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中国型新幹線で行く、広州・長沙・武漢 駆け足旅行 (その2)

2011年05月18日 21時40分51秒 | -旅日記-

■毛沢東の故郷、韶山へ

中国型新幹線で巡る旅、最初の下車地 長沙で最初の目的地は、毛沢東の故郷、韶山。
韶山は長沙市内から南西へ約100kmのところにあります。

韶山へはバスに乗って行きます。
新幹線の駅、長沙南駅から韶山行きのバスが出ている長沙南バスターミナルまでタクシーで移動。
長沙南バスターミナルは長沙市内の南のはずれにあって、けっこう遠いです。

20分ほどタクシーに揺られ、長沙南バスターミナルに到着。
うじゃうじゃいる人民たちをかき分け、バスチケット売り場で韶山行きチケットを購入。

さっそく韶山行きのバスに乗り込みます。

韶山行きバスはオンボロのマイクロバスだ…。


バスは12時ちょうどに出発。一路韶山へ向けて田舎道を走り続けました。
乗客はそれほど多くなく、途中道端で客を拾ったり降ろしたりしながら韶山へ向かいました。


中国のバスの車内では、走行中によくテレビドラマや映画の上映が始まります。

同じような田舎の景色に飽きてきたころに上映が始まったので、暇つぶしにずっと見ていました。
今回は、香港の70年代頃のアクション・コメディ映画でした。
香港映画ならではのコミカルな演技とストーリーに、乗客みんな大笑いしていました。

韶山の街らしき場所に入ったころ、この香港映画はちょうど終了。
と、立て続けに次の映画が始まりました。
ジャッキー・チェン主演映画「プロジェクトA」でした。
が、、ジャッキー登場前にバスは韶山バスターミナルに到着。ジャッキー映画が見れずにちょっと残念。。

韶山バスターミナルに到着したのが午後1時半。1時間半のバスの旅でした。


バスを降りてすぐ目の前に、別のマイクロバスが止まっていました。


バスの車掌をしているおばちゃんが客を呼び込みます。
どうやらこのバスに乗って毛沢東関連施設がある韶山風景名勝区へ向かうようです。

バスはある程度の客を集めてから出発するので、出発を待っている間、車掌のおばちゃんが話しかけてきました。
おばちゃんは我らが日本人だと知ると、今回の地震や原発事故について色々聞いてきました。
中国でも連日ニュースで日本の状況が報道されていて、みな日本の地震関連ことを良く知っています。

おばちゃんは、「日本はこんなに大変な地震が起きても混乱がなく、日本人はとても素晴らしい。」とか、
「建物が地震で潰れないのはすごい。」と、しきりに日本を褒めていました。

ちなみに、このおばちゃんはテレビのニュースではなく、インターネットで地震関連の情報を得ているそうです。
やはり中国政府が垂れ流す官製のテレビニュースは中国の人たちにもあまり信用されていないのかなと思いました。


やがて客がある程度集まり、バスは韶山風景名勝区へ向けて出発。



ちなみに、毛沢東関連の施設が集まるエリアは韶山風景名勝区の中の一区域で、それ以外にも様々な観光地があります。

 

■毛沢東の生家

20分後、バスは毛沢東紀念館前に到着。
ここで乗客は全員降ろされ、バス車掌のおばちゃんがこの後の見所について色々と解説を始めます。
そして、毛沢東紀念館を見学するよう勧めてきたので、我らを含む何人かは入場チケットを買いました。

しかし、その他の人たちは入場チケットを買わずに別の場所へ向かっていくのでおかしいなと思っていたら、
後でその理由が分かりました。。

我々は何のためらいもなく、毛沢東紀念館へ入場。ちなみにチケット代は60元と高い。。

毛沢東紀念館へ入ってすぐに、毛沢東の像が登場。


それにしても人がぜんぜんいない、、情報では毛沢東関連施設には人民であふれていると聞いていたけど。。

中国の国旗、五星紅旗がはためくも、毛沢東紀念館内は閑散としている。


毛沢東の像を見て、その他の施設も覗いてみるけども、どうもパッとしない。。
というか、この毛沢東紀念館自体、ただの公園みたいなところに少しだけ毛沢東関連の建物があるだけの場所だった。




