猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

今年上半期(2/3期)の状況を省みつつ、誕生日に寄せて

2017年10月17日 | その他 色々



早、10月となり、今年もあます所3か月を切りました。    





 先月になってしまいましたが、9月26日に57歳の誕生日を迎えました。


気持ちの問題ではなく、実質問題として、もう若くはない。

元気に活動できるのもせいぜいあと30年くらいだなと思うと、ハッとするわけです。

もっと自覚して、日々を大切に生きていかないといけませんね。


そう考えると目先の小さなこと、くだらないこと? にクヨクヨしたり、うじうじ考えて前に進めないでいるのは非常に時間がもったいないわけです。




今年は4月から隣組の組長が回ってきて、雑務や、住んでる区域で色々あったり

ソラシロのおしっこ騒動で数か月落ち着かなかったこと、

それがもとで自宅の片づけをする羽目になり半年たってもまだ落ち着いていないこと、

5月くらいから、母の色んなあそこに行きたい、あれをやってみたい、ああしたい、などの言動に振り回されて大変だったけど

6月に母が 「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」 という感染症になり、この病気は人によって手や足、胴体など色んな場所へ出るらしいが母の場合は右のすね(ふくらはぎ)当たりが赤くはれて熱を持ち、炎症数値も高くなり入院を勧められたのですが

母が入院は絶対に嫌だと言い張り、
私も、一昨年前母が右大たい骨の骨折をして2度の手術と4カ月近い入院をした時に、母の希望で毎日お昼と夜の2度ずつ母の世話を焼くために病院通いし (約4カ月の中で病院に行かなかった日は私用のため出掛けた、たった二日だけです)、 戻れば父のご飯の世話を焼き、本当に良くなるのかという不安を抱えながらで、とても大変だったので (こんな時でも父は店を一日も休んでくれなかったし) 
そのことを思えば、1日1回点滴に通うだけで、家では両親一度に食事の心配をするだけだから、入院よりもまだ楽かもしれないと思えたので

一週間は毎日抗生剤の点滴の為母を病院に送り迎えし、その後は薬の服用で三日ごとの通院が週一となり、約一カ月近くかかったけど、

その間は、医者から入院しない代わりに絶対安静にして足を高くして寝て冷やしておくようにと言われていたので、
日に何度かアイスノンを交換し、それまで母がしていた実家の昼と夜のご飯を作り片付け(朝だけは簡単だしこれないのでやってもらった)、
閉店は夜9時半なのだが毎日10時過ぎに帰宅して、また自宅で今度は自分ちの夕飯の支度をして食べたら片付ける、
という生活を、店の仕事も2軒分の家の家事も1日たりとて休みなく続いたので、体力的にも精神的にもほとほと疲れ果て、ちょっと気も狂いかけました。    

母の入院中の父の食事の世話は、父が何が食べたいとも味付けがどうとも何も言わなかったので、自分で考えて勝手に用意すればよかったので
今思うとまだ楽でしたが、

母は幸い食欲もあり、足の炎症の他は自分でトイレや食卓まで歩いて行かれるなど比較的元気だったので、
母の欲しい食べ物や食材を聞いては買い物に出かけ、毎日何が食べたいかを聞き、母の希望に沿ったものを作ってあげましたが、
でもそれが逆に、私が自分の好きなようにはできない分、思いのほかストレスになりました。

また、父は何も言わなかったけど、母は自分で料理ができる分味付けもどうこう言われたし、毎日あれが食べたいとかこれを作ってちょうだいと必ずリクエストがきたし、
母が自分で作るのと私に作ってもらうのがどうも混同している感じの物言いには正直閉口する時があります。

夕飯に何かを料理するときはもちろん、ほとんど作るものがなくてもお膳の用意にけっこう時間がかかって自分のことが進まなかったり、
相手の食べ終わるのに合わせるので時間に追われている気がしたり・・・。

