私は、年賀状にこう書いた。
今年は雨奇晴好の心境で臨みたいと。
昨年は和顔愛語と書いた。
一昨年から”ひろさちや先生”の本を読み始め、仏教に引き付けられてしまった。
そのため口にするのはいつも仏教のことばかり。
仏教は哲学だと悟り、哲学を追及している。
我々が生きる指針を求めて早50年。
漸く、人生を考える入口に到達した感じがする。
科学が少しずつ仏教のあるいはキリスト教の一部を証明し始めたような気がする。
過去の宗教家は生命や死後の世界、霊の世界を直感的に言い当てた。
しかし、誰もが証明できないから、胡散臭い宗教ということになってしまった。
その原因は坊さんの側にもあった。
自分達も生きていかなければという打算が働いた瞬間、人々の心は離れていく。
本当の釈迦の言葉を聞いてみるがよい。
誰もが、疑いもなく信じるのだ。
しかし、残念ながら釈迦の言葉を誰も聞くことが出来ない。
しかし、空海は聞いたであろう。
私は、空海の言葉を釈迦の言葉とする。
しかし、本当に空海の言葉を聞くことが出来るであろうか?
その通訳が、ひろさちや先生である。
雨奇晴好はひろさちや先生の好きな言葉だという。
だから、私も真似しているのだ。
凡人は、真似ることしかできない。
今年もよろしく









