隠居部屋(書庫)

「十・二・国・記」の二次創作メイン

邂逅(上)

2009年08月11日 | 文箱(12国記/2次)
…氾麟は、範の宝重だとかいう蠱蛻衫を使って好き勝手に宮殿内を放浪している。突然、正寝にやってきて、どこの官吏が下官を虐めていたのは良くないと思う、などと言って去っていく。

                          「黄昏の岸 暁の天」




夏の太陽が日に日に勢いを増している季節だった。
その日も丕緒は工舎で青江を相手に、陶鵲について話し合いながら試行錯誤を重ねていた。
一月ばかり前に、戴の女将軍が文字どおり満身創痍で禁門を侵したという噂は、治朝の隅にいる丕緒のもとへも届いていた。その事件を発端に、王の近辺が何やら騒がしくなっているのだという。王の側近を始め、隣国の王や台輔も巻き込んで大きな動きに発展してきているということである。新王が登極してまだ僅かに2年と少し、妖魔の姿はなくなったとはいえ、国の状態はまだまだ安定には程遠い状態である。ここぞとばかりに王の資質について、不平不満を言い募る輩があちらこちらに出現している。そして、そういった言葉は必ずと言っていいほど、決まって「所詮は女王だ…」と締めくくられるのだった。
そういった声を耳にするたびに、丕緒は大射の夜のことを思い出していた。飾らない言葉で、率直な思いを伝えてくれた声を思う。
誹謗中傷を繰り返す輩になにか反論してみたいとは思うのだが、いざ口を開こうとすると語るべき言葉の少なさに唖然とする。結局は、目の前の仕事に打ち込むことしかできない自分がいるのを思い知るのだった。
大射のあと射儀は行われていない、今のところその予定もない、射鳥氏はどこか不満げな様子をしていたが、丕緒には全く気にならなかった、あのとき王は陶鵲に込めた丕緒の、青江の…䔥蘭の思いを、ちゃんと受け止めてくれたのだ。それ以上の喜びがあるだろうか。
いつかまた求められるときに備えて、ひたすら考案を巡らせ意匠を凝らすことに精進する日々である。かつて感じたような空虚さはなくなった、創造する充実感もある…しかし、陶鵲について思いを巡らせ工夫を重ねる度に、ここにはいない人を思い出す。彼の人ならどのように考えるかと思わずにいられないのである。それは青江も同じようだった、時々遠い眼をして哀しげに息を吐いているのを丕緒は目にしていた。

額に浮かんだ汗を掌で拭って、丕緒はふとあたりを見回した。そろそろ日が傾いてくる時間であるが、暑さは一向に和らごうとはしていない。向かい合って立つ青江の額にも汗がにじんでいる。
そのとき、戸口に隠れるようにして立つ人影があることに丕緒は気がついた。
逆光になって輪郭だけのその人は、どこかしら懐かしい人影にとても似ているように思えた。思わず声を掛けそうになって、そんなはずはないとあわてて口をつぐむ。よくよく見れば、その人は彼の人よりは幾分小柄で若々しい感じがした。
戸口には背を向けていた青江も丕緒のただならぬ様子に何かを感じたのだろう、振り返ってみて、やはり驚愕していた。
「…師匠…」と小さな声にしてしまってから、あわてて頭を振っているのが哀しい。


「…ごめんなさい…」
やがて、その人影は中に入ってきて小さな声で言った。
「…驚かせるつもりはなかったの…」
近くに歩み寄ったのを見れば、その少女は䔥蘭にはあまり似ていなかった。しかも取り立てて人目を引く容姿ではないのに、奇妙に人を惹きつける華やぎが彼女にはある。
「…あなたが、懐かしい人に似ているように思ったのです…勝手にこちらが間違えたのですから…」
年長の丕緒のほうが立ち直りが早かった、弁明しようとするのを遮って彼女は言う。
「…そうではないの…」
そして、彼女は襟に手をかけた。見えない被り物を落とし、衣を脱ぎ捨てるような動作をする。そこに現れた鮮やかに明るい金の髪と菫色の瞳を持った少女は、今まで見たこともないほどに可憐な姿をしていた。その手にはなにか衣のようなものを抱えている。
(麒麟…!)
丕緒は心の中で叫んだ、あわてて膝をついて礼をとりながら考える。自国の麒麟ならば何度か見かけたことがある。今は20代半ばに見える背の高い男である…では、この少女はどこの国の台輔なのか。
その横で青江はさらに混乱していた、金の髪と言えば麒麟である…この世界でそれを知らないものは、ほとんどいないと言ってよい。しかし、一生のうちに実際に麒麟の姿を見る機会に恵まれるものは、ほとんどいないというのも事実なのである。官に長く仕えてきた青江であっても、その位が低いために燕朝に足を運んだことは一度もなく、麒麟に出会った経験など全くないのである。丕緒に倣って礼を取ろうとした青江は、慌てた揚句に袖を卓子の上にあった玻璃の球にひっかけてしまった。陶鵲の中に仕込んでおく球の一つである。
球はころころ卓子の上から転がり落ちると、床で一度跳ねてから弾け散った…その中からは薄紅色の花びらや金砂銀砂、虹色に輝く小さな鈴や香油の入った小さな粒が零れおちて、きらきらさらさらと妙なる調べを響かせ、花の香りを周囲に漂わせた。
「…まあ…」
麒麟の少女は、大きく眼を瞠ってその様子を見つめていた。
「…さわっても、いいかしら…?」
丕緒が頷いて見せると、小さな指が桃色の花片を一つつまみあげて掌にのせる。
「…素晴らしいものね…あなた方が作ったの…?」


