いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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日本のカジノ論。 casino theory in japan

2016-12-04 20:01:12 | 日記
 (1)カジノ(casino)法案(統合型リゾート整備推進法案 integrated resort)がわずか6時間の衆院内閣委員会の審議で可決されたと聞いて、さすがに何にでもありの国会審議の中でも「あ然」とした。

 しかも具体的な課題、問題は法案が発効する1年先までに実施法案で詰めるというから、何をかいわんやで、こんな国会審議がまかり通っては「国会」(審議)は形がい化してまったく必要ないことになる。

 (2)安倍内閣の国会対策は、比較安定した内閣支持率のもとに理念、信条、政策のお墨付きを得るための「カッコ付け」の儀式でしかない国会空洞化(cave phenomenon)だ。まるで世界の影響力のある国が集いながら拒否権を有して機能しない国連を思い浮かべる日本の国会の空洞化だ。

 カジノ法案は近年の海外、特に中国をはじめとするアジアからの観光客の激増ブームの中で、米国ラスベガス、アジアのマカオなどの公営カジノを中心とした大型エンターテイメントの人気で海外からの観光客を多く呼び込んで経済効果を生む姿を日本にも取り込んで、海外観光客の来日効果を後押ししようという目論みで議員立法で国会に提出されたものだ。

 (3)米国ラスベガスなどは、世界的にもまだカジノ、賭博が広く禁止されている国、地域も多い中で関心、興味も高く、集客力も高く、経済効果も高いことから、政府が成長戦略として経済効果を期待して法案化を進めていたものだ。

 しかし日本はカジノ、賭博といえば古い封建時代からヤクザ、反社会勢力の闇の資金源であり、近代日本では反社会的影響力行為として規制されてきた歴史、文化、社会観を持つ国柄だ。

 (4)カジノ、賭博がなくてもパチンコ、競馬、競輪、宝くじの公認の賭けごとも社会的に広く受け入れられているものもあり、海外からの観光客目当てで日本の古来からの歴史、文化、社会観を覆(くつがえ)してまで歴史、伝統、文化、社会観の違う海外の公営カジノの成功例だけを捉えて日本国内にもカジノを取り込もうというのも短絡的思考にすぎるというものだ。

 仮にそうであっても、そうだからこそ日本の歴史、文化、社会観からみてのカジノ開設の十分な検証、検討、論議が必要なのに、国会審議が6時間で可決では論外のことだ。

 (5)国内に開設する公営カジノは主に海外からの観光客を対象とすることも考えられているようだが、日本人を対象とする場合は基準、目安をどう判断するのか規制を設けないでは、国が国民の身銭を奪い取っておいて破たんしたあとの生活の始末(生活保護)を国民投資(税負担)で賄うということになれば、本末転倒、あべこべもはなはだしいパラドックス社会(paradoxical society)を招く悪循環社会だ。

 (6)安倍政権は経済の好循環社会を目指しているといわれるが、公営カジノは日本にとっては経済、生活の悪循環社会を招く懸念も強い。

 日本古来の歴史、文化、伝統、社会観と異なる、これらを変えるカジノ法案を取り込むために国会(委員会)審議6時間で可決では国会、議員の良識、見識、能力、責任を疑われるものであり、これそのものが日本での公営カジノへい害、思考停止を暗示、示すものとして自戒すべきことのあらわれだ。
 
 
 

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