猫のやぶにらみ

こよなく猫にあこがれる中年オヤジのブログです

亀!

2005-03-29 | 
遂に激写!我が家の池に住む「亀」を遂にデジカメに収めました。申し訳程度のズーム機能しかついていない私のデジカメでは、この臆病者の亀クンを撮ることは至難の業なのです。上の写真は家の窓から身を乗り出して撮ったもの。

↓これは娘がその窓から庭に降りて匍匐前進、最も近づいたところで激写したものです。この次の一歩を進めたところで池の中にポチャンと逃げてしまいました。このカメラではこれが限界でしょう。



そもそも4年位前に雨の中を車で走行中、路上をうろついていた子ガメを発見。拾って池に放り込んでおいたら、そのまま住みついてしまったのです。何という種類のカメなのかわかりませんし、餌も何にも与えていません。年々大きくなってきているので、池の生態系になじんでいるのだと思います。実家の年寄りが来るたびに「池の掃除をしろ」とやかましいのですが、このように最早自然と一体化した生態系が出来上がっているようなので、それは出来ない相談なのです。

ちょっと最近「ビオトープ」という言葉が気になり始めています。。。

ダッチオーブンで地鶏の丸焼き

2005-03-28 | 食べ物
豊後(ぶんご)地鶏のローストチキンである。前もって注文しておいた丸どりを受け取って、オリーブ油とレモン汁を両手で丁寧に塗りつける。さらに塩コショウをすり込む。ダッチオーブンの底にセロリを敷きつめて、その上に下ごしらえを済ませた地鶏を鎮座させる。庭にしつらえた炭火にかけてじっくり1時間半。フタの上にもよく焼けた炭をのせるのを忘れずに。

セットした直後の写真


この日はご老人3人を含む合計7人で食したが、お年寄りの口にも合うようで大評判であった。牛肉だとこうはいかない。鶏肉の方がはるかに柔らかいし、シンプルな塩コショウ味なので、脂っこくもない。さらに一番のポイントはコストパフォーマンスの良さである。この地鶏、一羽まるごとで2410円!! これでお年寄りから若者まで7人が大満足。実に安上がりではないか。重ねて言うが牛肉だとこうはいかない。

ぼちぼち暖かくなってきて、野外料理によい季節になりつつある。野外料理は私の担当なので奥さんも喜ぶ。さて、今年はどんな料理に挑戦しようか。。。




池に落ちる

2005-03-27 | 
我々が飼っているイエネコというのは「元々エジプトやメソポタミアあたりの砂漠地帯が原産なので、あまり水を与えなくとも平気なんですよ」とかかりつけの獣医さんが言ってました。そういえば日本の「化け猫」のお話しでは、たいてい行灯(あんどん)の油をペローリ、ペローリとなめることになっています。行灯の油は菜種油が主だったので、猫にとって格好の脂肪分の補給になっていたのだとか。中近東で石油をペロペロやっていた名残、というわけではなさそう・・・。

猫に比べて犬はよく水を飲みますね。我が家の飼い犬ゲンちゃんは池の水が大好きです。飲んでも大丈夫なものなのかどうか自信ないですけど、よく飲みます。おなかを壊したりはしないので大丈夫なんでしょう。

ゲンちゃんは、こうやって水を飲んでいて池に落っこちたことがあります。あまりに前かがみになり過ぎて、バランスを崩したんですね。頭からまっ逆さまに池に落ちて、次の瞬間には体勢を整え、元の場所に跳び上がってきました。それは素晴らしい早業でした。

はちわれにゃんこの○○ちゃんも池に落ちたことがあります。何のはずみで落ちたのかは、見てなかったので知りませんが、多分、虫か何かを追っていて足元を踏み外したとか、そんなことでしょう。全身びしょぬれになった身体を、濡れ縁に干してあった敷布団の上で一所懸命身づくろいしていたので、まちがいありません。おかげで、ふとんはぐっちょり。



○○ちゃんが池に落ちる、その現場を見てみたかったものだと痛切に思います。ゲンちゃんみたいに瞬時に上がってこれたのどうか、とても気になります。身体も小さいので、池の底に足が届いたのかどうか?元々水嫌いなので相当のパニックになったことは間違いないだろうし。そもそも、こいつ、泳げるのか?? う~ん、気になる。わざと落としてみるわけにもいかないし。明日、晴れたら、またお散歩してみるかね、○○ちゃん。


