うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

おもに運動に関して、気ままに話したいと思います。
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生まれて初めて見た日本人の五輪メダル獲得シーン

2010年02月10日 | ウィンタースポーツ
皆さんは初めて見た日本人の五輪メダル獲得シーンはハッキリと覚えてますか?

子供の頃からスポーツがとても大好きな人や、記憶力がとても鮮明な人なら、メダルの色に関係なく日本人のメダル獲得シーンはすぐに分かると思われます。ただ、おそらく大半の方は分からないのではと思われます。むしろ、それが普通ではないのでしょうか。

ただ、戦前の昭和一桁から昭和10年代にお生まれの方は、もしかしたら覚えているのかもしれません。それはおそらく、戦後初めて五輪に参加したヘルシンキ五輪のレスリングで優勝した石井庄八ではないでしょうか。また、この世代の方は古橋広之進が敗れたシーンの方が記憶にあるのかもしれません。この世代の方がこういったシーンを鮮明に記憶している理由は、戦争の影響で1952年のオスロ五輪&ヘルシンキ五輪に復帰するまで、16年間もの長き間に渡って日本は五輪大会に参加できなかったからです。なので、幼少の頃に五輪そのものをリアルタイムで全く知らなかったので、ハッキリと物心ついた時の大会だから鮮明に脳裏に焼きついていると思われます。

ちなみに、私のように1970年代前半生まれだと、このような感じになります。1972年の札幌五輪とミュンヘン五輪は生まれて間もない、もしくは生まれる前の大会なので、覚えてない人が殆どだと思われます。幼少の頃から記憶力がとても優れている人なら、1976年のインスグルック五輪&モントリオール五輪を覚えている人はいるのかもしれません。ただ、この世代の大半は、この頃は幼稚園もしくは幼稚園に通う前なので、あまり覚えている人は少ないと思います。そして、1980年のレークプラシッド五輪に関しては個人差があると思いますが、我々の世代は幼稚園から小学校低学年ぐらいなので、ジャンプで八木弘和が銀メダルを獲ったシーンを覚えている人はそう多くは無いと思われます(知らないのは私だけかな?)。

幼少の頃なので記憶に無いのは仕方がありません。ただ、我々の年代が他の年代に比べて少し特殊なのは、この年のモスクワ五輪を日本がボイコットしたからです。当然、日本選手が誰も参加してない大会なので、日本人のメダル獲得シーンを見るのは絶対に皆無です。もし日本がモスクワ五輪に参加していたら、我々の世代でも日本人のメダル獲得シーンを少しは記憶しているでしょう。なので、我々の世代がハッキリと物心がついた時に見た五輪というのは、小学校高学年から中学生ぐらいに見た1984年のサラエボ五輪とロサンゼルス五輪だと思われます。そして、サラエボ五輪を覚えている方は、2人のスピードスケート選手の残酷なまでのコントラストを記憶に留めている人は多いのではないのでしょうか。私もそんな一人です。


                             *  *  *  *  * 


このサラエボ五輪で日本が最もメダル獲得が期待されていたのは、スピードスケートの男子500mの黒岩彰(当時・専修大学4年)です。黒岩は前年にヘルシンキで開催された世界スプリント選手権で日本人として初の総合優勝を果たしました。日本スピードスケート陣は過去にも鈴木恵一や肥田隆行ら世界に通用する選手を擁したことはありましたが、五輪ではメダルを獲得したことはまだありませんでした。しかも、この当時の冬季競技の日本勢はレベルが低く、選手団全体でもメダル候補が1人ぐらいしかおらず、入賞しただけでも大いに賞賛されていた時代です。それだけに、唯一のメダル候補である黒岩に対する日本中の期待が日に日に高まり、過熱したマスコミがまるで金メダル獲得を規定路線のように連日報じてたのを今でも覚えてます。

黒岩は報道陣から「ライバルは誰か?」と聞かれ、「最大の敵は自分だ!」と答えているように、本人も絶対の自信を持ってました。ソ連チームは黒岩を研究する為に、20人もの偵察団を五輪の練習場に派遣してました。当時の黒岩の最大のライバルは、ウラジミル・コズロフ、アレクサンドル・ダニリン、セルゲイ・フォキチェフのトリオを擁したソ連勢でした。中でも、黒岩はコズロフを最も警戒してました。過去の対戦成績は黒岩の2勝3敗。ベストタイムも37秒10(黒岩は37秒24)。前年の世界スプリントでも、コズロフは初日の500mでは黒岩を抑えて1位になりました。なお、2日目では黒岩が1位でコズロフは3位に終わってます。また、この他にも、ゲータン・ブシェ(カナダ)や五輪に強い米国勢がライバルと思われてました。



