「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

父の死期 〜霊能者の霊視でどこまで遺族は安心出来るか〜

2010年07月03日 09時55分05秒 | 銀の風(霊能力・霊視・念力・霊聴・透視)
こんにちは。

私は幼い頃から、理由もなしに「父の死期は意外と早い」と思っていましてね。

目黒で暮らしていた頃の父は、胃潰瘍程度で、あまり大した事が無かったんですが、その当時から、私は情緒が不安定になる程、父は早く死んでしまうという概念に囚われていました。凄く怖かったんです。

父は割と、クラシックを好んで聴いていたのですが、モーツァルト最後の方の曲は、殆ど民衆受けが悪くなるほどなんですが、特にK491番が好きでね。私、いまだにそれを聞くたびに、一楽章は、死相を表した曲だと思うんですね。何でだか、理由は分からないんですが、無性に焦るんですよ。

で、小学生になる前から、別に父は自分が短いとか、子供に刷り込んでいたわけでもなく、私はとにかく、本当に父がいついなくなってしまうのか、そればかりを気にして、小学校五年生になっても、父に添い寝を要求した事があって、

「お父さん、どこにも行かないよね。ちゃんと腕をまわしてお父さんを捕まえて置くから、逃げちゃダメだよ。」

と言う事が多かったです。父は、娘を溺愛していた所もあるので、非常に喜んではいたんですが、私が眠りに落ちた瞬間に、腕を外して、また論文を書きに机に向かう父ではありました。娘の私はそれでも、ほんと心配でしょうがなかったんですね。

大人になっても、母は大丈夫。ある程度までは大丈夫だと言う得体のしれない安心感はあったんですが、父に関しては、まるでダメで、いつ、いなくなってしまうのか、自分にとって、父は、不安定な存在でした。

結局、彼は定年をなんとか勤めた後、天下りで楽になるこれからという時に、胃がんが大腸に転移し、そのまま、全ての臓器に転移し、気がついた時には、肺に転移し、息をするのさえ苦しい状態でした。

自分では、どうしていいか、分からなかった。嫁いだ後も、あまりに心配過ぎて実家へ帰って、夜中に起きて父の呼吸を確認する時がありました。それ故、私は元から父が暴力を振るったとしても、抵抗する事は出来ませんでした。

それ以上に、父と少しでも思い出を増やしたいと思っていました。

父は、心臓病だと私が言われるまで、夜中に体が痛い時には、一生懸命さすってくれました。けれど、私は、父のぬくもりがそこにあって、父が生きている事が確認できる何かがあった時、とても安心して眠れました。

結果的に父は、天下りを堪能する事もなく、逝ってしまいました。自分では、ほんと、言葉も足りず、しかも、父は危篤になる寸前に、自宅介護より、病院に行く事を願い、緊急的に入院となり、その部屋にいたのも、たった6日間でした。
当時、子供を産んで、劇的に調子の悪かった私は、父がまだ持つと思っていたんだと思いますが、長男を預けて父の元に出かけ、さすってくれと言う父に、貧血を起こして真っ青で(その当時は貧血の値が5でした)、ろくにさするどころでもなく、却って父から「お前は力が強すぎる」と言われっぱなしでした。

父は、本当に危篤になる前に、私以外の家族には、「ありがとう」「世話になったな」と言いだして、その翌日、危篤状態になり、彼は意識が戻らないまま、昏睡状態に陥りました。私は、私ひとりが、父と最期に会話できなかったのを、長い事悔みました。

自分が霊能者として、こういう風にいてもですね、亡くなった人の言葉を幾らチャネリングしても、本当に家族を失った人が欲しいのは、生きた人との最期の会話だと私は思うんです。ですから、今まで、グリーフケアに対しても、綺麗事で言えるチャネリングを、あまり好んで使いたがらなかったのは事実です。皆が本当に欲しかったのは、生前の故人との会話だったろうと、自らの経験を踏まえて思ったのです。

長い事、私は彼の出てくる夢を見、彼を自分の家で見かける事が多かったです。それでも、それで満足なんじゃないかと言われたら、それは違います。幼い頃から、父の死を異様に恐れ、何とかしてくいとめたいと思う気持ちが強かった私は、生前に最後に会話をしたかったです。最後に父がどう思っているか知りたかったんです。

私は、今まで故人へのチャネリングを行う事を時々していましたし、それは殆ど、故人と言っても、家族に伝えてほしいメッセージでは無かった気がします。商売として行うには、私は適切な人材だとは思うんですが、幾ら聞いても満たされる気持ちなどが無いのは、そのチャネリングで聞けた事より、人間だれしも、人を失った時、その人の真意を直に聞きたいはずだと思うんですよ。

故に、私はそういう能力全てを、鎮護していく方を選び、この世に未練のある人に、引導を渡す為に、そのチャネリングを利用してきました。

故人との会話がしたいと望む人は多いです。ですが、生前の故人と、亡くなっての故人では、全く見せる顔が違います。実際、私の祖父などは、亡くなった後、きっちり49日、「死にたくない」と叫ぶ夢を私は見ています。祖父は、覚悟していたはずだけれど、実際に亡くなってみると、故人のエゴが出るのかもしれません。ですから、生前の家族が思う故人像とは若干違いがある時が、多々あります。元々、それが本当なのかどうか、確かめようがないんです。例え、本人が、タンスの裏に幾ら隠してあるから、それを持って行けと言って、本当にその通りにお金があったとしても、100%真実かどうかは、やはり本人を通さないと理解できないもんです。

ピタゴラにあるんですけれど、ご自身の旦那さんが、災害に飲まれて亡くなったと。で、奥さんはその後、揉めに揉めた補償を捨て置いて、「せめて、せめて指輪さえ帰ってくればそれでいい。」と言い切る。そして、いいタイミングで、ほんと、奇跡的な確率で、結婚指輪をしてた方だけ、帰ってくるんです。故人が出来る事の精一杯にしては、あまりに素敵過ぎる話だと思うんですね。

本物の霊能者って何だろうって時々思いますね。今のあなたの気持を読みとって、共感してくれる人がそうなのか、失せモノ探しが得意な人がそうなのか、色々考えるんですけれど、100%Trueではないからこそ、人は焦るんじゃないですかね。まぁ、最も、直前の本人と喋ったって、「強がりばかり」で終わってしまうケースも無きにしも非ずですが。

こうあって欲しい、遺族の願いは悲痛だと思うんですが、出来る事って言うのは、ほんの少しの助力しかないんじゃないかなとおもうんですね。完全な、故人との対話が出来るって事自体、まず、自分では、故人の本音と建前も含めて、非常に微妙だとは思いますね。

だからこそ、離別の悲しみは長い事、残された人に、ショックを与え続けるんだと思うんですね。ましてや、幼い頃から、自分の親の死期が見えていて、恐怖と怖さで過ごした自分自身を考えると、離別の悲しみが長くなって当然だと思いますし、後の供養をどんだけしたって、今、生きている間に、あーしてあげたい、こーしてあげたかった後悔ばかり残るんですよ。それ程、離別って苦しいんだと思うんです。

今は、それは、普通の人の心理であって、普通なんじゃないか、それを日常で昇華して行く事が大事なんだと思う今日この頃です。




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チャネリング 本音と建前 大人になっても モーツァルト
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