このエントリーを見た奥さんが、「私が池に落ちた時のことを憶えているか」と詰問してきた。私は憶えていなかったので、そう答えると「私が池に落ちて、あなたを呼んだ時、私の姿を確認したあなたが最初にしたことは・・・」なんと「屋内にいた息子を呼んでカメラを持って来させた」のだと言う。いくら何でもこれは信じられませんね。いわゆるネタって奴でしょ、結構おもしろいですけどね、ハイ。


朝のコーヒー

2005-03-26 | 食べ物
コーヒーのお味というのは千差万別で、飲み手の好みが分かれる。つまり、同じコーヒー好きであっても私とあなたの好みが全然異なる可能性は、高い。

元々、大してコーヒー好きでも何でもなかった私は、仕事で中南米諸国を何度か訪問したことをきっかけとしてコーヒーに関心をもつようになった。ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラそしてコロンビア。かの地では、濃い、コクのある、それでいて喉越しはスッと軽やかで、胃が洗われるような、熱いコーヒーに、砂糖をたっぷり入れて飲む。

コロンビアの訪問先で出されたコーヒーの味を絶賛したら、「コロンビアで一番良い珈琲豆は国内には流通せずに国外へ輸出されるのだ」、と残念そうに教えてくれた。続けて「どこの国へ輸出されると思うかね?」と言うので「アメリカ?」と答えると、「Oh, No! それはあり得ない。あの国の連中はコーヒーの味なんか、全く、分からんのだよ。アメリカのコーヒー飲んだことあるか?あれはコーヒーじゃないぞー」と、まくしたてる。「じゃ、どこなのよ」と聞くと、こっそりと秘密を教えてやる、と言わんばかりに、もったいつけて教えてくれた。「ドイツだ・・・」

確かにアメリカのコーヒーは「アメリカのコーヒー」ということで、ある意味、批判を超越した存在感を示していると思う。あとは好みである。その「アメリカのコーヒー」に飽き足らない少数派のアメリカ人がスターバックスを支持したのだと思うが、方向性がドイツ人とは全然違うというところがアメリカらしくて笑えるではないか。

ちなみにうちの娘はよく「学校帰りにスタバって来る」という恐ろしい事実を最近知らされたが、何を注文するのかを聞いてさらに驚いた。キャラメル・マキアートがお気に入りらしい。私と同じじゃないか!(スタバなら断然これがおすすめ)

で、我が家のコーヒーだが、ここ数年来、ブラジルの「シモサカ」を愛飲している。



店主のT君が愛情こめてローストしてくれたシモサカを毎朝、飲んでいる。結構ヘビーでしっかりしたコーヒーだが、喉越し爽やかで、後をひかない。こだわる人は水や「いれ方」にも神経を使うようだが、こちらはそんなことにはおかまいなし。それでもやっぱりコーヒーのいい香りが朝の一番の目覚ましだ。


上野千鶴子による「結婚の定義」

2005-03-24 | ネコ的思索
上野千鶴子と言えば東京大学の教授でフェミニズムの大御所。寄らば切るぞ、とばかりに舌鋒鋭く、世の中でフツーと思われていることを切って切って切りまくる、こわ~いおばさん、という印象。

何年か前に私の住む地方にも講演にきたので聴きに行ったが、あにはからんや、非常に面白い講演で、会場は再三爆笑に包まれた。「抑圧された女、妻、母の開放」と言えば、妙に身構えてしまうが、凄腕の料理人が研ぎ澄まされた包丁で切り分け、盛り付けていくと、切られた魚は自分が切られたことにさえ気づかずに、いつのまにか刺身になって、皆さん美味しくいただける、という訳だ。

その上野千鶴子による「結婚」の定義、というのがすごい。

「自分の身体の性的使用権を生涯にわたって特定の異性に対して排他的に譲渡する契約」(「ザ・フェミニズム」から引用)

というのだ。この定義を見て「ツッコミどころ満載」と思ったあなた、上野千鶴子をあなどってはいけません。下手にいちゃもんつけると完膚なきまでに論破されます。

女性開放思想というのは、「平等を求める思想というよりも自由を求める思想だったはず」と上野千鶴子は言う。「自由を求める、というとき、何の自由がいちばん根源かというと、自分の身体に関する自由。『性的自由』って自由の根源ですよ」と。

平等といえば、例えば戦前の日本では姦通罪というのは女の側の不義だけが罪とされていて、「片務的」だったのだが、それが戦後は男女平等に罪とされ、「双務的」となった。これに噛み付いて曰く、「求めたのは相互の拘束という平等だったのか」そうじゃなくて「相互の自由」はどこ行ったー、と。

