にいがた映像ギャラリー散歩道

新潟にまつわる映画・映像・写真を中心に、<特定非営利活動法人・にいがた映像ギャラリー>の活動を紹介します。

◆映像カフェミニ映写会開催のお知らせ◆

2021年07月02日 | 日記

◆月1回、恒例のミニ映写会を開催しています◆

今月はこちらの日時で行います。

お近くに方、お時間がありましたらお越しください。

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明治の新潟市内の名所<15ケ 所>を見る⑭新潟警察署

2021年06月28日 | 日記
<シリーズ14> 新潟警察署
『新潟市の図』明治32年発行による旧新潟市地図です。
柾谷小路は現在のNXET21・旧新潟三越までで東中通とはまだ繋がっていません。信濃川の川幅は2倍以上、万代シテイは川の中でした。右下端に龍が島停車場とありますが、明治30年11月に開業した<沼垂駅>のことです。その7年後に延線し、すったもんだの多案件を解決し新潟駅の開業となりました。この北越鉄道<直江津→沼垂→新潟>開通にあり尽力を傾注、株主に名を連ねた一人が今<大河ドラマ>で再評価の高い渋沢栄一氏です。明治33年 新潟駅予定地、萬代橋、沼垂駅の延線周辺を見ています。
★ご覧の通り地図の外郭には16図で15か所(白山神社2か所)の当時の名所を細密画で紹介しています。似たような絵葉書や写真がありましたので、比較してみましょう。当時の雰囲気が伝われば幸いです。
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初代新潟警察署 西堀通5 現在は新潟三越跡地

明治14年~明治41年 火事で焼失。

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2代目警察署 明治43年同じ場所で再建され昭和12年に移転後、小林百貨店が開店。

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現在の警察署は中央区寄居町。正式名は<新潟中央警察署>

政令指定都市の合併に伴い、東西南北署が誕生。

かつての新潟警察署は新潟中央警察署となり中央区の信濃川左岸の地域を管轄。

新潟警察署は(上所1丁目、昭和大橋脇)が、こちらの正式名になている。

 

 

 


明治の新潟市内の名所<15ケ 所>を見る⑬新潟県庁

2021年06月25日 | 日記
<シリーズ13>
『新潟市の図』明治32年発行による旧新潟市地図です。
柾谷小路は現在のNXET21・旧新潟三越までで東中通とはまだ繋がっていません。信濃川の川幅は2倍以上、万代シテイは川の中でした。右下端に龍が島停車場とありますが、明治30年11月に開業した<沼垂駅>のことです。その7年後に延線し、すったもんだの多案件を解決し新潟駅の開業となりました。この北越鉄道<直江津→沼垂→新潟>開通にあり尽力を傾注、株主に名を連ねた一人が今<大河ドラマ>で再評価の高い渋沢栄一氏です。明治33年 新潟駅予定地、萬代橋、沼垂駅の延線周辺を見ています。
★ご覧の通り地図の外郭には16図で15か所(白山神社2か所)の当時の名所を細密画で紹介しています。似たような絵葉書や写真がありましたので、比較してみましょう。当時の雰囲気が伝われば幸いです。
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◆日本赤十字社新潟支部が同居していたころの写真◆2代目県庁

  • ①1870年(明治3年) - 新潟県発足に伴い、初代新潟県庁が旧新潟奉行所屋敷(現在NEXT21が立つ場所)に置かれる
  • ②1880年(明治13年) - 初代新潟県庁焼失[。同年東中通に洋風庁舎として再建
  • ③1932年(昭和7年) - 新潟市学校町通一番町にて先代庁舎が竣工。1階部分は荒石張りにして中央にバルコニー付ファサードを設け、両脇に翼部を張り出すデザイン。建設の総事業費は約162万円を要した。
  • ④1982年(昭和57年) - 先代庁舎の老朽化に伴い、新潟市新光町にて現庁舎の建設工事着工。
  • ④1985年(昭和60年) - 現庁舎竣工、新光町へ移転。建設の総事業費は約345億円を要した。跡地には1989年、新潟市役所本庁舎が建設される。                                                            

