うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

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「グラフvs伊達」 2日がかりの死闘から15年

2011年07月05日 | テニス
◆1996ウィンブルドン選手権・女子シングルス準決勝
(1996年7月4~5日 @英国・ロンドン郊外/オールイングランド・クラブ)

シュテフィ・グラフ 2(6-2 2-6 6-3)1 伊達公子


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6月22日、1996年以来15年ぶりにウィンブルドンの初戦を突破した世界ランキング57位のクルム伊達公子は、世界30位で過去に同大会を5度制したビーナス・ウィリアムズ(米国)と2回戦で対戦。「パワーテニス」の先駆者である31歳のビーナスはさすがに全盛期を過ぎたとはいえ、やはりパワーだけは健在。40歳の伊達は今季絶不調だっただけに、下馬評では元世界1位のビーナスの方が圧倒的に優位でした。ところが、伊達は、ビーナスの体がまだ温まってなかった第1セットをタイブレークの末に7-6で奪取する予想外の展開。第2セットは逆に6-3でビーナスが奪い返し、勝負は最終の第3セットに縺れ込みます。第3セットは終始ビーナスのペースでしたが、伊達は食い下がり、息もつかせぬ互角の展開に。だが、6-8でこのセットを失い、約3時間の死闘の末に、伊達は惜しくも敗退。しかし、低く速い弾道のライジングショットにネットプレーも織り交ぜ、ベテランらしい巧みな攻撃で世界屈指のパワーテニスに大健闘した敗者に対し、観客は総立ちで万雷の拍手が送られました。

ビーナスとの激しい死闘は、記憶の片隅に残っていたあの伝説の一戦が鮮明に蘇りました。そうです、今から15年前に同じセンターコートで行われたシュテフィ・グラフ(ドイツ)と伊達公子の間で争われたあの一戦です。過去6度優勝の第1シードのグラフは、1996年5月13日付のWTAランキングで通算332週に渡って世界1位となり、男女を通じての記録を更新。1995~1996年は全豪こそ不参加でしたが、1995年は全豪以外の四大大会を全て制覇。1996年は全仏を優勝したばかりだったので、まさに全盛期でした。一方、第12シードの伊達は、同年4月28日に有明コロシアムで行われた国別対抗戦のフェド杯で、通算7度目の挑戦にしてグラフに初勝利。この試合は、男女を通じて日本人選手として世界ランキング1位の選手を公式戦で初めて倒した一戦でした。伊達は、ウィンブルドンでは初戦の長塚京子戦以外は全て第1セットを落とすも、逆転で勝ち上がり、男女を通じて日本人選手として63年ぶり、女子では初の準決勝進出でした。両者は有明のフェド杯以来、3ヶ月ぶりの再戦でした。

1996年7月4日、午後7時43分にセンターコートで行われたこの一戦。第1セットは、完全にグラフの一方的なペース。エンジンの掛かりが遅い伊達のいつもの癖が再発し、このセットを2-6とあっけなく失います。続く第2セットも、最初の2ゲームをグラフが連取。このままグラフに押し切られるのかと思いきや、フェド杯とは逆に第2セットから伊達が猛反撃を敢行。ゲームカウント1-2とグラフにリードを許した第4ゲーム。30-30で迎えた伊達のサービスゲームは、グラフのショットで左右に振り回される苦しい展開でしたが、伊達がこれをものにします。伊達は辛うじてこのゲームをキープに成功し、ゲームカウントを2-2のタイにします。続く第5ゲームはグラフのサービスゲームだったので、伊達は終始劣勢を強いられます。しかし、9度にわたる激しいデュースの応酬の末、このゲームを伊達が制してブレークに成功。この日のグラフはファーストサーブの成功率が非常に悪く、伊達に激しく追い上げられている焦りからなのか、次第に苛立ちの表情を浮かべます。

伊達がゲームカウント4-2でリードした第7ゲーム。サービスゲームだったグラフが40-15とリードしてましたが、ここで思わぬハプニング起きます。というのも、試合中にグラフのファンと思われる観客から思わぬ告白をされたからです。


