天使の寝顔

夫と離婚し二人目の子を出産。
幼い息子と娘を持つシングルマザーになりました。

2人目の出産

2009年12月16日 | 現在の日記
予定日は9月18日だったが、まだ生まれる様子はなかった。

予定日を過ぎた頃、温真を預ける都合もあり、預ける母が店をやっていることもあって、日にちを決めて出産する計画分娩にすることを決めた。

24日、朝から温真を母に預け、私は出産のため入院した。
陣痛促進剤を使ってその日のうちの午後3時40分、安産で無事女の子を出産した。

赤ちゃんは生まれてすぐきれいにしてもらった後、私のところに連れてきてもらい、カンガルーケアをした。
私の胸に乗せると赤ちゃんは、一生懸命おっぱいを捜し始めた。
乳首を赤ちゃんの口に含ませると、まだおっぱいも出ないだろうに、でも一生懸命おっぱいを吸ってくれた。

さすがは私のところに生まれて来てくれた赤ちゃん、たくましい娘に違いないと、その時感じた。

その日の夕方、母は温真を連れて病院にきてくれた。
「温真、全然泣かずに楽しそうにずっと遊んでたよ。」と母が言うので、それはよかった~と安心していると、温真が私のところになかなか寄ってこない。
「温真~?」と呼んでも、ずっとうつむいてじっとしている。

赤ちゃん産んだばっかりで、いつものママと違うって思ってるのかな?
無理やり温真を抱っこしたら、ずっとこらえていたのかわんわんと泣き出して・・・。

楽しそうに遊んでいたけど、本当は寂しかったんだね。
泣いたらいけないと思って、我慢してたんだね。
ママの顔見たら、溢れ出しちゃったんだ・・・。

温真を抱きしめながら、私も一緒にわんわん泣いた。
まだ小さい温真に寂しい思いをさせてごめんね、って。
その健気な温真が本当に愛おしく、大切に思えてならなかった。


入院中の3日間、母は温真を毎日連れてきてくれたが、次の日からは私とわかれて母と帰る時、もうケロっとして私に、「ばいばい!」と手を振って行ってしまった。

たくましいぞ。
こうやって少しずつお兄ちゃんになっていくんだね。


妊娠の報告

2009年12月16日 | 現在の日記
調停の翌日、私はすぐに役所に離婚の届出を出した。

その1週間後、旧姓に戻り新しい戸籍ができると、温真を元夫の戸籍から私の戸籍に移動し、私の氏に変更するための申請書を家庭裁判所に郵送した。
家庭裁判所の許可がおり、その書類を役所に持っていくと、温真は私の戸籍に入り、私と同じ苗字になった。

ひとり親家庭や保険の手続きや、もともと住んでいる市営住宅の名義変更などで元夫の書類が必要なことがあったが、元夫は快く書類を用意してくれた。
書類を持ってきてもらう時、元夫は温真と少し遊んだりもしてくれた。

休みの日にはしじみを採ってきたとか、竹の子を掘ってきたとか言って、うちまで持ってきてくれた。
私も毎月、温真の写真をメールで送ったりした。

離婚してからの方が、関係がうまくいっているような気がした。
もう関係ない人だから、何をしようと腹も立たないし、多くを求めないし、遠慮もあって本音も出さないし、いい所だけ見てればいい。
一定の距離を保ってるからいいんだろう。

8月のお盆休み、元夫が食事に行こうというので、温真と3人でごはんを食べた。
離婚後、食事やゆっくり会うのは初めてだったが、温真をはさんで楽しく過ごした。

食事も終わりに近づいた頃。
「来月ね、温真の妹が生まれるんだよ。」
私はサラっと言った。

言ったからといって、どうこうするつもりはない。
ただ生まれた子供に、元夫をお父さんとして育てていく限り、元夫には知っておいてもらった方がいいな、と思っていた。

元夫の反応を見るのが、少し怖かった。

元夫は意味がわからないという顔で、
「どういうこと?」と聞き返した。
私は元夫に、大きくなった妊娠9ヶ月のお腹を見せた。
そして「前に体外受精したときに、もう1つ卵が残ってるって言ったでしょう。それを戻して妊娠したんだよ。」と説明した。

こんなこと説明しても、嘘だって思われるよね。
どうせ他の男との間にできたんだって思われるよね。
心の中ではそんな風にも思ったけど、信じてもらえなくてもしょうがない、言うだけ言えたらいいやって思った。

すると元夫は意外な言葉を口にした。
「そうならそうと、やるときに(胚移植)相談してくれればよかったのに。」
私は「えっ?」と思った。

相談してたらどうなってた?
反対して、そうはさせなかった?
それともOKしてくれて、離婚もしなくてうまくいってた?
そういう意味?

そんなことはないでしょう、と私は思った。
そして「だってその時は別居になってたし、もうそれどころじゃなくなってたから。」と返した。
「ああ、そうか。」と元夫は言って、それきりその話題は終わった。

私としては、ひとことも疑いの言葉はなく、私の言ったことをそのまま信用してくれたことが嬉しかった。
元夫がどう思ったかはわからいけど、まあ一応言えてよかったと思った。

その後も変わらず元夫からはちょくちょくメールで、「みんな元気かな?」に加えて「お腹の調子はどう?」と気遣う文が送られてきた。
そして「生まれたら会いに行くね。」と。


第二回 調停

2009年12月16日 | 離婚
5月13日、二回目の調停の日。

私はまた温真を連れて、家庭裁判所に入った。

まず私が呼ばれた。

男性の調停委員が、
「前回の続きですが、あなたは慰謝料200万・養育費6万を求めるということで今日も話し合いを進めていきます。」と話を始めた。

私はこのままのらりくらりとしていると話が前進しないと思い、自分から
「妥協できる金額を考えてきました。慰謝料は100万で養育費は4万でいいです。」と言った。
あとは慰謝料・養育費の金額だけなんだから、早く調停を終わらせたいという思いだった。

