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書評 黄晳暎『パリデギ 脱北少女の物語』

2009年03月03日 | 小説
アジア的な世界観で、二十一世紀の平和を希求する
黄晳暎『パリデギ 脱北少女の物語』(青柳優子訳、岩波書店、二〇〇九年)
越川芳明

 八十年代に北朝鮮に生まれた少女を主人公にした波瀾万丈の物語。

 パリという名の主人公は、生まれた時には、すでに女ばかり六人産んでいた母によって林の中に置き去られ、飼い犬のおかげで辛うじて一命をとりとめる。

 祖母の歌に出てくる、「見捨てられし者」という意味の「パリデギ」がその名の由来だという。

 しかし、その名には苦難を経て「生命水」なるものを得たあと家族に幸せをもたらすという「パリ王女」の伝説に由来するポジティヴな意味もある。

 物語は、二つに分かれ、前半では九十年代後半の北朝鮮や中国での主人公の苦難が語られる。

 金日成の死亡後、北朝鮮が大飢饉に襲われるなか、叔父が韓国へ亡命したとの嫌疑をかけられ、パリは父母と切り離されて、祖母と逃げるうち、中国の山奥で天涯孤独の身の上に。
 
 後半は、主人公が中国の港から乗り込む密航船の劣悪な環境と女性が辱めをうける状況が描かれたあと、ロンドンの下町での出来事が中心となる。主人公が出会うのは、同じような境遇にある移民や難民。
 
 アフリカやアジアや東欧など、冷戦構造が崩れたあと、新自由主義のシステムから取り残された周縁地域からの経済難民や、紛争で難民化した人々だ。
 
 小説は9.11米国同時テロ事件やイラク戦争をも取り込み、西洋のキリスト教社会で理不尽な嫌がらせをうける異文化の「他者」の視点を引き受ける。朝鮮人のすべての家族を失った主人公は、パキスタンからのイスラム教徒の二世と結婚し、新たな家族を築き始める。

 主人公は幼い頃から巫女(ふじょ)の才能を発揮して、危機に陥るたびに祖母の霊を呼び出し、窮地を脱することができる。

 自ら産んだ子を失うなど、様々な試練を乗り越えた末に、「戦争で勝利した者は誰もいない。この世の正義なんて、いつも半分なのよ」と、作者の主張を代弁するかのような言葉を吐く。

 本書は、かつて列強の植民地としての辛酸をなめた東アジアから出発し、グローバルな視野を持って、「譲りあいの精神」や「他者への寛容」など、アジア的な「世界観」を提言する。二十一世紀の世界平和を希求する優れた寓話だ。

 黄晳暎(ファン・ソギョン)
1943年中国生まれ。韓国人作家。『客地』『懐かしの庭』など。

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