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シルクロードひとり旅 〔8〕 =カシュガル・下町路地歩き編=

2012年03月04日 10時45分00秒 | -旅日記-

■中国の西の果て、カシュガル

カシュガルは、新疆ウイグル自治区の西端、すなわち中国の西の果てに位置するシルクロードのオアシス都市で、その歴史は長い。

紀元前に中国名で疏勒(そろく)国という白人系民族のオアシス国家がこの地に存在し、シルクロードの交易で栄えた。
その後、匈奴・突厥など北方の遊牧民族国家や、中国王朝の支配下に入るも、砂漠・荒野に囲まれたオアシスという特殊な自然条件の下、
時代が変わり支配者が変わろうとも、シルクロードのオアシス都市・カシュガルの重要性は変わらなかった。

9世紀にモンゴル高原にいたトルコ(テュルク)系遊牧民・古代ウイグル人がタリム盆地に移住してきて
土着の民族と同化してオアシス定住民となり、10世紀にはイスラム教のカラハーン朝がカシュガルを支配したことにより
住民はイスラム化して、カシュガルは現在のようなイスラム教徒のウイグル人が住む町となった。




19〜20世紀初頭の帝国主義時代、中央アジアではイギリスvsロシアの「グレート・ゲーム」と呼ばれる激しい勢力拡大競争が行われ、
カシュガルはその主要な舞台となった。
今もカシュガルには、当時激しい情報戦が繰り広げられたイギリスやロシアの領事館跡が残っている。

20世紀初頭には、ウイグル人たちによる国家建設・独立運動が展開されたが、1949年に中国共産党・人民解放軍が新疆に進駐してから
中華人民共和国の支配を受けることとなり、現在に至る。




長いシルクロードの歴史の中で、カシュガルはシルクロード全盛の時代から現在に至るまで、
東トルキスタン(現在の中国・新疆ウイグル自治区)と、西トルキスタン(現在の中央アジア各国)を結ぶ交通の要衝としても栄えてきた。

中国甘粛省・敦煌からタクラマカン砂漠を挟んで南北に分かれたシルクロードは、カシュガルで再び合流。
カシュガルから北へ向かうと天山山脈を越えてキルギスへ、西へ向かうとパミール高原を越えてタジキスタンへ、
南へ向かうとクンジュラブ峠を越えてパキスタン・インドへと、シルクロードは続いていく。


このような長い歴史を持ち、シルクロードの主要なオアシス都市として発展してきたカシュガル。
中華人民共和国に組み込まれた現在、漢族の流入が続いているものの、今も住民のほとんどはウイグル人。

彫が深く髭を蓄えたウイグル人男性や、カラフルなスカーフを巻いたウイグル人女性が行き交い、
イスラム建築が建ち並ぶ異国情緒漂うカシュガルの街を歩いていると、今まで感じられた中国的要素はすっかり薄れて、
シルクロードの道のりは中央アジアへ入ってきたことを実感できる。



■カシュガル駅から市バスで移動

前日にウルムチを出発した列車は、24時間かけ北京時間午前11時に終点カシュガル駅に到着。



なお、カシュガル駅は南疆線の終点駅となっているが、2011年6月末にカシュガルから南下して西域南道沿いの町ホータンまで延長開通された。


奇抜なデザインのカシュガル駅。



カシュガル駅は町の中心部から5kmほど離れている。
駅の出口を出ると、一日2本しか来ない列車の乗客目当てにタクシーの客引きたちが声をかけてくるが軽くあしらい、
市中心部行き市バス(28路)のバス停へ直行。

バスはすでに列車から降りた乗客たちで満員。
大きなバックパックを背負った僕にバスの運ちゃんに荷物をここに置けと言って、運転席真横のスペースに置いてくれた。


やがて満員のバスは、市内へ向けて出発。
駅を出たバスは、のどかなカシュガル郊外の景色に似合わず無駄に広く造られた道路を進んでいく。

ふと、僕の前に座っている漢族の若い男女2人が、「どこから来たの?」と声をかけてきた。

「僕は日本人で、旅行でカシュガルに来た。」と言うと、
「日本人なの!?中国人かと思った。」「日本からこんな遠いところまで来たの!?」と驚かれた。

小汚い格好でバックパックを背負っていたせいか、この旅では外国人と思われず中国人に成りきっていた。。
そのおかげ?か、今回の旅では外国人だからと危ない目に遭ったりトラブルに巻き込まれることは幸い一回も無かった。