この当時の五輪のスピードスケートの500mは現在と大きく異なることがあります。1998年長野五輪以降の大会は、インとアウトのレーンを交互に滑り、2本の合計タイムで競います。しかし、この当時はどのレーンを滑るのかは競技前日のドロー(抽選)で決定しました。つまり一発勝負のレースでした。アウトレーンのスタートだと、最も加速する第2カーブでインレーンに入る為、スピードを抑え気味にしないとコースアウトになる可能性があり、インレーンのスタートに比べると0秒2~3のハンディがあると言われてました。なので、この当時の五輪は抽選による運不運がどうしてもありました。過去にも、1968年グルノーブル五輪の鈴木恵一や1972年札幌五輪の肥田隆行もアウトレーンのスタートだったので、メダルを逃した苦い経験があります。

そして、このサラエボ五輪も、競技前日の2月9日の抽選の結果、黒岩は4組のアウトレーンとなりました。しかも、同走するのが最大のライバルと目されたコズロフ。ただ、黒岩は五輪1ヶ月前のインツェルで行われた国際大会では、アウトレーンで37秒24の日本新記録を叩き出してました。不利なアウトレーンだったとはいえ、この時点ではそれほど心配されていませんでした。むしろ心配だったのは、本番の会場であるゼトラリンクが屋外だったことです。当然、屋内に比べて空気抵抗を受けるのでタイムが遅くなります。また、天候の影響をまともに受けます。そして、これが五輪のレース本番に大きく影響しました。

翌日の2月10日(つまり、ちょうど26年前の今日)。ついに日本中が待ちわびた500m本番の日を迎えました。競技開始時間は午前11時(日本時間19時)。たしか、日本でもNHKでテレビの生中継があった記憶があります。しかし、予定の19時を過ぎても、待てども待てども競技は一向に始まりません。理由は激しい降雪の為、会場のリンクにも雪が積もり、視界も見渡せないほどの悪コンディションだったからです。天候不順の影響の為、競技を開始したのは、なんと予定の5時間半遅れの午後16時半(日本時間2月11日の0時半)にずれ込みました。おかげで、黒岩の活躍を楽しみしていた私は、いつ競技が始まるのか分からず、しまいには眠くなったので生で見るのを断念せざるを得ませんでした(トホホ・・・)。なにせ、まだ「11PM」を見たことがない初心な小学校4年生だったので、さすがにこの時間は限界でした。ただし、この頃は、親に隠れてコッソリと「ウィークエンダー」は見てましたけど(笑)。



そして、次の日の2月11日の建国記念の日。結果が気になったので、朝早く起きてテレビをつけたら、「日本人がスピードスケートで初の五輪のメダルを獲得!」と報じてました。ただ私は「北沢って誰?!」っていう感じで、銀メダルを獲った喜びよりも戸惑いを覚えました。そして、メダルを獲った事よりも「黒岩は一体どうなったの?」と真っ先に思いました。ひょっとして、当時を知っている多くの日本人も似たような気持ちを抱いたのかもしれません。

この日、このレースの再放送を見ましたけど、かなり衝撃的でした。というのも、大本命だった黒岩がまさかの惨敗を喫したからです。降雪で中断した黒岩は散々マスコミに追いかけ回されて調子をすっかり崩します。リンクも、薄っすらと雪の残る悪コンディション。そして、アウトレーンだったことが追い討ちを掛けました。いつものスピードを出せなかった黒岩は精彩を欠きます。そして、コズロフに次いでフィニッシュした黒岩はタイムも38秒70に終わります。黒岩は自分のレースが終了時点で5位に終わり、あっけなくメダル獲得が消滅。テレビで見ていた私は、既に結果を知っていたのにも関わらず、改めてショックを受けました。

そして次の第5組。こちらは更に衝撃的でした。インスタートだった21歳の無名選手・北沢欣浩(法政大学3年)は、大柄のフィンランド人と同走。「黒岩さんのことを気にせずに、自分のベストを尽くそうと思ってがんばった」とのちにコメントしているように、無心で氷上で戦います。釧路北陽高校出身の北沢は、高校時代は有望視されてましたが、大学入学後は伸び悩んで黒岩らの影に隠れる存在となりました。しかし、前年の浅間選抜で37秒80を出して黒岩に次いで2位となり、この一発の魅力を買われて五輪代表に滑り込みます。黒岩が好記録を出したインツェルの国際大会でも37秒86を出すなど、調子が上向きでした。