私が待合室で待っている間、調停委員と夫とで話をし、また交代で私が呼ばれた。

夫は慰謝料は払うつもりはあるし100万という額で了承するが、分割払いにして欲しい、養育費は3万しか払えないと言ったらしい。

借金があり、債務整理をしたがその支払いがあるのと、不景気で仕事が減り、給料が下がったため、支払えるのはそのくらいだと。

私はもちろん夫が100万を一括で支払えるとは思っていなかったし、分割でもいいと考えていた。
ただ私も生活があるので、分割で5万づつと、養育費3万5千円で合計月に8万5千円にしてもらいたいともう一度主張した。

この大幅な妥協で夫も納得し、今回でめでたく調停成立となった。

その後夫も同室に呼び、書記官や調停委員らと一緒に確認しながら調書を作成すると説明された。

夫と顔を合わせるのは、7月に夫が荷物を運び出し出て行った時以来だな・・・。
でももう私は怒っていないし、気持ちも落ち着いている。
こうして調停も成立し正式に離婚となり、気分もすっきりした。

離婚はしてもこれからは温真の父親として、せめて温真にだけはちゃんとお父さんでいて欲しいと思う。

少しすると夫が部屋に入ってきた。
私はすぐに微笑んで、温真を夫のそばに寄せ
「パパだよ~。抱っこ~ってしてもらいな~。」と言った。

夫は私の意外なその穏やかさに少し戸惑ったような、気まずそうな感じだったが、すぐ温真を抱っこしてくれた。

私は「温真大きくなったでしょう?」「今日休み?忙しいのに悪いね。」
と、こんな調停の話し合いやこれでもう離婚するなんてのが嘘のような、何事もなかった普通の夫婦のように、たわいのない言葉を夫と交わした。

調書を作成し調停は終わり、夫は温真を抱き私も一緒にエレベーターに乗った。

もうこれで本当に離婚しちゃったんだな・・・。
付き合いっている頃から夫のことはすごくすごく好きだったし、待望の子供もやっと授かって、家族で幸せに暮らせると思っていた。
夫も同じだったはずなのに、あっけないもんだな。

でも私には大切な大切な宝物が2人もいる。
これは私にとってとても幸せでありがたいこと。
子供がそばにいるだけで充分な気がした。

不思議と、夫に対して恨みの気持ちはもうなく、今までありがとねっていう気持ちだった。

エレベーターを降りて夫との別れ際、最後に言おうと決めていた言葉を私は明るく言った。
「お幸せに。」
決して嫌味ではなく、素直にそう思う。

私、妊娠6ヶ月。
お腹があまり大きく出ないタイプらしく、ちょっとふわっとしたチュニックなんかを着ていれば妊婦と気づかれない。

夫・・・元夫にはこのことは言っていない。
養育費もお腹の子の分はもらうつもりはない。
私が自分ひとりで生んで育てると決めたことだし、勝手に生んどいてそんなの知らんって、子供の存在すら否定され兼ねないことが、悲しいから。

だけどひとつだけ受け入れて欲しい。
このお腹の子が生まれたら子供に、お父さんは元夫だと教えるつもり。
それだけ。

第一回 調停

2009年12月16日 | 離婚
4月8日午後。

私は温真を連れ、家庭裁判所に入った。

受付で手続きをし、待合室で待つ。
待合室は、申し立てた側と申し立てられた側の人が顔を合わせずに済むように、別々の離れた部屋にされている。

しばらくすると50代くらいの女性の調停委員が、私たちの調停の担当と言うことで現れ、話し合いをする部屋へ案内された。
中に入って待つと、さっきの女性ともうひとり60代ほどの男性が一緒に入ってきた。

挨拶を済ませると、先に申請しておいた調停での話し合いの内容を確認し、また一から事の流れを説明するよう言われた。

女性はやわらかい表情で、ゆっくりと何度もうなづきながら私の話を聞いた。
少し頭の固そうな印象の男性は、時折質問を交えながら話を進めた。

ひととおり説明すると、あなたの主張ができるだけ通るように今度は夫と調停委員とで話をしてみるからと、私は待合室で待つように言われた。

しばらくすると調停委員が、次回の調停の日時は5月13日でいいか?と聞きにきた。
私は「大丈夫です。」と答え、また少し待った。
少しすると調停委員が私を呼びに来た。

夫はすでに帰ったようで、私と調停委員との3人で再び話をした。
夫が私の求める慰謝料200万と養育費月額6万という主張に対し、どう言っていたかなど、男性の調停委員が話を始めた。

まず夫は、自分の不貞を認め、私が説明したことの流れも間違いないと認め、離婚に関しては承諾します、と。
親権に関しても私が持つことで異議はないと。
ただ慰謝料・養育費に関しては、その額は支払えないと言っていたとのことだった。

だから調停委員は、次回までにいくらなら支払えるのかを考えてくるようにと夫に伝え、それで終わったらしい。

正直「えっ、それだけ?」と思ってしまった。
今日の時点で、いくらなら払えるという答えをもらえると思っていて、それで妥協点をもう少し話し合えるかな~と思っていたから。

私は当然この金額を払えないと夫が言うことは分かっていたから、いくらくらいで妥協しようということまでもう考えていた。
ただ払える払えないは別として、私の心の傷はこれほど深いものなんだということを知ってもらうため、指し示すために、あえて大きい金額を言ったのだから。

この分だとまだまだ日にちもかかりそうだな・・・と思った。