自覚のあるなしを別にして抑圧者とされる男側からいえば、「自分の身体に関する自由」を大部分奪っているのは「仕事」なのであって、しかもそれは決して悪いことではなく、むしろ、仕事から自由な人ほど白い目で見られる、という現実がある。「自分の身体の職業的使用権を定年までにわたって特定の会社に対して排他的に譲渡する契約」のことを「終身雇用制度」と定義すれば、こんな契約する人のことなんて、上記の「結婚」同様、上野千鶴子なら「理解できない。まったく理解できない」と言い出すだろう。

しかし、そもそも皆、そんなに「自由」を求めているのかどうか自体うたがわしいのだ。結婚してなきゃ誰とでも、とっかえひっかえ恋愛できて(自由で)楽しいかといえばけっしてそうではないだろうし、仕事やめれば自由に好きなことができるかといえば、そうでもない。

そういえば先の結婚の定義で「扶養の義務(権利?)」については触れられていないが、この点はどうなんだろうか?お互い扶養の義務も権利もない(子供は別)結婚というのは、フリーの仕事人がやりたい仕事だけを請け負うみたいでちょっと格好いいではないか。

「自由」の代償は「忠誠」である。猫は自由を求め、犬は忠誠を誓う。

猫の居る部屋

2005-03-20 | うちの猫
今日は季節の変わり目ということで、ソファのカバーを買いに行きました。ソファー自体を購入したとき、たくさんの生地と柄の中からあーでもない、こーでもないとすごく時間をかけて選んだのですが、猫の爪とぎ対策にカバーが必要、ということがすぐ分かりました。おかげで、買った当初からカバーをかけて使用する羽目になり、せっかく選んだ生地が日の目をみることはないのでした。。。

で、今回選んだカバーが上の写真です。好みは人それぞれですが、部屋の中が春らしく、ぱっと明るくなったことは間違いありません。

その新しいカバーに興味を示して、ちょっと目を離した隙に潜り込んでしまったのが○○ちゃんです。まったく。。。ま、こいつらのおかげでカバーを取り替えるという楽しみを味わうことができるようになった・・・、と夫婦で互いに言い聞かせております、ハイ。

※ところで、ちょうどその買い物中、地震がありました。福岡・佐賀の被害がとても大きいようです。親戚や友人が多い地域なので心配でしたが、無事のようで安心しました。大分県も結構揺れましたが被害は出ていないようです。災害は忘れた頃にやってくる。くれぐれも日ごろの用心を怠りなく。

フラメンコ・アフリカンドラム・ベリーダンス、そして「お能」を一夜にして楽しんだのだ

2005-03-19 | 音楽
久しぶりに東京へ行ってきました。飛行機はマイレッジを利用して、お宿は弟夫婦の住まいにやっかいになる、という節約旅行です。前にも紹介した、ユニークな出版記念イベントにも顔を出してきました。これが実に面白かったのでご紹介いたします。

場所は表参道のアニヴェルセル。もちろん初めて行ったのですが、東京ならではの「おしゃれ」なお店が詰まった空間ですね。一階のオープンカフェでコーヒーを飲もうと思ったのですが、一杯1000円近くもするのでやめにしときました(笑)。

出し物の最初はフラメンコ。高関テラの踊りに池川兄弟のギター、しかしなんと言っても沓掛和子の声量豊かなハスキーボイスによる歌が素晴らしかったです。

続いて圧巻だったのは、岩原大輔奈良大介・橋本肇による圧倒的なアフリカの太鼓(ドラム)演奏です。これは衝撃的でした。こういうのは初めてだったのですが、最高です。はじまった途端に頭の中が空っぽになります。おなかの底の方がドラムのビートに感応して、会場のみんなが揺れる、弾む。ストレスなんか一発で吹っ飛びます。

ビュッフェスタイルで美味しい地中海料理を楽しみながらの上演だったのですが、思わずフォークを持つ手を止めて見入ってしまったのが、ベリーダンスです。カナリの妖艶な踊りに食事ものどを通りませんでした。

そして最後はお能です。梅若晋矢、大鼓、小鼓、地謡の総勢7名による舞囃子。お能なんてそんなに観る機会ないですよね。何がなんだかさっぱりわからない、という印象だけもっていたのですが、今回は初めて「おっ、すっごい、いいじゃん」と見直しました。お能と聞いた時に生じる一切の先入観を捨てて、フラメンコやアフリカンドラム、ベリーダンスなどと同列に、世界の民俗芸能の一つとして観れば、すっと入れるんですね。しかもそうやって並べてみるとこれはやはり恐ろしくレベルが高い、洗練されたパフォーマンスだということが分かったのです。

