猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

はまみつを先生を偲ぶ会

2012年05月28日 | 本・文学・取材等



5月27日(日)、松本の某ホテルで、昨年2月にご逝去された、 『 はまみつを先生を偲ぶ会 』 が催されたので行ってきました。

私は今年の始めに信州児童文学会より発行された、とうげの旗別冊 「はまみつを追悼号」 ( 上の写真で、会員の北沢彰利さん編集。 会員間では内容が良いとのことで好評です。 ) の販売係だったので、早めに会場へ。 ( 出席された方々は、ほとんどみなさん、お持ちの方ばかりなので、そんなに多くは出ませんでしたが。 )



午前中が 「 はま文学と人生を語る 」という、はま作品の朗読や、人となりや作品を語るパネルディスカッションなどを含む内容。

午後は会食をしながらの、各方面からのスピーチやスライド上映などがされるもので、

なかなかに、素敵で素晴らしい、とても良い会でした。


特に信州児童文学会会員の方々のスピーチは、さすが童話を書いていらっしゃるだけあって、みなさんお上手。

詩人で当会名誉会長であられる高橋忠治先生は、先の牛丸仁先生のご葬儀でも弔事を読まれましたが、その、文章のうまさだけでなく、切々と訴えられるような重みのある言葉(音声を含む)のひとつひとつに、じん、となります。まさに、絶品。

それから、同じく名誉会長であられる宮下和男先生と、会員であり、はま先生とも親交の深かった滝沢喜和子さんの訴えかけられるようなスピーチも、胸を打ち、はま先生がご逝去されて一年以上たつのだもの、まさか、と思いながらも、私は泣いてしまいました・・・。  
( はま先生の実弟であられる濱哲郎さん、ご子息の濱秋彦さんも、さすがはま先生の血筋、お声といい、話術といい、人を惹きつける名スピーチで、大変感動しました。ここでも、涙。  )



なかでも、一部の 「パネルディスカッション」 は、とてもよかったです。

パネラーは、はま先生がコラムを連載されていた新聞、市民タイムスの編集委員であり、数ヶ月に一度会食されながら論議を交し合うほどに、はま先生と親交の深かったという、赤羽康男さん、信州児童文学会より、一緒に会設立に加わり、親交も深かった和田登先生と、若手代表?の山崎玲子さんの3人。

はま文学やはま先生の人となりを、実に的確に、魅力的に、ご自身との楽しかった思い出話( はま武勇伝を含む )を交えながら、語ってくださいました。


中でも印象深かったのは、和田先生のおっしゃられていたことで、

はま先生は詩を沢山読まれていたせいか、語彙が豊富で、また 「直観力」 にも優れていたので、その直観力から続々と短編を生みだされた、ということ。


そして、はま先生は、

「 文学というのはつぐないである。救われたいがために書く。

文学というのは、悲しい心をもったもの、傷ついたものだけがわかればいい。

みんながみんな、わからなくてもいい 」、

とおっしゃっていたのだそうです。 ( なんか、共感しますよね。私もそんな気がする。)



あと、自分は教員になりたくてなったわけではなく( 信州の会のほとんどの大先生方は、かつて小学校の教員をされていました )、教師くらいしかなるものがなかったから仕方なくなったという、挫折感から出発している、とおっしゃって、一時期は執筆と教員との両立に悩まれていたそうで、

毎日、睡眠5時間で執筆活動に、10年当たられていたということ、

また、同僚の出世に嫉妬したり苦しまれていたと言うこと、


など、初めて知ることも多かったが、自分と似ているところがあるのかなぁーと、おこがましくも思ったり、共感を呼ぶ部分が多くあった。



「 文学とは、ものにならなければ全人格を否定されてしまう。

だから、文学で成功しなければならない。 」

とおっしゃっていられたというが、

それは、全く同じことを私も常日頃思っているので、まさに同感だ、と思った。


自分が日ごろ文学( 書くこと )について思っていること、悩んでいることなどが、はま先生のおっしゃっていた、という言葉のひとつひとつによって、まさに実証されていくような、これでいいんだ、と実感していくような、そんな時間をもてたことは、大きな収穫でした。

じん、と胸にきました。  


ほんとうに、生前はま先生と、もっともっとお話をしたかったです。



お料理もおいしかったし、今度はちゃんと電車で行って、同じように 「しっかり飲まなかったらはま先生に怒られるから」 と電車で来た、という、久しぶりにお会いした・笑、松永さんと隣り合わせて、しっかり飲んで、   

