「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

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サバイバーズ・ギルトその1 ~発達障害~

2015年05月11日 17時47分48秒 | 精神哲学 ~魂の筋力をつける朋塾~
まさか発達障害だったなんて (PHP新書)
まさか、わたしも発達障害だったなんて。
PHP研究所

こんにちは。

 

わたしは、意外と神経質できめ細やかな仕事をするため、常時緊張感が続く。その割に、集中力が長く続くため、体を壊しやすい。こんな体質なので、子供のころから、体を鍛える癖があり、基礎体力には恵まれている。

 

やれば人並みにできるので、あれこれ頼まれるのだが、無理な時は無理だと、最近言うし、思うようにもなった。というか、無理とハッキリ言うようになった。別段サボっているわけじゃないので、そんなに、四六時中ターボ全開では、正直エネルギーさえも足りなくなる。無理ってハッキリ言って通用しないのが、社畜生活である(苦笑)。

 

ところで、そんなわたしは、独特の正義感があって、独特の美学を持ち、そのこだわりから、あるやり方を行うようになった。

 

正義感が強い人は、とかく、「正義ではないと思う対象」を叩きやすい。しかし、叩く前に、その人間のやっていることを露見させることは、とても大切なことで、それで周りの判断を仰いだ方が早いことに気が付いた。つまり、露見させておけば、自分の手を汚さずに、その後は、自然と社会の通念倫理が、その人のしていることが正義かどうかを裁いてくれる。

 

露見させることを行って、行いっぱなしなのは、何故かと言われると、恐らく、正義とはとても「移ろい易い」ものだからだろう。自分の中の正義には、正直、いつも自信がない。だから、世間のジャッジを待つのかもしれない。

 

それと、企業の中で、インフラ導入を行った時、わたしがその仕事に就いたのは、こんな理由だった。「社内で、ずるがある。」そのずるを容認できなかったから、インフラを導入して透明にする仕事を選んだのだろうと思う。色々と蔑まれ、嫌味を言われ、メンタル的にはボロボロになった。自分が行った直接の行為ではないけれど、その結果で辞めさせられる人もいた。

 

当然だが、サバイバーズ・ギルトという、生き残りを賭けた争いで、生き残った勝者にもかかわらず、罪悪感にさいなまれることとなった。

 

でも、きっと、これが直接リストラを言い渡す方にはなれないだろうと思っていたが、意外とあっけなく、そういう立場にもなった。意外と、簡単にリストラを言い渡すことができた。直接的に、恨みや嫌味を言われることもあるが、淡々と謙虚に過ごした。

主人に、時々このメンタルの弱さを指摘されることがある。

 

最近はたと思い立ったのだが、主人は、人間の感情が見えない/分からない人である。それ故、悩んだ時期もあったし、自分の苦痛を理解してもらえなくて、困った時期もあった。しかし、なんでかなと思ってみると、彼は、「木を見て森を見ず」「森を見て木を見ず」の人間であった。

では、彼は何を見ているのかと言うと、彼の目の前に木があったら、彼はそれを、切り倒して材木に加工してしまう。

切り株からは、どちらから、日が照るのか推測できる。材木になれば、その木目で、その木の生長の記録を知ることになる。

 

でも、彼は、その材木が、「何の木」なのか、そして、「どうして森にあったのか」は、わからないのである。

 

彼は、既に裁断した材木を見ているから、木の特性も、森の特性も見失うが、他の人とは違った視点なので、彼はそれを活かした仕事に就いているだけのことである。彼がやりたい仕事は、裁断した木を、上手に使って、何かを建築することである。

なので、推して知るべく、彼には、人間は見えていて、才能や色々はわかるのだが、残念なことに感情は見えない。彼は効率よく回していくことにだけ、その推察した材木の弱い点、強い点を利用するだけのことである。

長いことかかって、彼の仕様書を生み出したが、そんな形である。グーグルストリートビューみたいな男なので、歩けば、風景を一瞬で覚える。しかし、悲しいかな、最近のマーケティングでは、効率よく皆に広告を見てもらいたいがために、「似たような風景のところに、似たような広告を貼る。」故に、彼氏は、そこで、大きな風景を見損ねるので、時に間違った方角に堂々巡りで歩んでしまう。

優秀過ぎても、結局は、どこかに盲点があり、当人はいつまでたっても、それに気が付かない。

 

長男は、現時点自分を探しているが、次男は比較的簡単であった。「秩序が正しくないのが嫌い」

なので、 秩序をただす仕事をしたらいいだろうと、抽象的に言ってみることがある。秩序は、絶対の正義がなく、諸行無常の中で作られるので、大変に不安定である。ゆえに、その仕事は難しいし、コミュニケーションスキル、ソーシャルスキルを駆使しても中々実現に難しいだろう。どこから、秩序立てるかを考えるのも難しい話である。しかし、それを具体化するのは、彼の今後の育ち方である。

とにかく、絶対的な正義はない。そして、絶対に正しいことはない。

 

長男は特に、コミュニケーションスキルとソーシャルスキルを放棄した、独自の方向に伸びている男なのだが、コミュニケーションスキルやソーシャルスキルを、弟と共にいる中で、学んでいくようでもある。そもそも、二人とも、読んでいる本が違う。

 

ちなみに、わたしはコミュニケーションスキルと、ソーシャルスキルは、学生時代に学んだことより、幼少の時代にたらいまわしされた経験より身についたことが多い。 わたしは、そうやっていかないと生きていけなかった背景がある。また、コミュニケーションスキルとソーシャルスキルが勝るので、時として、幾多の人を沈めてきた経緯がある。

なので、サバイバーズ・ギルトにはよく陥りがちである。

 

これで、主人のように、人を材木化にでもできて考えられたら、多少なりとて楽だったろう。でも、目の前の人は、決して、「じゃがいも」や「かぼちゃ」ではないのだ。だからこそ、余計緊張し、その結果に満足しながら、いつも自分に問うものがある。

 

はたして、今自分は、正しかったのか。

 

これだけは、恐らく他人から評価が高かろうが、わたしの内部が決める評価なのだと、今は思っている。

 

 

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