おまけに私にはとても使いにくい台所で、使いにくい古い鍋などを使い、好きでない柄の食器に盛り、なぜそんなことをするのかわからない母の流儀のゴミ捨てや台所のやり方に従い  これはあまりに無意味だと思うものはこっそり自分のやり方に変えたり、自分ちの使いやすい鍋を持って来たりしましたが 

それでも、元々はひとえに両親が使い易く安全なようにと、昨年一念発起して数カ月かけて台所や洋服など実家の大片付けをしておいたので、前よりは多少台所も使いやすくなったので、それが今思うと幸いでしたが。

別居で家が2軒あるようなものなのは大変ではあるけど、自宅に帰ると自分の好きな部屋で自分の好きに食事が作れることにホッとしたので、今更同居もできないと思ったり。

もっとも実家でご飯作って帰ると家でも又つくる気にはなれず、たまに自宅で作ったおかずを実家にお裾分けで持っていったり、実家で4人分のおかずを作って自分たちの食べる二人分を持ち帰ったりなどの工夫もしましたが、お互い食べたいものが違うので毎日というわけにもいかないし。

それでも、蜂窩織炎そのものは約1か月で炎症数値が正常に戻り腫れや赤みもひき、ほぼ完治したのでほっとしたのですが
たまたま夏の暑い盛りで、普通の人でも体がだるくて何もやる気が起きない頃なので、高齢の母にはなお堪えるらしく、
炎症が完治してからも母の欲しいものの買い物や、途中からは朝の他、お昼の用意もしなくても済むようになったけど、
依然として今晩何が食べたいかを毎日聞いてする夕飯の支度と片付けは続きました。(今もです)

最近やっと涼しくなってきて真夏よりも体が楽になってきたのか、たまに母が食べた物の食器を洗ったり、残り物を冷蔵庫にしまったりなどを前よりはやってくれる日もあるので、多少は楽になったかもしれませんが、その日の気分や疲れ具合によるので、
翌日のご飯を洗って炊飯器にセットしたり、他 「最終チェック」 があるので、両親が食べ終わるまでは店にいるため、やはり帰宅は10時過ぎることが多いです。
(雨天で父が畑に行かないと夕飯が早くなり、もう少し早く帰れるときもありますが、このあたりも父のその日の仕事具合に合わせるので、自分のペースが守れなくて大変です。)

しかも何度か言ってますが、家の店には 「店休日がない」 ので店の仕事は毎日あるし、介護というか親の手助けにも主婦の仕事にも基本休みはないので

毎日というのはやはり大変です。
毎日家と自宅の往復をするだけで息抜きになることはほとんどないので(笑)、ちょっと息が詰まりそうな時もあるけど    
(  たまの息抜きについては次回に書きます。 )

それは今に始まったことでもなく、この何もない閉塞的な田舎の地に住み、信用だけがすべての個人商店をほぼ休みなくやっていること事態がストレスなので

世の中には、私が感じるストレスを一つも感じることなく一生を終える人もいるだろうかとは思いますが、人は人なので
それが私の人生というか、別に好んで自らが選択したことではないけれど、それなりにいいこともありますし、特に環境を恨むことはあまりないです。



そして私は、なんだかんだ言って両親のことがとても好きなので、そして自分で言うのもなんですが優しい気持ちも持ち合わせているので
大変なことがあってもあまり逆らうこともなく、できるだけ親の意向に沿うようにと何くれとなく世話を焼き、手助けができるのだと思う。
あと子供もいないから、100%親にかかりきりになれる (なってしまう) のだとも思うし。

父は6月で88歳、母も9月で無事91歳になれましたし、
介護は綺麗ごとではないので、やったことのない方には想像できないと思いますが、(ここには書けないいろんな苦労や感情があります)