①現在NEXT21 初代県庁

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②東中通 2代目県庁

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③現在市役所本庁舎 3代目県庁

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④新光町 現在の4代目県庁

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明治の新潟市内の名所<15ケ 所>を見る⑫新潟灯台

2021年06月16日 | 日記
<シリーズ12>
『新潟市の図』明治32年発行による旧新潟市地図です。
柾谷小路は現在のNXET21・旧新潟三越までで東中通とはまだ繋がっていません。信濃川の川幅は2倍以上、万代シテイは川の中でした。右下端に龍が島停車場とありますが、明治30年11月に開業した<沼垂駅>のことです。その7年後に延線し、すったもんだの多案件を解決し新潟駅の開業となりました。この北越鉄道<直江津→沼垂→新潟>開通にあり尽力を傾注、株主に名を連ねた一人が今<大河ドラマ>で再評価の高い渋沢栄一氏です。明治33年 新潟駅予定地、萬代橋、沼垂駅の延線周辺を見ています。
★ご覧の通り地図の外郭には16図で15か所(白山神社2か所)の当時の名所を細密画で紹介しています。似たような絵葉書や写真がありましたので、比較してみましょう。当時の雰囲気が伝われば幸いです。
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★3代目六角灯台         

★2代目の黒い六角灯台】明治13年「新潟沿革図」(新潟市歴史博物館蔵)より★クリックで拡大を

初代灯台 明治2年~10年  4代目 赤灯台

市報 新潟開港150年より<抜粋>

今の新潟西港の灯台は西突堤(にしとってい)の先にある赤い灯台で、開港以来5代目となります。この灯台は、大正14年(1925年)に設置された4代目灯台(赤色)が昭和39年(1964年)の新潟地震後に建て替えられたものです。
 初代灯台は、木組み櫓(やぐら)の上に灯火機を据えた簡単なもので、開港後の明治2年(1869年)に設置されました。
 新潟市民に長く親しまれたのは3代目灯台で、明治15年(1882年)に建てられた高さ4丈3尺(約13メートル)の白い木造の六角灯台でした。この灯台は使命を終えた後、山ノ下に移築され「臨港台」と呼ばれ、戦時中に焼失するまで役割を果たしました。
 新潟港の灯台の歴史の中で存在期間が最も短かったのが2代目灯台です。明治10年(1877年)に新潟県が船見町2丁目に設置した黒色の六角灯台でした。しかし、灯台の管轄が県から国に移管されたため、わずか5年で3代目灯台に建て替えられました。この灯台は、残っている資料が少なく詳細は不明です。明治13年に描かれた絵図面などからその姿をしのぶことはできますが、まさに幻の灯台ともいえるのです。

 


明治の新潟市内の名所<15ケ 所>を見る⑪新潟裁判所

2021年06月07日 | 日記
『新潟市の図』明治32年発行による旧新潟市地図です。
柾谷小路は現在のNXET21・旧新潟三越までで東中通とはまだ繋がっていません。信濃川の川幅は2倍以上、万代シテイは川の中でした。右下端に龍が島停車場とありますが、明治30年11月に開業した<沼垂駅>のことです。その7年後に延線し、すったもんだの多案件を解決し新潟駅の開業となりました。この北越鉄道<直江津→沼垂→新潟>開通にあり尽力を傾注、株主に名を連ねた一人が今<大河ドラマ>で再評価の高い渋沢栄一氏です。明治33年 新潟駅予定地、萬代橋、沼垂駅の延線周辺を見ています。
★ご覧の通り地図の外郭には16図で15か所(白山神社2か所)の当時の名所を細密画で紹介しています。似たような絵葉書や写真がありましたので、比較してみましょう。当時の雰囲気が伝われば幸いです。
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初代裁判所です。場所は今と変わらず白山神社向かい住所表示は学校町通一番町なのです。

同じ図柄の写真をやっと見つけました。

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手前は今の通りの名前に名を残す「一番掘」右手は「西堀」その向こうは「東堀」。

昭和大橋あたりの信濃川に帯水していました。明治初期はまだまだ水運に頼る時代でした。

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次は2代目です。「一番掘・西堀・東堀」は、昭和37年ころまでにすべて埋め立てられ

道路名となり、庁舎のほうは、昭和42,3年まで使用され3代目の現在の建物にかわり

その後、耐震建築に改築された姿です。

市内の公共建築物で明治の初期から同じ場所に変わらず置かれて業務を行っている

ところは珍しい部類ですね。

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