心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

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太宰治『人間失格』の最後の文章

2017-07-05 09:05:49 | 作家・文学

太宰治の名作『人間失格』の本文の最後の文章は次のようなものである。

 

 いまは自分には、幸福も不幸もありません。

 ただ、一さいは過ぎていきます。

 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来たいわゆる「人間」の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。

 ただ、一さいは過ぎて行きます。

 自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。

 

『人間失格』は含蓄の深い暗示的作品である。

ストレートに感情的に読もうとすると、その含蓄は理解できない。

幸福を求めるのは人情であり、万人に共通の普遍的感情である。

しかし、漱石や有島や芥川や太宰は、野放図に幸福を追求する姿勢に疑いの念をもっていた。

トルストイとかになると、その傾向があまりにストレートで、読んでいるこっちが恥ずかしくなってくる。

神の愛を信じ他人のために自分を犠牲にするように生きよ、と言われてもなー。

それに対して、太宰はそのような直接的人道主義やキリスト教的博愛主義を説かないで、何かを暗示しようとした。

トルストイと太宰とどっちが芸術的に深いか、あるいは哲学的に深いかは簡単には決定できない。

まぁ、とにかく明るく健康に生きて、幸福な人生を満喫しよう、という思考姿勢の背景には薄っぺらい人間性が控えている、と言わざるを得ない。

それはともあれ、興味深いのは、太宰の件の最後の文章で、最高の真理が「ただ、一切は過ぎて行きます」となっていることである。

これは存在の本質が時間であり、「幸福or不幸」という二者択一的図式は表層的なものにすぎないことを意味する。

 

 

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