熱気に包まれたとても楽しい一夜を過ごすことが出来ました。

ピアソラ

2005-03-13 | 音楽
アストル・ピアソラのCD「タンゴ:ゼロ・アワー」を聴いた。すごく良かったのでご紹介します。

アルゼンチン・タンンゴの奇才と言われるピアソラのCDを買ったのはもちろん初めてだし、このジャンルのもの自体、初めてだ。特に予備知識も期待もなく、奥さんに頼まれて手に入れたものを聴いただけ。タンゴね、ま、BGMにはいいんじゃない、という程度で聴いてみた。

ピアソラの奏でるバンドネオンの音色が好きだ。哀しみと喜びが交互に織りなすようにからみあい、光と影が際立つ。地球の裏側、遠い、遠いアルゼンチンの音楽なのに、なぜか懐かしい。不思議な音色だ。

告白するのだが、これはアコーデオンだと思っていた。あの横森良三さんの福々しい笑顔をふと思い出したりして・・・。バンドネオンとアコーデオンは別の楽器だったんですね。

タンゴの革命児アストル・ピアソラから引用>
「バンドネオンという楽器は,アコーデオンと同じような構造の,空気を送り込んで笛のように穴から音を出す楽器である。この構造はそのままオルガンにも当てはまる。つまり,アコーデオンもバンドネオンも基本的には携帯版オルガンなのだ。ただし,バンドネオンはアコーデオンのように規則的に鍵盤が並んでいない。あるのは一見バラバラに配置されたような30個ばかりのボタンだけだ。
 しかも,このボタンは右と左の両方に同じ数配置され,蛇腹を押したときと引いたときで違う音が出るようになっている。つまり,左右押し引きで4種類のボタンの配置を覚えなくてはならないのだ。これはかなり厄介な作業である。ちなみに音は左の方が低音域で,右の方が高温域である。要するにピアノと同じように,左手で低音を奏で,右手で高温を奏でるというわけだ。通常は左手の低音域でコード(和音)を弾き,右手の高音域でメロディーを奏でることになる。
 このような構造のバンドネオンなのだが,その複雑さゆえに弾きこなせるようになるとかなり表現力豊かな楽器となる。左右10本の指をフルに使用すれば最高10までの和音が出せ,しかも音域も実に幅広い。オルガンのように足までは使えないが,蛇腹の使い方で音の強弱やアクセントの付け方も自由に行える。これはもう本当に携帯版のオルガンを越えたすごい可能性を秘めた楽器なのである。」
<引用終わり>

恐れ入りました。すごい楽器だったんですね、バンドネオン。このように知識のない私にはこのCDの良さを言葉で説明することができません。お勧めの一枚です、とだけ書いておきます。

「ハーバードからの贈り物」

2005-03-12 | 読書
先入観と偏見というのは抜きがたいものだ。この本を読んで改めて思い知った。ハーバード・ビジネス・スクールの教授たちがMBAコースの学生たちに向けて、その最終講義で贈るはなむけのメッセージを収録した本、「ハーバードからの贈り物」を読んで、自分の先入観と偏見の強さを反省した。

タイトルや能書きをみると、実に鼻持ちならない本だという気がするではないか。今回そうであったように、信頼できる人による書評をたまたま目にすることがなければ、私の先入観と偏見は通常、このような類の本を手にとらせることはないと断言できる。良い意味で見事に予想を裏切る良書であったのだ。

ハーバード・ビジネス・スクールの教授といえば、彼(彼女)ら自身がすでにその学問分野での、押しも押されもせぬ成功者である。その成功者が、ビジネスの世界でこれから大きな成功を勝ち取るための能力と意欲に満ち溢れた20代後半の学生たちに、門出を前にして、どのようなお話しを語り聞かせるというのか。

大企業の経営幹部や起業家として、ビジネスの世界で成功することを目指す、多くのエリート学生を長年教えてきた教授たちは、その教え子たちのその後の人生行路を注意深く見守っててきたことは疑いない。もちろんすべての卒業生が大きな成功を手にした訳ではないだろう。目もくらむような成功を収めた者もあれば、挫折した者もあっただろう。