少女は範の麒麟だと名乗った。王のお供をしてこの国に滞在しているのだという。
先ほど二人を驚かせた衣は範の宝重の蠱蛻衫、それをまとう人を見る人の好ましいように見せるのだと言った。
「きっと、お二人にとってとても大切な方だったのですね…」
そう言われても返す言葉が見つからず、丕緒も青江も目を伏せることしかできなかった。
氾麟は、物珍しげに工舎の中を見て回った…美しい細工に目を瞠り、精巧な仕掛けには無邪気に感嘆の声を上げる。そして丕緒も青江も、この美しい珍客に乞われるままにさまざまな質問に答えた。
やがて夕闇が濃くなってくる頃、氾麟は再び件の衣を身に着けると、次の日の来訪を約束して去って行ったのである。
「夢のような…ひとときでしたね…」
感に堪えないといった様子で言う青江に、丕緒は思わず微苦笑で応じていたが、次の日は夢どころでない展開が待ち受けていた。





翌日、工舎の入口に立った氾麟は一人の背の高い人物を伴っていた。
髪を美しく結い上げて簪を挿し、上品な襦裙をすらりとした身体に纏ったその人物は優雅な物腰でたたずんでいたが、どう見ても若い男にしか見えなかった。
「…主上をお連れしました…」
氾麟の言葉に、丕緒と青江は仰天する。慌てて床に平伏しようとする2人に、その人は静かな声で言った。
「…仰々しい礼は、やめてくりゃるかえ…お忍びだからね…」
そして、くつりと笑いながら付け加える。
「…それに、この国では伏礼は廃されたのであろ…」


「…取り散らかしておりまして…」
案内をしながら恐縮する青江に、王は鷹揚に笑って答える。
「仕事をすれば、散らかるのは当り前のこと…気にすることはない…」
周囲をゆっくりと見回している王を目の前にして、丕緒は身が引き締まる思いがした。範西国と言えば、いまや匠の国として12国中に知られている。しかし聞くところによれば、今の王が登極した300年前にはこれといった産業のない国であったという。それを匠の国として育て上げたその本人が目の前にいるのである。
きっと、細工の美しさはもちろんのこと、精密さや精巧さにも、一言ある人物に違いないと思う。
しかし、雅やかな王は周囲を興味深く見回すだけで、何も言おうとはしなかった。

「…主上…」
氾麟がその主の袖を引いて、一つの陶鵲を指し示す。それに頷いて見せながら、王は口を開く。
「これも、そなたが作ったのかえ…?」
問いかけられた青江は悲しそうに、頭を振った
「…それは、師匠が…」
「…ここの師匠はそなたではないのかえ…?」
重ねて問いかけられて、返答に詰まった青江の後を引き取って、丕緒は答える。
「前の羅人の師匠…䔥蘭は女人でございました…前王の時代に行方不明になってしまって…そのあとを、この青江が継いだのでございます」
「…そうなのか…」
前王の時代という言葉で、だいたい察しがついたのであろう…それ以上の問いかけはなかった。
「…それは、残念なことをしたもの…」
ぽつりと漏らされた言葉に、丕緒は胸が熱くなるのを感じた。
䔥蘭の残した仕事を、匠の国の王が認めたのである。今の言葉を本人に聞かせてやりたかったと強く思うのだった。

「羅氏中の羅氏…とは、そなたのことかえ…?」
自分の方に向き直られて、丕緒は緊張する。
「どのように言われているのかは存じませんが、確かに久しくこの職に就いております…」
「そなたに…」
氾王が言いかけた言葉は、氾麟の大きな声で遮られてしまう。

「ねえ、あれは何なの?どうして、あんなところに木が生えているの?」
見れば、氾麟の身体は窓の外へ半ば乗り出している。
「あれは、何の木なの…?」
続けさまに問いかける声に、青江が笑って答える。
「あれは、梨の木です…前の師匠が梨の実を投げていたのが根付いて、今では大きな林になってしまいました…」
「…そうなの…」
「春になると、それは綺麗に花が咲くのですよ…まるで、凌雲山の中腹に純白の雲がかかったように見えるんです」
「…まあ…」
紫色に輝く瞳にじっと見つめられて、青江の顔が少し上気する。
「そして、その花片が散るさまはまるで雪が舞う様で…本当にすばらしい眺めですよ…」
「…すごいのね…」
溜息交じりの返事をする氾麟に、くつくつと笑う声が降ってきた。
「梨雪が、今なにを考えたのか…当ててみようかね…?」
「…主上…」
軽く睨み返してきた麒麟の少女にはお構いなく、氾王は言葉を続ける。
「…その花の咲く季節まで、この国に滞在していようと思ったのであろ…嬌娘を故国で待ちわびている者も大勢いるというのに…」
「だって、素敵じゃありませんか…主上にいただいた私の字そのままの風景なんて、見たいと思うのは当り前ですわ…」
ちょっと頬をふくらませて拗ねて見せる半身に、氾王は困ったものだねと笑う。
「…前の師匠は、なかなか風流な御仁だったと見えるね…素晴らしいものばかり残しておいてくれるのだもの…」

一度会ってみたかったものよ…という呟きは扇の陰で消えた。


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