五輪本番のレースも最初の100mは10秒12と全選手の中でも3番目に速いタイムで滑り、まさに上り調子の勢いのままゴールへ滑りきり、タイムも38秒30。天候不順による遅いレース展開も味方して、最終的に優勝したソ連のフォキチェフに次いで2位に入ります。「えらいことをやっちゃいました」とコメントしていたように、無印の扱いだった北沢は誰もが予想できなかった偉業を成し遂げました。しかも、北沢の銀メダルは、日本勢通算6個目となる冬季五輪のメダル獲得なので、本当に快挙です。一方、黒岩は10位に終わり、入賞も逃しました(なお、この大会から入賞は8位までに変更)。

なお、1000mでは、前のショックが抜けきれない黒岩は、抽選でまたもアウトスタートを引きます。結局、精彩を欠いて1分17秒49で9位に終わり、またしても入賞すらできませんでした(なお、黒岩と1組で同走したのが米国のダン・ジャンセンです)。ちなみに、7組アウトスタートだった北沢は、1分19秒95に終わり31位。なお、日本選手団全体の入賞は北沢の銀メダルが唯一でした。なので、あらゆる幸運をものにした北沢はまさに典型的な一発屋ともいえます。ただ、五輪でメダルを獲得するには実力だけでなく、運や勢いも必要ということを思い知りました。


                             *  *  *  *  * 


大本命がまさかの惨敗を喫して、伏兵が快挙を成し遂げたこのサラエボ五輪の男子500mのレース。このレースこそが、私が初めて見た日本人の五輪のメダル獲得のシーンです。今でも鮮明に覚えているのは、両者が極端なまでに残酷な形で終わったからです。なお、黒岩はこのサラエボの敗戦後、メンタルの弱さを克服する為に、単身で欧州で武者修行し、己を磨き上げます。その成果が、4年後のカルガリー五輪での500mでの銅メダル獲得に繋がります。ちなみに、この時の抽選はまたしても、4組のアウトレーンでした。


▼サラエボ五輪男子500mの結果
1位:セルゲイ・フォキチェフ(ソ連)    38秒19
2位:北沢欣浩(法政大学)        38秒30
3位:ゲータン・ブシェ(カナダ)       38秒39
4位:ダン・ジャンセン(米国)        38秒55
5位:ニック・トーメッツ(米国)       38秒56
6位:ウラジミル・コズロフ(ソ連)      38秒57
7位:フローデ・ローニンク(ノルウェー)  38秒58
8位:ウーべイェンス・マイ(東ドイツ)   38秒65


【参考資料】読売新聞、朝日新聞、毎日新聞
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異常に待たされたのを覚えてます (こーじ)
2010-02-11 08:56:46
 まず初めてメダル獲得を見たのは・・・・今ひとつ記憶にないのですけど、やはりミュンヘンの
男子バレーの金獲得が一番印象に残ってますね。

 冬なら札幌の笠谷らの表彰台独占ですが、後から聞いたら笠谷は‘90m級で取れなかったのが無念’という事のようですね。

 サラエボでの北沢の銀は鮮明に覚えてます。
 正直言って黒岩彰の500のみしかメダルが取れそうもなかったので注目してました。
 異常に長く待たされた末に気が付いたら始まっていた感じでしたね。

‘一発屋の北沢がやりましたぁ~’という名アナ・西田善夫氏の実況が印象に残ってますが、
後に西田氏は「北沢は降雪用の靴を持ってきていたが、黒岩は通常の靴のみしか持ってきて
なかったのが明暗を分けた」とNumberあたりで語ってました。

 やはり五輪で勝つには準備はやってもやり過ぎる事はないと実感した次第です。
 
 ただし現在はリレハンメル以降室内リンクが
定着して、降雪などで開始時間が遅れたりリンクコンディションが悪化して・・・・という事は考えられなくなりました。

 これが いい事か、悪い事かは それぞれの判断によるでしょうけど・・・・・
コメントありがとうございます (猫なべ)
2010-02-11 16:47:07
こんにちは、こーじさん

今考えても、黒岩に対するマスコミの報道姿勢は、「メディアスクラム」に等しい行為のような気がしますね。
まあ、昔も今もたいして変わらないのですが・・・

サラエボ五輪で残念だったのは、この当時好調だったジャンプの秋元正博が不祥事で参加できなかったことです。もし秋元が参加できたら、黒岩に対する必要以上の過熱報道も幾分和らいでいたような気がします。

あと、夏季五輪ですと、日本人初のメダル獲得シーンは忘れてしまいましたが、金メダルだとロス五輪の射撃の蒲池猛夫さんなのは覚えてます。北沢さんと同様に、伏兵なのが共通してますね。

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