本書に収録された15人の教授による15のメッセージは、それぞれの教授自身の体験に基づいた独立したメッセージだが、共通したところもあるように思う。いずれの教授も、通常の講義では成功のためのツールとして、自分の専門領域における知識を、思う存分学生たちに叩き込んだのだろう。しかし、これらは必要条件の一つに過ぎず、決して十分条件ではない、ということを最後に伝えたかったのだと思う。

「他人への思いやり」とか、「感謝の心」とか、そんな誰もが一度は「親」にお説教されたことがあるような(従って、『ウッセーな』と大抵聞き流してしまったような)教えが、ハーバード・ビジネス・スクール流に(先入観を持たないで下さい)語りかけられてくるのである。

私は本書の中の一人の教授の話に特に感銘を受けたので、うちの奥さんと娘に読み聞かせてやった。奥さんは涙した。娘は、もちろん、ものすごく迷惑そうな顔をしていたが、私は後悔していないのである。。。

猫とお散歩

2005-03-10 | うちの猫
すっかり春めいてきたので、うちの○○ちゃんを庭でお散歩させました。完全室内飼いの箱入り娘なのに、本人にはその自覚がないため、ケガをしたりすると困るので、紐をつけてお散歩です。

猫の散歩というのは、ただひたすら猫の後をついていく、ということです。犬の散歩になれた人はちょっと勝手が違うので注意が必要です。犬の散歩の場合、どこをどう歩くかというのは飼い主が決めます。しかも正くは、「脚側行進」といって、飼い主の横に寄り添うようにして犬を歩かせます。飼い主を差し置いて、犬が飼い主の前を歩くなどもってのほかとされています。もちろん、こんなことを猫に期待してはいけません。

猫を散歩させると猫がどのくらい気まぐれかよく分かります。基本的には前へ前へ、と進んで行くのですが、ふいに方向転換することもあります。立ち止まって草を食べ始めたり、あたりを慎重に観察したりして、見ていて飽きません。ただし、一つの方向にだけは絶対向かおうとしません。それはリードの端を握り締めてカメラチャンスを狙っている私の方向です。なので、放っておくと、いくら散歩をさせていても、カメラに正面から向かってくる○○ちゃんの写真は決して撮ることができません。



散歩中の○○ちゃんを正面から撮影するためには、頃合をみはからって、小走りに追い抜いて、振り向きざまに撮るしかありません。しかし、進行方向をふさがれたと思うのか、すぐに方向転換するので、タイミングが容易ではありません。これを何回も繰り返していると、結構な運動になります。




行かせたくない所へ猫が行きそうになった場合は、リードを引っ張って操作しようというのはやめた方がいいと思います。いくら引っ張っても頑固にいうことをきかないし、ちょっと無理をするとすぐ首輪がすっぽ抜けてしまうからです。駆け寄って抱き上げるのが一番です。

というわけで、○○ちゃんを庭で散歩させると、本人はのんびり歩き回っているだけなのに、こちらは小走りの連続です。結局犬の散歩も猫の散歩も、適度な運動になってこちらの健康に役立つという点では同じ効果があると思います。

王様の仕事

2005-03-05 | 経済・社会
王様というのは偉い。なぜ偉いのかといえば、それは王様だからだ。王様試験に合格して王様になった人はいない。頭のよさが条件ではないからだ。戦争に勝つ、というのは王様になるための手っ取り早い手段の一つだ。しかし、その場合でも大義名分が必要だ。力が強いだけでは真の王様として認めてもらえない。まったく正当な王様の「なり方」というのは「王様に生まれる」ということと、「王様に指名される」の二通りだ。「王様を指名」できるのは「王様」か、「神様」だけである。

王様の家系に生まれ、王様に指名されて王様になった堤義明氏が逮捕された。生まれと指名によって王様になった彼に王国の運命は委ねられた。その王国を経営するにあたって、彼は独裁者としてふるまった。

よい王様とは王国と王家の永遠なる繁栄を願う王様のことである。王位継承のシステムは立派で優秀な人が王様になる、という観点から構築されてはいない。従って、暗愚な王様があらわれるリスクは高い。

そこで、優秀な経営者を登用して実際の王国経営を任せるという知恵が生まれる。中国の官吏登用制度「科挙」などがその良い例だ。この厳しい選抜試験を経て優秀な官僚の中から宰相を任命し、実際の王国経営に当たらせた。もちろん王様はその宰相の手際に不満があればいつでも首を切ることができる。言ってみればプロ野球のオーナーと監督の関係のようなものだ。