これは完全にだまされたな。。
賢い人民たちは入場料が馬鹿高い毛沢東紀念館など行かず、メインの毛沢東生家などの場所に行っているようだ。

ということで、こんなところで時間を潰してられないので、さっさと撤収。
毛沢東紀念館から徒歩10分ほどの場所にある、毛沢東の生家(毛沢東同志故居)へ向かいました。



新緑が美しい。


周りは菜の花畑。


道沿いには毛沢東グッズを売る露天がたくさん並んでいました。



ありました、毛沢東故居。


まずはチケットを購入、、と思ったら無料でした!
ますますさっきの毛沢東紀念館の60元が悔やまれる。。


やはり、この辺りにはたくさんの人民たちが集結していました。
ものすごい列だ。。


でも意外とサクサク進んで行って、15分ほど待って毛沢東の生家前に到着。


毛沢東同志故居入り口。


一般の農家にしてはかなり大きな家だ。


家の中は毛沢東が過ごした部屋や親兄弟の部屋、家畜小屋などがあり、人民たちは熱心に見学しているが、
正直感想としては、「ふーん。」でしかない。。

人民たちであふれる生家周辺を脱出して、毛沢東生家を遠めで見てみる。


ここでも人民たちが、一生の記念にと、熱心に記念撮影をしていた。



ところで、毛沢東とはどういう人物だったか、今一度簡単におさらいしてみようと思う。

毛沢東は、1893年に、ここ湖南省韶山の農家の子として生まれる。
成長した毛沢東は共産主義に目覚め、結成間もない中国共産党に参加。様々な権力闘争に打ち勝ち中国共産党の指導者的地位に就く。
そのころ、日中戦争が激化。さらに国民党による共産党の弾圧もあり中国共産党は勢力を弱めるも、長征と呼ばれる逃避行の末、
延安に拠点を持ち、そこで毛沢東は中国共産党の最高実力者となる。
また、敵対していた国民党と一時休戦し国共合作により共に日本と戦うこととなる。
そして1945年日本の敗北となるが、日本が去っていったと同時に国共合作は解消され、国民党との国共内戦に突入。
毛沢東は、地主の土地を没収し農民に分配する「土地革命」を行い、農民の支持を獲得していった。
結果、国共内戦に勝利。国民党を台湾へ追いやり、1949年、北京の天安門で毛沢東は中華人民共和国の建国を宣言した。



と、ここまでは「中国革命の父」と呼ばれる華々しい経歴だが、これ以降、毛沢東の政策のせいで中国は大混乱の時代へ突入する。
まず毛沢東は自身の独裁化をすすめる。1958年に発動した「大躍進政策」では、15年以内にイギリスに追いつくという目標のため
無謀な生産が行われた結果、かえって生産性は落ち、この無謀な政策により大飢饉が起きて、餓死者を5000万人以上出すという
すさまじい惨事となってしまった。

大躍進政策の失敗の結果、毛沢東は一線から退くが、やはり自身の政策を押し通そうとして1965年に文化大革命を発動。
毛沢東を熱狂的に支持する学生などの紅衛兵により、毛沢東に代わって実権を握っていた劉少奇やトウ小平を徹底的に弾圧。
特に国家主席だった劉少奇は紅衛兵によりすさまじい拷問を受け無残な死を遂げた。
さらに毛沢東は『毛沢東語録』の出版や、個人崇拝、神格化を進め、徹底的に独裁化を行った。
その後、紅衛兵はさらに暴徒化し、実権派の政治家、知識人、その家族などを殺戮。貴重な文化財などを大量に破壊して、社会を大混乱に陥れた。
文化大革命による犠牲者は数千万人に上ると言われている。
この惨事はすべて毛沢東が自分がナンバーワンでいたいという権力欲の結果だった。