☆それがこのシーンです。



なお、“プロポーズ”してくれた観客にグラフが「How much money do you have ?」(お金はどのくらい持っているの?)と切り返すシーンなのですが、これは当時グラフの父に脱税疑惑が持ち上がっていたので、それを逆手に取ったブラックジョークです。咄嗟に浮かんだ自虐ネタだとはいえ、いつも冷静なグラフが観客に切り返すこと自体がかなり珍しいシーンでした。ちなみに、伊達はその観客に「How about me ?」(私はどう?)と言おうかと一瞬考えたみたいです(笑)。

このゲームは伊達が3たびブレークに成功し、ゲームカウントを5-2とリードして優位に立ちます。以降は、伊達が試合の主導権を完全に掌握し、第8ゲームも連取。結局、第3ゲーム以降、伊達は6ゲーム連続で奪い取り、ついに第2セットを6-2と取り返して、セットカウントが1-1で並びます。グラフにとって、今大会で初めてセットを奪われました。だが、この第2セットが終わった瞬間、主審が日没を理由に、中断を宣告。第3セットは翌日に順延となりました。なお、第2セットの終了時刻は午後8時56分でしたが、まだ空は夕暮れで明るかったです。この日は朝早くから降雨の為、試合開始が大幅に遅れたので進行が遅く、この女子シングルス準決勝第2試合が大きく影響しました。第2セットからは明らかに伊達のペースだっただけに、降雨で予定より開始時刻が大幅に遅れた影響で調子を崩していたグラフにとって、この水入りは命拾いでした。

翌7月5日、日没順延の為、仕切り直しとなった第3セットが、現地時間の午前11時にセンターコートで再開。この第3セットは日本時間の19時頃に行われましたが、なんとNHKが午後7時のニュースの時間を返上してこの試合の生中継を実施しました。五輪やサッカーW杯を除いて、NHKが定時のニュースを差し置いてスポーツ番組の生中継をするのは極めて異例の対応です。それだけ、国民的に関心が高い一戦でした。天候不順だった前日とは打って変わって、夏の日差しが芝のコートに差し込んでました。グラフは、前日はファーストサーブが不調だったが、再開直後の第1ゲームでいきなりサービスエースを決めて、きっちりと修正してました。グラフは最初のサービスゲームをしっかりとキープに成功。一方、伊達もストロークの調子が良く、フォアのライジングショットで何度もエースを奪い、互角の展開となります。

しかし、伊達はスロースターターなので、短期決戦のリズムに中々乗れませんでした。第6ゲーム、グラフのスライスショットでリターンエースを奪われ、伊達は微妙に外れるミスを重ねてしまい、このゲームをグラフにブレークされます。その後は、お互いにサービスゲームのキープが続きます。しかし、第9ゲーム、伊達は角度を付けたショットなどを多用してグラフに食い下がり、3度のマッチポイントを凌ぐもブレークが出来ず、結局この第3セットを6-3で奪ったグラフが決勝進出。伊達は「芝の女王」をあと一歩まで追い詰めるも、惜しくも日本人初の四大大会シングルスの決勝進出はなりませんでしたが、会場の観客が総立ちし、敗者に対して惜しみない拍手が送られました。なお、グラフは翌日の決勝でアランチャ・サンチェス(スペイン)をストレートで破って、2年連続7度目の制覇。結局、この大会で唯一セットを失ったのが、準決勝の伊達戦でした。

1990年代半ばに花開いた日本女子テニス界の黄金時代を象徴するこの一戦。2009年に、センターコートに開閉式の屋根が取り付けられているので、降雨による試合進行の遅れも少なくなりました。また、センターコートには照明設備も備わっているので、日没サスペンデッドゲームになることも、おそらく今後は少ないでしょう。伝統の会場も時代の流れと共に変わりつつありますが、あの死闘から15年経った今でも伊達が輝き続けているのには、あらためて脱帽いたします。


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