この漢族の2人は、カシュガルの学校に通っている学生で、ウイグル人だらけのバスの中で数少ない東洋人顔の僕を見て、
中国沿岸部から来た同じ漢族の人と思って声をかけたらしい。

ちなみに、日本から来たことを驚かれたが、実はカシュガルを訪れる外国人で2番目に多いのが日本人なのだ。
日本人はシルクロードが好きなようで(特に年配の方)、意外とたくさんの日本人がカシュガルを訪れているようだ。
なお、カシュガルを訪れる外国人で一番多いのはパキスタン人。日本人と違って旅行ではなくビジネスで来ている。


バスは途中何度も停車して乗客を乗り降りさせ、やがてカシュガルの町中へと入っていた。
4年前にも訪れたカシュガルだが、こんな辺境の地にある町とはいえ、町の中心部は行き交う人も車も多く、大きな町だ。




今回、カシュガルで宿泊しようと考えているバックパッカー御用達のチニワク賓館。
カシュガルの中心にあるモスク、エイティガール寺院に程近い場所にある。

バスはカシュガル市内を東西に貫く人民路を走り、市内を南北に貫く解放路との交差点で北に向きを変え、
しばらく北上すると、やがてエイティガール寺院が見えてきた。
すかさず降り口に立つ。(バスに停車ボタンなど無い、降り口前に立って降りる意思を示さないと降ろしてもらえない)

バスは賑やかな通り沿いに停車。無事バスを降りた。


この辺りはカシュガルの中心地で人通りも多い。周りはウイグル人だらけだ。

ここからしばらく歩いてチニワク賓館へ到着。


チニワク賓館の裏庭には、かつて帝国主義時代にロシアと壮絶な「グレート・ゲーム」を繰り広げたイギリス領事館跡が残っている。
今は領事館だった建物はチニワク賓館のレストランとして使われている。


ホテルは、まだ旅行シーズン前ということもあり部屋は空いており、問題なくチェックイン完了。

しかし、チニワク賓館の旧館は外装工事中でうるさかった。。



少し休憩した後、さっそくカシュガルの街歩きを開始。

 


■新疆最大のモスク、エイティガール寺院を訪れる

ホテルから少し歩くと中国最大のイスラム・モスクであるエイティガール寺院がある。
カシュガル観光のまず最初はこのモスクを訪れてみた。


歩いて5分ほどで、エイティガール寺院の前に到着。

エイティガール寺院は、15世紀に建てられた中国最大のモスクで、新疆各地のイスラム教徒がここを訪れる。
イスラムの祭日であるローズ節には2万人ものイスラム教徒が訪れ、モスク前の広場で皆一斉にメッカの方向へお祈りする。

以前はエイティガール寺院周辺は小さな商店がたくさん建ち並び、味のある風景だったようだが、
今はそれらは取り壊され、社会主義国特有の味気ない広場に整備されてしまった。



立派なモスクの門。左右には細密な模様が施された尖塔(ミナレット)が立っている。



門の前には信者がたむろしている。



イスラム教徒は自由に出入りできるが、観光客は入場券を買ってからでないと中に入ることができない。
なので、20元の入場券を買って中に入る。

モスクの敷地の中は、外の喧騒とは別世界の、とても静かで厳かな空気が流れていた。

 


ちゃんと靴を脱いでじゅうたんの上に上がる。

 


敷き詰められたじゅうたんの上でしゃがみこみ、熱心にお祈りをする信者たち。

 




さらに奥へ進むと、広い礼拝堂がある。
礼拝堂の入口。



一面じゅうたんが敷かれた礼拝堂の中。

 




物音ひとつ聴こえない静寂の中で、信者たちは静かに祈りを捧げていた。

 

イスラム教は偶像崇拝を否定している。
モスクの中には、仏教のお寺にある仏像やキリスト教の教会にあるキリスト像・マリア像のような偶像類は一切無い。

あるのはアッラーの神のお告げを記したコーランのみ。


なので、モスクの中は意外と簡素な造りとなっている。

 

信者はひたすら決まった作法でメッカの方向へ祈る。





お祈りの際には、イスラム帽を被るのがマナーなのか、じゅうたんの上にいくつも帽子が置かれていた。



礼拝堂の静かで厳かな雰囲気を感じていると、突如、中国人観光客の団体が大挙して押しかけてきた。
彼らは場所関係なく大声でしゃべりまくる。お祈り中のウイグル人たちの冷たい視線もお構いなしだ。

