遊戯(ゆげ)

世の中は、なるようになるわ。
あきらめないで、悠然と生きる事を楽しむ・・・・
それが遊戯(ゆげ)の心です。

嗚(ああ)横川国民学校

2017年08月09日 | Weblog

ドキュメンタリー番組を見て感動しました。
書家の、井上ゆういちの
作品。

疎開先の小学校が、爆撃を受け、その日、10万人亡くなった。
井上は、教師だったが、定年まで勤めあげたあと、書道に専心。

長い間、書けなかったあの日の事を描いた力作。
松重豊の朗読が、ずしんと
胸を揺する。
戦争は、普通の人を巻き添えにしてしまう。
阿鼻叫喚の地獄図が、浮かび上がってきて、身がすくむ。

絶対、戦争を繰り返してはならないと思いました。

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「噫横川国民学校」の作者・井上有一は、
1916年(大正五年)東京の下町に生まれた。
十九歳で師範学校を卒業し、
自宅にほど近い東京市本所区横川尋常小学校
(後の横川国民学校)の教師となる。

1945年(昭和二十年)頃の
横川国民学校の生徒は皆、
学童疎開によって千葉県に移住していたのだが、
3月になると、有一は担任していた
6年生たちを連れて、
疎開先から東京へ戻っていた。
卒業式をするためであった。

そして3月9日から3月10日に
日付が変わった深夜

米軍のB29爆撃機三百二十五機が
東京上空に姿を現し、
東京大空襲が始まった。

有一の自宅はそれより前の爆撃で
すでに壊されており、
彼は横川国民学校に宿直をしていて、
この日の空襲に遭遇した。

そこは近隣住民の避難場所でもあったのだが、
学校を包囲するように広がった炎の勢いは、
鉄筋コンクリートの校舎であろうが容赦なく、
中にいた人々をも焼き殺していった。

地獄絵図のような一夜が明けて、
気絶した状態で発見された有一は、
数時間におよぶ蘇生処置によって
奇跡的に生き残ることができたが、
この横川国民学校だけでも千人以上が死に、
なによりも卒業のために彼が疎開先から
連れてきた生徒も八人がここで亡くなった。
彼はそれを生涯にわたって悔いた。

 

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