これらのことで毛沢東は、ナチスドイツのヒトラー、ソ連のスターリンと並んで「世界三大大量殺戮者」とも呼ばれることとなる。

そして文革が終わろうとしていた1976年7月に82歳で死去した。

毛沢東死去後、トウ小平が復権。
毛沢東が進めていた社会主義的政策と180度異なる改革開放政策を始めたことにより、
中国は空前の経済発展を遂げ現在に至ります。


毛沢東グッズは毛沢東故居周辺にも大量に売られていた。


周囲の道はきれいに整備されている毛沢東故居周辺。


川沿いに花も植えられて公園のようになっている。


■毛沢東像前での儀式

毛沢東の生家を軽く見学した後は、もう一つのメインスポットである毛沢東広場に立つ毛沢東の銅像を
見に行きました。


ありました、毛沢東の銅像。


ここも人民たちでいっぱいだ。


この毛沢東像の前では、多くの団体さんが献花をしていました。


まずは献花と一緒に記念撮影。


そして、毛沢東像の前に献花を捧げる。

それからみんなで整列し、


毛沢東像へ一礼。


こんな奴に一礼なんて!と思ってしまうが、ここに来ている人民たちは決して熱狂的な毛沢東信者という訳ではない。

最近、1970年代文革以前の時代を懐かしむ風潮があるそうだ。
文革時代までの中国といえば、先ほども述べた通り、まさにどん底の時代。社会は混乱し、本当に貧しい時代だった。
でもなぜそんな時代を懐かしむのかというと、やはりそこには毛沢東という人民たちの精神的支柱がいたからだ。

今は経済発展で中国も豊かになったが、一方で拝金主義が蔓延り、社会のモラルは低下し、多くの人々が心を病むようになってしまった。




そこで、毛沢東というカリスマ指導者の下、貧しいながらもみんなで頑張って生きていこうとしていた時代を懐かしんで、
今でも毛沢東は、目まぐるしく変化していく現代社会に疲れた人々の心の支えになっているのだという。

でもあれだけ国を混乱に陥れた指導者を懐かしむことは普通の感覚ではできないけど、
そこは中国。中国共産党支配に都合の悪い事実は人民にまったく伝えられておらず、当然毛沢東の悪行も
ほとんど中国人民たちには知らされていない。


「毛主席を永遠にしのぶ」

 

■湖南料理を食す

さて、毛沢東像を見学し終わると、だいたいこの辺りの見所は終了してしまった。
いい具合に日も傾きかけてきたので、再びマイクロバスに乗って韶山バスターミナルへ戻りました。

韶山バスターミナル到着後すぐに長沙行きのバスに乗り換え、1時間半後、長沙南バスターミナルへ到着。

長沙の街の中心部にある長沙駅。新幹線駅の長沙南駅は少し離れた街の郊外にある。


宿泊予定のホテルに向かう途中、レストランで腹ごしらえ。
湖南省といえば、中国八大料理の一つである湖南料理。
その本場で湖南料理を食べることに。

湖南料理といえば、四川料理と並んで辛い料理で有名です。
いまや中国全土に湖南料理の店ができるほど人気があります。

長沙で一番有名な「火宮殿」というレストランへ。


この店にはかつて毛沢東も通ったという。


適当に数品頼んで食べたけど、どれもめちゃくちゃ辛い。。
四川料理の山椒のピリピリする辛さとは違う、ただただ辛い。。汗が止まらなくなる。


でも味はおいしかった。


この店では独特の臭いがある臭豆腐が有名だけども、残念ながら臭豆腐は苦手なためパス。。

満腹となったところでホテルへ行きチェックイン。
こうして毛沢東尽くしの長沙滞在一日目は更けていきました。

翌日は再び新幹線に乗って湖北省の省都・武漢へ向かいます。


(つづく)


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