といいつつも、モスクの中は特に撮影禁止の場所ではないが神聖な雰囲気の中でカメラを撮っている自分も
かなり場違いな人間な気がしてきて、アッラーの神に一礼をして、礼拝堂を離れた。



エイティガール寺院の門から見た、モスク前広場。目の前のイスラム風建築の建物はショッピングモール。



エイティガール寺院周辺には、通称「職人街」と呼ばれる通りがあり、そこをぶらりと歩いてみた。

 




モスク近くは観光客向けの土産物屋が多いが、さらに先へ進んでいくと、ナンを焼く店、木工品屋、金物屋、刃物屋、
伝統楽器屋、じゅうたん屋などの手工業店が並ぶ、まさに職人たちの街となる。



 


カシュガル名物、不気味な歯医者の看板。



ここは2階部分がオープンテラスになっているカフェ。

 


焼きたてのサモサがウマそう!



小さなモスク前を顔をすべて布で隠した女性たちが歩く。

 


金物屋。

 


でかい・・・。



路上で職人と若い弟子が作業を行っている。

 


ぶらぶら見て歩くだけで楽しいが、4年前に訪れた時の方がもうちょっと活気があったように思う。
段々とこのような下町の伝統工業が失われつつあるのは、日本もカシュガルも同じなのか。



職人街を抜けて、人民路を東へと歩く。
この先には人民公園という、いかにも社会主義的・中国的なだだっ広く味気ない広場がある。

なぜ面白くも無い広場へと行ったかと言うと、この広場の前には巨大な毛沢東像があるからだ。
カシュガルに来たら、一回はこいつを見ておかないと、と4年ぶりに毛沢東像とご対面。



毛沢東像の周囲は、まもなく行われる中国共産党成立90周年のイベントに向けて準備が行われていた。


シルクロードの雰囲気たっぷりの異国情緒漂うカシュガルの町にまったく似つかわしくない毛沢東像。
そんな毛沢東像は、今日も不穏な動きをするウイグル人たちがいないか、目を見張らせていたのだった。

 

■カシュガル路地裏散歩

カシュガルの一番の見所と言ったら、ウイグル人たちの住む古い町並みが残る旧市街、「老城」だろう。

「老城」は、カシュガルの中心に位置するエイティガール寺院の周辺に広がっており、土色のウイグル住居がひしめき合い、
その住居の間を迷路のように入り組んだ路地が通り、昔ながらのウイグル人たちの生活を垣間見ることができる。


しかし、近年、特に2008年の北京オリンピック前後から再開発の波がこの「老城」にも押し寄せ、
古い住居は壊され新しい建物が建てられて、ウイグル人伝統の町並みは姿を消しつつある。


さて、エイティガール寺院や職人街周辺を一通り歩いて、ホテルに戻り一旦休憩。
日が傾いてきて涼しくなってきた頃、再び街歩き開始。

宿泊しているチニワク賓館からエイティガール寺院へ向かう路地を歩いていく。
この路地には、ウイグル料理のレストラン、ナンや羊肉を売る店、民族衣装の店、道端で果物を売るウイグル人などなど、
たくさんの店が並んでいて、いつも多くのウイグル人で賑わっていた。



この路地を何度も通ったが、ウイグル人たちのいろんな表情が見ることができ、いつ来ても飽きない。



焼きたてのナンの店。

 


 


羊串肉を焼くいい匂いが漂ってくる。

 


なんだか楽しそうに会話しているオヤジたち。



ウイグル帽の似合う少年。



路地を抜けて再びエイティガール寺院前の広場に着いた。
この辺りは公園としても整備されていて、くつろぐウイグル人たちがたくさんいた。



 


仲良し三人組のオヤジたち。

 


モスク周辺には鳩が多い。平和の象徴か。

 


エイティガール寺院。

 


写真を撮っていたら、一人のウイグル人のおじいちゃんが「何をしてるんじゃ?」と、カメラを覗き込んできた。


立派な髭のおじいちゃんだ。

 


エイティガール寺院の東側には、カシュガル旧市街地「老城」が広がっている。

「老城」の路地を歩いて、下町のウイグル人街の雰囲気を感じてみる。



路上本屋さん。客の気配は無し。



ウイグル人は男女問わずオシャレ好きなのか、床屋や美容院がいたるところにあった。

 



 


パカパカ音を立ててロバ車が通り過ぎていった。



こちらは休憩中のロバ車。



小さなモスクの建物。



 


何やらオヤジたちが集まって密談?