二次会の 「お茶会(笑)」では、はま先生と宮口しづえ先生の、誰とケンカしただの、ケンカして会を途中で出て行っただの、その後しばらく会に来なかっただの、また、お酒を飲んだゆえの奇行、武勇伝 ( このお二方は、本当によく飲まれ、しかも飲んでなくても武勇伝が色々すごい・笑  )などの思い出話に花が咲き、( 大先生方のお話をただ聞くだけなのだが、これがおもしろいのなんのって。ああ、宮口先生に、生きているうちに一度でもお会いしてみたかった!!   女性なのに、すごい豪傑。しかも、あの、文章から想像できません。  )

楽しく帰ってきました。  


宮口しづえ先生を愛して止まなかったはまみつを先生ですが、このお二方は、豪傑ゆえに敵も多かったみたいですが、

でも、どこか憎めない、愛すべき方たちだったのだろうな、と思います。

その、純粋で真っ直ぐなお人なりと、情熱と才能と。

そして、なんといっても、努力と。



私には、才能はもちろんですが、情熱と努力が、まだまだ全然足りないなぁー、と思い知らされたことです。 



それで、数日前からの計画通り、

明日から書きます。  


ここで、はま先生を偲ぶ会に参加させていただき、はま先生の「誠の文士」(羽生田敏会長弁)たる、まさに命を削るように書いてこられた、壮絶な生き様に触れ、

また、他の出席された同人の方々からも色々と刺激を受けられたのも、ご縁に違いない。


神様は、どう考えても私に、「書くな」 という理由が見当たらないので、

これはもう、「書け!」 と言っているしかない、のだと思います。


ですから、書きます。

しかも、ちょっと本気出します。 



先日は、あとでわかったのですが、ちょっとPMS入ってたからとも思うのですが、どらちーのことでメソメソしていて、めちゃめちゃ暗くて、結果ご心配おかけしちゃったかもで、どーもすみませんでした。  

あと、書くことを第一として、書くことを中心に生きているので、何かにぶち当たるとすぐ、原点に立ち返って、こんな自分、「書けない」、とゆー発想にすぐ、なってしまうのですよ。これも、一般的にはわかりづらく、え゛~っ!?的(おおげさ)に見えるかと思いますが、しーませんです。

( 言い訳しますと、あとに書くものも詰っていたので、どうしてもあの日書かなくてはならなかったのですよ。で、書いてるうちに元気出てくるかも、と思って書いたのですが、ちょっとダメだったみたいです。読みが甘くてしーません・・・。今度は大丈夫です。書いてるうちに元気出てきました。  )




ネコタ、がんばりまぁ~~~す。!!!  

応援していてくださいね。 ( ちょっとブログも減りますが、ご容赦を。  )






偲ぶ会出席者に配られた、記念品の、

はま先生が生前愛用されていたと言う 「トンボえんぴつ(これは赤と黒が一緒になったもの)」 、罫線の幅がが太い 「ツバメノート」 、

そして、はま先生が 「福の神」 といって愛されていた 「フクロウ」 の寝付け。

はま先生のお義姉様( 奥様のお姉様 )が、出席者100人分、ひとつひとつ全部手作りしてくださったそうです。  ( す、すごい。ありがとうございます。 )



筆記用具は、もったいなくて使えないので、書斎に飾ってお守りに。 

フクロウの根付は、私にも幸運をもたらしてくれるでしょうか?   



いつか、はま先生に認めていただけるようなものが、書けたらいいですね。



     *   *   *   *   *



■はまみつを・・・昭和8年、現在の塩尻市片丘に生まれる。信州大学教育学部を経て昭和30年より教鞭をとる。昭和31年、「とうげの旗」創刊に参加、以降、当雑誌編集長、信州児童文学会会長などを歴任。平成22年、朝日美術館にて「はまみつを童話の世界展」開催。平成23年2月、77歳にて病没。

主な著書:「北をさす星」(昭和39年、処女出版)、「わが母の肖像」(昭和45年)、「かぼちゃ戦争」(昭和55年、日本児童文学者協会賞候補)、短編集「ポンポン船」(平成20年)「信州むかし語り 山と民の話」(平成23年、絶筆)など多数。
「春よこい」(昭和54年)で第九回赤い鳥文学賞受賞、童話集「レンゲの季節」(昭和57年)第五回塚原健二郎文学賞、「赤いヤッケの駅長さん」(平成元年)で、第三七回産経児童出版文化賞受賞。

( ※ 追悼号は1000円にてお分けできます。読んでみたい方はネコタまでご連絡ください。私の拙文も載っております。  )




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