンガポール中心部へ向かう途中にある、
中心部からやや東に離れた郊外のカトン地区。
カトン地区はシンガポールの落ち着いた高級住宅地の一つだ。
カトン地区の最寄り駅、Paya Rebar(パヤ・レバ)駅で下車。
ここからしばらく歩いて、カトン地区を南北に通るジョー・チアット・ロードを目指す。
パヤ・レバ駅の周囲は広い緑地が広がっている。
パヤ・レバ駅近くのゲイラン・ロード。
ゲイラン・ロード沿いに、シンガポールの至る所にある「ホーカーズ」と呼ばれるフードコートを発見。
ちょっと覗いてみる。
朝食時間ということで多くの人たちが集まって食事をしていた。
ここのホーカーズの周りにはなぜか猫がたくさんいた。食べ残し狙い?
ホーカーズを冷やかしで覗いた後、少し歩いてジョー・チアット・ロードに到着。
カトン地区の中心部を歩いて行きます。
■美しいプラナカン建築群
今回、シンガポール旅行を思い立った理由の一つが、「プラナカン」様式の建物を見てみたいと思ったこと。
以前、ANAの機内誌で紹介されていたプラナカンの建物がとても美しく、とても印象に残っていた。
それで、そのとき初めて「プラナカン」という人たちの存在を知ったのでした。
プラナカンとは、貿易のため15世紀ごろからマラッカにやってきた中国人と、現地マレー人との混血の人たちで、
中国とマレーの文化をベースにアジア・ヨーロッパなどの文化を折衷させて独自の文化を創り上げた。
近代になってマレー半島が英国植民地になってから、シンガポールなどを拠点に貿易などで財を成して
実業家や政治家も多く輩出した。
シンガポールには、かつてプラナカンのコミュニティがあったエリアがいくつかあって、
特にカトン地区のジョー・チアット・ロード周辺には、鮮やかなプラナカン建築のショップハウスが多く見られる。
ショップハウスとは、中国南部の広東省辺りでよく見られる建築様式。
かつて香港でも至る所にあったが最近はめっきり無くなった。
プラナカンのショップハウスは、中国建築には無い西洋式の窓やレリーフ、マレー風の軒下飾りなどを取り入れて、
他には無い独特な折衷建築様式となっている。
ジョー・チアット・ロードを歩くと、通り沿いにカラフルなショップハウスが建ち並んでいる。
1階が店舗、1階の奥と2階より上が住居となっている。
鮮やかなショップハウスを眺めながらぶらぶら歩くのが楽しい。
ジョー・チアット・ロードをしばらく南向きに歩いて、クーン・セン・ロードを東へ曲がって少し行くと、
色鮮やかでメルヘンチックなショップハウス(住居のみはテラスハウス)群が目に入る。
戦前の1900~1940年に建築された、カラフルなプラナカン住宅。
映画のセットのようなこれらテラスハウスは、住宅として今も人が住んでいて、しかもかなりの高級住宅らしい。
ここに建ち並ぶようなシンガポールに残る代表的なプラナカン様式建築の最大の特徴は、
正面から見ると一軒分の幅が狭く、また壁面に過剰とも言えるほどの装飾が施されているということ。
ただ、一歩中に入ると、意外なほど奥行きがあって、広々とした造りになっているようだ。
プラナカン文化の発祥地であるマラッカ(マレーシア)では、
当時この地を支配していたオランダの植民地行政方針によって建物の幅を基に家屋税が決められていた。
そこで、プラナカンの人たちは建物の幅をわざと狭くすれば税金を安く済む…、という方法を思いつき、
風通しや採光も考えて中庭を設けた「狭くて奥行きのある細長い家屋形式」が生まれて、
シンガポールにも引き継がれたようです。
この特徴的なプラナカン様式の建築が税金対策から生まれたというのは、なかなか興味深い。
細かく非常に凝った装飾が多いのが特徴的。
花や幾何学模様のセラミック・タイルは、フランス、イギリス、ベルギーから輸入されたもので、
窓や柱のデザインは西洋の建築スタイルがみられる。
南国の青い空に色鮮やかなプラナカン建築が良く似合う。
陽の光に照らされて美しく輝く。
中国の伝統的なモチーフや装飾を基本にして、西洋やマレーのエッセンスを巧みに取り入れたプラナカン様式建築は、
アジアで生まれた芸術作品の一つとも言えるでしょう。
■華麗なるニョニャ文化に触れる
しばらくクーン・セン・ロードのテラスハウス群を眺めた後、再びジョー・チアット・ロードへ戻り南へ歩いて行く。
やがて、イースト・コート・ロードという大通りへと到着。
イースト・コート・ロード沿いにもショップハウスが建ち並ぶ。
イースト・コート・ロード沿いのプラナカン雑貨店を覗いてみた。