この年で両親ともに健在で、寝たきりや痴ほうなどの重度の介護はなく、
おまけに二人とも自分の身の周りのことはできるし、未だに店のこともやってくれていているので(父は畑仕事もやる)、
とてもありがたいことだと思っています。
(母はたまに洗濯物を干したり昼ごはんには何か簡単なものを作ったり、病院や用足しのついでに月一程度は、もちろん私がサポートしますが、自分でカートを押しながら買い物もできます)

こういう生活になって数カ月が過ぎ、状況が変わることはなさそうなので、多少気持ちが慣れてきた? のもありますが。(笑)

これからもっと大変な、本当の介護が必要になったらどうなるかは、やはりその時になってみないとわからないので
今は日々を感謝しつつ、

こういう大変な状況だからできない、ではなく、

将来もしかしたら、と思うと、今やらなければできないことを今のうちにしておかなければ、という方に気持ちを切り替えなくてはいけません。





 両親の結婚記念日のあった5月に、東京の姉夫婦、上の姪一家を交えて、母のご所望の 「ダイアモンド婚式」(結婚60周年) の食事会を近くの日帰り温泉でやりました。

父が手にしているのは私たち姉妹が送った両親の似顔絵、母が持っているのは姪たちからのお祝いの品の夫婦塗り箸です。

母が蜂窩織炎になったのはこれからあとですが、今は元気にしておりますのでご安心くださいませ。




 今年はその他に何と言っても、
始めはブログや電子書籍の宣伝に少しでもなればと思い、1月に Twitter (ついでにLINEも) と2月には facebook も初めたことが、
結果としてやや本来の目的から逸れ、図らずも自分の日常生活に良くも悪くも多大なる変化と影響を与えたことは否めません。

頁を作ったり、その世界に慣れるまで時間がかかったり、のめり込むあまりに振り回されたり、予想外に人間関係に悩んだり? 
そんなことにもかなりの時間のロスに結果としてなってしまいましたが、

これらのものによって沢山の得たものもありますし、この文明の利器をこれからうまく使えるように、前向きに考えたいです。






 遠方のお友達が、お誕生日当日に着くようにと、わざわざ宅急便でプレゼントを送ってくれました。

お誕生日プレゼントなんて、もう何年ももらったことがなかったから、その心遣いが凄く嬉しかったけど、

中身も、私が猫なので(笑)、ハロウィンチョコの入ったネコポットや九谷焼の歯ブラシスタンドなど猫にちなんだものと



自作の? 世界に一つしかないフォトブックが、何と言っても一番うれしかったです。

ケーキ型のカードの向こうから Takamiy も 「オメデトー」     





 そして、たまたま誕生日のころに、 
『Takamiyソロ活動25周年記念』 の、ラベル別各250本限定のサンマリノ共和国との共同開発・発泡白ワイン 「スプマンテ」 Takamiyバージョン が

なんと2本とも当たりました。          

このワインは、
コンサート当日に会場でのみ、1日目はブルーラベル、2日目はレッドラベルのみの予約販売受付をしていて (申し込みは1人1本しかできず、確認の為チケット裏にチェックを入れられました)、

申し込んでおいたものが抽選に当たれば、後日代引きで商品が送られてくるというシステム (あくまでお金を払うのは申込者です) で、
フォロワーさん情報によりますと、両日(2本)申し込んで2本とも当たった人は少ないみたいです。


なので、
これはきっと縁起がいいから、

大幅に遅れてしまいましたが、現在取り組み中の 『松商物語第三部』 を、タイムリミットの年内に必ず書き上げ、

その時まで取っておいて、スプマンテを開けてお祝いできるようにしたいと思いました。       



 ツイッターとフェイスブックの導入により、ブログへのUPも減ってきてしまい、
約9年続いたブログですが、いづれはやり方も変えていったほうがいいのかなぁなどと漠然と考えております。



作品が書きあがるまではブログも減るかと思いますが、たまにツイッターなどを覗きつつ、猫田の安否確認なぞしてやってくださいませ。(笑)

Twitterアカウント @jarejare7    です。


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呟き緩めですが、宜しくお願いします。