経営学でいう「所有と経営の分離」とは、裏返せば「所有と経営の一致」に内在する必然的な脆弱性を回避するための仕組みのことである。極端な話、どんなアホでも相続すれば所有者にはなれる。逆にどんなに優秀でも、よほどの強運か僥倖がなければ国や大企業の所有者にはなれない。「所有と経営の分離」とは、アホな所有者自らによるアホな経営のリスクを廃し、経営は別の尺度で選別した優秀な経営スタッフに任せよ、という教えのことである。

大学出の頭のいい社員はいらぬ。経営判断はすべて自分一人が下す。社員はただ自分の言うことを忠実に実行すればよい、と豪語して、体育会系の人材登用に熱心だったと言われる堤義明氏。真に困った王様である。

西武王国における堤支配の崩壊の始まりとなった昨年、西武ライオンズが日本一の成績を残したのは皮肉とは言えないだろう。プリンスホテル経営に関してはそのレストランで出すカレーの福神漬けの味にまで指示を飛ばした堤前会長も、ライオンズの試合で松坂の投げる球の配球にいちいち指示を出していたとは聞かない。ライオンズが試合に勝つために、彼は良きオーナーであり、決して自ら監督となってゲームの采配を直接振るおうとはしなかったからこそ、ライオンズは優勝できたのである。

アメリカ産業史にその名を留める鉄鋼王アンドリュー・カーネギーがその墓碑銘に残した有名な言葉がある。「ここに、自分より賢い人々を、周囲に集める術を知っていた1人の人間が横たわる」 "Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself."

王様になってしまった人の仕事とは、良き経営陣を確保し、任せることに尽きる。それがお家安泰の唯一の道だという事は古今東西の歴史が証明している。

メジロとウグイス

2005-03-03 | 
我が家の庭にメジロがやってきます。恐らくつがいであろう二羽が仲良くやってきます。で、私の奥さんはこのメジロのことをウグイスだと思っていた、ということが発覚しました。なぜなら「ウグイス色してるから」というもっともな理由からでした。

我が大分県の「県の鳥」はメジロです。これをウグイスと見誤っていたとは情けない。ま、奥さんは他県出身なのでしょうがないかもしれませんが。。。

全国の都道府県ではそれぞれシンボルとなる木・花・鳥などを定めています(こちらを参照)。メジロをシンボルとしているのは大分県のほかに和歌山県があります。人気の高いのはライチョウ(富山・長野・岐阜)とオシドリ(山形・鳥取・長崎)で、それぞれ三県のシンボルに選ばれています。ちなみにウグイスをシンボルにしているのは山梨県と福岡県です。

さて、メジロは「ウグイス色」なのか?ここに詳しい説明があります。これによると、JIS(日本工業規格)で定めた「鶯色」というのは実際のウグイスの羽の色に近い、どちらかというと茶色系の色で、メジロの色とは程遠いものだそうです。つまり、JISで定めた鶯色というのは我々が一般的に「ウグイス色」と呼んでいる緑系の(メジロのような)色ではない、ということです。

では、なぜ本来の鶯色を無視して、いわゆる緑がかったウグイス色に間違えたのか、上記のサイトにはこう書かれています。

「理由は諸説あります。メジロとウグイスを間違えた。うぐいす餅の色を鶯色と思った。いろんな理由を並べて説明しているサイトもありますが、どちらにしても私たち現代人が無知だったからです。ウグイスを知らず、鶯色を確かめずに知った振りをしたからです。だからJISを作った有識者の鶯色と異なるのです」

もう少し暖かくなるとうちの近所でもウグイスの鳴き声が聞こえてきます。しかし、確かにウグイスの姿というのはなかなか目にとまりません。メジロの鮮やかな色が目に、そしてウグイスのあの美しいさえずりが耳に、それぞれインプットされて、知らぬ間に合成されてしまったのでしょうか。

ところで、花札に描かれた「梅に鶯」の図柄。ご覧のようにこれは、「いわゆるウグイス色」をしており、本物のウグイスとはまったく別物です。かといって目の周りが白くもないので、メジロではありません。結局これはメジロでもウグイスでもない、不思議な鳥、ということになります。現代人だけが無知だった訳ではなさそうですね。

<追記>
yoccoさんからメジロの、はまにゃこぶろぐさんからウグイスの、それぞれ素晴らしい画像をTBしていただきました。実物の羽根の色の違いがよく確認できますので、ご覧になって下さい。TBして下さったお二方、有難うございました。