路上で羊の解体ショー。あっという間に皮を剥ぎ取られ部位ごとにばらされていった。



やがて肉屋で吊るされて売られていく。




「老城」の路地では至る所でウイグルの子どもたちが遊んでいた。


中国の少数民族として分類されているウイグル人は一人っ子政策が表向き実施されていない。
なのでウイグル人の住むエリアでは多くのウイグルの子どもたちを見かける。

下町の路地でたくさんの子どもたちが遊ぶ姿は、日本でも昔はこんな風景がいたる所で見られたんだろうなと思う。


人懐っこいウイグルの子どもたちは、僕が外国人と分かると「ハロー」と声をかけてくる。

カメラを見つけると良い笑顔。



 


下校中のウイグル人小学生も加わって記念撮影。



みんなかわいい笑顔だ。




「老城」は、今、一大再開発中だ。
いたるところで古いウイグル住居が壊されている様子を見かける。

4年前にも訪れた阿熱亜路。
当時、ここでは職人さんがものづくりををしていた場所だったが、今は店は閉まり、瓦礫が道を塞いでいて人影は見られず、
寂しげな雰囲気が漂っていた。



一時期は、この一帯に住むウイグル人たちを追い出して、新しい建物を建ててまったく新しい街にする話があったようだが、
中国中央電視台(CCTV)のニュースによると、街並みの雰囲気を残しつつウイグル人の伝統的な住居建築方法を使って新しく建て替えるのだという。


取り壊された住居を寂しく眺めているウイグルの子どもたち。



新しく建て替えられたレンガ造りのウイグル人住居。

 


 


日が傾き、「三丁目の夕日」といった感じだ。

 


引き続き路地を歩いていると、またまた人懐っこいウイグルの子どもたちに出会った。
「ハロー」と声をかけてきたのでカメラを向けると、「キャーキャー」言いながら逃げていく。


しばらくこの繰り返しをして遊ぶ。


子どもたちがウイグル語で何やら話しかけてくるが、残念ながら何言ってるかさっぱり分からない。



海外で言葉の通じないそんな時は写真で会話。写した写真を見せて遊ぶのだ。

カメラにいい表情をしてくれる。

 


そして写した写真を見せると大喜び。

 




去り際、遠くに見えなくなるまで「ハロー」「バイバイ」と言い続けていたかわいい子どもたち。



子どもたちと別れて、さらに路地を進んでいく。
ウイグルの路地では、煙が立つところに羊肉串(シシカバブー)あり。

 


ウイグル人男性の挨拶。かっこいい。



日本でも昔、女の子たちがみんなやっていたであろうゴム跳びがウイグルの路地でも。


まさに「三丁目の夕日」だなあ。

 




路地で読書中の女の子。お邪魔しました。



ウイグルの伝統的住居は細い路地の上にまでせり出していて、まるでトンネルをくぐって行くようだ。
こういう路地は独特の雰囲気がある。



 


お店が並ぶバザールエリアを歩く。

 

 

 


カラフルな色彩のバザールの街並が中央アジア・中東の雰囲気たっぷりだ。


ここが中国とは思えない。


羊肉のひき肉が入った大きなサモサ。



かまどの側面に付けて焼いていく。





ウイグル帽屋さん。



ちょうど夕食の時間となり、昼間は何も無かった場所に多くの屋台が並んですごい賑わいを見せていた。

 



 

 

 


ぐるっとウイグル「老城」エリアを歩いて、再びエイティガール寺院前へと戻ってきた。



だいぶ歩いて疲れたのでホテルへ戻ることに。
ホテルへ向かう路地でおいしそうな果物を売っていたので買ってみた。

小さな桃のような見た目だが、味や食感はりんごと梨の中間ぐらい?でも甘くておいしかった。

果物売りのウイグルの女の子。

 


明日は日曜日。
シルクロードの日曜日といえば「日曜バザール」だ。
各地で大盛り上がりをみせる「日曜バザール」を見に、カシュガルからバスに乗って郊外のバザールを訪れました。



(つづく)

 

ジャンル:
海外旅行
キーワード
ウイグル人 中央アジア イスラム教徒 オアシス都市 バックパック パキスタン 中国共産党 中華人民共和国 グレート・ゲーム 三丁目の夕日
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