プラナカン独特の粉彩による鮮やかなパステルカラーが特徴の「ニョニャ・ウエア」と呼ばれる陶器類が目を引いた。
この他にも、精巧なビーズ刺繍や、細かい刺繍のニョニャ・ケバヤと呼ばれる服も印象的。
ちなみに、プラナカンの女性を「ニョニャ」と言い、男性は「ババ」と言うらしい。
「キム・チュー・クエ・チャン」というプラナカンの家族が経営するお店を覗いてみた。
この店は1階の半分はニョニャちまきなどのプラナカンのデザートを売る庶民的な店で、
残り半分はニョニャ・ウエアやニョニャ・ケバヤなどを売る雑貨屋になっている。
お店の中のテーブルで、プラナカンのニョニャ(おばちゃん)がくつろぎながらビーズ刺繍の小物を作っていた。
お土産にニョニャ・ウエアのデザインのスプーンを購入。
ニョニャのおばちゃんに「ぜひ見て行って」と言われたお店の2階には、プラナカンの小物・衣服・陶器・アクセサリーなど
様々なプラナカングッズが飾られていて、ちょっとしたプラナカン博物館のようになっていた。
中国の陶器はよく人物画や山水画が描かれるものが多いけども、そういった中国陶器と異なり、
牡丹の花の絵がふんだんに描かれて華やかな模様が特徴的なニョニャ・ウエア。
ここでプラナカンの色鮮やかで華麗なるニョニャ文化に少し触れることができた。
■突然のスコールとラクサで腹ごしらえ
さて、プラナカン雑貨屋でしばらく時間をつぶして外に出てみると、なんだか空が暗い。
頭上を黒い雲が覆っていて、生暖かい強い風が吹き始めた。
しばらくして…
土砂降りの雨!
シンガポールは赤道直下の常夏の国だけども、10月~3月は雨期で雨の日も多い。
そして晴れていても、このように急にスコールがやってくる。
ショップハウスの軒下でしばし雨宿り。
インド系の家族も慣れたように雨宿りをしてスコールがやむのを待っていた。
ふと、雨宿りしている場所に「328カトン・ラクサ」というラクサのお店を発見。
深夜1時半ごろに機内食を食べてから朝食も食べていなかったので小腹がすいていたので、
雨がやむまでラクサを食べて腹ごしらえ。
ラクサは、ココナッツミルク・ベースのちょっとピリ辛なスープに、
短く刻まれた米の麺が入ったシンガポールの麺料理。
干しエビで出汁を取っていて、エビの香りとココナッツミルクのマイルドな舌触りがとてもマッチしていておいしい。
あと、ラクサはお箸を使わずレンゲで食べる。
そのためなのかお米の麺は短く切られていてレンゲでスープと一緒に麺をすくって食べるのが特徴的。
ラクサにがっついている間に、いつの間にかスコールはやんでいた。
ということで街歩き再開。もと来たジョー・チアット・ロードを歩いてパヤ・レバ駅方向へと戻ることに。
■ゲイラン・セライ・マーケットでディープマレーの世界にトリップ
ジョー・チアット・ロードを今度は逆に北上して、ゲイラン・ロードへ戻って来た。
信号待ちをしていると、周りはマレー人だらけということに気づく。
ゲイラン・ロード沿いに大きな建物が建っていて、その周辺にマレー系の人たちがたくさん歩いていた。
ここは、ゲイラン・セライ・マーケットというマレー系の人たちが集まる市場。
とにかく、この市場にいるのはマレー系の人たちばかりで、薄暗い市場の中はなかなかディープなマレーの世界。
とはいえアジア各国共通の市場の活気があって、ぶらぶら歩いて市場の様子を眺めるだけで楽しい。
南国シンガポールらしく、みずみずしい果物や野菜が豊富だ。
食料品だけでなく、身近な日用品から民族服、美容用品や薬など、シンガポールの他のお店では見られないような
マレーグッズがたくさん売られている。
みんな大量に食料や日用品などを購入して帰って行く。
マレー系の人たちはイスラム教徒なので、女性は頭にスカーフを巻いているのが特徴的。
ゲイラン・セライ・マーケットは1階部分が市場で、2階部分はホーカーセンター(フードコート)になっている。
2階のホーカーセンターを覗いてみると、朝食を食べに来る多くのマレー人たちで賑わっていた。
広いホーカーセンター内にあるお店はほとんどマレー料理のお店。
ゲイラン・セライ・マーケットを一通り見学して、再びMRTパヤ・レバ駅に戻って来た。
ここからMRTに乗って、シンガポール中心部へ向かいます。
そして、シンガポールといえばアレ…、というアイツを見に行きます。
(つづく)
次、なんとなく週末シンガポール旅(&ちょっとだけJB)その2はコチラ →(その2)
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